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かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

今日もまた川西市内の住宅地の探索に行く

2018-10-08 16:14:27 | ブログ記事


私も案外しつこいところがあって、

今日もまた、先日探せなかった住宅を探しに行った。

今日探しに行ったのは、川西市内の鴬台という住宅地にある中古物件である。

昨日は、同じ川西市内の花屋敷の新築物件を見に行ったが、

宝塚市雲雀丘とか隣接する川西市花屋敷は、

昔から芦屋に負けない高級住宅地として有名な住宅地であるから、

見つけた物件も7千万円近くと高い。

最寄り駅が阪急宝塚本線であるということと、

駅から徒歩3分という好条件であるから、強気な価格設定である。

一方、今日探しにいった物件は、中古でもあり、2千万円あまりと手ごろな価格である。

その代わり、阪急川西能勢口駅から、

さらにバスで行くか、能勢電に乗り換えていかなければならない物件である。

1回目はバスで行って探したが、午後3時過ぎから探したから時間切れになってしまった。

2回目は夫の運転する車で行ったが、住宅地を何度もぐるぐる回っても見つけることができなかった。

が、昨日、花屋敷の物件は、私が電車で行って探して、すぐに見つかったから、

今日は、夫に頼むのは止して自分で探すことにした。

1回目と同じく、川西能勢口駅前からバスに乗って、鴬台という停留所で降りて探した。

今日も昨日と同様、10月とは思えないくらい暑い。

頑張って探すのだが、鴬台2丁目までしかわからないので、決め手がない。

持参した広告には窓からの景色が写っていて、その景色の見晴らしがいいので、ここらあたりかなと
住宅地の端まで行った。

案の定、目の前に絶景が広がった。だから、この辺りだと確信した。


が、相変わらず見つからない。

ここらあたりだろうと見当をつけて探すのだが、なかなか見つからない。

この住宅地は開発されて、かなりの年月が経っていると思うが、

今でも、こういう空き地もある。

売れ残ったのか、あった家が古くなって更地にしたのかはわからないが、

「売地」と書かれてあった。

その空き地にコスモスが咲いていたから撮影した。



さらに近辺をぐるぐる回って探すのだが、見つからない。

日差しが強くて、もう諦めようかと思ったが、せっかく来たから一休みしてからまた探そうと、

住宅地の真ん中あたりにあるちょっと大きめの公園の四阿(あずまや)で休憩していると、


男性二人組が近寄ってきて、何やら私に話しかけてくる。

が、難聴の私にはよく聞き取れない。

が、選挙用のビラを私に手渡そうとするので、目的が読めた。

私は、逆に彼らに尋ねた。

広告のちらしを見せながら、「こういう家を探しているのですが、心当たりないですか」と。

すると、その片方の男性が、ケイタイを取り出して、
その広告に載っている不動産屋の電話番号に電話をかけてくれた。

それで、その売り出し中の家の詳しい番地がわかった。

番地がわかってからは、すぐに探していた家は見つかった。

やはり私が見当を付けて探していた辺りにあった。

この写真の中の家である。

が、現在も居住中のようで、売り出しの幟とかが出ていない。

だから、見つけることができなかったのだ。

この住宅の並びの裏は崖になっていて、

私は裏にも回って撮影した。

裏の崖には階段があって、どうやらこの階段を下りれば能勢電の「鶯の森」駅に行けそうだ。

広告には駅から4分とあるから、たぶんそうだろう。


階段を降りかけて、振り返って撮影。


さらに下りて、また振り返って撮影したが、今度は木の陰になってしまった。


たしかに売り出し物件の家まで駅から4分くらいかもしれないが、これでは登山である。

やっと能勢電の「鶯の森」駅に到着した。


駅のホームからも物件の家が見えたから撮影したが、まるで山の頂上に立つお城のようである。


