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かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

未亡人という言葉について

2018-10-03 21:08:57 | ブログ記事
吉田さんという方から、今朝の私の記事

「『未亡人』と、書いておられます。私の祖母は早くに夫を亡くし、苦労して私の父(祖母には息子)を育てたそうです。父から聞いた話ですが、『未亡人』と言われること、その度に祖母は言うに云われぬ悔しい思い、つらい思いをしてきたのだそうです。
 びこさんは、御自身の障碍については周囲の無理解や悲しみをよく言い募られますが、周囲の人の痛み、『言葉』については、如何でしょう。」

というコメントをいただきました。

そうですね。

未亡人という言葉の意味を厳密に解釈しますと、

「いまだ亡くならない人」ですから、ずいぶん失礼な言葉であるわけです。

が、世間では、単にお連れ合いを亡くした女性という意味合いで使うことが多いと思います。

ご多分に漏れず、私もそうでした。

が、ほかのどんな言葉が適切でしょうね。

実は、私の母などは、52歳で夫を亡くしていますから、

今年92歳で亡くなるまで40年間も未亡人でした。

が、母ほど未亡人という言葉の似合わない人はいないというくらいに、

未亡人=いまだ亡くならない人、ではない人でした。

むしろ夫を亡くしてからのほうが生き生き仕事をしたような人でした。

だから、世間の人も、母を指して未亡人などとは決して呼びませんでした。

それでは未亡人という言葉がふさわしい人はいるでしょうか?

いるかもしれませんね。

私なども、夫に先立たれたら、未亡人という言葉が似合う未亡人になると思います。

しかし、そう言われて傷つくとかは、たぶんないと思います。

言葉というのは、その語源より、使う人の気持ちによるところが大きいと思います。

たとえば、現代では、聴覚障碍者を「つんぼ」と呼ぶと、差別語だと糾弾されます。

しかし、「つんぼ」である私に言わせれば、聴覚障碍者と言葉を変えてくれても、

差別の心が消えなければ、解決にはなりません。

「めくら」も同様です。

そういうことから考えれば、未亡人という言葉も、差別語かもしれませんが、

差別の気持ちを込めていなければ、そこまで目くじらを立てる必要はないのではないかと。

吉田さんに指摘された私のブログ記事の「未亡人」は、

私は、未亡人を揶揄して書いたわけではありません。

妻がいるとわかっている男性を誘う未亡人の非常識に疑義を呈しただけです。

未亡人全体がけしからんとか書いたわけではありませんので、

そこのところはご理解いただきたいと思います。

言葉というのは、

同じ言葉を使っても、


その使った人により、意味合いが異なってくる代物だと思うのです。

だから、コメントくださる場合も、言葉そのものを問題視するより、

私の考えの至らないところを指摘していただいたほうが建設的ではないかと。

「御自身の障碍については周囲の無理解や悲しみをよく言い募られますが」と書かれましたが、

これは言い募っているのではなく、
過去、こういうことがあったということを述べさせていただいているつもりです。

それを、

吉田さんが「言い募る」と読まれることには、少し毒を感じてしまうのですが、
そう思わせていただいてよろしいでしょうか?

それにしても、コメントはありがたいですね。

いろいろ考えるきっかけがいただけます。

私のように、リアルな世界で人と交流することの少ない人間には殊に有難い。

*

★コメントは言葉の疑問に始まりてやがて書き手の思想に及ぶ

★マイナスのコメントよろしマイブログプラスマイナスコメント欲す

★あたたかきコメントうれし問題を指摘しくるるコメントさらに

★読みくれし証しとしてのコメントは宝となりて記事は華やぐ

★マイナスとマイナスかけてプラス化すだからマイナスプラスに負けぬ


一生ベターハーフであり続けることは難しい?

2018-10-03 10:32:01 | ブログ記事
夫と私はお見合い結婚ではありましたが、

夫は、難聴のあった私を、その母親の反対を押し切ってめとってくれました。

当時は、人もうらやむ結婚でした。

夫はハンサムでしたし、私もまあ若いころはそれなりに、でしたから。

そして、子供ができても、近所の方々に仲睦まじいと言われてきました。

が、少し変化が訪れてきたのは、

一昨年くらいだったでしょうか。

夫が仕事以外にシニアカレッジなどに通いだしてからです。

それ以前もテニスには頻繁に行っておりましたから、他の女性との交流はあったのでしたが、

しかし、

私が食事を作ったのに飛び出すとか、

食事を作って待っているのに帰ってこないとかいうことは一度もありませんでした。

子育てのさなか、殊に教育盛りの時期は経済的にも逼迫していましたから、

お互いにお互いが必要だったのです。

が、その義務から解放されて、お互い気が緩んできたのかもしれません。

私は、一時期、短歌にのめりこみましたし、今はブログにのめりこんでいるかもしれません。

夫は、自営している仕事にものめりこんでいますが、

しかし、息抜きも必要です。

その息抜きに近づいてくる未亡人たちがいるのです。

夫が近づいていっているのか、未亡人たちが近づいてきているのかはしりませんが。

まあ、男ですから刺激はほしいでしょう。変な意味ではなくて・・・。

が、聴覚に障碍のある私は、そんな息抜きはできません。

夫がいないと生きていけないくらい困ることもあります。

夫も、昔は、義母や義妹から私をかばう必要もあったから、守ってくれていました。

が、最近の私は従順なばかりの人ではなくなってきましたから、

夫も外でちやほやしてくれる人を求めるのかもしれません。

現在も、表面上は夫婦として一緒にいたり、いなかったりしていますが、

過去の愛で結びついた関係からは別の局面に入ったような気はしています。

世間にはその奥様を亡くして自殺なさるくらい夫婦仲のよいご夫婦もおられますが、

私たちはどうなるでしょう?

夫は、私が死んで、少しは悲しんでくれるでしょうか?

樹木希林さんご夫婦は、見かけは決して仲の良いご夫婦のようであられませんでしたが、

実は、深く結び合ったご夫婦だったのですね。

理想のご夫婦であられたかもしれません。

それはひとえに樹木希林さんの人柄から来たものだったのでしょうね。

*

★樹木希林死ぬまで愛し続けたる妻にて愛し続けられたり

★その死後に惜しまれること一番の幸せとして死ににき希林

★幸せを与へし人でありしゆゑ死にて惜しまる周りの人に