
『ラストショー』(1971年、アメリカ映画)
■監 督■ ピーター・ボグダノヴィッチ
■出 演■ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、シビル・シェパード、ベン・ジョンソン、クロリス・リーチマン
▼青春の終焉まで
テキサスの小さな町を舞台に、そこに暮らす高校生の青春ドラマ。
女の子とのかけひき、どうしようもなく大きくなる性への関心。今なら別に戸惑いさえ抱かないようなことに、やっぱり1950年代にはアメリカの若者もたやすくは乗り越えられなかったようだ。
でも、狭い町の中で、若者たちの鬱積した思いが発散する場所はそう簡単には見つからない。前日のフットボールの試合での無残なプレイを、翌日に出会う大人たちにいちいちからわれるようすから、この若者たちのおかれている環境が想像できる。
サニー(ティモシー・ハットン)の目を通して、町が浮かび上がり、若者の憧れだった男 サム(ベン・ジョンソン)の若い恋が浮かび上がり、そしてサニー自身も年上の人妻に誘われて関係を結んだり、親友の恋人にひかれたりする。
サムが突然亡くなり、精神的な支柱を失ったあたりから、少しずつほころびが見え始めてくる。
サニーの親友のデュエイン(ェフ・ブリッジス)は軍隊に志願し、町を出て行く。サムの息子で知的障害をもつビリーは事故で亡くなる。
それは、高校生だった頃のように、愉快に生きていればOKだった青い日々の終焉ということなのだろう。
ことさらにセンセーショナルな事件が起こるわけではない。ただ、普通の若者の日常を淡々と追いかけ、そして、サニーをはじめ登場する若者たちが自分たちの感情を声高に主張するわけでもない。
夢を語ることもないけれど、でも人に頼ったり責任を転嫁したりせずに、自分の道をゆく…、そういう若者たち。
1952年という時代が背景にあるのか、それともテキサスという土地柄がそうさせるのか、それとも普遍的な青春の終焉の姿なのか。
この映画が制作されたのがベトナム戦争まっさかりの1971年だったというのは、何か意味があるのだろうか。
▼ラストショーとは?
唯一の娯楽は場末の映画館。そこでサニー(ティモシー・ハットン)とデュエイン(ェフ・ブリッジス)は女の子とデートをする。
映画の冒頭でスクリーンに映し出されていたのはエリザベス・テーラーの「花嫁の父」(1950年制作)。そして、テレビやほかの娯楽に押されて客の入らなくなった映画館が廃業する前に二人が最後に観た映画はジョン・ウェイン、モンゴメリー・クリフトの「赤い河」(1948年制作)だった。
この映画の原題は『The Last Picture Show』。青春の象徴として映画を語ることができた時代だったのだろう。
ラストシーンは砂の舞う風にさらされた映画館「ロイヤル劇場」の寂しい外観だった。
▼ティモシー・ボトムズは?
