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かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

行きたいツアーがあったから夫を誘ってみたけれど

2018-10-11 19:55:05 | ブログ記事
夫は、私一人で行けと言う。

が、私は独りで参加すると、添乗員さんの説明が聞き取れないから困る。

それを言うと、友達を作れと言う。

友達ができても、友達と一緒に行って負担をかけるのは忍び難い。

気を遣わずに済む人は、現在は夫しかいない。

だから頼んでいるのに、忙しいから行かないという。

確かに忙しいそうだ。

夫は仕事が立て込んでくると怒りっぽくなるからわかる。

が、その割に、テニスとかは休まずに行く。

最近は、夫と私は、行きたいところが噛み合わない。

数年前にタイに行ったときは、私は暑いところは苦手だから絶対いやと言ったのに夫は強行した。

私は、あまりの暑さに観光どころではなかった。

今年のイギリスは、その罪滅ぼしか、私が希望していたから行ってくれたと思うが、

向こうでは元気な夫は私を置いてどんどん歩く。

ちょっと待ってと言っても待ってくれない。

挙句の果てには、ここで動かず一人で待っていろという。

なぜ夫は、私に合わせて歩くということをしてくれないのだろう。

それで旅行中に喧嘩になった。

夫はもう私と一緒に行くのは嫌だという。

夫は、昨年はシニアカレッジで知り合った女性と奈良の山の辺の道を歩いてきたりした。

山の辺の道は私が夫に教えて、数年前に一緒に歩いた道だ。

そのとき、また行きましょうと約束してあった。

それなのに、私と再び行くことをしないで、他の女性と一緒に行ったから私は怒った。

夫は怒るようなことではないと言うが、

私が昼食を作ったのを後目に飛び出して、
よその女性と一緒に山の辺の道を歩いてきたと聞いたら、
普通の奥さんは怒るのではないだろうか?

しかも、
その女性とは、その後も、映画を一緒に見に行って、焼き肉を食べて夜遅く帰ってきた。

その日は、私は夕食の支度をしてずっと待っていたというのに・・・。

こんなことはどこの家でも当たり前のことなのだろうか?

夫は私がいないほうが他の人と一緒に好きなところに出かけられて好都合なのだろうか?

そんなことを考えていると、もう生きているのが嫌になってくる。

増大する医療費を抑制するために

2018-10-11 14:04:34 | ブログ記事
一番必要なことは、

まず、精神医療のような、害あって益なしの医療の淘汰をすることである。

最近は、ちょっと悩み事があっても、心の風邪は早めに治しましょうとかいうキャンペーンによって、

精神科、あるいは心療内科の受診を促す。

実は、私も、これにひっかかった。

私は、ブログが流行りだす前のメーリングリストというシステムで虐めに遭った。

いつも書いている通り、聴覚に障碍のある私は、悩み事を独り心に抱えてしまいがちである。

このときも、あまりの苦しみに、メンタルクリニックに駆け込んだ。

そこで最初に処方されたのが鬱薬であった。

その後、躁うつ病の薬を処方された。

これで私は一時、身体も壊したが、頭もおかしくなった。

血圧が急上昇して高熱が続いた。

何か食べると下痢になるので、どこにも出かけられなくなった。

さらに手が震えだして字が書けなくなった。

身体症状に加えて、頭がぼんやりしてきた。

これは薬の副作用というより主作用であったらしい。

頭をぼんやりさせることで、考えすぎで鬱になることを防ぐためであるらしい。

薬のせいだと分かったのは、ネットで精神薬の被害者の体験を読んでからであった。

飲めば飲むほど、変になって、私は顔の表情まで変わった。

それでやめることにしたのだが、

これがやめるのに、離脱症状という、麻薬の禁断症状のようなものが出るということも、
その体験をして初めて知った。

とにかく、死に物狂いで断薬して、元に戻れた。

この精神薬の副作用、後遺症、断薬の苦しみは、いじめに遭った苦しみより苦しいものであった。

こんなインチキな医療が野放しにされていることを自分が被害者になって初めて知ることができた。

しかし、このインチキ医療が、現在、製薬会社、精神科医の懐を肥やす根源になっていることを
国民は知るべきだと思う。

無駄に国民医療費の増大に寄与させるべきではない。

これは体験者だから言える医療費問題である。

それから、これは多くの人が気づいていることだと思うが、無駄な延命措置もやめるべきである。

死ぬのがわかっている人を無駄に永らえさすことは、本人にとって迷惑であるばかりでなく、
国民医療費にとっても大迷惑である。

こちらは気づいている国民も多いと思うから、早急になんとかするべきである。

また、こちらは少し別の難しい問題が絡んでくるが、

現在、日本では、安楽死は認められていないが、これを認めるようにするのはどうだろう?

これには、宗教界、その他からの反発もあると思うが、

死にたいと思う人を安楽死させてあげることは、悪いことだろうか?

心臓が悪くて難聴でもある私も、実は、ときどき安楽死したくなるときがある。

が、自殺はよくないことと思って思いとどまっているが、やはりよくないことだろうか?

先日、筋ジストロフィーで寝たきりの歌人さんが自殺願望をほのめかされたから、

私は思いとどまるように説得させていただいたが、

しかし、実は、説得した私自身にもほのかな自殺願望はあるのだ。

筋ジストロフィーで寝たきりであられる人が自殺したくなる気持ちは、

難聴で生きづらい私とは事情が異なるが、理解できなくはない。

また、自分の母親、夫の母親の老いさらばえた姿を見たことも、

あんな姿になる前になんとか此の世から消えたいと思うのだが、これは傲慢な考えだろうか?

自殺をすると地獄に堕ちるとか、さまざまなことが言われているが、本当だろうか?

自殺して彼の世に逝った人に聞いてみたいものだ。

以上、日頃わたしが思っていることを開陳してみたが、

これらを実現すれば、

現在問題になっている年金問題も解決するのではないだろうか

と考えることは間違っているだろうか?