2年前、西区の読み聞かせボランティア講座で、家庭文庫について少し話しました。大勢の女性が、家庭文庫に憧れの気持ちをもっていらっしゃる。それについての意見です。
「文庫主宰者」「文庫のおばさん」「文庫のスタッフ」・・・って、大勢の子どもに囲まれて、美しい絵本に囲まれて、地域の人にも尊敬され、というようなイメージはないでしょうか。そのことについて、現実を説明しました。
まず、自分でも相当な蔵書がなくてはいけないこと。また、不特定多数の子どもが出入りできるお部屋のような、それなりの資産も必要でしょう。毎月、相当数の情報を得て相当数の新刊を入れる必要もあるのではないでしょうか。文庫が開く日は在宅している必要もあります。昨今、きれいごとばかりで済む訳はなく、子どもの生々しいトラブルや、逆に自分たちが不審な宗教施設と間違えられる可能性も覚悟しなくてはならないでしょう。
そして、何より「私立の施設」だということを客観視する必要もあります。個人的趣味が大きく反映される絵本というものについて、自分がスタッフならば、そこのオーナーに自分の趣味を合わせなくてはなりません。そういうことが自分にできるのかどうか。
戦後、石井桃子が家庭文庫を始めた時、大勢の篤志家も全国でそれに追随しました。もともとは、世間一般の子どもにあわせた本を揃え、それを元に研究し、その情報を公共図書館に戻して公共図書館を成長させるものだったはず、でした。
ところが、実践本を読んだ人たちは「地域浄化」と勘違いしたのですね。オーナーはそれなりに目の肥えた人たちだったもんだから、オーナーの趣味の本が集められました。私立施設ですからそれに周囲は文句のつけようがなかったのでしょう。「選び抜いた良い本があるステキな文庫」というスタンスを、崩したくない気持ちもあるでしょう。もちろんオーナーはそういう選りすぐりの環境で育ち、それがどの子にとっても最良の環境に違いないと思ったのでしょう。
全国的なそういう動きに、石井桃子も自分の意思とは違う方向に行っていることに気付き、その実践本を絶版にしたそうです。結構有名な話だと思うんだけど、どうでしょうか。
それから長い年月が経ち、辞めた文庫も多いですし、現実ときちんと向かいあい継続している文庫もあることでしょう。またオーナーが地域の教育者としてもてはやされた時代もあり、今もその立場で続いている地域もあります。何せ、人が集まっていいような家屋ですから、各種勉強会に使うこともできます。オーナーは地域の幼稚園の経営者とも結束し、「子どもに一番良いものを」とネットワークができているところもあります。「子どもと子どもの本を大切にする先生方」と呼ばれてきたグループがそうです。そういう名前でお互いを呼んでしまえば周囲は四の五の言わないでしょうし、自分たちはそのように信じて疑いません。
現在の社会状況に関係なく、子ども研究よりも本の研究に重きを置いておけば、甘美な自分たちだけのメルヘンの世界をいつまでもさまよっていられます。マンガやズッコケシリーズのような「ああいったものは置かないの」も、もちろん私立の施設だから許されることでしょう。
でも、「ああいったもの」が、どうして子どもたちに支持されているのでしょうか。そして、奉仕する相手は、子どもでしょうか、自分がお世話になった先生でしょうか。
ブックスタート事業について、絵本学会の12回大会研究発表(E室2ページ目)にも出ていましたが、子どもと本をつなぐというのは、どうしても教育に傾くんです。もともとは子育て支援として子どもと大人のコミュニケーションの道具だったのに、読書活動推進の法律が出来てくるに従い、家庭での教育の根本みたいに言われるようになりました。もちろん読書推進がそこにあっても仕方ないけれど、子育て支援としての立場を鮮明にすることで、より幅が広がり、地域の支持を得ることもできるのではないだろうか、というのが研究発表者の意見ですし、私もそう思います。はっきり言えば、「お高くとまっている」という陰の批判にしっかり耳を傾けて、自ら山を降りる気持ちになることです。大人が変われば子どもも変わる・・・って、去年は大きな税金をかけてPRしたんでしょ。