かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

苺と言えば、やはり苺ミルク

2019-01-16 22:24:22 | ブログ記事
苺と乳製品は相性がいいと思う。

私はショートケーキを選ぶときは、たいがい生クリームの苺ショートケーキだ。

苺がたくさん出回ってくると、苺ミルクにする。

私の父はお酒好きだったが、甘いものも結構好きで、
苺の季節になると、苺にコンデンスミルクをかけて苺ミルクにして食べていた。

母は乳製品がそれほど好きでなかったので、苺ミルクにはしなかったと記憶している。

結婚してからは、義母がコンデンスミルクで食べる苺ミルクを好まなかったので、
牛乳の苺ミルクになった。

嫁いできてからの苺ミルクで思い出すのは、
義母が義父に苺ミルクを出すときは、義父の目の前で、
ガラスの器に入れた苺にブラニュー等をかけてつぶしてあげて、
ミルクをかけてあげて、すぐに口に入れられる状態にして出していたことだ。

まるで赤ちゃんに離乳食を食べさせるかのように?

私の実家では、
母が仕事を持っていたこともあって、そんな丁寧なことはしなかったので、
驚いた。

実家以外の親戚でも、商売をしている家が多かったので、
そんな丁寧なことをする者はいなかった。

母に義母のやり方を言うと、
義母の卒業した高知県立第一高女の卒業生は、そういうことをする傾向があると言った。

そういえば、義母は、私に、「文旦とか八朔のような晩かん類の果物は、
家族に出すときは、剥いてお皿に載せて出しなさい」と言っていた。

第一高女は、だいたいがお金持ちの勉強のよくできるお嬢さんの行く女学校だったので、
卒業後は、よいところにお嫁に行く人が多く、
女学校の教育方針も良妻賢母を育てることだったらしい。

しかし、私は、「いくら良妻賢母でも、
大の大人に出すのに、そこまでしないといけないだろうか?」と疑問に思った。

それはともかくとして、
私たちの子供の頃に苺を苺ミルクにして食べるのは、割合ハイカラな家庭であったようだ。

そういえば、
私の父も、義母も、どちらも洋画の好きなハイカラな人であった。

ということで、
「苺」というお題で、苺ミルクを思い出し、父と義母を思い出してしまった。

父と義母は学年も同じで、父は土佐中学、義母は上記した県立第一高女であったが、
同じころ、同じ高知市内で、それぞれ別の学校に通っていたことになる。

が、二人とも外国に憧れを持つ洋画好きの同級生同士だったのだ。

考えてみれば、なんだかおもしろい。

*

★姑も父も苺にミルクかけ食べるを好む大正生まれ

★外国の映画が好きで新しい映画かかれば駆け付けしかな

★姑も父も洋画で英米語おぼえたらしく英語が得意

★珍しいものを好みて食べてゐた父と姑よく似てゐたり

★贅沢が好きも二人の共通の特徴なりき父と義母とは



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