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ふるさとのチカラ 新しい和歌山のために

日々の活動の中で私なりに感じたことを私らしく素直に綴って参ります。

消費税 増税を考える。(1)

2012年03月30日 | オピニオン

企業経営の観点で

 

そもそも増税と言っていますがこれは言い換えれば消費税の「値上げ」です。

公共のサービス(特に今回の場合は社会保障にテーマが集中していますが)の提供がこのままでは維持困難なため値上げをお願いしたいということです。

ニュアンスが少々違いますが企業の場合で考えると業績が不振で経営の先行きが悪いから存続が困難だからその対策として商品やサービスの価格を値上げする。

そして利用者、顧客にその面倒を見てくださいということになります。

このようなことが許されるでしょうか。

値上げを余儀なくされた場合まず先に出来うるすべての対策を実行しその上で慎重に慎重を期し利用者に誠に申し訳ないという気持ちで行うものです。

自らの業績の不振を値上げで凌ごうとする経営者がいたとすればそれは「無能な経営者」の烙印を押されかねません。

顧客からそっぽを向かれ更なる業績不振の奈落に転落していくはずです。

 

状況と原因の把握

 

では、どんな手順、対策を講ずるのか。

まず不振の状況を調査し全容を把握します。

そしてそのままの状況が継続した場合の最悪のシナリオを想定します。

同時になぜこの状況に至ったのか原因を解明します。

今、消費税の「値上げ」において果たしてこのようなことが実行されているのでしょうか。

また国民に説明されているのでしょうか。社会保障の制度が将来、立ち往かなくなるということは巷間言われています。

どのように立ち往かなくなるのでしょうか。なぜそうなったのか。

その過程に何か失敗や過失はなかったのか。

もしあったのならば誰がその責任を追及され責任を取ったのか。

このようなことが全く知らされていないように思います。

また仕事には担当者というものが必ずいます。

今回の値上げは財務省のいったいどの組織のどの部署がそして誰が担当してこのシナリオを描いているのか。

このことも知っておきたいことだと思います。

 


消費税 増税を考える。(3)

2012年03月30日 | オピニオン

付加価値の創造

「値上げ」はこのように英知を集め徹底した経営改善を実行した後の最終手段です。

そして企業の場合はその値上げで更なる付加価値をお客様に提供できるように考えます。

たとえば1万円の商品を1万1千円に値上げする場合、お客様から見て1万2千円にその価値を感じてもらえるように内容や体裁も工夫するのです。

商品の内容が全く変わらないのに単に値が上がっただけというのでは芸がないし知恵がありません。

そのようなことではお客様は許してくれません。

消費税が仮に上がったとしたら、私たちは果たしてどのような付加価値を享受できるでしょうか。

 

経営再建

商店主の方々から「この不景気に消費税を上げられたら益々商品が売れなくなる。

そして私たちの商売では消費税の値上げ分を価格に転嫁できない。」とのお話を聞きます。

ほんとうにその通りです。

こうした実態や現場の声を聴かずして霞が関の官僚や政治家たちが自分たちの都合だけで強引に推進しては

我々の生活は将来でなく「今」、崩れてしまいます。

安易な「値上げ」に走る前に政治家がそして霞が関の官僚がこぞって「知恵」を出し

場合によっては民間や学者も参加してこの「日本国株式会社」の経営再建にあたるべきです。


災害現場 田辺市 那智勝浦町 新宮市 

2011年09月11日 | オピニオン

昨日から2日間かけて自由民主党で災害現場を巡り

その惨状を目の当たりに確認してきた。

谷垣総裁が来和され、二階県連会長、世耕参議院議員、鶴保参議院議員、

自民党県議団の皆様と行動を共にし現実を見つめてきた。

 

地元の陳情などを受け対策を即座に決定し、その場から指示が飛ぶという

緊急事態に政治に求められる機動力を目の当たりに学んだ。

 

地元、県、国が一体になってこの激甚な災害の復旧を

一日でも早く達成できるかが

試練の中で試されているように思う。

 

県南部に被害が集中しているが

北部の方々とも姻戚関係があったり知人がいらっしゃったりするであろう。

この災害の復旧と生活の維持に全県を挙げて取り組むべきだと強く感じた。

国政では私たちは野党に転じたが県政では圧倒的多数を占める勢力である。

このネットワークと機動力を最大限活かし、一日も早くあののどかな地域に

笑顔が戻るよう頑張って参ります。

 

明日も日高川町に伺います。

選挙区外であるが政治に必要なことを学ぶ必要がある。

私たちのふるさと和歌山のために。

 

 


災害現場にて思う。

2011年09月08日 | オピニオン

旧大塔村の崩土、土石流の現場に行ってきた。

目の前の光景に足がすくんだのは百山渓谷付近の土石流の現場であった。

 

見たこともないような巨石が河原を覆いつくし、

また高台に10トン以上はあろうかと思われる石の塊が打ち上げられていた。

 

田舎育ちであるので大雨の後に道路が崩壊したり河川が決壊した現場は大小、見てきたが

今回の凄まじさは今までにない想像を絶するものであった。

改めて自然の「畏れ」ともいうほどの恐ろしさを感じた。

 

お亡くなりになった方々のご冥福と行方不明の方々の一日も早い生還、発見をただただ祈るばかりであるが

現場を「普段」の状況に復旧させることも急がれる。

政治が力を発揮すべき時である。

 

また、今後の災害を予想して将来にわたって人々の暮らしが安全に営まれるよう

対策を早急に実施しなければならない。

「コンクリートから人へ」。

こんなことだけを言っている場合ではない。

「コンクリート」、災害対策のあらゆる公共工事をやみくもに「悪」と言わんばかりに否定せず

この災害の瞬間、現場、被害者の皆さんの思い、周辺集落、地域の思いをしっかりと受け止め

この記憶が新しいときに全方位で今後の対策を検討、実行するべきである。

時間を経て、机上でだけで練ってはいけない。

 

今、私たちの故郷、和歌山で後世語り継がれる大きな災害が起こっている。

何ができたか、後世の人たちが振り返ってくれるであろう。