宮崎日日新聞 社説欄より (1月1日付)
いつか当たり前だった日々に
「虹を」という曲がある。ジェイク・シマブクロのウクレレ演奏をバックに照屋実穂が熱唱する魂を揺さぶる名曲だ。
2006年公開の映画「フラガール」の主題歌で、映画の大ヒットによって日本中の人がこの曲を知った。昨年、「虹を」が
再び脚光を浴びた。フラガールのモデルとなった福島県いわき市の「常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイ
アンズ)」のダンサーたちが福島第1原発事故による施設休業の間、全国125カ所をキャラバンし、自らも被災者であり
ながら多くの人びとに力と勇気を与えたからだ。
「フラガール」の舞台は炭鉱町。輸入石油の大波に押されて廃鉱の危機に追い込まれた炭鉱マンやその家族たちが
仕事を失う現実に立ち向かい、地域おこし事業としてハワイアンセンターを立ち上げる。東北の田舎で現実にあった話
を素材にしている。
あなたの涙と笑顔を忘れない、という意味の歌詞をフラガールたちがハワイアンフラ特有の手の動き(ハンドモーション)
をつけながら風のように、波のように、光のように軽やかなステップを踏む。虹は両手を広げて大きな弧を描き、涙は
手の指を顔の前で揺らす。胸の前で両手を交差させ忘れないという心を表現する。
■傷の深さが違う…■
「絆―痛みの共有と復興」という大会テーマで昨年12月9、10日に宮崎市で日本ヘルスプロモーション学会の学術
大会があった。そのシンポジウムで胸を突き動かされる言葉に出合った。
「用意ドンで一斉に復興などできない。なぜなら一人一人の受けた傷の深さが違うのですから…。でも、きょうこの場
で牛を飼うことの楽しみ、苦しみを分かち合えたことがうれしい。これからは今いる3頭の牛を大事に育て、いつの日にか
畜産王国宮崎を復興できたら、と思う」
口蹄疫のワクチン接種・殺処分によって母牛、子牛すべてを失った森川真由美さん(JA尾鈴都農女性部長)が体験
発表後に語った言葉だ。
「一人の力だけでは畜産を続けていくことはできない。これからたくさんの人の力を借りることになる。そして、自分も
だれかの力になりたい」
こちらは松元武蔵さん(宮崎県立農業大学校畜産経営学科)の言葉だ。
東日本大震災の直前、本県は日本の厄災を1県で背負ったかのような状況下にあった。
口蹄疫、鳥インフルエンザ、新燃岳噴火…。次々と襲うタイプの異なる「災害」に私たちは恐れおののいた。
あの時、私たちの手は冷え切っていて、差し出される他者の手の温かさを確かに感じることができた。
森川さんの言葉にあった「一人一人の受けた傷の深さが違う」という現実。それに立ち向かうために今年はもっと
絆の力を生かしたい。「一人一人」を「地域」と置き換えてもいい。私たちは周囲を見回し、深い傷を負った人(地域)に
手を差し伸べる責務がある。また、深く傷ついた人(地域)は差し出された手をしっかりつかみ返し、復興への歩みを
速めてもらいたい。「人の力を借りること」と「だれかの力になるということ」は絆の結び目をつくる2本の糸。
2本の糸が太くなるほど絆は強くなる。
■「今よりは明るく」■
シンポジウムの数日前、いわき市で2人の現役フラガールに話を聞いた。
リーダーの加藤由佳理さん=フラガール歴10年=とサブリーダーの大森梨江さん=同8年。
加藤さんはキャラバンでいわき市の兄弟都市である延岡を訪れた。藩主・内藤公に由来する2市の結び付きにも
詳しく、延岡をはじめとする本県からの支援に感謝しながら「震災を境に当たり前だったことが当たり前ではなくなった。
今は仮設であってもホームのステージで仲間と踊ることが楽しい」と語った。
大森さんは福島第1原発のある双葉町出身。自宅と原発の距離はわずか2キロという。
「フラにはいろんな言葉、思いが詰まっている。今回の震災で悲しいことがたくさんあったけど傷ついた人たちの気持ちを
和らげたい。それができるのがフラ」と自分や家族の厳しい被災状況については触れなかった。
「10年後は」という問いに、加藤さんは「復興の終点が見えているかといえば、それは難しい。
でも、県内にとどまった人も県外に避難した人も元気になっていてほしい」、大森さんは「少なくとも今よりは明るく、
楽しい生活を送っていられたらいいな」とそれぞれの願いを口にした。
日本の空に映る「希望の虹」をみんなで追いかけたい。絆を強めながら1日ずつを積み重ねて宮崎の畜産も、東北の
被災地もいつの日にか当たり前だった日々を取り戻したい