隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「初外出」しました

2016年12月13日 16時50分55秒 | 日記

2016.12.13(火)


 ニュースを見たら、札幌の大雪の光景。
 ここは、今日は陽射しがなく、それだけで仕事場の窓からの風景は寂しげ。
 夕方からは雨が降るらしい。
 年初めに骨折し紆余曲折ありながら私の自宅近くの施設に入居中の母のことはここでも聞いていただいていますが。すみません、今日もちょっと母のこと書かせてください。
 ここで書くことでなんとなく考えていることや感じたことの整理ができるというか。そんなの自分の日記にでも書けばいいじゃないか、と思われるかもしれないけれど、なんでなんだろう、とりあえず聞いていてくれる人がいて、「言いっ放し」という状況がありがたいのです。なかなかないでしょ、そういうところ。

 不快であったら、すみません。読み飛ばしてくださいな。


■「整理」  
 今夜は車で実家に行って一泊し、母から頼まれたものを持ってくるつもり。
 行けるのは一か月に2、3回だが、母は早くに自分の服や装飾品やバッグなどを処分してくれと言う(おしゃれな人だから、た~くさんある。でも私の趣味じゃない)。好きで集めた食器などもたくさんあるから、みんなで好きなものを持って行ってほしいと。
 ま、そんなに急がずに、ちゃんとやるから、とそのあたりは「話は聞いとくよ」な感じでお茶を濁している。こんなある意味非情なワタシですが、「生きている」人間の物をさっさと片づけられるほどの徹底した「非情さ」は持ち合わせていない。
 夜ベッドに横になって眠りにつく前の短い時間に、そういうことが気になるらしい。母には、「現在自分が暮らす空間に必要なもの」以外は、無用な「重み」以外の何物でもないらしい。それはなんとなくわからないでもない。
 父や母が集めたりもらったりした物に「意味」があるとして、それは第三者にはどうってことのないものだ。それが「多少」わかるのが子どもということなら、弟がもういない今、それは私ということになるのか。


■ 初外出
 今月の初めにはじめての外出。車いす仕様のレンタカーを借りて、相方も交えて日本料理店で寿司を食べ、服を買い、最後はケーキとココアでしめて戻った。ふだんは糖尿病のため多少の食事制限があるけれど(結構緩いので本人は苦痛ではないはず)、外では何を食してもOKという医師のお許しも出たため、母はそれ以外にも無印良品の棚から日頃よく購入してたお菓子まで選んでいた(ケーキのお店で許可をいただいて、少しだけ袋を開け、残りは私たちが持ち帰り)。驚く食欲・・・。
 去年の今頃は自分で歩いて買い物に行ったり、たまには映画を見にいったりしていたことを思えば・・・と私たちは思うけれど、本人はそういうことに思いを馳せないことにしたのか、それとも忘れてしまったのか、「あの頃は・・・」と後ろ向きのことを言い出すことはない。
 外出のことを、「夢みたいだった」と言う。次の外出を今は楽しみにして、また日々の暮らしに戻っている。
 友人との電話やスタッフの方との会話を楽しんだり、新聞を読んだり、何冊かに分かれていた歌の本(好きな歌の歌詞を書き留めたもの)を一冊にするためにうつしたり。全介助の自分の状況を把握しつつ、できることはやろう・・・ということか。
 母の毎日は案外忙しそうだ。
 来年はどんな風が吹くのか、そよ風なのか、予想のできない強風なのか。怖れたってしかたない。母のことについては、構えて待つしかないと思っている。



                   


 大雪の札幌から、小夜さんがメールをくれた。雪にまつわるほんわかした内容にちょっと笑ってしまう。
 「ほんわか」はこっちの勝手な感想で、長い冬に突入した北海道では雪との付き合いが始まっている。
 ココにスピッツ札幌ライブのMC情報を少しだけ書いたけれど、小夜さんから追加あり。

 「雪風」の演奏のあとで、
 田「また『不便な便利屋』やるんだよね」
 マ「今度はミスチルが主題歌かも」
 田「ミスチルは朝ドラで忙しいから」
 なんて呑気に笑っていたそうです。
 昔から、「陽のミスチル、陰のスピッツ」とか、言っていましたね。謙遜でも牽制でもなく・・・。
 あの頃はよくわからなかったり、ちょっと歯がゆかったりしたけれど、でも今思うと、あくまでそういう立ち位置がよかったんだろうな。自分たちを見つめて、長く生きることを願って・・・。そうすると、そういう言葉がふっと口をついたんだろう。
 疲れず、でも停滞はせず。

