私は夫と結婚するころ、すでに難聴であった。
が、まだ軽かった。
難聴が一気に進んだのは、子供を二人年子で生んだころだ。
私よりも夫のほうがせっぱつまった必要性を感じていたと見えて、
当時薄給であったにも関わらず、補聴器の会社の人を自宅に呼んで補聴器を買ってくれる運びになった。
当時の金額で10万円もした。
昭和50年頃のことだ。
最初に買ったのは箱型の補聴器で、
補聴器を胸のポケットにでも入れて、そこからひいたイヤホンを耳に入れた。
が、女性用の服には胸にポケットなどついていない。
仕方なく、私はブラジャー中央辺りに木綿さらしの生地でポケットを作り、そこに入れるように工夫した。
胸の谷間だと箱型の補聴器も邪魔にならなかった。
が、箱型補聴器からイヤホンまでの線が胸のあたりから右耳まで出ているから、
まだ抱っこをしないといけない長男がひっぱってイヤホンが耳から外れることが多かった。
外見的にも、いかにも難聴ですと宣伝しているようだった。
その後、さらに難聴が進んで、
33歳のときに障碍者の認定をしていただくことにした。
検査の結果、
両耳とも60デジベルくらいだった。
今なら、この段階では障碍者認定してもらえないかもしれないが、
していただけて、補聴器には補助金が出るようになった。
担当の方が親切に、
「女性だから、目立たない耳掛け式がいいですね:と申請してくださった。
それ以来、ずっと耳掛け式である。
最近は、耳穴式も申請できるようだが、
小さすぎて落としてしまいそうに思うので、申請したことはない。
実際、高い耳穴式を買って、翌日無くしてしまった話を聞いたこともある。
現在は、さらに難聴が進んだから、両耳に補聴器を用意してある。
が、実際は右耳だけに装着することが多い。
両耳に装着したほうが会話とかは聞き取りやすいが、疲れる。
補聴器は音を拡声する機器だから、両耳につけていると騒音の中にいるような感じになるからだ。
それで、家の中では夫と会話するときだけつける。
年取ってきてから、補聴器による疲れが余計ひどく感じられるようになってきた。
が、
静かな部屋で補聴器をつければ、何とか一対一の会話ができるから、
私は文明の利器の恩恵を被っていることになる。
これは神様に感謝すべきことなのかもしれない。
団塊の世代村で、補聴器について書かれた記事を見たから、私の場合を書いてみた。
*
★補聴器を初めてつけし二十代子供二人を年子で生みて
★薄給でありし夫が買ひくれし補聴器当時十万もして
★難聴のわれより夫が難聴を困りて買(こ)ふてくれし補聴器
★箱型の補聴器下着にポケットをつけて収めて使ひし記憶
★補聴器の線を赤子の長男が引つ張り外すことに困れり
★ただでさへ補聴器するが恥ずかしき齢のわれに箱型のそれ
★蔑(さげす)まれされはせぬかと補聴器を初めてつけてそれが心配
★必要は羞恥に勝り補聴器をつける辛さをいつしら忘れ
★泣き声もよく聞き取れぬこと多く泣かせつぱなしも多かりしかな
★喃語にて話す子の声難聴の耳では聞けぬことも多かり
★不自由は耳の聞こえぬわたしより子や夫にこそ勝りし障害
★難聴のわれを疎みし姑と小姑のゐて針のむしろに
★辛きこと不自由なこと数知れずありしが全て過ぎ去りし過去