したり声、といわれる声があるそうです。したり顔、の「したり」です。
「してやったり、うまいだろ」と得意そうに言っているような声のことのようです。
どなたか朗読の先生が仰ったそうです。ドヤ声とも言うようです。
「ドヤ声」というとちょっとユーモラスな感じもあるのですが、「したり声」というと高慢な感じがすごく強いイメージがあります。
絵本の読み聞かせでも、ベテランや朗読をやっていた人の読みを聞くと、自信満々な様子を時々感じることがありました。耳をふさぎたくなるように感じることがあって、自分だけかなーなどと不安に思っていました。表情も何か芝居がかっていて、目がきつい感じがするのです。わらべうたなんかも、歌いあげてしまってね。もしかしたら、私も他の人にそう思われているかもしれないし、そういう時期があったかも知れない。
図書館の人が「うわべだけくすぐるのでなく、心に残る本を」と時々言うのを耳にします。その発言の時に参加者が「シーン」としたりして。なんだか宗教っぽい。確かに、うまく聞き手に届いたと思える瞬間は、読み聞かせボランティアの大きなモチベーションになりますね。気持ちはわかるんだけど、その思いが強すぎると、したり声になるように思います。
一冊の本が子どもの人生を決める、とかね、大きく出る人もいるけど、そうすると、与える側の大人に緊張感が満ちてね、結果、子どもに寄り添えなくなると思うのです。「本の世界に誘(いざな)う」とかいうのもそうです。「誘う」のは大人で「誘われる」のは子ども。「共にある」とは言えませんね。
だから、個人個人が、「心に残るかどうかわからないけど、自分はこれがいいかなと思うけど」程度に、気持ちを楽に持つといいですよね。そういう控えめな気持ちが、結果として、聞き手の気持ちを引き出していくんじゃないでしょうか。