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かずのテント

アウトドアスポーツが大好き!この頃はトレイルランニングに夢中です!

オーストラリアバックパックの旅

2009-02-11 14:35:37 | 青春時代の旅

2月11日
ここのところ、オーストラリアの異常気象の報道が連日ニュースなどで取り上げられている。
今から14年前、1994年の2月末から3月末までの約1ヶ月間オーストラリアをバックパックで旅した。
日雇いのバイトで貯めたわずかな金を握り締めて。
テントやユースホステル、バックパッカーハウスなど、いつもと同じ旅のスタイル。
いつも貧乏旅行。でも楽しいんだなこれが。
ヒッチハイクや、長距離バスを使って・・・
ケアンズ⇒ダーウィン⇒アリススプリング⇒エアーズロック⇒アデレード⇒カンガルー島⇒シドニーと周った。

当時、お世話になったオーストラリアの人々を思う。
洪水、大規模な火事。大丈夫だろうか?

また、いつかこの広い大地を旅してみたい。





バーに行くと最後はいつもこんな感じ、夜は終わりません。





ダーウィンにて。魚がうようよやってくる観光スポットにて。





ユースホステルにて。今回の旅のスタイル。





風の谷のナウシカのモデルにもなったマウントオルガ。





エアーズロックと同じで不思議な岩の塊達。





エアーズロックに登り夜遅くまで星を眺める。





エアーズロックの近くにはキャンプ場もあるので便利。





カンガルー島にある小さな雑貨屋さんで。のどかです。





カンガルー島でテントを張っていると・・・





こんな方々も遊びにやってきます。

 







 

 

 




来年は久々に山登りにでも行くか!

2007-12-13 16:56:38 | 青春時代の旅

12月13日
今日は代休のため休み。
朝から雨なので家の掃除などをして過ごす。
幼稚園に通っている、りっくも弁当が無くなって11:30には帰ってくるので、昼食を一緒に食べる。

さて、ブログもサボり気味なので、何かネタはないものか?と考えた。
そーいえば、つくばマラソンが終わった後の飲み屋でこちゃーりーさんやおーたさんと、登山の話で盛り上がり、来年は、「登山でも行きましょう!」と。

またまた、昔の写真を眺めては、来年の夏が待ち遠しいと思ってしまう。

しかし、北アルプスの上高地から八方の唐松岳までの大縦走を計画したのは今考えると無謀だったな。友人が唐松岳頂上山荘でアルバイトしていたから、そこまで行こうと。
全てテント泊まり。
距離にすると100kmぐらいかな。
結局、烏帽子岳から先の登山道の崩落で、66km地点で下山したんだけど。
大キレットとか、怖かったなぁ。
単独だったし。
19歳の夏でした。

そして、いつか、トランスジャパンアルプスレースに出場してみたい。
これが、トレイルランをやる最終目標かな。



有名な河童橋。ここから長い縦走のスタート。





横尾にて。ここから涸沢へ。70ℓのザック背負ってます。





1989年の涸沢は7月後半だというのにこの雪。冬みたいでした。





今も愛用している、マジックマウンテンのテント。もう20年の付き合い。





北穂高岳に向かう登山道から涸沢カールを写す。最高の眺めです。





北穂高岳山頂。この後ろには、ロッククライマー憧れの滝谷が。





北穂高岳より大キレット、南岳、槍ヶ岳方面を望む。





最大の難所大キレットを超えた。後ろには滝谷、長谷川ピーク、今思い出しても怖い。





ついに憧れの槍ヶ岳へ。山頂は狭いよ~。





槍ヶ岳から双六、三俣蓮華、水晶、野口五郎、いやいやよく歩きました。
















 



 


