歴史薫るまちへの散歩!

歴史を感じるまちへ、散歩に出かけた時の内容を、書き留めています。

天空の聖地高野山

2018年06月10日 | 日記

      高野山

1200年の時を感じる天空の聖地、高野山を久しぶりに、公共機関を使用したツアーに参加し、一部分ですが大変感動しましたのでアップしました。

 大阪なんばから和歌山県橋本まで南海急行電車、観光列車「天空」を利用してケーブルカーで山上駅に、そこから「りんかんバス」のフリー切符を利用し、帰路は特急「こうや」を利用した弘法大師・空海が開いた、日本を代表する真言密教の聖地を巡る旅です。

 弘法大師によって開かれた真言宗は、東寺や高野山 を中心に広められます。  その後、平安の末期に 興教大師  覚鑁上人(かくばんしょうにん)  によってさらに新しい力が吹き込まれると、紀州に根来寺  が創建されました。覚鑁上人が眠る根来寺(ねごろじ)に、高野山奥の院に類似した造りのご廟所が有ります。 これらについては、以前のプログにアップしています。

 ・大門(重要文化財)

高野山の盆地の西端にあたり高野山の西の入り口の正門であります。入母屋造り、銅瓦葺の楼門であります。

大門は1688年(元禄元年)に炎上し1705年(宝永2年)に落慶しました。

それが今の門です。昭和57、8、9年に解体修理されました。 

 

  

  

・蛇腹道(じゃばらみち)

 金剛峯寺(こんごうぶじ)前から檀上伽藍(だんじょうがらん)に至る入り口に、高野山を龍に見立てると、この道が龍の腹に当たることからこの名があります。

 

 

檀上伽藍(檀場伽藍)(世界遺産)

檀場とは曼荼羅の道場の意味。 高野山の二大聖地のひとつ。

弘法大師が真言密教の根本道場を開くにあたり最初に整備に着手した場所です。

境内には根本大塔(こんぽんだいとう)、金堂など19の建造物が立ち並びます。

 

・中門

2015年(平成27年)4月2日に落慶。172年振りの再建で有ります。

焼失前には持国天・多聞天の二天像が安置されていました。

 

 

・金堂

1926年(昭和元年)に焼失後、1934年(昭和9年)に再建された鉄筋コンクリート造り、

屋根は入母屋造りの建築で8代目になります。

 

 

明神社(重要文化財)

1594年(文禄3年)再建されました。御社」(みやしろ)とも言われています。重要文化財指定名称は

「山王院本殿」であります。 弘法大師・空海が、819年(弘仁10年)に山麓の丹生都比売神社

(にうつひめじんじゃ)(天野社)から地主神として勧請、高野山の鎮守としています。

高野山の神仏習合の象徴です。

 

 

・西塔(重要文化財)

根本大塔とは対照的に、金剛界大日如来像と胎蔵四仏が安置されています。

現在の塔は5代目で1834年(天保5年)の再建であります。

 

 

・三鈷の松

806年(大同元年)弘法大師が唐から帰国される際、日本で密教を広めるのにふさわしい聖地を求めて、

明州の港から密教法具である「三鈷杵」を投げました。 帰国後、その三鈷杵を探し求めると、この松の木に

架かっていました。 こうして高野山は、真言密教の道場として開かれる事となりました。

以降、この松の木は「三鈷の松」として、広く信仰を集めています。

    (音声ガイドより)

・根本大塔

金堂の右後方にある多宝塔。

1937年(昭和12年)空海入定、1,100年を記念して再建されたものです。

真言密教の根本道場のシンボルとして建てられました。

 

 

・大塔の鐘

大桐鐘「高野四郎」を吊る鉄筋コンクリートの鐘楼です。

高野四郎は1618年(元和4年)に福島正則が母の菩提を伴うために鋳造したもので有ります。

 

 

 

奥之院参道

奥之院の参道に沿って並ぶ石塔の数は20万基を超えると言われ、皇族から名もない人々まで、

あらゆる階層の人々が競ってここに墓碑を建立しました。 

古今の様々な人物の墓碑や、関東大震災・阪神淡路大震災・東日本大震災などの大規模な自然災害の犠牲者、

太平洋の戦没者らを慰霊するための供養碑・供養塔があります。

 総本山金剛峯寺(世界遺産)

檀上伽藍の東北方にあります。

1869年(明治2年)、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である、青巌寺と興山寺(廃寺)を合併し、

金剛峯寺と改称されました。 「金剛峯寺」の寺号は空海が名付けたものです。

 

 

奥之院(世界遺産)

寺院群の東端にある一の橋から中の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道沿いに無数の石塔が

立ち並びます。 御廟橋を渡ると空海入定の地とされる奥之院があります。

一番奥には空海が今も瞑想しているとされる御廟があります。 空海は62歳の時、座禅を組み、手には

大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥の院で生きていると信じる人も多くいます。

「死去」・「入寂」などとは言わず入定というのは、そのためであります。

 

・御廟

空海が入定された地。 御廟の裏側、北西の壁面の下部には直径20cm の穴が設けられています。

衆生救済のために、各地に顕現される空海の御廟の出入り口とされています。

・灯籠堂

現在のは1964年(昭和39年)建立。 消えずの火と全国から奉納された灯籠が灯り、

廻向や祈祷をしてもらえます。また、地下には入定する空海のいちばん近くまで行ける法場があります。

そして、灯籠堂の裏側中央には御廟を参拝する場所あり、ここに来たすべての人々はここで祈りを捧げ読経

します。

 

・御廟の橋

玉川にかかる橋です。弘法大師信仰の中心聖地であり、御廟橋より先は聖域であり、写真撮影は禁止、

橋の手前で服装を正し、脱帽・一礼して渡る事がしきたりとなっています。

 

 

・六時の鐘

金剛峯寺の西側に位置するこの鐘楼は、福島正則公が父母の追福菩提(ついふくぼだい)を祈って、

1618年(元和4年)に建立されたものです。

現在でも午前6時~午後10時まで偶数時に時刻を知らせています。

   (和歌山県高野山観光ナビより)

 

・新 緑

 あまりにも美しいと感じシャッターを切りました。

・高野槙

 高野山を中心に仏に供える花の代用として用いられており、名前もこれに由来します。

 2006年(平成18年)9月6日に誕生された秋篠宮家悠仁親王の御印でもあります。

・御朱印

    

 

まだ、参拝出来ていない寺院等はまたの機会に訪れたいと思います。

・女人堂

高野山は古来から女人禁制の場所で知られ、女性の信徒がこの女人堂へこもり、

現在の「弘法大師御廟」へ向かい、祈りを捧げました。

・徳川家霊台(とくがわけれいだい)

 1643年(寛永20年)三大将軍家光が建立しました江戸時代の代表的な建築物です。

・蓮華定院(れんげじょういん)

  真田家の菩提寺。

・苅萱堂(かるかやどう)

  苅萱道心と石道丸の秘話が伝わるお堂。

・金剛三昧院(こんごうざんまいいん)

  尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立された寺院。