隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「売れてねえバンドに好きだって言われても」と言っていた20年前の宮本さん

2018年06月07日 17時54分02秒 | 音楽

2018.6.7(木)


□ パソコンあれこれ
 昨日は仕事中に突然PCがネットに接続できなくなって、一人で大騒ぎ。
 数日前に急にアップグレードされちゃって(笑)、それ以降、スピーカーのアイコンが作動しなかったり、なんだか重くなったなあ、などと感じたり。で、とうとう「繋がらな~い!」。
 そちらはスマホのWi-Fiで一応の解決は見たけれど、やっぱりヘンだよなあということで、更新プログラムを再度インストール。で、なんだかあっけなく、これらのことは解決したわけだけど。
 それでも、IMEを使っているのに(設定しているのに)、アップグレード後は、ときどきATOKに戻ってイライラも出現・・・。ってことで、そちらもただいま格闘中です。
 PCとは長くお付き合いしているわりには、なあなあな関係で、基本的な約束事が曖昧になっている間柄。
 こういうときにMac派の相方は、一応私のPC師匠なのでいろいろ動いてはくれるのだけど、「だからMicrosoftは・・・」という嫌悪感を思い出すらしいのです。
 
 
□ エレファントカシマシ
 https://news.yahoo.co.jp/feature/981

 いいインタビューですね。
 ロックミュージシャンがゲストとはちょっと思えないような話の広がり、掘り下げ方、登場する作家の名前とか。
 昨今、こんなふうにMr. Childrenとスピッツの名前を出すようになって、なんとなく隔世の感があるなあ、というのは大げさですか?
 1998年の『bridge』の宮本×草野の対談では、エレカシのライブに何度も足を運びリスペクトの気持ちを抱く草野くんに対して、それをストレートには受け取らずに「ま、売れてねえバンドに言われるよりはいいや。すみません、売れてないバンドに好きだって言われるとちょっとムカつくんですけど」なんて言っちゃう宮本さん。
 あれは単なる照れだと思っていたけれど、あの頃はもう少し複雑な思いがあったのかもしれない。
 今年の春の「ドドドーン」の舞台裏での集合写真の宮本さんの笑顔・・・、あれはステキだったなあ。

 それにしても、この『bridge』の対談、すごく濃くて読みがいがある。
 「もっと売れたい、売れるはず!」と吠える宮本さんに、「スピッツの旬は、スピッツバブルは終わった」と言う草野くん。ただ「いい音楽を作っていきたい」という思いだけは素直に共通にある。
 「新曲ができたら彼女に聴かせる一種の儀式がある」という草野くんに、「それをちゃんと聴いて、それがこの人には届いてんなっていう気持ちにさせてくれないとイヤだ」という宮本さん。
 写真も自然で、若くて、すごくいい。
 名古屋のイベント「ニュー・キッズ・オン・ザ・ロックス」の前日の初対談のときよりも中身があって、草野マサムネ氏もそのときよりは落ち着いていて(笑)、おもしろい対談でした。

 エレカシのアルバム、週末に手に入れて、ゆっくり聴こう!!


□ 女性への応援歌?
 ビオレのCMのバックに、スピッツの「愛のしるし」。
 http://www.biorespecial.com/hada/

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 お肌のCMに「愛のしるし」のマーチみたいなリズムが合うの?と思ったけれど、柔らかい応援歌みたいで、ステキに響く。



                              


 ここ数日で、理屈抜きで感情が動いたこと。
 記者の「なぜ改ざんが行われたのか?」という質問に、「それがわからないから苦労している」と答えた麻生財務相。これには瞬間湯沸かし器みたいに怒りがこみあげた。いまさら・・・だとはいえ。これは私たちをバカにしている?
 「『・・・関係していたら、私は議員を辞める』という安部発言の直後から改ざんが始まったのだから自明の理」と答えるわけにいかないにしたって、もっとほかに言いようがある。
 あの返答に対して、番記者たちはあの場では聞き流してしまうのか? 芸能関係の不祥事などでは必要以上にあんなに激しく追及するのに、政治部の記者は政治家を相手にああいう場ではとりあえず受け止めてしまうのか、そうせざるをえないのか、慣習なのか。
 そこにもモヤモヤが残る。こういう一般人の単純な怒りや疑問に、メディアもちょっとは付き合ってほしい。テレビの箱の中や新聞の紙面の上でだけではなく、直接当人の接触したときに、時には、普通の人の気持ちを代弁してくれてもいいのでは、などと思ってしまうのだ。
 冷静に事態を把握して意見を述べられる人はいいけれど、私のような「・・・」には、モヤモヤと中途半端な怒りだけが残って、そろそろ爆発するぞ!


 そして、こんな相変わらずな大人の話題のあとで言うべきではないけれど、でも書かずにはいられない。
 5歳の幼い(5歳を形容するとしたら、「かわいい」と「幼い」だけでも十分だというだけで悲しくなる)女の子が覚えたばかりのひらがなで書き連ねた(書かされた?)「ゆるして」のくり返し。
 こみ上げる涙でしか反応できない大人である自分のことさえ許せなくなるくらいの、なんとも説明しがたい思い。憤りや悲しさ、なんて言葉では表せない。
 こんな子どもたちがこれまでにどれだけ犠牲になってきたか。
 ケダモノとか、強者に支配され洗脳された母親とか、いくらでも非難の言葉は出てくるけれど、それは解決にはならない。
 なぜこういう事態になったのか。似たような轍を踏む危険性が自分の中には絶対にないと言えるのか。
 考えることもたくさんある。また何かできるんじゃないかと探すこともできるような気がする。
 そんなことを思わないと、やってられない気がしている。それくらいに救いようがない。


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