隠れ家-かけらの世界-

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静かで痛烈なアイロニー~コメディー映画「わが教え子、ヒトラー」

2009年12月01日 20時26分17秒 | 映画レビュー
わが教え子、ヒトラー (2007年 ドイツ)

監督  ダニー・レヴィ
出演  ウルリッヒ・ミューエ/ヘルゲ・シュナイダー/ジルヴェスター・グロード/アドリアーナ・アルタラス


■コメディーです
 「ヒトラー」ものはついつい見たり読んだりしてしまうのはなんでなんだろう。希代な権力者にのし上がってアーリア民族を讃える民族主義と反ユダヤ主義によって国を支配していく。ワーグナーをこよなく愛し、若い頃は画家志望だったこともあるという…。
 結局最後は自ら死を選び、自身を総括することもなく逝ってしまったため、「不明」な部分が多いことが後世の人々の強い興味の対象になっているのだろうか。
 ちなみにこの「わが教え子、ヒトラー」は一種のコメディーだ。ヒトラーとその周囲にいる側近たちの滑稽さを淡々と画面に流してみせる。
 第二次世界大戦末期、帝都ベルリンは焦土と化しているのに、張りぼての街を即席でつくり、群衆を集め、そこをパレードしたヒトラーが新年の演説をし、それを何台ものカメラで撮影させ、敵国にアピールする計画。壮大な、そして極めて愚かなプロパガンダということか。
 その計画に利用されるのが、収容所にいる世界的なユダヤ人俳優アドルフ・グリュンバウム教授。精神的に不安定で演説どころではないヒトラーを指導せよ、との命で収容所から呼び戻されるのだ。知的で冷静な彼は家族を収容所から解放することを条件に受け入れる。
 5日間の二人の授業。授業というより心理セラピーのような時間が流れ、ヒトラーの精神が解放されていく。ヒトラーの父親は非常に厳しかったといわれているが、ここでは父親の虐待のトラウマに脅えるヒトラーとなっている。
 ヒトラーはグリュンバウムによってどんどん解放されて、なんとなく情けない中年男の行動があらわれてくる。
 こんな男が頂点にいて、ばかげていることを承知の上で難局を乗り切ろうとする側近たち。それを静がに冷ややかに、だけどコミカルに見せていく。
 二人の間に「友情」は芽生えないけど(映画のコピーには「友情」と書かれていたけどね)、少なくともヒトラーは彼の先生に頼りきり、クリスマスの夜にはあろうことかグリュンバウム夫妻のベッドに川に字で寝たりする。グリュンバウムの妻がヒトラーの顔に枕をおしつけて殺そうとしたときに、ヒトラーがそれを父親の虐待と思い込んで「ごめんなさい、お父さん」と泣いて言うところでは、不覚にもショックを受けてしまったけど。
 ラストの演説の場面は衝撃的だ。結局声が枯れて演説できなくなったヒトラーにかわってグリュンバウムが台の下に隠れて演説するんだけれど、途中から彼は自分の言葉で痛烈な演説を始め、射殺されてしまう。


■役者たち
 グリュンバウムを演じるウルリッヒ・ミューエ。「善き人のためのソナタ」(ココにレビューあります)でも非常に印象的だったが、ここでも静謐な、けれども静かに信念を貫こうとする男を演じている。経歴を見たら、2007年に54歳で亡くなった、と。
 ヒトラーを演じた俳優は結構多いし、私は「ヒトラー~最期の12日間」のブルーノ・ガンツが印象的だけれど、このヘルゲ・シュナイダーもいい。独裁者の愚かさと哀れさと孤独。そういうものを混在させて、どれもが適度にバランスがとれている感じ。
 策士ゲッペルス宣伝相を演じるジルヴェスター・グロードの獲物を狙う目のいやらしさも秀逸だった。

 随所に混ぜられたブラックユーモアと痛烈なアイロニー、そしてコミカルな場面。その両輪がこの映画の主題であり、斜に構えた静かな批判と戒めになっているのかもしれない。


 ちなみに映画の原題 「Mein Führer – Die wirklich wahrste Wahrheit über Adolf Hitler」は、どういう意味なんだろうか。ドイツ語わかりません。

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