吉田さんという方から、今朝の私の記事に
「『未亡人』と、書いておられます。私の祖母は早くに夫を亡くし、苦労して私の父(祖母には息子)を育てたそうです。父から聞いた話ですが、『未亡人』と言われること、その度に祖母は言うに云われぬ悔しい思い、つらい思いをしてきたのだそうです。
びこさんは、御自身の障碍については周囲の無理解や悲しみをよく言い募られますが、周囲の人の痛み、『言葉』については、如何でしょう。」
というコメントをいただきました。
そうですね。
未亡人という言葉の意味を厳密に解釈しますと、
「いまだ亡くならない人」ですから、ずいぶん失礼な言葉であるわけです。
が、世間では、単にお連れ合いを亡くした女性という意味合いで使うことが多いと思います。
ご多分に漏れず、私もそうでした。
が、ほかのどんな言葉が適切でしょうね。
実は、私の母などは、52歳で夫を亡くしていますから、
今年92歳で亡くなるまで40年間も未亡人でした。
が、母ほど未亡人という言葉の似合わない人はいないというくらいに、
未亡人=いまだ亡くならない人、ではない人でした。
むしろ夫を亡くしてからのほうが生き生き仕事をしたような人でした。
だから、世間の人も、母を指して未亡人などとは決して呼びませんでした。
それでは未亡人という言葉がふさわしい人はいるでしょうか?
いるかもしれませんね。
私なども、夫に先立たれたら、未亡人という言葉が似合う未亡人になると思います。
しかし、そう言われて傷つくとかは、たぶんないと思います。
言葉というのは、その語源より、使う人の気持ちによるところが大きいと思います。
たとえば、現代では、聴覚障碍者を「つんぼ」と呼ぶと、差別語だと糾弾されます。
しかし、「つんぼ」である私に言わせれば、聴覚障碍者と言葉を変えてくれても、
差別の心が消えなければ、解決にはなりません。
「めくら」も同様です。
そういうことから考えれば、未亡人という言葉も、差別語かもしれませんが、
差別の気持ちを込めていなければ、そこまで目くじらを立てる必要はないのではないかと。
吉田さんに指摘された私のブログ記事の「未亡人」は、
私は、未亡人を揶揄して書いたわけではありません。
妻がいるとわかっている男性を誘う未亡人の非常識に疑義を呈しただけです。
未亡人全体がけしからんとか書いたわけではありませんので、
そこのところはご理解いただきたいと思います。
言葉というのは、
同じ言葉を使っても、
その使った人により、意味合いが異なってくる代物だと思うのです。
だから、コメントくださる場合も、言葉そのものを問題視するより、
私の考えの至らないところを指摘していただいたほうが建設的ではないかと。
「御自身の障碍については周囲の無理解や悲しみをよく言い募られますが」と書かれましたが、
これは言い募っているのではなく、
過去、こういうことがあったということを述べさせていただいているつもりです。
それを、
吉田さんが「言い募る」と読まれることには、少し毒を感じてしまうのですが、
そう思わせていただいてよろしいでしょうか?
それにしても、コメントはありがたいですね。
いろいろ考えるきっかけがいただけます。
私のように、リアルな世界で人と交流することの少ない人間には殊に有難い。
*
★コメントは言葉の疑問に始まりてやがて書き手の思想に及ぶ
★マイナスのコメントよろしマイブログプラスマイナスコメント欲す
★あたたかきコメントうれし問題を指摘しくるるコメントさらに
★読みくれし証しとしてのコメントは宝となりて記事は華やぐ
★マイナスとマイナスかけてプラス化すだからマイナスプラスに負けぬ
「『未亡人』と、書いておられます。私の祖母は早くに夫を亡くし、苦労して私の父(祖母には息子)を育てたそうです。父から聞いた話ですが、『未亡人』と言われること、その度に祖母は言うに云われぬ悔しい思い、つらい思いをしてきたのだそうです。
びこさんは、御自身の障碍については周囲の無理解や悲しみをよく言い募られますが、周囲の人の痛み、『言葉』については、如何でしょう。」
というコメントをいただきました。
そうですね。
未亡人という言葉の意味を厳密に解釈しますと、
「いまだ亡くならない人」ですから、ずいぶん失礼な言葉であるわけです。
が、世間では、単にお連れ合いを亡くした女性という意味合いで使うことが多いと思います。
ご多分に漏れず、私もそうでした。
が、ほかのどんな言葉が適切でしょうね。
実は、私の母などは、52歳で夫を亡くしていますから、
今年92歳で亡くなるまで40年間も未亡人でした。
が、母ほど未亡人という言葉の似合わない人はいないというくらいに、
未亡人=いまだ亡くならない人、ではない人でした。
むしろ夫を亡くしてからのほうが生き生き仕事をしたような人でした。
だから、世間の人も、母を指して未亡人などとは決して呼びませんでした。
それでは未亡人という言葉がふさわしい人はいるでしょうか?
いるかもしれませんね。
私なども、夫に先立たれたら、未亡人という言葉が似合う未亡人になると思います。
しかし、そう言われて傷つくとかは、たぶんないと思います。
言葉というのは、その語源より、使う人の気持ちによるところが大きいと思います。
たとえば、現代では、聴覚障碍者を「つんぼ」と呼ぶと、差別語だと糾弾されます。
しかし、「つんぼ」である私に言わせれば、聴覚障碍者と言葉を変えてくれても、
差別の心が消えなければ、解決にはなりません。
「めくら」も同様です。
そういうことから考えれば、未亡人という言葉も、差別語かもしれませんが、
差別の気持ちを込めていなければ、そこまで目くじらを立てる必要はないのではないかと。
吉田さんに指摘された私のブログ記事の「未亡人」は、
私は、未亡人を揶揄して書いたわけではありません。
妻がいるとわかっている男性を誘う未亡人の非常識に疑義を呈しただけです。
未亡人全体がけしからんとか書いたわけではありませんので、
そこのところはご理解いただきたいと思います。
言葉というのは、
同じ言葉を使っても、
その使った人により、意味合いが異なってくる代物だと思うのです。
だから、コメントくださる場合も、言葉そのものを問題視するより、
私の考えの至らないところを指摘していただいたほうが建設的ではないかと。
「御自身の障碍については周囲の無理解や悲しみをよく言い募られますが」と書かれましたが、
これは言い募っているのではなく、
過去、こういうことがあったということを述べさせていただいているつもりです。
それを、
吉田さんが「言い募る」と読まれることには、少し毒を感じてしまうのですが、
そう思わせていただいてよろしいでしょうか?
それにしても、コメントはありがたいですね。
いろいろ考えるきっかけがいただけます。
私のように、リアルな世界で人と交流することの少ない人間には殊に有難い。
*
★コメントは言葉の疑問に始まりてやがて書き手の思想に及ぶ
★マイナスのコメントよろしマイブログプラスマイナスコメント欲す
★あたたかきコメントうれし問題を指摘しくるるコメントさらに
★読みくれし証しとしてのコメントは宝となりて記事は華やぐ
★マイナスとマイナスかけてプラス化すだからマイナスプラスに負けぬ