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桐箱の威力。

2012-01-30 18:01:01 | Weblog
一週間骨董を売っている間に

某企業のヒアリングで数日缶詰になっている間に

一月が終わってしまった。

あっと言う間どころか、「あ」のグルンも言えてない感じ。

そうこうしてやっと昨夜、

丹後から届いていた荷物を開けることができた。

着物数枚と帯2本。

かつてわたしは、大量の着物を持っていた。

ほとんどすべて、人から譲り受けたものであったが。


箪笥には入りきらないので、

プラスチックの衣装ケースに山積みにしていた。

それらは今回の被災で、見事に焼失した……かに見えた。


解体が迫ったある日のこと。

かろうじて形をとどめた、真っ黒な長方体をフトつついてみた。

桐の三段箪笥があったところ。ここには大切な着物だけが入っていた。

ちょっと力を入れると、バラッと側面が崩れ落ち、その奥になんとタトウ紙が見えた。

“まさか !? ”

なんとかバランスをとりながら、

タトウ紙に包まれた着物をひっぱり出した。

驚くべきことに、燃えてはいなかった。火の元となった部屋にあったにもかかわらず、である。

ただ、すべてぐっしょりと濡れ、うっすらと煤に覆われ、悪夢のような臭いをまとっていた。


とある丹後の呉服店に電話をすると

淡々としながらも、ご主人が長い時間、相談にのってくれた。

とりあえず一切合切、段ボールに放り込んで送ってから約二ヶ月。


母や祖母の形見の品と、自分で初めて仕立てた一枚の紬が、

見事な復活を遂げて戻って来た。

“ 職人たちと相談しながら何度も洗ったが、どうしても数カ所、シミが取れなかった。

最終手段で色を差すこともできるので、見て気に入らなかったらまた送り返してほしい ”

相変わらず淡々とした、ご主人の職人魂に脱帽した。

本当にどうもありがとうございました。

    ※お世話になった丹後の着物屋さん→ きものサロンながしま



桐箱ほど道具の保管に適した箱はない、と言われる。

湿気だけの問題ではない。火にさらされると表面が炭化してそれ以上の燃焼を防ぐ。

改めて、大切な道具にはまず桐箱をあつらえることをおすすめする。

江戸時代の道具が、

こうして今の世に残っているのは、桐箱のおかげと言っても過言ではなさそうだから。

わたしの着物が、何よりの証拠であると言っても過言ではなさそうだから。














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2012年の抱負。

2012-01-18 19:00:04 | Weblog

毎年抱負を語っても、達成できた試しがない。

昨年は痩せるどころか2kgも肥えたし

旅に出るどころかパスポート燃やしたし


だから今年の目標は堅実に。

まずは、仮住まいから脱出すること。

そして2kg増えた体重を必ず減らすこと。

この2点。

新しく家を建てる気力も財力もないのが現実ではあるが

それでも、それでも。

まだ、かろうじて、若いのだ。自分のための借金なら再び背負おう。

いろんな催事もはじまり

取材の日々もはじまり

いつまでもヘタレてはいられなくなった。

しかし、ビールはあまり飲んではいけない、のである。




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人生は Write Once .

2012-01-13 19:02:27 | Weblog

今日。

日経にどうでもいい人にはどうでもいい記事が載った。

とある企業が光ディスク製造から撤退---- 。

今日、わたしが書こうと思っていた内容は、そのとある企業に勤めていた時代のことである。

高校を出て、とりあえず就職しなければ、ということで

学校に来ていたわずかな求人のなかから先生が勝手に選んだのがその企業だった。



20年以上前、

まだ世間でごくわずかの人たちがPCを、しかも5 inchのフロッピーディスクを使っていた時代のこと。

わたしは立ち上がったばかりの光ディスクのチームで研究助手として働かせてもらい

光ディスクのヒの字もわからないまま

今では考えられないような恵まれた環境で実験のまね事をし、高給をもらった。

当時はまだ一度しか書き込みできないWO(ライトワンス=CD-R)というタイプが先行していて

書き換え可能なRW(リライタブル=CD-RW)技術の完成が急がれていた。

まさに光ディスク黎明期であったと思う。


そこで凄まじい頭脳を目の当たりにし、雷に打たれ、わたしの今がある。

もう一度勉強しよう、そして自分が本当になりたかった仕事につこう、と決断できたのだ。


受験の数日前、担当だったSEMのある暗幕部屋でこっそり参考書を広げていると

数年前まで大学院生だった

クールなWさんが黙って勉強につきあってくれた。


そんな思い出たっぷりの企業の、思いがけないニュース。


そして。しかも。ここからが本題。


この正月、倉敷の美人骨董商サイちゃんとやっと酒を酌み交わすことができたのだが

なんと彼女がこの企業の同じ場所で働いていたことが判明したのだ。

いろんなスタッフの名前を挙げれば、わかる、わかる。

恐ろしいくらい、つながる、つながる。


いまや泣く子も黙る骨董商であるサイちゃんと

大阪でコピーライターなんぞやっているわたしの過去が、一点でつながっていたのだ。

驚くやら、感動するやら。


やっぱり、どんなことがあろうと人生って面白い。


「人生はWrite Onceです。思うように生きてください」

送別会でWさんが言ってくれたこの言葉は、

20年経った今でも、変わらないわたしの座右の銘である。




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剣道一直線。

2012-01-11 16:28:32 | Weblog


なぜかこの正月は剣道に縁があった。

先日広島でとても有名な剣士の方に会ったと、
義父がわたしに酒を注ぎながら言った。
とおい、とおーい親戚縁者になったらしい。

翌日、お世話になった人に挨拶に行き
これから高校の剣道部の新年会だと言うと
えっ俺も、と驚かれた。
学校はもちろん違ったけれど。

現在では、十段も九段もなくなり八段が最高位となっているらしい。

そんな話をホーと聴いたのち
新年会、正しくは剣道部女子会に出席した。

20年ぶりの顔もあったが
年賀状のやりとりをしている面々なので、さほどの衝撃もなく
一瞬で、あの頃の部室のテンションにトリップする。

当時の恋愛話から現在の子育て話から
話すこと、話せることは数限りなく多く。
予定を大幅にオーバーして、わたしは倉敷を後にした。

Cちゃん情報で
男子でいつも控えだったHくんが現在も剣道をつづけ
高校時代の恩師と共に活躍していることを聴いた。
なんとこのたび六段を受けるのだという。

さまざまな文言が染め抜かれた
藍や臙脂の手ぬぐいを頭に巻いて、道場を走り回っていた高校時代。

そういえばHくんがいつも抱えていた竹刀袋が
臙脂に白の染め抜きで
「継続は力なり」だったことを思い出した。

ホーイ ホイホイホイ 

あの彼独特の気合いは、今も変わっていないんだろうな。


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リアル最強。

2012-01-06 16:11:12 | Weblog
あけましておめでとうございます。

年賀状では9日より営業などと寝ぼけたことを書いておりましたが

そんなことは許されるわけもなく

正月気分を吹き飛ばす数々の出来事で

慌ただしい新年を迎えております。


新年の濃い濃い日々のことは

またおいおい。

冒頭の写真は生まれたてのおおおい。

きょうだいの子ども、というより孫、という年齢になってしまったのですな


しかし、今回は

先ほど読んだ中川純一郎氏と常見陽平氏の対談

に力強くうなづく年末年始であった。

「やっぱりリアル最強」なのだ。

つながろうとしなくても、人生において大切な人とは

しらずしらずのうちにつながってくるものなのだ。

おもろい。


2012年も、日々新。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。





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