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聖なる世界が実現されたとき芸術はなくなる

2019-08-09 14:56:36 | スピリチュアル

スピリチュアル界では、この地球が近年、急加速で次元上昇(アセンション)

していると言っている。

その感覚は、私自身もわかる。旧態依然のシガラミや悪習が表に出だしてきている。

ブラック企業や、セクハラやパワハラや、隠されてきた金融の闇や、

どんどん明るみにでてしまい、逃げまとうゴキブリのように、旧態依然に

悪習を実行しているものは葬られる事態があちらこちらで目に見える形で

散見する。

これまでが、圧力が強すぎた世界だったのだ。

人間が人間として生まれ生きることを、足りない者として捉え

ひたすら変革を促すパワハラ世界が正義として横行していた。

それは、原罪という言葉や修行という言葉で、そもそもがマイナスの出発を

設定されてきた。

これに疑いやまやかしに気づきだしたのが、現在であると考える。

 

わたし自身としてこの事態の感触は、正直にいって歓迎している。

これまで生きることが生きづらすぎて、なぜこんなおかしな世界の設定が

まかりとおっているのか、ずっと憤ってきた人間だ。

私は体も弱く、精神も脆弱なため、この圧の強すぎる地球は、

忌み嫌うものだった。

それが、徐々に楽になりつつあることを実感してほっとしている。

 

しかし、これにも副産物がある。私は気づいてしまった。

なにかと言えば、私がこの世に生まれた理由でもある芸術が

その芸術の死をまのあたりにするという事態に居合わせているということだ

 

芸術は、悲しいかなコントラストがないところ、圧がないところには生まれようがないのだ。

例えばターナーの絵を見てみれば、あの鮮烈な光は深い暗闇がなければ光ようがない。

モーツアルトの曲にしろ、なんだってそうなんだ。

コントラストがなければ生まれないのだ。

 

スピリチュアル界では、地球以外の宇宙では、葛藤がすくなく、願望と実現が一体化しているという。

つまりコントラストがないのだ。

 

私は、これで気づいてしまったのだが、地球は、芸術最強なのかもしれない。

わざわざここまでに極端な不自由を設定しているのは、悪趣味であるが、

それは芸術のためでしかない。この地球に生まれ、芸術的にいきないのは、

大いにバカなのだ。つまり安定安全を望んでいる人間は、地球に住む必要はない。

 

この地球は芸術活動を行うアトリエだったのが、そのアトリエの役割を終えようとしている。

芸術は死に絶えていくだろう。既に芸術を知っている者達は気づいている。

もうすでに芸術はなくなっている。

現代アートは、ロマン派の後のポストアートの形をずっと追い続けたが、それは結局

蜃気楼であり砂の城だったのだ。現代アートの混迷は、一重に滅びゆく芸術の幻影を追いかける

空しく悲しい行為でしかなかった。

もう、芸術家は諦めるしかない。

これからも、諦めの悪いものは、ポストアートを探しつづけ、

芸術だと言い張っている綺麗ごとでしかない似非芸術家はコントラストを作れないまま、芸術とはいえないものを流しつづけ、

または、マンガ的なもの~事物のアイコン化と単純化~に見られるこれもコントラストを直視できないものしか

この世界には生まれない。そもそもコントラストがなくなっているのでマンガ的なるものこそ盛況なのだろうが・・・

 

わたしが言っているのが、終末論だと感じるなら、古典の音楽を一曲でも聴いてみればいい

あの旋律は、もう生まれようがないと、簡単に絶望ができる



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