愛読させていただいているブログが
最近、続けざまにお休みされるとご挨拶があった。
お休みだから、また再開されると思うが、そのまま消えるブログもある?
ご挨拶をして、やめられた方もいらっしゃる。
どういう事情で休まれたり、やめたりなさるのだろう。
という私も、過去3回ブログを作り直した。
理由は、家族に読まれてクレームが出たことからだった。
アップした写真にクレームがついたこともあった。これは主に子供たちから。
一応匿名で書くブログだから、何を書こうと自由なはずだが、
私の場合、
最初にブログを作ったときは、家族や親類に見てもらうのが目的だったから、
ブログ村の登録してランキングに参加するあたりで、
私のブログに対する書き方に変化が生じて、
だんだん家族に読まれると具合が悪くなってきた。
それで新しく作り直したりしたのだったが、すぐに発見されて、また作り直すという
イタチごっこを演じることになった。
私にすれば、せっかくできた読者の方を失いたくなかったので、
似たブログ名にしたのがよくなかったかもしれない。
が、まったく新しくするのも名残惜しくて・・・。
ここらあたりのやり方が中途半端だったことは否めない。
が、本来書くということは、自分が思っていることを書くということだから、
私にすれば、心にもないことは書きたくない。
だけじゃなく、日ごろ口に出して言えないことを書いて自分を建て直すのが
ブログの役目かもしれないとも思うようになった。
それで、家族とも揉める原因になる。
昨年は、離婚騒ぎにまで発展した。
ふつうなら友人に漏らすような悩みを私がブログに書いたからだった。
聴覚の障碍の進んだ私は、ほとんど友人づきあいをしなくなった。
昔はしていたが、聞こえにくいとお互いに気を遣うので、
自分から離れていった。
その代わりできたのが、ネットを通じて語り合うことのできる友人だ。
顔を見たことのない人たちと言っても、
ネットで知り合った人たちには本音を聞いてもらっているから長年の友に勝るとも劣ることはない。
そのためにも、ブログには真実を書く。
これは私のケースだが、
他の人たちは、どういう目的でブログを続けておられるのだろう。
その目的があいまいになれば、続ける意味がなくなって辞めたりされるのだろうか。
私の場合は、特殊な事情があるから、簡単にはやめられない。
が、やめさせられそうになったことは数えきれない。
家族からすれば、なんでも書く私が悪いということになるのだろうが、
ここが、
正直に書かないと書く意義がないと思っている私とのせめぎあいになるのだ。
それにしても、馴染んだブログが消えてしまうのは寂しい。
私は、一人でもこう思ってくれる人がいる間は書き続けようと思う。
いや、思ってくれる人がいなくても、書き続けるか、私の場合。
*
★寂しさは馴染みしブログの消えることある日とつぜん会へなくなりて
★ご近所の人が引つ越しするよりも寂しきことであるかもしれぬ
★声を出し人と交流することの少なくなりしわれにネットは
★ネットなき時代に戻れと言はれても戻れぬわれとなりにけらしも
★朝おきてパソコン開き昼前にパソコンひらき寝る前もまた
★口ひらく代わりに開くパソコンの画面にわれは文字を打つなり
★文字を打つ指が声出す代わりなり無言で指を動かす会話
★言葉にて人は生きると思ふとき言葉吐き出すブログは命
最近、続けざまにお休みされるとご挨拶があった。
お休みだから、また再開されると思うが、そのまま消えるブログもある?
