歴史薫るまちへの散歩!

歴史を感じるまちへ、散歩に出かけた時の内容を、書き留めています。

木津川(沈下橋・流れ橋)

2021年09月03日 | 日記

今回、三重県青山高原を水源とし、三重県から京都府を流れる約89kmの一級河川、木津川の 沈下橋と流れ橋に行って来ました。        
         
          
大河原橋          
  京都府相楽郡の木津川に架かる橋で、「恋路橋」とも呼ばれている増水時に水没して隠れるユニークな沈下橋です。          
  正式な名称は「大河原橋」と言います。 手すりおよび落下防止の欄干も有りませんが、自動車の通行は出来るようです。          
            
  最寄りの駅はJR関西線大河原駅があります。 天王寺駅から加茂駅そして亀山駅方面は1時間に 1本しか有りませんがワンマンカーの気動車が平日であり一両でした。 休日には二両編成になるのでしょうか?        
             
        
          
  日本の沈下橋は全国に約400か所以上あり、とりわけ有名なのが四万十川(高知県)に架かる橋が あります、近年、各橋からの転落事故が多く見受けられ          
 永久橋に架け替えられ徐々に姿を消して行く様です。          
    

    

案内板が有ります

 

  下流から見た恋路橋

       恋路橋を渡れば恋志谷神社

南山城村役場のHPのスポット紹介です

      
   恋志谷神社~恋路橋    鎌倉末期、幕府と対立し信貴山に難を逃れるために身をよせていた後醍醐天皇。          
 後醍醐天皇を慕うある高位の女官が天皇の身を案じ遠く伊勢から療養の身にもかかわらず駆け付けました。が、時すでに遅し・・・天皇は追ってから逃れる             ために、笠置山 を発った後。 女官はとうとう自害してしまいます。 そして、「天皇のことを案じ、恋焦がれ、病に苦しむような辛いことは自分一人                で充分。      
             
 人々の守り神 になりたい」と遺言されたと言うことです。これを哀れんだ人々が祠を建て祀ったのが 「恋志谷神社」の始まりだと伝えられています。                
         
 最後まで「天皇が恋しい、恋しい」と言い続け  ていたところから、いつしか親しみを込めて「恋志谷さん」と呼ばれる様になりました。           
 「恋志谷さん」へ通じる恋路橋を歩いて渡ってお参りすると、願い事がよく叶うとか。          

 

 

 流れ橋   
    
京都府久瀬郡久御山町と京都府八幡市上津屋里垣内を結ぶ、木津川に掛けられた木橋です。    
川が増水すると橋桁が流される構造を持つ流れ橋です。 このことから流れ橋あるいは木津川流れ橋    
八幡流れ橋と呼ばれることがあります。    この橋が上津屋橋です。
上津屋橋は歩行者の専用橋となっており、周辺住民の生活道路の一部として利用されています。    
手すりおよび落下防止となる欄干は無く、木津川が増水した場合、固定されていない橋板が橋脚の上から流される構造になっており、    
ワイヤーロープで繋がれて載っているだけで、水が引いたあとは、ワイヤーロープを手繰り寄せて橋板を基に戻す仕組みになっています。    
    
江戸時代から明治時代の中頃まで、川の両岸地域が上津屋村という一つの農村であったことから、住民は渡し船で木津川を頻繁に往来していました。    
また、石清水八幡宮への参拝者も渡し船を利用していました。 渡し船での渡河は利便性が悪かったことから、少ない予算で架橋できる流れ橋を架けたのが    
上津屋橋の始まりだそうです。    
1953年に渡し船の置き換えとして完成してから2016年までの間におおよそ3年に1回程度流されています。    
上津屋橋周辺は主に茶畑として利用されており、民家や電柱が無く、近代的な橋とは異なるため時代劇の撮影が盛んに行われていた様です。    
   

    

     上津屋橋標 

  

   注意書き看板

 手前は茶畑であり人の往来が盛んです