俳句日記/高橋信之

高橋信之(愛媛大学名誉教授・俳句雑誌「花冠」創刊者)

遺作(近作および2020年作品)

2023-07-22 09:51:27 | フェイスブック日曜句会

遺作 髙橋信之

(一)近作より
たらの芽がしずかに白い皿の上         (二〇二三年二月)
蓮根の穴が九つこれ立春
みな赤くパックに詰まり春いちご
茗荷二個よく洗われてよく光る         (二〇二二年八月)
梨・茗荷・茄子を揃えてバットに載せ
西瓜食う三角小さく切り分けて         (二〇二二年七月)
梅雨入のネット句会の畳の間          (二〇二二年六月)
夏兆すことを喜び子供たち

(二)二〇二〇年

丘上る頭上寒空あおあおと           (一月)
寒椿咲くその一輪が吾を向く
晴れの日の明るい冬日を浴びている
冬コート脱ぎ捨てられて妻の椅子        (二月)
冬天がひろびろとして吾に広し
二ン月の青空高し鳥達に
曇り空見上げて見れば春の雪          (三月)
窓外の遠くの空は春の雪
早春の晴れて元気に歩く子よ
八十路の道若葉にさんさん陽がふりぬ      (四月)
曇り空見上げて見れば春の雪
寺への道散り敷く花を踏み歩く
朝日さんさん五月の窓を大きく開け       (五月)
五月の窓開けて朝日に身を入れる
五月の野がひろびろ拡がる窓の外
五月雨も今日あることの楽しみに        (六月)
五月雨の中を楽しむ妻と散歩
塀沿いの散歩に紫陽花いろいろと
鶏の朝の一声夏休み              (七月)
夏休み窓の遠くに野が拡がり
六月の朝さわやかに陽が昇る
湯の音に母思い出す夏夕べ           (八月)
夜の秋机上に数字書き並べ
スタンドの明かりが照らす夜の秋
葛の花妻が摘み来て卓上に           (九月)
秋の日の今日金曜の日がありぬ
有明の月が東に明け近し
陽が沈む秋の野の遠くに沈む          (十月)
卓上に落ち来し光秋夕べ
夕食を終えてじみじみ秋灯し
立冬の天井の灯の親しさよ           (十一月)
冬に入るデジタル時計に緑置き
大根をそのまま妻が卓に置き               
冬の夜の机上に雑多なもの多し         (十二月)
冬に入る野の広がりを窓越しに
日暮れ早き十二月となりにける

花冠三六四号(二〇一五年・平成二十七年八月号)から花冠三六五号(二〇二一年・令和三年七月号)発行までの六年間、俳誌花冠は休刊し、インターネットだけの活動になっています。休刊の六年間(二〇一五年七月~二〇二〇年十二月)に信之先生が花冠月例ネット句会に投句された句を遺作として二〇二〇年投句分より順次遡って掲載いたします。                    (髙橋正子)

逝去のお知らせ。

2023-07-19 13:40:06 | フェイスブック日曜句会

愛媛大学名誉教授・ドイツ文学者・俳人 髙橋信之は2023年5月24日逝去いたしました。享年91歳でした。
ここに生前のご交誼に感謝し、厚くお礼を申し上げます。
2023年7月19日
妻 髙橋正子
衣更えて夫かろやかに旅立てり 正子

4月26日(日)

2020-04-26 22:21:47 | 高橋信之俳句鑑賞

俳誌「くぢら」恵贈いただく。

〇「くぢら」(2020年5月号 通巻96号)より転載

「正岡子規だより㊼ 高橋信之の俳句」(子規新報編集長 小西昭夫)

 旧制松山高等学校は俳人として芝不器男、中村草田男等を輩出した。芝不器男は新興俳句の先駆けと目されているし、中村草田男は文学性を追求した姿勢を自由主義者と目されて軍部の圧力を受けた。不器男や草田男に共通するのは「自由への希求」であろう。
 そして、それは大正八年に創設された旧制松山高等学校の校風の特色でもあった。そんな自由な校風の中で旧制松山高等学校俳句会も誕生した。松高俳句会は、大正十二年川本臥風によって創始されたので、不器男は既に卒業しており、二年生だった草田男は参加していない。しかし、臥風、林原耒井、篠原梵、八木絵馬、西垣脩等の多数の優れた俳人を送り出した。
 また、松高俳句会の機関紙「星丘」は斎藤茂吉や加藤楸邨等の寄稿を得て草田男の第一句集『長子』の特集号を刊行している。草田男は俳人となってから松高在学中の恩師である耒井の関係で松高俳句会にかかわり、「星丘」の呼び物となった東京支部の連載論評「呉評越評」(呉越同舟をもじったもの。草田男の命名)で、梵や絵馬等と論戦を戦わせた。
 こんなところにも「結社で育った俳人と松高俳句会で育った俳人は本質的に異なる。自由、旺盛な批評意識、純粋な詩作それが松高俳句界の特徴であった。」(西垣脩)といわれる一端が感じられるであろう。
 旧制松山高等学校は、昭和二四年の学制改革で、愛媛師範、愛媛青年師範、新居浜高専を合わせて愛媛大学となった。松高俳句会を指導していた臥風、谷野予志、大野岬歩等がそのまま愛媛大学俳句会を指導し、松高俳句会は愛媛大学俳句会に引き継がれたのである。
 しかし、臥風が「いたどり」を創刊したり、予志が「炎昼」を創刊したこともあって、愛大俳句会はしだいに停滞していった。それを再建したのが髙橋信之である。
 信之は愛媛大学の卒業生であるが、在学中は詩を書いており俳句には関わっていなかった。やがて、愛媛大学のドイツ語講師となって母校に赴任し、昭和三九年、臥風の「いたどり」に参加しながら松高俳句会を引き継ぎ愛大俳句会を再建したのであった。
 もちろん、信之の俳句は松高俳句会の自由の伝統を継承したものであった。

