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「メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬」 (2005年制作)
2005年カンヌ国際映画祭最優秀男優賞・脚本賞受賞
監督 トミー・リー・ジョーンズ
脚本 ギジェルモ・アリアガ
出演 トミー・リー・ジョーンズ/バリー・ペッパー/ドワイト・ヨーカム/フリオ・セサール・セディージョ
■今や絶滅した生き物?
舞台はアメリカ、テキサス州。メキシコとの国境近く。
優しいメキシコ人の同僚メルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)を国境警備隊の若い隊員マイク(バリー・ペッパー)に殺された老いたカウボーイ、ピート(トミー・リー・ジョーンズ)。
俺が死んだら故郷のヒメネスの村に埋葬してくれ、と言われていたピートは、マイクを脅して埋葬されたメルキアデスを掘り起こし、国境を越えて友の遺体を馬で故郷の村まで運ぶ旅に出る。
ピートは約束を守るために、追っ手を振り払いながらもなぜそんなにも過酷な旅を続けるのか。映画は執拗には描かないけれど、メルキアデスとピートの人種や年齢を越えた友情をいくつかのエピソードで私たちに納得させる。
100%納得できるかというと、それは少々おぼつかない。腐敗し始める遺体を運ぶだけでも困難なのに、「FUCK!」以外に感情を吐露する語彙をもたないのか、というどうしようもないマイクを同行させることの面倒くささ。それでも「約束は守る」という信念を捨てないのは、それは友情の深さというよりピートの頑固さからくるものにほかならないんじゃないか、そんなことさえ思わせるが、でもそれはどっちでもいい。友情でも頑固さゆえでも、どっちにしてもブレないピートの行動は魅力的だ。やっかいなやつだとは思うけど、いまやこの世に棲息しなくなった生き物のかっこよさだ。
■マイクの成長の旅?
一方のマイク。若い妻と国境の街に来て、国境警備隊の仕事を得る。自分以外の人間に興味や関心を抱くこともなく、自分よがりに刹那的に生きていた彼は、ピートに脅されて旅に同行させられる。
ピートの行為に何度も逃亡を試み、「お前は狂っている!」と交わることのない長い深い平行線の旅を続ける。砂漠の旅、険しい山越えの行程。
激しく抵抗し、怒り、あきれ、決して相容れない二人の旅は続くのだが、その中で実はこれはマイクの成長の旅立ったのかもしれない、と思い至る。
トミー・リー・ジョーンズの大きな山のような動かないデカイ演技もいいんだけど、それに抵抗しながら少しずつ変わっていくマイクを演じたバリー・ペッパーの目ぢからには怖いくらいの迫力と心許なさが光っている。体当たりの演技って、こういうのを言うの?という感じか。
■一人で大丈夫か」
追っ手を振り払い、過酷な旅を終えたのに、メルキアデスの話していたヒメネスという村など存在しない。彼が家族だと言って見せてくれた写真の妻や子どもたちは、実際にはまったく関係ない人たちだったとわかる。孤独なメルキアデスがつくりあげた彼のユートピアの話だったのだろうか。
それでもピートはメルキアデスが話していた故郷のようすを頼りに、ここがヒメネスだったにちがいない、という場所をみつけだす。
それが本当にメルキアデスの故郷だったのかは不明だ。けれど、その頃にはマイクも「ああ、きっとここがそうだ」と言うくらいには「大人」になっている。
ふたりで場所を整え、墓を掘り、メルキアデスを埋葬する。その前で心から謝罪をしたマイクはまるで幼子のような表情で熟睡しているところをピートに起こされる。
「俺はあんたに殺されるのかと思った」と言うマイクに、ピートは「好きなところに行っていい。馬もやる」と解放する。そのときに、マイクに向かって、「son」と呼びかけていたのが印象的だった。
そして、去っていくピートの寂しそうな後ろ姿に、マイクはこう声をかける、「一人で大丈夫か」
人のことなど眼中になかった彼が老いた道連れを気づかうまでになっていたことが、この問いかけに凝縮されている。
■国境の街
最初の埋葬は、マイクがメルキアデスを誤って撃ってしまったあと、それがばれないように埋めてしまうとき。
2回目は、遺体が発見され、改めて共同墓地に埋葬されたとき。
そして三度目が、メルキアデスの故郷と思われる場所にピートとマイクの手で埋葬されたとき。
映画の中では書物の「中とびら」のように、「メルキアデスの1回目の埋葬」「メルキアデスの2回目の埋葬」「メルキアデスの3回目の埋葬」と区切られているのがちょっとおもしろかった。
そして、マイクの妻、ピートの愛人の人妻ら、それぞれが心のよりどころをもてずに寂しさに耐えきれなくなる日々をどうにか生きている姿が印象的だった。
国境の街は、そのボーダーラインの危うさゆえに、住んでいる人々の心もむやみに揺さぶるものなのだろうか。
考えてみれば、ピートのあの執拗なまでの友の埋葬への執着は、友情より頑固さより「寂しさゆえ」といったほうが、どことなく心にストンと落ちてくるような気がする。
★冥福を★
「ブロークバック・マウンテン」で主役の一人を演じたヒース・レジャーが先日亡くなったと聞いた。
正直に言うと、「ブロークバック・マウンテン」は昨年観たDVDの中でいちばん衝撃的だったもので、いまだに文章にできないでいる。
「メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬」とは全く異なるテーマの映画だけれども、この場で彼の冥福を祈ろう。
2005年カンヌ国際映画祭最優秀男優賞・脚本賞受賞
監督 トミー・リー・ジョーンズ
脚本 ギジェルモ・アリアガ
出演 トミー・リー・ジョーンズ/バリー・ペッパー/ドワイト・ヨーカム/フリオ・セサール・セディージョ
■今や絶滅した生き物?
