隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「強すぎる国」も「美しすぎるクニ」も・・・

2014年05月05日 18時54分56秒 | 日記

2014.5.5(月)


 GWは例によって仕事しながら過ごす。
 ただ、仕事の関係者がみんなちゃんと休みをとっているので、電話もメールもこない格別な静寂の中で、ちょっと頑張ったり、適度に怠けたり・・・、この不思議な快感を味わえる貴重な1週間。
 毎年、こんな感じで、嫌いじゃない毎日だ(みんなが復帰した頃、こっちは休むぞ!って・・・)。


■メディア

 5月3日の夜、たまたまわが家で朝刊を読んでいた若者が言う。
 「新聞の・・・っていうか、メディアの中立なんてあり得ないんだよね」
 その日の朝、たまたま知り合いのところで読んだ某新聞の憲法改正、集団自衛権関係の記事を読んで、その2紙の紙面の違いに「笑っちゃう」状況だったらしい。
 今に始まったことではないが、とくにここ数年は、再稼働を含む原発問題、憲法改正の論議、集団自衛権の問題・・・、メディアは、とくに新聞はそれぞれの新聞社の方向性を前面に出して、私たちに訴える。
 60年安保、70年安保の頃だってそうだったんだろうけど、あの頃の人たちはどうやって情報を自分の中で整理したり、取り入れたり捨て去ったりしていたんだろう。
 メディアはすべてを書くわけではない。戦時中の報道規制とは異なるところで、私たちを操作できるわけだ。
 こっちはどれくらい賢くならなくてはならないのだろう・・・などと思う。

 ただ、聞く耳をもたぬまま、自分たちの描く国家をつくるべく、根本を論議せずに方法を模索してこの国を「無用に強くしようとする」人たちの暴走は容認するわけにはいかないから、メディアの動きにはどこかで期待しないわけにはいかないのです。
 そう、メディアの中立はあり得ないし、100パーセント信じるなんて怖くてできないから、私たちはやっぱり複数の情報を賢く選択しなければいけないわけで、社会に生きるのもなかなか難しいのです。

 そうやって漠然と、でかい国との関係とかに思いを馳せたりすると、スピッツの「遠吠えシャッフル」に鎮座する、
 「居場所があんのかわかんねぇ  美しすぎるクニには」
 とか、一見聴きとばしてしまいそうな歌詞の中にこめられた意味を探ってしまいたくなる。
 作詞者の意図は、ま、ちょっと横に置いておいて。
 「クニ」ってカタカナにしてしまうところに、はぐらかすような、既成の中にはまることをよしとしない・・・、へそ曲がりだけどきれいごとやウソのない景色が見えてきたりする。

 強すぎることなく、美しすぎることなく、ここまで守ってきた「戦わない国」の道すじをどうにか修正しようとする動きには敏感でいなくちゃ、と思ったりする。

 いつもながらの支離滅裂・・・。少し睡眠不足と、ひと言言い訳。




■ちょっと古いけど・・・イチロー
 こういう記事に一喜一憂して、それでも少年のような身のこなしに拍手を送ります!

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140504-00010000-fullcount-base


■これもちょっと古いけれど・・・スガシカオ

 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140428-00088887-jspa-life

 こういうふうに書かれるのって、やっぱり本人はうれしいのかな・・・と思っていたら、スガさん、ツイッターで反応していましたね。



                              


 
今しかない風景を目に焼きつけて、次の季節に入っていく。

 

 


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