北海道自転車の旅 1986

2007-11-18 17:39:18 | 青春時代の旅

11月18日
久々の青春時代の旅編。
家を掃除していると出てくる出てくる、昔の写真。
僕が高校2年、16歳の時の旅の写真。今からもう22年も前の話だ。
小学校からボーイスカウトをやっていたせいか、中学時代から冒険的な旅に目覚める。
高校時代には中学からの同級クロエと2週間にも及ぶ北海道自転車の旅に出かけた。一度も宿に泊まらず、全て無人駅やテントを利用し、走行距離は1200kmにもなった。

写真には思い出が沢山詰まっている。
1986年夏。
ルートは、苫小牧から北上しサロベツ原野を抜け、憧れの最北端の地宗谷岬に到達。
そこから南下し、層雲峡、阿寒湖、釧路まで走った。
今は、アスファルトになっているであろうダートの国道を越えたり、今は廃線になってしまった無人駅にも泊まった。

今、昭和の時代の懐かしさにホッとする時がある。
この時は金も無く、パンの耳やご飯に缶詰で走り周っていた。
でも、旅先では沢山の地元の方のお世話になり、夕食をごちそうになったりした。

だから、今でも人との出会いを大切にしている。

今でも、『フラッ』と放浪の旅に出たくなってしまうのは、そのときの思い出が強烈だからだろうな。




峠を越えて一休み。





国道275号線。美深町のダートを越える。あまりの辛さに道路にパンチ!





時には川原でキャンプ。





時には無人駅泊。ここは下沼駅。ライダーも一緒に泊まる。今もあるのかなぁ。





憧れの日本最北端の地。ここまで自分の力で来れた事に感動。





美幌峠  しかし、峠越えは辛いなぁ。この頃からやはり『ドM』だな。





でも・・・この景色。この先には何があるのか?



 


マレーシア放浪、キナバル山登頂

2006-05-13 23:12:22 | 青春時代の旅

東南アジアへ

今回日本で行われる、スカイランナーワールドシリーズ第4戦「OSJおんたけスカイレース」の最終戦が行われるキナバル山に今から15年前に登頂しました。
ニュージーランドからの帰国の途中マレーシアに1ヶ月滞在。
マレーシアのペナン島で格安航空券を買い、ボルネオ島に渡りました。
その時の旅を日記からたどりたいと思います。


マレーシア入国

初めてやってきた東南アジア。
ニュージーランドを出国した時、オークランドはもう初冬を迎えていました。
1992年6月11日マレーシアの首都クワラルンプール国際空港に降り立ちました。
空港を出るとものすごく暑い。「じとっ」とした風が体に巻きつく感じです。
寒い所から熱帯にやってきたものだから、体が少し変です。
約70ℓのザックを背負っているのですでに汗だくです。
それを見たからかタクシーの運ちゃんが群がってきます。
「だんな!だんな!ホテル行くよ!」
「えっ!に、日本語?」
どこで覚えたんだ?
ぼったくられて、法外な料金を請求されるのも嫌なので、「NO!NO!」
乗り合いバスで街まで行くことに。
時間は既に夜8時30分。
「地球の歩き方」を読みながらバス停を探します。
幸いなことに、ほとんどのバスが街まで行くようなので「ホッ」とします。

今日から数日間ユースホステルに泊まって、観光、キナバル山の情報収集がしたかったので夜遅い時間だったが迷わずユースホステルに直行!
クワラルンプールユースホステル(今もあるかなぁ)はセントラルマーケットのすぐ近くにありました。
夜の到着にもかかわらず、受付はまだやっていました。
とりあえず、3泊の申し込みをしました。18マレーシアドルなり。
当時のレートは1マレーシアドル(リンギット)=約50円だったので900円なり!1泊300円です。や、安い!
部屋は2段ベットが20個ぐらいある相部屋で、ドイツ、イギリスなどヨーロッパのバックパッカーが多いみたいです。