 ボーカルの喉の不調で倉敷と高知が延期になったとか。
 せっかくここまで順調に来たのに・・・と悔しいだろうな。だけど、私の予想では(笑)、イメージほどには心は細くないから、気持ちはすでに切り替わっていたりして。だったらいいですよね。 


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4 コメント

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無題 (ヒバリ)
2016-12-15 12:53:50
いつも楽しく拝読させていただいています。

気まぐれにコメントもさせていただいた事もありましたが
いつだったか?
もう長くお邪魔しております。

そんな私も 同じ頃から母の介護が始まり
施設に入所し ・・と 
スピッツファンの歴史にも時代の流れを感じたり。

何が正解なのか 迷う事も多いですが
かけらさんの言葉で救われています。

また外出の機会が作れたらいいですね。
私もがんばります!




返信する
迷うことばかりですよね。 (かけら)
2016-12-16 00:56:44
ヒバリさん

コメントありがとうございます。
お久しぶりです。以前に私のだらだらレポに感想を送ってくださったこと、覚えています。

私の勝手な思い込みもたくさんあるので、不快に感じる方が多くなければいいなと思っています。読んでくださってありがとう!

こういうことって正解はないのだと、当たり前のことを実感する日々です。そうですよね~。だからときどき、グダグダと書いてしまいますが。

お互いに、どこかで「醒めた」目をもちつつ、優しく賢くできたらいいですよね。

スピッツの残りのツアーが無事に再開することを願いつつ・・・。

ありがとうございました。
今夜は冷えます。ヒバリさんも風邪ひかないように!
返信する
初めまして (鉢の針)
2016-12-16 13:48:49
初めまして。いつも拝読しています。

かけらさんのブログには、「かっこいい」も「かわいい」もありませんが、それ以上の愛情が伝わってきて、じんわりと暖かい気持ちになります。

私は、40代半ばですが、ここ何年か、慢性の身体の痛みを抱えています。そんな中、2年くらい前にスピッツの音楽に出会いました(当然、ずっと前から知ってはいましたが)。少しだけ背中を押してもらえるような、少しだけ痛みを和らげてもらえるような、少しだけ許されるような、そんな気持ちで聴いています。

ライブも、RADの胎盤と『醒めない』横須賀に行きました。若い頃、洋楽をよく聴いていた時期があり、洋楽のライブには今でもたまに行くのですが、邦楽のライブは初めてで、とても新鮮でした。

草野さんが、音源通りに歌われる(歌える)こと(CDより上手い?)、ありそうでない声がとてもきれいだったこと、MCの面白さ、お客さんの暖かさ、その中でいることが、とても嬉しくなるような空間でした。

RADのときは、私の席のほぼ正面にメンバーの皆さんが座って観ていて、野田君がスピッツのことを語り出したとき、草野さんが片手を上げたこと。そんなことが案外一生忘れられなかったりするんだろうなと思ったり。

今年は、久しぶりにスティングのライブに行こうかと思っているのですが、8823はポリスを意識して作られたものだとか、そういうことがちょっと楽しかったり。

かけらさんのブログにも会えてよかった。いつもありがとうございます。それを伝えたくてコメントしました。
返信する
こちらも、はじめまして! (かけら)
2016-12-16 18:26:10
ハチの針さん(大丈夫です。修正しました!)

コメント、ありがとうございます。
私も実は1989年にスピッツを知る以前は、洋楽ばかりでした。
ライブハウスで知って、なんかおもしろいバンドだなあと惹きつけられ、それからほかの邦楽バンドも聴くようになり世界が広がりました。
ハチの針さんよりはちょっと年齢上ですけど・・・。

そうなんです。リリース当時、ポリスへのリスペクトと言っていました。今ではすっかりライブの定番曲ですよね。

胎盤は私も大いに楽しみましたけど、RADの野田君のMCで草野くんが・・・というエピソードは初めて耳にしました。すごい! 貴重な目撃談ですよ。

音楽ですべてが救われるわけではないけれど、でも不思議な力と、暮らしを彩るものをもらえますよね。
それが、私の中でスピッツが消えない理由なのかな、と思ったり。

また、よかったら遊びに来てください。グダグダやっていますので。
寒い日が続きそうです。お体にも十分気をつけて!
私もがんばろう!

ありがとうございました。
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