ご挨拶をして、やめられた方もいらっしゃる。
どういう事情で休まれたり、やめたりなさるのだろう。
という私も、過去3回ブログを作り直した。
理由は、家族に読まれてクレームが出たことからだった。
アップした写真にクレームがついたこともあった。これは主に子供たちから。
一応匿名で書くブログだから、何を書こうと自由なはずだが、
私の場合、
最初にブログを作ったときは、家族や親類に見てもらうのが目的だったから、
ブログ村の登録してランキングに参加するあたりで、
私のブログに対する書き方に変化が生じて、
だんだん家族に読まれると具合が悪くなってきた。
それで新しく作り直したりしたのだったが、すぐに発見されて、また作り直すという
イタチごっこを演じることになった。
私にすれば、せっかくできた読者の方を失いたくなかったので、
似たブログ名にしたのがよくなかったかもしれない。
が、まったく新しくするのも名残惜しくて・・・。
ここらあたりのやり方が中途半端だったことは否めない。
が、本来書くということは、自分が思っていることを書くということだから、
私にすれば、心にもないことは書きたくない。
だけじゃなく、日ごろ口に出して言えないことを書いて自分を建て直すのが
ブログの役目かもしれないとも思うようになった。
それで、家族とも揉める原因になる。
昨年は、離婚騒ぎにまで発展した。
ふつうなら友人に漏らすような悩みを私がブログに書いたからだった。
聴覚の障碍の進んだ私は、ほとんど友人づきあいをしなくなった。
昔はしていたが、聞こえにくいとお互いに気を遣うので、
自分から離れていった。
その代わりできたのが、ネットを通じて語り合うことのできる友人だ。
顔を見たことのない人たちと言っても、
ネットで知り合った人たちには本音を聞いてもらっているから長年の友に勝るとも劣ることはない。
そのためにも、ブログには真実を書く。
これは私のケースだが、
他の人たちは、どういう目的でブログを続けておられるのだろう。
その目的があいまいになれば、続ける意味がなくなって辞めたりされるのだろうか。
私の場合は、特殊な事情があるから、簡単にはやめられない。
が、やめさせられそうになったことは数えきれない。
家族からすれば、なんでも書く私が悪いということになるのだろうが、
ここが、
正直に書かないと書く意義がないと思っている私とのせめぎあいになるのだ。
それにしても、馴染んだブログが消えてしまうのは寂しい。
私は、一人でもこう思ってくれる人がいる間は書き続けようと思う。
いや、思ってくれる人がいなくても、書き続けるか、私の場合。
*
★寂しさは馴染みしブログの消えることある日とつぜん会へなくなりて
★ご近所の人が引つ越しするよりも寂しきことであるかもしれぬ
★声を出し人と交流することの少なくなりしわれにネットは
★ネットなき時代に戻れと言はれても戻れぬわれとなりにけらしも
★朝おきてパソコン開き昼前にパソコンひらき寝る前もまた
★口ひらく代わりに開くパソコンの画面にわれは文字を打つなり
★文字を打つ指が声出す代わりなり無言で指を動かす会話
★言葉にて人は生きると思ふとき言葉吐き出すブログは命
どうやら、ビコさんのブログ魂が、私めに乗り移ったみたいで、私も辞められなくなってます。
そういう私も、動機はビコさんのブログを偶然目にしただけなんですが。万有引力みたいに、不思議と惹きつける何かがある。
ビコさんは思った事を何でも書くから、辞められないし、トラブルも起きるというが。ネットの世界では極々当たり前の事で、五体満足でも健全なネット中毒というのは五万といる。いや、ネット中毒でない人を探すのが大変だろう。
ここまで、ネットが地球を支配し、駆逐したのは、やはり、スマホの影響だと。つまり、スマホはネットの無限の重力を拡散する。故に皆ネットに惹きつけられると。
ブログを休んでも辞めても、ネットという無尽蔵の重力は残る訳で、その重力が消滅しない限り、ネットコミュニティがなくなる事はない。
この病気、かかると治りにくいみたいです。
私の場合は不治の病に・・・。
でも、病も、楽しめばいいのです。
ネットにかかわらない人たちは、ネット中毒を目の敵にしますが、それはネット中毒の悦楽をしらないからなのです。
ネット中毒で人生を棒に振る人、ネットにかかわらないで人生で成功を収める人。
どちらが幸せであるかは、一概には結論が出せません。