           クワラルンプールユースホステルにて  猿岩石みたい・・・

でも、衛生的には、あまり良くなく僕は、南京虫やダニなどに刺されました。
まあ、寝られればいい!みたいなところがありましたので特に気にもしませんでした。
ただ、安いだけあってクーラーなんかはありません。
扇風機が一台か二台回っているぐらいです。
とにかく、夜は暑くてなかなか眠れませんでした。
それに、夜は遅くまでユースホステルの下の道路でなんだか訳の分からない歌を若い兄ちゃんがダミ声で毎夜歌っているので、それも安眠を妨げました。今思うと懐かしいですが・・・(笑)

マレーシアは中国人、インド人、マレーシア人の多民族国家です。
その為、そこかしこで各国のおいしい料理が安く食べられるのは嬉しかったです。
ユースホステルの同じビルの1階はインド人が経営している料理屋でしたので、毎朝そこで朝食を取っていました。
ロティという薄く焼いたナンにカレーをつけて食べるのですが、これがうまかったです。それにそれと甘い~アイスティーを頼んで1マレーシアドル!約50円です!

街を歩いて店に入ったりすると不思議なことがありました。
店の天井に目をやると大きな矢印があるのです。
そうです、マレーシアではイスラム教の人達が多いので1日に何回かのお祈りがあるらしくメッカの方角が分かるようになっているらしいのです。

             このようなモスクと呼ばれる建物が沢山あります。

ボルネオ島に渡るために格安航空券を探していたが、クワラルンプールではどうも高い。
そこで、ヨーロッパのバックパッカーがタイなどへ行くために格安航空券を手に入れるペナン島へ行くことにしました。
運よくペナン島でボルネオ島に渡る格安航空券を手に入れ、いよいよキナバル山への準備が整いました。


キナバル山へ

ボルネオ島のコタキナバルにやってきました。
着いてすぐにサバ国立公園事務所に行き、ガイドと山小屋を予約しました。
ガイドは登山者4人に1人付くようで、4人集まればガイド料を割勘できるのだが、事務所にいたヨーロッパ人の数人に声をかけたが皆、既に4人のグループになっています。仕方ない寂しいがガイドの人との2人で登ることに。
この日は、近くの安宿に泊まりました。

翌日、コタキナバルからバスでキナバル国立公園事務所に向かいます。
バスで約2時間かかります。
乗っている人は現地の人が多く僕のような登山者は乗っていない。
現地の人はどう思うんだろう。
何もないところにお金を払って山登りに行く僕らを・・・
でも、どうも日本人のDNAの中に山岳信仰みたいなのがあるのかな?
高いところに登りたい!ご来光を拝みたい!みたいな。
バスは途中、日本でいう茶店みたいのに寄りながら登っていきます。
コタキナバルを出発してから約2時間、キナバル国立公園ゲートが見えてきました。
ここでバスを降り国立公園事務所に向かいます。
昨日予約した時に受け取った予約書を事務の方に見せます。
今日の宿とガイドの名前を教えられ、「明日の朝、7時にまたここに来てください。」と事務の方に言われ今日の宿に向かいます。
宿はキッチンとベットがあるロッジ風の建物。夕飯は自炊です。コタキナバルの店で買ったインスタントラーメンを作ります。
宿はやっぱりヨーロッパ人が多い。ラーメンを作っていると、いろいろと話しかけられて皆で食事をすることに。果物などを沢山いただきました。
夜も遅くまでトランプをしたり、旅の話をしたり。いいな旅人って。


朝、6時起床。
キッチンでまたもインスタントラーメンを作り、急いでかき込みます。
公園事務所に行き、ガイドの人を待ちます。
僕のガイドを務めてくれるのは、ガイド歴9年の大ベテランの方、日記に名前を書いてなかったのが残念。
朝7時半、ガイドの方と一緒に出発。
出発ゲートをくぐる、いよいよ登山の始まりです。
この辺りはまだ熱帯のジャングルといった感じです。
ジャングルに切り開いた階段のようなトレイルを歩いていきます。
歩き始めて2時間ぐらいたったころでしょうか、ガイドの人が「面白いもの見せてあげるよ!」と言ってトレイルから外れてケモノ道のようなところを歩いていきます。
何があるのでしょうか?
ガイドの方の指差す方向に奇妙な形の物が・・・
それは、巨大な食虫植物『ウツボカズラ』でした。日本でも花屋で見たことはありましたが、ここのは巨大でした。中を覗くと虫が沢山入っていました。ここのは地面近くに生える種類のようでよく見ると大きなクモも入っていました。