母の日の母へにくまれ口たたく
梅雨の光り一本の我が万年筆
  北条鹿島
ぶどうよく光る島の水道水にて洗い
つばめ帰る空にて今日の高さあり
秋暑し二本の足に体重のせ
 五八番仙遊寺
芽吹く樹へつぎつぎ心あそばせる
蜂が飛んでいる脚の力を抜いて
噴水の水の力が抜け落ちる
小鳥来る都心の小さい森の中
折り紙の鶴も金魚も春立つ日

 こうして秀句を抄出してみると、信之俳句の目指したものがよく分かる。先ず、難しい言葉はどこにも使われていない。そして、「や、かな、けり」といった切字が使われていない。二句目の「我が」や五句目の「秋暑し」という文語的な表現は使われることもあるが、基本は現代口語表現である。そして「洗い」「のせ」という動詞の連用形止めを上手く使っている。二句一章と読める句もあるが、基本的には一句一章の俳句である。難しい言葉を使わない信之俳句は平明である。だから、そのまま読み飛ばされてしまうこともあるだろうが、この軽さ明るさの中に深さを求めたのが信之俳句の世界でもあるだろう。
 昭和六年生まれの信之は、現在横浜に住んでいる。主宰誌「水煙」を「花冠」と改称し、主宰を奥様にゆずり名誉主宰になっている。
 実は信之とは愛大俳句会や「いたどり」「水煙」と何度も一緒に句会をしている。彼は我々の先生であり、指導する立場であったが、我々の句会は文語あり、現代語あり、無季あり、時には自由律ありというものであった。
 しかし、そこに枠をはめるような指導は一切されなかった。だから、先生と生徒を超えた自由活発な議論が出来た。今になってその有り難さ、凄さがしみじみと分かるのである。
(転記者/高橋正子)
 

2月17日(月)

2020-02-17 10:57:43 | 今日の俳句

二ン月の水の音立て過ぎ行ける 信之
二ン月の過ぎ行く刻よ水の音  信之

2月9日(日)

2020-02-09 10:51:34 | フェイスブック日曜句会

2月ネット句会投句3句
二ン月の青空高し鳥たちに  信之
冬天がひろびろとして吾に広し 信之
冬コート脱ぎ捨てられて妻の椅子 信之

思い出に春日ほのかに差し来る  信之
コーヒーの濃き色をして寒の入り 信之


2月9日(日)

2020-02-09 10:51:34 | フェイスブック日曜句会

2月ネット句会投句3句
二ン月の青空高し鳥たちに  信之
冬天がひろびろとして吾に広し 信之
冬コート脱ぎ捨てられて妻の椅子 信之

思い出に春日ほのかに差し来る
コーヒーの濃き色をして寒の入り


2月6日(木)

2020-02-07 11:45:48 | フェイスブック日曜句会

久しぶり、寒波。

●先日、俳句アトラスの林誠司さんから彼の俳誌「海光」の会員の佐藤日田路句集『不存在証明』(2020年2月1日刊行)を贈呈された。

●小熊座主宰 高野ムツオさんから『佐藤鬼房集成』刊行の案内の葉書をいただく。
第1巻 全句集
第2巻 俳論集『片葉の蘆』他
第3巻 「小熊座」連載「泉洞雑記」
(各巻12100円)

1月29日(水)

2020-01-29 15:42:26 | フェイスブック日曜句会

晴。春を思わす暖かさ。昨夜は、風雨。
金蔵寺まで散歩。本堂前の白梅、紅梅開花。塀沿い水仙よく咲く。
武漢の新型肺炎拡大。

1月21日(火)

2020-01-22 14:40:31 | 今日の俳句

曇り。

小西くんから子規新報(2巻76号)が送られてくる。

1月20日(月)

2020-01-21 14:15:52 | 今日の俳句

快晴。大寒。
鯛ケ崎、5丁目丘散歩。往復1時間。

紅梅三分咲。藪椿。山茶花。