ティモシー・ボトムズと言えば、やっぱり『ジョニーは戦場に行った』(1971年)。
観たときの衝撃は忘れられない。モノクロの病院のシーンと、ジョニーの脳内で揺れる過去の思い出のフルカラーの対照が鮮烈だった。
その後、「ペーパー・チェイス」(1973年)も話題になった。その後も数多くの映画に出演しているようだけれど、役者としての位置付けはどんな感じなんだろう。私には、青春スターとしてのイメージしかないんだけれど。
1990年に、同じキャストで『ラストショー2』が制作されていることを、いま知った。
30年後、あの小さな町に暮らすデュエインと、市町になったサニー。そこに二人の憧れだったジェイシーが帰ってきて…、とあらすじにあり。
「ロイヤル劇場」も大事な場面で登場するらしい。
映画としてはどうなのかわからないけれど、30年後の彼らをちょっと見てみたい気もしている。いつか…。
追記:ちなみに、二人の若者の争いの原因になる女性、ジェイシーにはまったく魅力を感じなかったんですけど、これって「やっかみ」? 男には魅力的なのかなあ。そうなんだろうなあ。
■監 督■ ピーター・ボグダノヴィッチ
■出 演■ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、シビル・シェパード、ベン・ジョンソン、クロリス・リーチマン
▼青春の終焉まで
テキサスの小さな町を舞台に、そこに暮らす高校生の青春ドラマ。
女の子とのかけひき、どうしようもなく大きくなる性への関心。今なら別に戸惑いさえ抱かないようなことに、やっぱり1950年代にはアメリカの若者もたやすくは乗り越えられなかったようだ。
でも、狭い町の中で、若者たちの鬱積した思いが発散する場所はそう簡単には見つからない。前日のフットボールの試合での無残なプレイを、翌日に出会う大人たちにいちいちからわれるようすから、この若者たちのおかれている環境が想像できる。
サニー(ティモシー・ハットン)の目を通して、町が浮かび上がり、若者の憧れだった男 サム(ベン・ジョンソン)の若い恋が浮かび上がり、そしてサニー自身も年上の人妻に誘われて関係を結んだり、親友の恋人にひかれたりする。
サムが突然亡くなり、精神的な支柱を失ったあたりから、少しずつほころびが見え始めてくる。
サニーの親友のデュエイン(ェフ・ブリッジス)は軍隊に志願し、町を出て行く。サムの息子で知的障害をもつビリーは事故で亡くなる。
それは、高校生だった頃のように、愉快に生きていればOKだった青い日々の終焉ということなのだろう。
ことさらにセンセーショナルな事件が起こるわけではない。ただ、普通の若者の日常を淡々と追いかけ、そして、サニーをはじめ登場する若者たちが自分たちの感情を声高に主張するわけでもない。
夢を語ることもないけれど、でも人に頼ったり責任を転嫁したりせずに、自分の道をゆく…、そういう若者たち。
1952年という時代が背景にあるのか、それともテキサスという土地柄がそうさせるのか、それとも普遍的な青春の終焉の姿なのか。
この映画が制作されたのがベトナム戦争まっさかりの1971年だったというのは、何か意味があるのだろうか。
▼ラストショーとは?
唯一の娯楽は場末の映画館。そこでサニー(ティモシー・ハットン)とデュエイン(ェフ・ブリッジス)は女の子とデートをする。
映画の冒頭でスクリーンに映し出されていたのはエリザベス・テーラーの「花嫁の父」(1950年制作)。そして、テレビやほかの娯楽に押されて客の入らなくなった映画館が廃業する前に二人が最後に観た映画はジョン・ウェイン、モンゴメリー・クリフトの「赤い河」(1948年制作)だった。
この映画の原題は『The Last Picture Show』。青春の象徴として映画を語ることができた時代だったのだろう。
ラストシーンは砂の舞う風にさらされた映画館「ロイヤル劇場」の寂しい外観だった。
▼ティモシー・ボトムズは?
ティモシー・ボトムズと言えば、やっぱり『ジョニーは戦場に行った』(1971年)。
観たときの衝撃は忘れられない。モノクロの病院のシーンと、ジョニーの脳内で揺れる過去の思い出のフルカラーの対照が鮮烈だった。
その後、「ペーパー・チェイス」(1973年)も話題になった。その後も数多くの映画に出演しているようだけれど、役者としての位置付けはどんな感じなんだろう。私には、青春スターとしてのイメージしかないんだけれど。
1990年に、同じキャストで『ラストショー2』が制作されていることを、いま知った。
30年後、あの小さな町に暮らすデュエインと、市町になったサニー。そこに二人の憧れだったジェイシーが帰ってきて…、とあらすじにあり。
「ロイヤル劇場」も大事な場面で登場するらしい。
映画としてはどうなのかわからないけれど、30年後の彼らをちょっと見てみたい気もしている。いつか…。
追記:ちなみに、二人の若者の争いの原因になる女性、ジェイシーにはまったく魅力を感じなかったんですけど、これって「やっかみ」? 男には魅力的なのかなあ。そうなんだろうなあ。