かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

あさま山荘事件

2019-03-28 03:21:14 | ブログ記事
夜中に目覚めて、
gooブログの新着記事を見ると、

「あさま山荘事件」の映画のことを書いた記事と
「竹内まりあ聖書の神様の信頼」の記事が目についた。

あさま山荘事件のことを書いた記事の題名は
「『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』若松孝二監督(2008年)」だったが、

私がこの記事に関心をもったのは、
さる結社の結社誌で、
この「あさま山荘事件」の犯人の一人である坂口弘の短歌を読んだことがあるからだ。

もちろん、この事件のあった「あさま山荘事件」には、人並みに衝撃を受けた。

が、それはそれで終わりになっていたが、
坂口弘の歌を読んでから、また違う角度から考えるようになった。

現在の坂口弘の詠う歌は、ごくまっとうなものだ。

むしろ普通の人より感受性の強いナイーブな人に見える。

その人が、あの事件の犯人とは俄かに信じられない。

あの事件を起こした連合赤軍という組織も、
やり方は間違ったが、最初は正義感からだったろう。

それがああいうふうに暴走してしまった。

いま彼は後悔と懺悔の気持ちで獄中にいる。

彼を責めることはたやすい。

しかし、人はどんなきっかけで、ああいう恐ろしいことをしでかすかわからないということを
彼の短歌を読ませてもらって思う。

いま彼は、歌を詠うことによって自分を支えているのだろう。

短歌には、そういう力もあると私は思う。

そういうふうな人が詠う歌が本物なのかもしれないとも思う。

短歌界で持てはやされている、いわゆる上手い歌などよりも・・・。

もう一方の記事、「竹内まりあ」も、さるブログで、彼女の話を読んだことをきっかけに
ほんの少し関心を寄せるようになった。

竹内まりあのほうは、

坂口弘とは逆に、

世間的にも、人々から称賛される立場にある。

竹内まりあは、もともとそういう生まれ合せの人だったと思うが、
罪を犯してしまった坂口弘の心情と比べ合わせると、
竹内まりあの幸運を思わずにはいられない。

私は、竹内まりあのような生き方に憧れながらも、
自分が聖人君子だとは思っていないから、
罪を犯した人を一方的に責めることはできない。


たまたま夜中に目覚めて、この二つの記事が目に留まったのも、何かのご縁だったのだろう。

*

★神様の祝福受ける人よりも獄中にある人に心を

★称賛を受けつつ生きる人よりも蔑まれながら生きる人こそ

★世間から憎まれながら秀歌詠む人こそ真の哀れ知るらめ

★正悪は或る日とつぜん逆転をすることもある此の世と思ふ

★完全な己と思はぬわたくしは人を責めるは控えたく思(も)ふ

*

文中、有名人の方には敬称略にさせていただきました。悪しからず。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
坂口弘と竹内まりあ (lemonwater2017)
2019-03-28 08:30:42
お早うございます。

まず私が大ファンの竹内まりあですが。大して歌が上手いとも思えないが、与えられた曲が素晴らしい。彼女の旦那でもある敏腕プロデューサーの山下達郎との出会いが彼女の全てを変えた。歌手は100%プロモーターで決まるというから、ハリウッドも同じですかね。

一方、坂口弘さんですが。歌人の才能は恐ろしく凄かったんですかね。日本赤軍に出会わなかったら、今頃は人間国宝レベルの歌人として君臨してたんではないかと思う。短歌の事は全く解らないのに勝手な事言ってますが(笑)。でも不思議と直感でそう思うんです。

坂口は才能に恵まれたが運命に捨てられた。竹内まりあは才能には恵まれなかったが運命に救われた。そういう皮肉なケースって結構ありますね。

井上陽水じゃないですが、”人生が二度あれば”って叫びたいですね。
転象さんへ (びこ)
2019-03-28 09:52:22
まったく同感です。

転象さんと私は、ごく似た感性を持っていると思います。

私は、連合赤軍のことは、凄惨な事件という印象しかもっていなかったのですが、坂口弘の歌を読ませてもらってから、また違う角度から眺められるようになりました。

転象さんの言われる

>坂口は才能に恵まれたが運命に捨てられた。竹内まりあは才能には恵まれなかったが運命に救われた。

が、すべてを言いつくしています。

こういうことは人生には多いと思います。

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