日に新た

「素直な心で日々を新しく生きたい」・・・
と願ってますが、頭でわかっていてもなかなか行動できてないものですね・・・

責任の大切さ

2007年01月10日 23時25分21秒 | 日に新た
今日は朝礼当番でした。
3分間スピーチで「責任と生きがい」について話をしたのですが、
どうも内容がまとまっておらず、話したい内容が正しく伝わっていない気がしています。
人前で話すのはとっても難しいですねぇ。

で、話したかった事なのですが、
『責任を果たすことが生きがいに通じる』と言う
松下幸之助翁の言葉を要約したつもりでした。

人が生きている以上、行動し活動することから沢山の責任が生じます。
成人し、社会の一員・日本国国民としての責任が生じてきます。
会社勤めをしている場合は、社員としての責任が生じます。
会社で役職がつけば、その責任も生じます。
家庭で家族と共に生活するなら、家族内での責任も生じます。
親戚縁者、自分に関わる全ての人たち、全ての事柄に何らかの責任が
生じてくるわけです。

松下幸之助翁は、この「責任」を自覚することと、自分の身の回りの事柄は
全て自分に責任が掛かっているという考え方を強く奨励しています。

アメリカでは、家の入り口に誰かがバナナの皮を捨てて、その皮で他の誰かが
滑って転んで怪我をしたら、その家の主人に損害賠償の責任が生じるそうです。
不注意で転んだ人にも責任はありますが、バナナの皮を放置した
家の主人にも責任があると言う事なんです。
また、コーヒーを注文して、それを飲もうとして唇を火傷したら、
店が損害賠償の責任を負うことになるそうです。
実際に裁判で訴訟問題になり、訴えた側が勝訴したとの事です。
そして、それが当たり前の事としてまかり通っている。

逆手にとって「訴えたもの勝ち」と捉える方も居るでしょうが、
そういう意味ではありません。

個人が厳密に自分の責任と言うものを自覚し、
自分自身の人生を全うするために、自責の念を強く持っていると言う事なんです。
何でも他人のせいにして「社会が悪い・世の中が悪い・国が悪い・あいつが悪い」
と言う無責任な考えをやめ、自分自身の責任を全うすると言う考えを
国民性として皆が持っていると言う事なのです。

私自身、そこまで責任を考えているかと言われれば、
「そこまでは考えていません。」と答えることになります。
しかし、出来る限り自分の身の回りの事は、自分自身で考え、
責任を持って行動するようにして行きたいと考えています。

そして、その責任を全うしていく中で、自分自身の人生と言うものが見え、
使命とか役割と言うものに気づいていくのだと思います。
それが生きがいと言えるように。
少なくとも現時点ではそう信じています。

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