カメですが社員です

とある調査士事務所で働く5カメと私と先生の日々

『早まらないで』ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)は普通に飼育できます。

この文章は、ぽちこさんのブログ「クサガメ・のんちゃん♪と暮らす。」より転載させていただきました。

 

~ご家庭や職場、学校などでミドリガメを飼育されていらっしゃる方へ~
2013年9月、環境省がミドリガメの「特定外来生物」指定を段階的に「検討」する・と発表しました。
「今すぐにミドリガメが飼えなくなる」と誤解された方もいらしたようですが、

○「指定が実現するとしても、早くても2020年以降になると思われます」
○「弊害が生じないよう段階的な規制の導入等の措置を講じた上で」 の検討です。

○「仮に指定されても、届出をすれば今までどおり飼育できます」
(捨てたり、手放したりする必要はまったくありません。)

○「届出の手続きなども、簡素化される可能性が高いです。」

ニュースだけを見て、どうしていいのか不安に思われている飼い主さんも多いと思いますが、
かめはとても頭のよい生き物です。捨てられた悲しみを味わわせるのは、あまりにつらいことです。

どうか早まってかめを手放したりされないよう、生涯大切に飼育してあげてください。よろしくお願いします。

2014年1月12日 「クサガメ・のんちゃん♪と暮らす。」 ~管理人ぽちこ

最近ぼんやり考えていること

2016-09-25 13:20:50 | 寄り道
※今回もカメブログなのに全くカメ記事ではないので、すっ飛ばして下さ~い※

(とか言いつつ、ちょっとカメ話)

最近、かめくんが私の方にだけパンをねだりにくるようになった。

先生、とっても寂しそう(笑)
多分、私の方が近いからだけの理由だと思いますが、
なんて罪作りなかめくんなんだろう・・・。

先生は、私の方に行かないように、私の所に来る道中にある扉を閉めてくれと要求してきたが(笑)
やなこったヽ( ̄▽ ̄)ノ

かめくんが来てくれるとうれしいんだもん(*´∀`)

そんなわけで、かめくんは小腹が減るといそいそと出てくるわけですが、
スロープのない所から最短距離で出てこようとするので、見ているこっちが毎回ハラハラします。













落ちるのしょっちゅう失敗する(´-ω-`)

下にもう1つ座布団敷こうかな・・・



(以下、本当に寮長の只の独り言です。すみませ~ん。内容も重い?のでどうぞ読み飛ばして下さい~。)


本日お彼岸明け。
最近(というか、ここ2年程)、身近な人が続けて通常亡くなるような年ではない年で亡くなっており、
今まであまり考えた事がなかった、人生いう事についてぼやぼやと考える様になりました。
その中で、特に私の考え方を変えた親戚の事を書きたいなーと思います。

かれこれ3年近く治らずな足の痛みですが、最初の1年は歩くのが辛く、杖をついて歩いていると、すれ違う人の視線を感じ、
電車内では、露骨に「何あれ」的な事を言われた事もあり、人の目が気になって、仕事場と家とを往復する
だけの期間が結構長かったです。
急に襲ってくる激痛も怖く、出歩くのも億劫でした。
いつ治るのか、本当に治るのか、もしこのままだったらどうなるのか、それよりこの痛みの原因は何なのか・・・、時々ものすごい不安が襲ってきました。
とにかく毎日、気が付けば自分の足の事ばっかりを考えていたような気がします。

そんな時、疎遠になっていた親戚の近所の方から「2ヶ月程前から姿が見えない」と警察に通報があり、警察が確認したところ中で亡くなっていた、と連絡がありました。親戚(以降K兄ちゃんとします)は生涯独身で、20年程前から一人暮らしをしていたので、亡くなった事に誰も気が付かないまま1ヵ月以上が経過していました。

K兄ちゃんは、生まれてすぐに両親が別居したため、私の母家族と一緒に暮らしていたそうです。父親に引き取られてはいたものの、父親は当時二十歳前で、生活が随分荒れていたそうで、とても子供を育てられる状態では無かったと思います。
その後、父親を立ち直らせてくれるような人物がおり、東京に出て会社を興し、丁度時代が良かったため、会社はうまくいったそうです。
その時、K兄ちゃんは伯母と暮らしており、父親から生活費は送られてきていたそうです。
高校卒業後、K兄ちゃんは父親に呼ばれ、東京の父親の会社に入りました。左官の仕事をしていました。少し前に父親は再婚しており、継母と16歳年の離れた弟と暮らしていたようです。
しかし仕事場では、他の社員に叱るべきところをK兄ちゃんばかりを叱ったり、給料も「お前のために貯めておく」と全額渡さなかったり(結局そのお金が渡される事はなかったそうですが・・・)、K兄ちゃんにとって面白くない事が多かったらしく、憂さ晴らしに飲めないお酒を飲んだりしているうちに、体も壊してしまっていたようです。
数年後このままではいけない、と故郷に帰ってきた頃が私が生まれた頃でした。
地元でも左官の仕事に就いていましたが、しょっちゅう体を壊して入院していたそうで、母は見舞いに姉と私を一緒に連れて行っていたので、私もおぼろげながら病院でK兄ちゃんと会っていた記憶があります。
そのうち仕事場でK兄ちゃんが事故に遭い、その後遺症から左官の仕事を続ける事が出来なくなったそうです。そのため、それ以降は交通整備の仕事に就いていましたが、一緒に暮らしていた伯母が病気になり、大変な看病だったため、その仕事も辞め、看病に専念していたようです。
その伯母が亡くなったのは、私が社会人になったばかりの時で、葬儀の時に十数年ぶりにK兄ちゃんと会いました。随分疲れた様子でしたが、私と分かり、とても優しい笑顔で「(来てくれて)ありがとう」と言ってくれたのを覚えています。

