檜舞台

日本舞踊の世界を覗いてみませんか?

いよいよ檜舞台へ

2019-02-26 18:16:58 | 趣味
  三月二十三日 大阪日本橋国立文楽劇場にて踊ることになりました。

 曲名

  清元  梅柳藤娘

 解説    江戸時代大津の追分 三井寺あたりで売り出された大津絵は道中土産として

      世に迎えられました。

      鬼の念佛 藤娘 瓢箪鯰 座頭などで 江戸で歌舞伎に取り入れられました。

      良く知られる藤娘は関三十郎作ですが、この梅柳藤娘は安政元年 三代目中村仲蔵の

      作ったものです。

      鷹匠と藤娘の二人が彩なす古風な踊りです。

      もとは富本でしたが清元に移されました。

      師匠  鷹匠   私  藤娘



      
    とうとう念願の舞台に立つことが叶った。

      

二河白道の道

2018-11-13 17:03:51 | 趣味
  どうしても生きているうちに相手当事者に伝えねばならぬ想い

 それが私にとってブログという形だったのです。

 相手はそしらぬ顔でしょう。でもその事実は生きているうちに知らせねばならないと

 いう強い衝動にかられたのでした。

  わたしのブログを見た相手方は余りの事実と一致していたため、立腹し、ブログ事務局に

 抗議し、22件を消し去る事を嘆願したのでした。

  不思議なことに、私はその消し去られたことに腹がたたなかったのです。

 天から、これ以上書いてはいけないよ。私に任せなさい。という声が聞こえたような気がしたからです。

 このことが善導大師の教えにある二河白道の道ではないかと思えるようになりました。

 いつまでも過去に拘り訴え続けることは、火炎地獄。そうかといって伝えないことは
 
 安全で自分に対して被害はありませんが、相手当事者を増長させることになる。

 この出所進退の有り方こそ二河白道の教えに通ずるものであるとおもうのです。
 
 相手当事者も増長されずに、この道に沿った前進をされたい。

 成長を祈ります。

                




「読書という荒野」  見城徹

2018-10-07 08:58:05 | 趣味
  本日は「読書という荒野」を読んで強い衝撃を受けたので、この場を借りて

 紹介したい。

  表現とは結局自己救済なのだから、自己救済の必要がない中途半端に生きている人の

 元には優れた表現は生まれない。

 ミドルは何も生み出さない。想像力は、圧倒的に持つものと、圧倒的に持たざる者の頭の中に

 こそ生まれるのである。               見城 徹

 
 私はこの筆者のエネルギーほとばしる文章に感銘を受けた。

 少なくとも伝統芸能を表現する人間にとって、私は死ぬまで表現していくであろう。

 私の身体に眠っている血液という細胞一つ一つが踊りたいのです。

 「血が踊る」とはまさにこのことかもしれない。

                         藤間勘千栄
 

 

  

全ては地球からの贈り物 (素晴らしい文)

2018-09-23 19:58:06 | 趣味
 おれはオレンジャー!

 君たちの周りにあるものを

 少し見渡してほしい。

 目の前にある机、椅子、パソコン、書籍、紙。。

 身に着けている服、アクセサリー、ブレスレット、靴。。。

 外に出てみれば、家、建物、道、ビル、車、電車、飛行機。。。

 今朝食べた朝食、昨晩のつまみ、ビール、これから食べるランチ。。。

 これらはすべて

 君たち人間が生み出したものではない。

 そう、加工はしているが、結局その原料は、すべて地球からの借り物なんだ。

 君たちは、これらの借り物をあたかも自分のものとして所有権を勝手に主張して

 そしてその権利をずっと争っている。

 所有という概念を、そろそろ卒業したほうがいい。

 所有をしている限り、君たちは宇宙人の仲間入りができない。

 なぜならば、所有と言う概念に固執することは、この世界の本質をまだ理解していない

 ことと同義だからだ。

 君たちの魂の乗り物である、君たちの身体も地球からのレンタル品だよ。

 死を迎えた時、そのレンタル品は地球に戻される。

 母なる地球と言う意味をもっと知ってほしい。

 その地球に君たちが今何をしてしまっているかよく考えてほしい。

 そしてちいさなことでもいいから、地球のために何が出来るのか、考えて自ら行動して

 ほしい。その意識のエネルギーが、これからの世の中変えていく原動力になるのだから。

 今日はこんなところだ。じゃー!

どなたかわかりませんが、素晴らしい文章掲載させていただきました。そのとうりです。

 

当麻寺練供養に想いを馳せる

2018-07-02 19:41:28 | 趣味
 私の主人は15年前に当麻寺の一塔頭に住んでいましたが、他界いたしました。

その後、その家族も当麻寺を離れることを余儀なくされました。

主人は音楽が好きで、雅楽の越天楽とお経だけの練供養を、何とか今の時代に

合わせたものにしたいと構想を巡らせておりました。

そしてシンセサイザーの喜多郎の曲を取り入れて、25菩薩が練り歩く姿に

その音を重なり合わせたのです。見事にぴったりとした音楽と動きの調和で

ありました。

遠い西方シルクロード。

そうスケールが大きいんです。

主人も大きい構想を持っていた人でした。

惜しい人でした。

当麻寺塔頭元寺族