かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

エロスは知性である

2019-05-16 11:46:24 | ブログ記事
逆説めいているが、
究極のところ、エロスは知性だと思う。

数日前に書いた大正時代の毒女、伊藤野枝も、現代の鬼女、木嶋佳苗も
共通するところは、その知性だと思う。

美人は三日見たら見飽きると言われるが、
知性は飽きられることがない。

伊藤野枝は男性的な文章を書いたと言われている。

一読した段階では、書き手は男性だと思われるような力強い文章を書いたという。

木嶋佳苗のほうは、文才のことは聞き及んでいないが、
達筆だということを聞けば、文章も巧みなのではあるまいか。

だからこそ、新聞社のデスクの男性も落とされてしまったのであろう。

伊藤野枝も、最初飛び込んだ思想家、辻潤に翻訳の仕方を学んだと言われているが、
たぶん、そのとき、文章の書き方も学んだのであろう。

ただ性的な魅力だけでは、辻潤とか大杉栄のような、インテリの大物を落とすことはできない。

男を惹きつけようと思えば、技が必要なのである。

以前も書いたが、
中国で傾城の美女と言われて漢詩などにも歌われた楊貴妃も、
実は、それほどの美女でもなく、
彼女の魅力は、楽器が奏でられて、踊りがうまかったことだと言われている。

楊貴妃の時代は、女性が文章を書くということは、あまりなかったかもしれない。

文章を書く代わりに、楊貴妃は楽器、踊りに秀でていたのである。

一方、日本の平安時代のモテ女として有名なのは和泉式部である。

和泉式部は和歌の妙手であり、その日常の会話も和歌でなされていたほどであった。

平安時代は和歌が男女とも必須の教養であった。

その和歌に秀でていれば、異性の心を虜にすることができたのである。

和泉式部は、天皇の息子である親王二人から求婚されている。

為尊親王と敦道親王が、その人たちであった。

敦道親王は為尊親王の弟君であられる。

為尊親王が亡くなってから、その弟君に求婚されたのである。

それだけでも、どれだけのモテ女であったかがわかると思う。

和泉式部の残した歌に、こんな歌がある。

☆物思へば沢の螢もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る

歌意は、

「(思いつめて)ものを思っていると、
沢を飛び交っている蛍でさえも、私の身体から出た魂のように見えることだよ」

いま、私達が読んでも素晴らしい歌ですね。

この才気に、当時の貴族の子息たちも夢中になってしまったのでしょうね。

ああ、私も、今からでも、こういう歌が詠えるような歌人になりたい。


いま非公開希望のコメントが入りました。

その方は、「文章を書くのに時間がかかる」とお書きです。

文章は馴れです。

書き続けていれば、だんだん早く書けるようになります。

そのためには、毎日blogの記事を書くことは特効薬になるかもです。

書かれた文章に、基本的に上手い、下手はありません。

あるのは個性です。

ですから、
書くことを恐れないで、どんどん書けば、その人らしい文章が書けるようになると思います。

最初は、人の真似でも、書いているうちに、その人らしさが出てくるのが文章です。

コメントくださった方も、どうぞ文章を書くことに馴れてください。

そして、公開希望のコメントをくださいませ。

お待ちしています。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
作家に必要な4つのチ性? (lemonwater2017)
2019-05-17 05:25:28
作家の山口瞳さんだったか、編集者には3つの”チ性”が必要だと。

知性(考える性)と痴性(厭らしい性)と恥性(恥ずかしい性)の3つ。それに、稚性(幼若な性)と血性(血生臭い性)の2つを加えたら、最強の性が出来上がるのかな。

単にエロと言っても、その奥義はとても濃く深く広いのかもしれない。
返信する
Unknown (kaminaribiko)
2019-05-17 10:40:09
アハハ、言えてます。
返信する

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