それから約20年、K兄ちゃんと会う事もなく、正直K兄ちゃんの事を思い出す事もありませんでした。

今回の事があり、私は初めてK兄ちゃんの人生を知りました。

父親は存命ですが、遺体は引き取らないと言い張り、弟は関係ない人と言い、結局K兄ちゃんは市の職員さんの手で無縁墓に安置されました。
母は、気が弱くてお人好しで優しい子やった、身内の縁が薄くて本当に可哀想な子やった、と泣いていましたが、実の親を差し置いて自分が出しゃばるのもおかしいから、と内心腹立たしかったそうですが口出しはしなかったそうです。
私はその時、なんだか可哀想だな、と思っていた程度だったのですが、その後K兄ちゃんの人生について母から聞いてからというもの、K兄ちゃんの事が頭から離れなくなりました。

その時期にたまたま見たブログで、看取りについての記事があり、「人生が不幸せでも最期が幸せだったら人生は幸せになる」「最期が幸せじゃなかった場合に悪霊化する」みたいな内容(もうその記事がないのでちょっと違うかも?)だったと思うのですが、「幸せな最期」の重要性みたいな事が書かれていて、じゃあ、K兄ちゃんはどうなるの!?とものすごいショックを受けました。

色々大変な人生を送ってきて、病気でしんどくて、でも身内で頼れる人もいなくて、最期は本当に心細かったやろうに、結局1人で逝かせてしまって、しかも身内は引き取らない、葬儀もしてあげてない、K兄ちゃんの事を知っている親戚が沢山いるのに無縁仏って・・・、このままで良いんだろうか・・・。

毎日毎日考え悩み、取りあえずお墓の場所を聞いてお参りに行こう、と思いました。
関係機関に問い合わせ聞いたところ、K兄ちゃんは市営の無縁墓に安置されており、普通に私がお参りに行って拝めるような場所ではない事が分かりました。
その時に、やっぱりこのままにしておけない!!という気持ちが抑えきれなくなり、K兄ちゃんを連れて帰りたいと申し出ました。
色々書類を揃え、一週間後に連れて帰ってきました。

K兄ちゃんにしてみれば、なんで○○ちゃんが迎えに来たの??と訳が分からない状態だろうなぁ、と思いました。私自身、どうしてこんなに心が揺さぶられたのか分からないというのが本音です。

ただ、この事がきっかけで私の中で何かが動いたような感覚があり、私は何を立ち止まっていたんだろうと、やろうと思えば1人で(沢山の方に助けていただきましたが)ここまで出来るやん、足の痛みとか全く関係ないやん、という気持ちになりました。
それから不思議と足の状態が一気に良くなりました。それまでの1/3位の不調になった感覚でした。

K兄ちゃんとはそんなに思い出があるわけではないけれど、私はK兄ちゃんの人柄が大好きになり、何もしてあげられなかった後悔と罪悪感から、日々「可哀想」「ごめんなさい」と思いながらお供えをしたり話しかけたりしていました。

私は、魂の存在について「あったらいいな、あって欲しいな、あるかもな」と思っている人間なので、今も寂しく辛い思いをしていないか、もしかして成仏してなかったらどうしよう等々気になって仕方なく、なんとかしてそれを知る手段はないものか、と色々調べ始めたのがきっかけで、先日、そのK兄ちゃんからのメッセージを受け取れるご縁に恵まれました。

K兄ちゃんは、自分の身の丈にあった人生を送り、誰がどう思ったとしても、自分はその人生に満足し、良しとしていたそうです。

私は勝手に可哀想な人生、辛い人生と決めつけていた事に気が付きました。そんな私に「あんまり可哀想って言わんとってよ。自分は満足しとったんよ。」と困ったように言っているような気がしました。

私も他人から見たら、可哀想に見えるかもしれません。でも、自分では幸せやと思っています。それなのに「可哀想やね」て言われたら悲しくなります。それをしてしまってたんや!と反省しきりでした…。
また、ついつい誰かと比べて焦ってしまいがちな私ですが、自分は自分で、自分が良いと思ったらそれで十分なんだ、とも思いました。
あまり足の事を考えなくなりました。
私の歩き方を見て、じろじろ顔を見てくる人がいてもあまり気にならなくなりました。
痛みとのんびり付き合えばいいか、と思えるようになりました。

私の心に灯りをともしてくれたのがK兄ちゃんの存在でした。
K兄ちゃんの人生に私は居なかったんですけどね。不思議ですよね~。

そんなわけで、少し前からちょっと動き始めた寮長です。
私の人生は私しか生きられないですもんね☆

ここまでの長~い話に、もしかしてお付きあいして下さった方がいらっしゃいましたら有り難うございましたー(*^^*)

なんだかものすごーく書きたくなったので、書いてしまいましたが、削除するかもです~(^_^ゞ