図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
図書館はプログラムに無関心
絵本の読み聞かせ入門・ステップアップ講座・ストーリーテリング講座。それらでは、本の選択やプログラム構成について、入念な指導が行われます。「本の選択は大事」「何を読んで何を読まなかったというのは大事」「何の後に何を読んだかで聞きやすさが違ってくる」「プログラムでおはなし会の成否は決まる」・・・などと、今でも呪文のように唱えるボランティアは多いのです。
ところが、3年前、私が豊栄図書館に行って今までのおはなし会のプログラムの履歴を知りたいので見せてほしいとお願いしたところ、保存していない、ということでした。やっていたおはなし会に参加した時もプログラムの紙切れはいただかなかったので、各団体個別の記録をあたらなくてはならないということでしょう。
豊栄は、ストーリーテリング講座が行われ、おはなし会の回数も、規模の割には圧倒的に多い館です。市内で一番、集団相手に読み聞かせることに力を入れているといってもいいでしょう。
そこにして、そういう状態であるということは、結果についてとても無関心であるか、何か別の理由があるのではないか、と考えています。つまり、ボランティアがどういう本を届けたか、公開できない理由があるのではないか、という疑問が湧いて来るのです。ボランティアにどういう教育をしたか、証拠を残したくないのではないか、とかね。
戦後、紙芝居だけに戦争協力の罪を負わせて、自分たちは証拠を消して何もなかったことにした大勢の教育者の姿と重なってきます。そのことの反省に立ってほしいのに、この場合は事前に、残さないように画策した、と思われても仕方がないでしょう。
あるいは、徹底的なボランティア軽視か、調べようとしないボランティアも思考停止状態になっているか。あるいは、市民の自主的な学びを、館が軽視しているか。
逆から見ると、図書館講座の時には、本の選択やプログラムの作り方の講習は、不要だということになります。
ほんぽーとでは、「個人情報が含まれる」ということで見せてもらえませんでした。自分たちが書いて提出したものが、自分で後で見られない、ということです。読み手の名前が書いてあるかどうかは別にして、団体と本のタイトルが並んでいる資料は「個人情報」でしょうか。それとも私がブロガーだからでしょうか。ブロガーとして、そういう情報こそ、大切なのです。私だって、ネガティブキャンペーンをいつまでもやっているのはつらいのです。
優しい声でボランティアの信頼を集めて、別の面では、自分のやったことは公開されると困る。それでは公務員として失格ではないでしょうか。
ボランティアの皆さまは自分が活動している館に行って、プログラムの束が見せてもらえるかどうかお尋ねになるといいと思います。もちろん気持ちよく見せてくれる館もあります。他県ですが愛知県立図書館では、どこの馬の骨かわからない私に束を広げて見せて、一生懸命説明して下さいました。ブログ「紙芝居混合型おはなし会プログラム」として掲載し、たくさんの方が見て参考にしているはずです。
私のような者にプログラムを批判されるのは嫌だから非公開にしてくれ、というお気持ちも分かります。が、ではなぜ公共の場所で活動して、親子連れに見にきてねと誘いをかけるのか、そのことの責任について自分に問いかけることも必要かと思います。失敗しながら前にすすむのだと思うと気が楽ですね。
新しい図書館や新しい団体が出来ておめでたいので、私からの情報のプレゼントです。
学校の読み聞かせボランティアに対する講習も、プログラムの作り方については、司書はせっせと説明されるそうですね。記録がしっかり残されることを希望します。
市の子どもの読書推進のための計画にも、おはなしのじかんは項目の一つにあります。子どもが本に親しむために、「アノトキノホン、ナンダッタッケ」の子どもの声は大切にしたいもの。図書館に問い合わせるということだってあるかも知れません。もちろんボランティアは、そのことを楽しみに日々活動しているのです。私たちの気持ちも分かってほしい。
そして、ボランティアが市民に届け楽しませるために、ボランティア自身がどんな本を好ましいと思いどのように選択したかは、大切な歴史的な資料だと思います。研究者は、市民の後をついていくのです。図書館は研究者に情報を提供する義務がある。
何より、最初に書いたように、ボランティアはそのように教育されて一生懸命試行錯誤しているのです。その途中を完全無視して、「市民の図書館」とはなりえないでしょう。
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