能勢電「鶯の森」駅から三つ目の駅が私の最寄り駅である川西能勢口駅である。

途中の駅名は、「滝山」「絹延橋」と情緒ある駅名が連なる。

「鶯の森」の一つ向こうの駅も、「鼓が滝」という由緒ある駅名である。

乗ってきた電車を振り返ると、行先が「川西能勢口行き」から「日生中央駅行き」に代わっていた。

能勢電は、終点、川西能勢口駅で折り返し運転をするのだ。

能勢電で使われている車両は阪急電車の車両のおさがりであるらしいが、
電車代は阪急電車より高い。

一応、観光電車という名目であるからであるらしい。

だから、安い住宅を買っても、
その交通費が高くなるから、長い目で見て安い買い物になるかどうかは微妙なところだ。

*

★能勢電の駅名由緒あるゆゑに観光電車と人は呼ぶなり

★西行の歌に詠われ有名な鼓が滝の駅名もある

★滝山の上に住宅地はできて鴬台と名付け売り出す

★バスで来て電車に乗りて帰らむとすれば電車の駅は谷底

★川沿ひに電車の駅はありまして山の上より下りて駅に

★猪名川の流れに沿ひて走るゆゑ車窓に見ゆる猪名川の水

★終点の川西能勢口駅名は猪名川西にある川西の

★能勢に行く電車の始発駅なれば能勢口もとの駅名なりき

★呉(くれ)国ゆ呉服織る姫住みつきて絹延橋とふ橋はできしや


急に今年亡くなった母が恋しくなる

2018-10-08 01:46:17 | ブログ記事
秋になったせいだろうか。

今年亡くなった母が思い出されて恋しくなる。

92歳で亡くなった母は、

最後は老いさらばえて、もう早く死なせてあげたいほどであったが、

しかし、

此の世にいるのといないのとでは雲泥の差がある。

離れて暮らしていても、

母が生きていれば、いつでも会いに行けた。

が、

今は思い出の中にしかいない。

思い出は美化されるから、

母のいい思い出ばかりが思い出される。

と同時に、

母がどれだけ私のことを愛してくれていたかが

今頃になって、ひしひし感じられる。

ほかの人にはどう見えても、

母にとっては、

私は大事な大事な一人娘だった。

母が命をかけて育てて、命をかけて見守ってくれていたのが、この私であった。

私のどんなことも、母にとっては一大事であった。

私が四万十川全国大会で一位受賞したときも、ものすごく喜んでくれたし、

京都の城陽市で賞をもらったときなどは、はるばる城陽市まで来てくれた。

あんなに喜んでくれる人はもういない。

母が生きている間に、もっと大きな賞の一つももらいたかった。

が、私に才能が乏しいので、それは無理な相談だった。

それでも、母は、私に、期待して、期待してやまなかった。

もっと母を喜ばせられる娘でありたかったと、つくづく思う。

母が亡くなった今、万一大きな賞がもらえたとしても、

あれほど喜んでくれる人は、もういないのだ。

私を溺愛してくれていた父が57歳で亡くなったときも、

数年、その心の空虚が埋められなかったが、

十分生きたと思う母が亡くなっても、

やはり・・・。

昨年亡くなった村形明子さんが、

「親の亡くなった春先の季節は、じっとしていられなくの」と

あちこち旅行しまくっていたが、

私も、今年は、家でじっとしていられない。

何かに突き動かされるように、出かけたい。

もう死ぬまでこのままかもしれないと思う。

*

★思ひ出は美化され思ひ出だされるゆゑに恋しさ募るこの秋

★あんなにも愛してくれし老い母を叱り続けて彼の世に送る

★引き取りて世話したかりし晩年の母の不遇を思へば涙

★帰省して粗末にされてゐし母を見るたび母を叱りしはなぜ

★ともにゐる義姉甥たちに不満もちそれを当事者母に当てつけ

★もつと世話してくれないかと思ひつつ怒りはいつか母に向かひて

★実家よりホテルに連れて行くわれと母とを送りくれざりしかな

★耳悪しく電話のできぬわたくしは大通りまで出てタクシーを

★高知まで帰るだけでも疲れゐるわれは罪なき母を叱りて

★実家には泊めてもらへず仕方なくホテルに泊まる身の上のわれ

★父が死に兄死に母が死にたれば実家は実家でなくなるさだめ

★亡き母のものは捨てられ思ひ出は私の心に残るもののみ