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ふるさとのチカラ 新しい和歌山のために

日々の活動の中で私なりに感じたことを私らしく素直に綴って参ります。

今、思うこと。(3)

2011年08月03日 | オピニオン

〈国の姿を設計する〉

 

 地方と現場を歩き、自ら体験したうえで今一度、日本の姿を設計する必要がある。

 地方の特色を中心に今後この国がどのように進んでいこうとするのかというビジョン、設計図をつくる必要がある。

 

各々地域には特性はあるにせよ、総じて「金太郎飴」式な街づくりがなされてきた。

地方都市に出張などで出かけると、少し居眠りをしているとバイパス道路沿いの景色を見て

いつの間に和歌山に帰ってきたのかと錯覚するほどのよく似た風景に驚かされる。

チェーン展開する飲食店やホームセンター、ファストフード店などが軒を並べ「この町の名物は何ですか?」と尋ねたくなる。

もちろん、これらによって人々の生活は便利になり、生活にかかるコストも軽減されたことは事実ではあろう。

しかしながら、それだけでいいのであろうか。

 

道路であったり橋であったり、ダムであったり空港であったり社会資本の整備がなされてきた

まだまだインフラが充分整備されていないことも承知しているが、それよりも次の世代はそれらを活用して他の県にない

ならではの政策を考えるべきである。また地方同士がお互い学び合い、競い合うことが今後、この国の発展につながるものであると思う。

国民体育大会や甲子園の高校野球など、自然とおらが故郷の代表を応援しその活躍や勝利を誇らしく感じる。

このような都道府県の健全な競い合いを国家経営の中にも提案すべきである。

 

例えば、本県は果樹生産が盛んである。

みかん、白桃、柿などが有名であるが、例えばその全国上位3位までをライバルとして国が設定し

品質や生産量を競わせるようにすればどうだろうか。

このような健全な競争関係を産品やテーマごとに全国3県に限定して作ることによって地方の特色ある発展が期待できるのではないだろうか。

47都道府県が総花的発展を目指すのではなく各々がより特徴のある「適材適所」の国家経営を目指してみてはどうだろう。

果樹では和歌山県、栽培漁業では△△県、製鋼では◇◇県、このような特色のある地方に支えられ再び新しい国家を形成していく。

地方の特色に光をあてメリハリのあるグランドデザインを提案するべきである。

 

そして、次には国際戦略である。世界の国に比してこの日本がどういう政策で国際社会の中で活躍していくのか

具体的にどの国のどの部分を目指し競い合うのかを明確にしていかなければならない。

どんな産業で、どんな技術で競争をしていくのかを考え示さなければならない。

かつて隣国、韓国が困難に陥った際、再興を期すべく「選択と集中」を行ったようにどの国のどの産業に負けない

追いつけ追い越せという目標をはっきりと定めなければならない。

 

〈おわりに〉

東京一極で何かを考え、行動するのではなく地方の隅々まで光を照らす。

そしてこの国の可能性を政治が、責任を持って提案しなければならない。


今、思うこと。(2)

2011年07月31日 | オピニオン

〈現場主義〉

 

東京を離れ地方にしっかりと根を張るには次に現場に足を運ばなければならない。

 

私が勤めた会社は松下幸之助氏の創業した会社であった。数々の翁の教えが伝承されていた。

その一つが現場主義である。

現場、現物、現実を尊重し、いかなる場合も発想や行動の源は現場に求められた。

特に事故やトラブル改善が必要な場合は一目散に現場で現物と向き合うことが至上の方針であった。 

 

政治や行政に携わる人々がこの現場主義を大切にしなくなってきたように思う。

東京一極化によることも大いに原因と考えられるが、居ながらにして情報を手に入れられるようになった

からであろう。

時代が進みアナログからデジタルに、リアルからバーチャルに。

パソコンを使えば情報は瞬時に収集できる。

〇〇のようなものを手に入れるのは簡単になった。

海外視察の報告書をウェブサイトの情報や写真を貼り合わせて作ったと言う、笑うに笑えない出来事があったが

現地に赴かずとも行ってきたかのような報告書を作ることはいとも簡単である。

一見この進化により便利になったようだけれども逆に今、政治に求められているのは

アナログなリアルな現実をしっかり見つめることである。

  

田畑や山々に分け入ったり、けたたましい機械の音や油のにおいに触れてこそ、気づくこと感じることがある。

体験したような気分だけで、または簡単な短時間のレクチャーや視察などだけで、ものの本質を

理解できるはずもない。

特に若い政治家が現場に分け入り、汗まみれ泥まみれになって生々しい実態をこの身で体験することが

重要である。

そして、このような現場から拾い上げた生きた政策を語るべきである。

 

 かつて、先人たちが戦後の復興を遂げ高度経済成長を成してきた背景には

敗戦の焼野原を目の当たりにし焼け焦げた臭いを嗅ぎ、その悔しさをバネにした発奮があったに違いない。

これに負けない骨太な気概が今、求められている。


今、思うこと。(1)

2011年07月30日 | オピニオン

大学を卒業して約23年間、民間企業で仕事をしてきた。その殆どが観光事業及び開発である。地域の発展を考えることが多かった。

 

〈地方と東京〉

 

今、日本の政治に欠けているものは地方に光を当てるということである。

政治の原点、政治家の原点は自分たちの故郷の課題を解決し可能性や将来性を見つけ実現していくことである。

地方≪鄙≫の集まりが国である。東京という一極を別にすれば私たちの故郷、和歌山をはじめすべてが地方である。

東京と地方。今、行われている政治はほんとうに各地方の実情や特色を踏まえて成されているのであろうか。

その地域をどのようにデザインしていくのかが実体験に基づいて考えられているのであろうか。甚だ疑問である。

   

政治、行政、経済の中心が東京に集中していると言われて久しい。

それらに携わる人々は当然ながら東京近郊に住まいし、大都市、東京の役所や会社のデスクに陣取り机上のパソコンを眺め

日夜仕事をしている。

民間の場合はそれでもいいだろう。

何故なら本部や本社が東京にあろうとも支店や営業所が地方に張り巡らされている。

そしてこのネットワークを通じ自分たちの商売がうまくいっているのか、商品やサービスが思ったように売れているのか

毎日、リアルな数字と情報で確認し対策を打っている。

それに比べて霞が関や永田町で繰り広げられる行政や政治はどうであろうか。

土や木の匂いも嗅いだことのない生活を毎日続けている人たちがどれほど現状に則した政策を語れるのであろうか。

 

政治家の場合、地方の選挙区の選出でも東京生まれの東京育ち、おまけに東京暮らしという方々もいらっしゃる。

もちろん生まれながらの環境は天与のものであるので致し方ない場合もある。

しかし、そうであればその地方と東京のギャップを自ら感じようとする努力が必要である。

官僚にもそうした努力を望むところではあるが、政治家こそ選挙を通じ各地方からそれぞれ選ばれた身である。

地方に根を張る努力をもう一度するべきである。

地域の声をつぶさに聞き実態や課題のみならず、まだ気がついていない可能性や将来性までも共に見つけ対応していくことこそ

今、求められていることであると思う。