日南娘(ひなむすめ)

宮崎をアピールできたらいいな

自然体で生活していきたいなーー。
      

光が薄れても

2011-08-31 00:10:58 | Weblog

支局長からの手紙:光が薄れても /宮崎

毎日新聞 8月29日(月)13時57分配信

 宮崎市の内田久男さん(62)が、自らの病気を知ったのは30代後半。

徐々に視野と視力を失っていく進行性の難病だった。

医師は「今すぐではないが、いずれ見えなくなります。治療法はありません」と告げた。

視野が狭くなり、視力の衰えもじわじわと進んだ。自転車の運転にも支障を感じるようになったのは40代後半。

50歳目前で、思い立った。「今のうちにギターの演奏を身に着けよう」と。


20代の頃、クラシックギターを2年ほど習った経験がある。

「楽譜を見て曲が覚えられるうちに」と練習に打ち込んだ。譜面を拡大コピーし、虫眼鏡で読みながら、独学を続けた。

勤めていた会社は52歳で辞めた。

 やがて、人の顔や姿がぼんやりとしか見えなくなった。

「このまま見えなくなれば、引きこもってばかりになる」。

ギターを通じて「外に一歩、踏み出したい」との一心で、診察を受けたことのある眼科医に「演奏させてほしい」と頼んだ。

熱意が通じ、7年前、初めて病院でコンサートを開かせてもらった。以来、毎年開き、今年も10月に予定する。

病気と向き合った自らの経験も話す。


 演奏をテープに吹き込んで教えてくれる知人ができ、弾き語りもするようになった。

童謡や「上を向いて歩こう」「太陽のメロディー」などレパートリーは30~40曲。

最近は作詞も始めた。


 「病気に打ちひしがれて泣きたくない」という気持ちだけで取り組んだギター。

「両目とも光が分かる程度」になった今「へただけど、弾けるようになった実感もある。喜びになりました」。

要望があれば出かけて行く「出前コンサート」を開くのが、今の目標だ。


 「自分の出る場所、居場所があって、やりたいことがあれば、人は幸福になれるのでは、と思うようになりました」。

想像を絶する苦しみの中にあって、自ら希望をつかむ強さに、敬服する。

                                           <宮崎支局長・池田亨>

 

 

 

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内田さん、人生楽しんでおられるみたいですね~

私も、元気なうちに自分の居場所をみつけておかなくっちゃーーーーー

 

 

 




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