ボランティア入門講座レジュメに対する意見③ 定義を2種類に
読み聞かせとは何か、ということを最初に定義する必要があります。
最新の研究書では、「読み合い」と「読み聞かせ」を別にする傾向があると思います。
「読み合い」は個人相手で、例えば家庭内であったり、ブックスタートであったりします。もともと絵本は個人が目の前で読むために作られたものだと思いますから、元に戻ったり絵をじっくり見るために立ち止まったり、好きなことを言い合ったりして読んでいく本来の楽しみ方です。小さい人に対応するのは主にこのスタイルですね。
「読み聞かせ」は集団相手で、相手が複数それも5人以上とかいて、元に戻らずどんどん引っ張っていくものです。絵本の紙芝居的利用法です。
最初にこの定義が必要だと思います。特に絵本は「読み合い」の方がその特性が発揮できると思う。まだ、これらの語句が浸透していないので私もどのように構成すればいいか考えている最中ですが、保護者やボランティアには「読み合い」として説明したほうが、相手は気楽ですし、自由ですし、無理がない。
これからは、読み合いの方が主流になるような気がします。絵本本来の楽しみ方のほうがいいもんね。そして、本だって「読んでみなくちゃその子に合うかどうかわからない」のですから、試しに読み合うことが一番のポイントではないでしょうか。
それから、普通のお母さんやボランティアに「選書眼が必要ですね」などと言わない方がいいと思うよ。学校図書館ボランティアにも。
科学絵本のジャンルで「正確な内容であるかどうか」などとチェックするように書いてあるけど、そんなこと専門家じゃなきゃ無理。長くやっているうちに、その人なりの価値基準ができてくるので、その結果 選書眼ができてくるのです。図書館の人って、「結果としてそうなる」ことを「先に分かっている」こととして教えようとすることが多いのです。本を読むと結果が書いてあるから、それを正しいことと思ってしまうのではないでしょうか。失敗するといやだから、何としてもその道を行きたくなったりボランティアにもそう教え込んだりします。でも現実はもっと生々しい。
お父さんお母さんは、現実の子どもに対応するのが精いっぱいで、絵本の選書にこだわってるヒマがない。ボランティアも、昨今はいくつものボランティアにかかわっている人が多くて、選書眼を作ってから現場に出ましょう、なんてことをやってると10年もかかる。選書の物差しも変わっていくでしょう。
逆に、選書眼がなく自分に不安がある人はその分、相手(子ども)の気持ちをすくい取ろうとします。この方がよっぽど大事。
ベテランは、よっぽど自分で気をつけていないとガチガチの固い頭になって自分と違うものを受け入れられなくなる。選書眼そのものだって、個々の脳に左右されますから、統一できるものでもないし、統一されたら恐ろしいことです。そんなボランティアは、子どもに嫌われると思うよ。
読み聞かせボランティアは、いつの間にか子どもに嫌われる・・・そんな構図は、特定の選書眼をつけさせようとすることから始まっているように思います。なにはともあれ、言葉のキャッチボールをしながらの「読み合い」が子どもに受け入れられる第一歩ではないかと考えます。