私の主人は15年前に当麻寺の一塔頭に住んでいましたが、他界いたしました。
その後、その家族も当麻寺を離れることを余儀なくされました。
主人は音楽が好きで、雅楽の越天楽とお経だけの練供養を、何とか今の時代に
合わせたものにしたいと構想を巡らせておりました。
そしてシンセサイザーの喜多郎の曲を取り入れて、25菩薩が練り歩く姿に
その音を重なり合わせたのです。見事にぴったりとした音楽と動きの調和で
ありました。
遠い西方シルクロード。
そうスケールが大きいんです。
主人も大きい構想を持っていた人でした。
惜しい人でした。
当麻寺塔頭元寺族
その後、その家族も当麻寺を離れることを余儀なくされました。
主人は音楽が好きで、雅楽の越天楽とお経だけの練供養を、何とか今の時代に
合わせたものにしたいと構想を巡らせておりました。
そしてシンセサイザーの喜多郎の曲を取り入れて、25菩薩が練り歩く姿に
その音を重なり合わせたのです。見事にぴったりとした音楽と動きの調和で
ありました。
遠い西方シルクロード。
そうスケールが大きいんです。
主人も大きい構想を持っていた人でした。
惜しい人でした。
当麻寺塔頭元寺族