舞台はアメリカ、テキサス州。メキシコとの国境近く。
優しいメキシコ人の同僚メルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)を国境警備隊の若い隊員マイク(バリー・ペッパー)に殺された老いたカウボーイ、ピート(トミー・リー・ジョーンズ)。
俺が死んだら故郷のヒメネスの村に埋葬してくれ、と言われていたピートは、マイクを脅して埋葬されたメルキアデスを掘り起こし、国境を越えて友の遺体を馬で故郷の村まで運ぶ旅に出る。
ピートは約束を守るために、追っ手を振り払いながらもなぜそんなにも過酷な旅を続けるのか。映画は執拗には描かないけれど、メルキアデスとピートの人種や年齢を越えた友情をいくつかのエピソードで私たちに納得させる。
100%納得できるかというと、それは少々おぼつかない。腐敗し始める遺体を運ぶだけでも困難なのに、「FUCK!」以外に感情を吐露する語彙をもたないのか、というどうしようもないマイクを同行させることの面倒くささ。それでも「約束は守る」という信念を捨てないのは、それは友情の深さというよりピートの頑固さからくるものにほかならないんじゃないか、そんなことさえ思わせるが、でもそれはどっちでもいい。友情でも頑固さゆえでも、どっちにしてもブレないピートの行動は魅力的だ。やっかいなやつだとは思うけど、いまやこの世に棲息しなくなった生き物のかっこよさだ。
■マイクの成長の旅?
一方のマイク。若い妻と国境の街に来て、国境警備隊の仕事を得る。自分以外の人間に興味や関心を抱くこともなく、自分よがりに刹那的に生きていた彼は、ピートに脅されて旅に同行させられる。
ピートの行為に何度も逃亡を試み、「お前は狂っている!」と交わることのない長い深い平行線の旅を続ける。砂漠の旅、険しい山越えの行程。
激しく抵抗し、怒り、あきれ、決して相容れない二人の旅は続くのだが、その中で実はこれはマイクの成長の旅立ったのかもしれない、と思い至る。
トミー・リー・ジョーンズの大きな山のような動かないデカイ演技もいいんだけど、それに抵抗しながら少しずつ変わっていくマイクを演じたバリー・ペッパーの目ぢからには怖いくらいの迫力と心許なさが光っている。体当たりの演技って、こういうのを言うの?という感じか。
■一人で大丈夫か」
追っ手を振り払い、過酷な旅を終えたのに、メルキアデスの話していたヒメネスという村など存在しない。彼が家族だと言って見せてくれた写真の妻や子どもたちは、実際にはまったく関係ない人たちだったとわかる。孤独なメルキアデスがつくりあげた彼のユートピアの話だったのだろうか。
それでもピートはメルキアデスが話していた故郷のようすを頼りに、ここがヒメネスだったにちがいない、という場所をみつけだす。
それが本当にメルキアデスの故郷だったのかは不明だ。けれど、その頃にはマイクも「ああ、きっとここがそうだ」と言うくらいには「大人」になっている。
ふたりで場所を整え、墓を掘り、メルキアデスを埋葬する。その前で心から謝罪をしたマイクはまるで幼子のような表情で熟睡しているところをピートに起こされる。
「俺はあんたに殺されるのかと思った」と言うマイクに、ピートは「好きなところに行っていい。馬もやる」と解放する。そのときに、マイクに向かって、「son」と呼びかけていたのが印象的だった。
そして、去っていくピートの寂しそうな後ろ姿に、マイクはこう声をかける、「一人で大丈夫か」
人のことなど眼中になかった彼が老いた道連れを気づかうまでになっていたことが、この問いかけに凝縮されている。
■国境の街
最初の埋葬は、マイクがメルキアデスを誤って撃ってしまったあと、それがばれないように埋めてしまうとき。
2回目は、遺体が発見され、改めて共同墓地に埋葬されたとき。
そして三度目が、メルキアデスの故郷と思われる場所にピートとマイクの手で埋葬されたとき。
映画の中では書物の「中とびら」のように、「メルキアデスの1回目の埋葬」「メルキアデスの2回目の埋葬」「メルキアデスの3回目の埋葬」と区切られているのがちょっとおもしろかった。
そして、マイクの妻、ピートの愛人の人妻ら、それぞれが心のよりどころをもてずに寂しさに耐えきれなくなる日々をどうにか生きている姿が印象的だった。
国境の街は、そのボーダーラインの危うさゆえに、住んでいる人々の心もむやみに揺さぶるものなのだろうか。
考えてみれば、ピートのあの執拗なまでの友の埋葬への執着は、友情より頑固さより「寂しさゆえ」といったほうが、どことなく心にストンと落ちてくるような気がする。
★冥福を★
「ブロークバック・マウンテン」で主役の一人を演じたヒース・レジャーが先日亡くなったと聞いた。
正直に言うと、「ブロークバック・マウンテン」は昨年観たDVDの中でいちばん衝撃的だったもので、いまだに文章にできないでいる。
「メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬」とは全く異なるテーマの映画だけれども、この場で彼の冥福を祈ろう。