歩き始めて4時間、ラバンラタレストハウスに到着しました。
ここで、チャーハンと紅茶の昼食。

           ラバンラタレストハウス  既に森林限界域です。

昼食後、今日の山小屋に移動します。
山小屋はパナールラバン小屋という小さな山小屋で二段ベットが3つばかりある部屋に、アメリカ人のカップルと一緒に泊まりました。
荷物を置いてくつろいでいると、ガイドの方が来て、「これから少し山に登るよ!」と。
何でも、高度順応らしく小屋から30分程登って、一気に降りると高山病予防になるらしいです。
慌しく出発。
確かに、頭痛がしてきた。ムカムカしてきた!30分程、ガイドの方と登って、小屋まで戻ると頭痛がうそのように消えました!
ガイドの方が「明日、朝3時に出発だからね!」といって小屋を出ていきました。
疲れもあったのか、すぐ横になりいつの間にか寝てしまいました。
何時間寝たでしょうか?ものすごい頭の痛みで目が覚めました。
時間は夕方6時、夕飯を作る時間ですが、そんな気力もありません。
痛みと吐き気でのたうちまわっていると、アメリカ人の女の人が「アスピリンあるけど飲む?」と言ってくれましので、ありがたくいただくことに。
それを飲んで、又寝ました。


ついに東南アジア最高峰へ

1992年6月22日午前2時、アメリカ人のカップルのアラームで目が覚めました。
アスピリンが効いたのか、ぐっすり眠ることができました。
夕飯を食べないで寝たので腹がグーグー鳴ります。
キッチンでラーメンを作り、アメリカ人の方からフランスパンをいただき豪華な朝食。
頭の痛みも消え、体調もいいようです。
2時50分、ガイドの方が迎えにきてくれました。
頭にヘッドランプ、オーバーキャップをかぶり午前3時出発。
空には満点の星空。
しかし、寒み~い!手袋を持ってこなかったのは痛い。手がかじかんで急な岩場のロープがうまく掴めません。
ガイドの方に手を引っ張ってもらい登っていきます。
上の方を見ると沢山の懐中電灯の明かりがチラチラ。
高校時代に富士山を登った時を思い出します。
登り始めて1時間、なんとここで再び高山病の症状が!
ガイドの方は、「とにかく沢山水を飲みなさい!」と言います。
再び、アメリカ人の方にいただいたアスピリンを服用。
20分の大休止です。
頭の痛み、吐き気、だるさ、もう最悪です。
症状は治まりませんが出発。
ガイドの方が、「山頂まであと1時間30分ぐらいだから、頑張れ!」と励ましてくれます。
この辺りから途中の記憶はほとんどありません。
ひたすら下を向いて、「おえーっ。」「おえーっ!」と吐き気を我慢しながら登ります。
そして、ついに・・・・・!

午前5時50分東南アジア最高峰のローズピーク4,095mに登頂しました!
やりました!

                  もうフラフラで岩にもたれかかるようにパチリ!

            山頂に到達した人々。皆うれしいよね!苦しかったから!

そして、徐々に空が明るくなってきました。
太陽が登ってきます。高山病も幾分和らぐような太陽の力に驚きます。
一気に体が温かくなります。
そして、下山に入ります。
下山は早く降りれます。
頭の痛み、吐き気もラバンラタレストハウスに着く頃にはすっかり良くなりました。
樹林帯に戻ってくる、そろそろガイドの方と別れなければなりません。
彼といろいろ英語で喋りながら降りていきます。
笑うと口の中が噛みタバコで真っ赤だったな。
そして、公園事務所まで戻ってきました。
ガイドの方と握手して別れました。


そして、バスに乗り再びコタキナバルへ戻りました。
翌日には、飛行機でクワラルンプールへ戻り再びユースホステルへ。
忙しいキナバル山の旅だったけど楽しかったな。
きっと今でも、あのガイドの方は、沢山の登山者を案内しているんだろうな。


いつか、また登りに行こう!
そんな、温かみのある旅でした!


ニュージーランド自転車の旅

2006-05-07 18:15:41 | 青春時代の旅

懐かしい~

5月3日、実家に帰った際、今から15年程前にニュージーランドをワーキングホリデーで旅していた頃の写真やネガ、日記などがどっさり見つかりました。

母は、「ネガや古い写真は捨てたわよ。」と言っていたので、見つかった時は嬉しかったです。

当時の日記を読み返す。「ああ、毎日こんな事を考えていたのか?」若かったんだなぁ。

ワーキングホリデーでは3ヶ月間南島のクライストチャーチの英語学校に通い、その後、テントや寝袋をマウンテンバイクに積んで1ヶ月間の南島自転車旅行、4ヶ月間南島のリッチモンドという小さな町でフルーツピッキングのアルバイト、ニュージーランドには11ヶ月滞在しました。

日本への帰路、マレーシア、ボルネオ島、シンガポールを1ヶ月旅して日本に帰国しました。

今から15年も前の話なので、現在の旅の参考にはならないかもしれませんが、これから海外を旅する人達のきっかけになればと思い、『青春時代の旅』としてブログに紹介したいと思います。

ニュージーランド南島自転車の旅

ニュージーランドにやってきて3ヶ月たった頃、やっと少しづつ英語が分かるようになってきたので思い切って1ヶ月間の自転車旅行に出かける事にしました。

お金がなかったので、テントでの寝泊りをメインにしました。

15年前僕がニュージーランドを旅した頃はとても治安がよく全く不安はありませんでした。

1ヶ月間の旅の中で何度、ニュージーランドの人々に助けられたことでしょうか。

15年たった今でも当時お世話になった方々とは交流が続いており、僕の両親、かみさんの両親、みーおもニュージーランドの家庭に滞在させてもらい温かく迎えてくれます。

 

クライストチャーチ出発

 

この旅のルートは、クライストチャーチを出発して→テカポ湖→マウントクック→クイーンズタウン→インバカーギル→スチュワート島→ダニーデン→クライストチャーチ

というのが大まかなコースです。

クライストチャーチの中心部から20kmも走ると、もう辺りは牧場です。道もひたすら真っすぐです。

テカポ湖、マウントクック、クイーンズタウンとどこも景色が綺麗でただただ圧倒されました。

キャンプ場もとても清潔でキッチン、シャワーがあるので何日も滞在したいくらいです。

          こんな荷物で走ってました。どこまでいってもこんな風景が

           続きます。広さにやられます。

            テカポ湖畔に建つ有名な『善き羊飼いの教会』の前にて

            テカポ湖にあるキャンプ場です。とてもいいキャンプ場だったなぁ。

 

            マウントクックまであと少し!景色は最高です。

    

            マウントクックのフッカー氷河です。氷河湖の水に触りました。

             バンジージャンプ飛びました!いい思い出です。

 

クイーンズタウンからインバカーギルまで走り、船に乗りスチュワート島にも行きました。

野生のキーウィが見られるとかで2泊3日のトレッキングに行きました。しかし、キーウィは見られず、残念でした。

           スチュワート島でキーウィの出現を待つ人々。でも声は聞こえた!

スチュワート島を後にし、その後はダニーデンを経由しクライストチャーチに無事到着。

走行距離は約1000km。英語にかなりの自信がつきこの後農場で働くことを決めました。

これからも、過去の旅を紹介していきますのでよろしくお願いします。