歴史薫るまちへの散歩!

歴史を感じるまちへ、散歩に出かけた時の内容を、書き留めています。

京都洛西を歩く

2018年04月08日 | 日記

 

今回は、京都洛西の世界遺産を巡ってみます。               

多くの外国観光客がみられます。  観光ポイントによっては大変混雑していて、人の映らない写真を撮るのに大変なくらいでした。

 

きぬかけの路

以前は、観光道路と呼ばれていましたが、平成3年「きぬかけの路推進協議会」が発起人となり愛称を公募。その結果、宇多天皇が真夏に雪見をするために、衣笠山(別名きぬかけ山)に絹を掛けたと伝えられる故事にちなみ「きぬかけの路」と命名されました。 衣笠山のふもとに沿って、金閣寺から始まり石庭で有名な龍安寺を経て御室の仁和寺に至り嵯峨野、嵐山へと続く道です。

金閣寺からは、きぬかけの路を歩いて龍安寺に向かいましたが、途中の立命館大学衣笠キャンバス前からはなだらかな上り坂で龍安寺近くからは下り坂になっていました。  道路は観光バス・タクシー・自家用車の往来が多くあり、余り情緒が無いように感じながら、細い歩道を20分ほど歩きました。

そこからは、同じく徒歩にて仁和寺・蓮華寺・妙心寺を訪ねました。

 

★世界遺産 金閣寺(きんかくじ)

 

  アニメ一休さんの「将軍さま」こと、室町幕府3代将軍 足利義満が1398年に建てたお釈迦様の舎利(遺骨)を祀った舎利殿「金閣」が特に知られ、金閣寺と呼ばれています、正しくは「鹿苑寺」と言い、臨済宗相国寺の禅宗で、室町時代を代表する建築の一つであります。

金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したといわれ後小松天皇(一休禅師の父)をお招きされた様です。  当時は京都御苑に四敵する敷地があり、日本の政治機能が集約されていました。  昭和25年(1950年)に放火により焼失し、昭和30年(1955年)に再建されました。

 西の衣笠山を借景とした庭園は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で国の特別史跡および特別名勝に指定されています。

  鹿苑寺全景

 

  

  金閣寺ー入苑券

  

   金閣寺ー御朱印

★世界遺産 龍安寺(りょうあんじ)

 徳大寺家の別荘だったのを宝徳2年(1450年)室町幕府の有力者であった細川勝元が譲り受けて寺地とし、

妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を開山として創建された禅寺。

 応仁の乱にて焼失して、明応8年(1499年)、勝元の子政元が再興し最盛時には、塔頭を二十三ほど数えるほど栄えた。

 しかし、寛政9年(1797年)火災で方丈・仏殿・開山堂などを失った。  

 現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したもので、前庭は枯山水の石庭として著名で臨済宗妙心寺派に属し、

 大雲山と号し禅苑の名刹であります。

 今では枯山水の石庭で世界的に知られていますが、ここまで有名になったのは1975年に英国エリザベス2世が龍安寺を

 公式訪問した際に石庭を称賛したのがきっかけです。

 当時のブームの後押しもあって世界的にブレイクしました。

 

       鏡容池  

徳大寺家によって作られたものです。

    龍安寺ー御朱印

★世界遺産 仁和寺(にんなじ)

 平安時代、第58代光孝天皇が西山御願寺として着工されたのに始まります。 

仁和4年(888年)に第59代宇多天皇によって創建。 御室御所(おむろごしょ)という別名の通り皇室と縁が深く、

明治期まで皇族が住職を務めた格式高い寺院です。  その面影を残す「御殿」の宮廷風建築は一番の見どころ。

 霊明殿(れいめいでん)は、御殿内の唯一の仏堂で、仁和寺歴代門跡の尊碑が安置されていて明治43年(1910年)起工翌年竣工しました。

 本尊は「薬師如来坐像」、秘仏で有ったため実態が不明でしたが、昭和63年(1988年)の調査で貴重なもので有ることがわかり平成元年6月

 に重要文化財に指定つづいて翌年6月には国宝に指定されました。

 京都一の遅咲きと言われる仁和寺の御室桜(おむろさくら)は4月中旬から下旬が見ごろ。 紅葉の名所としても有名です。 

 真言宗御室派の総本山で有ります。

 

 

      二王門  

縦横文化財 仁和寺の正面に建つ巨大な門、門正面には阿吽の二王像、背面には唐獅子像が安置されています。 

   白書院より南庭を望む

   宸殿より北庭を望む  

  上層から下層にかけて各層にあまり差がみられない姿が特徴の五重塔(重要文化財)がみられます。

    仁和寺 桜    満開でした

     仁和寺ー御朱印

 

★妙心寺(みょうしんじ)

  臨済宗妙心寺派3400寺の総本山にして日本最大の禅寺。 山内は、石畳で結ばれた一つの寺町を形作っており、

 46もの塔頭があります。その寺院の中でも退蔵院は、今から600年以上前、応永11年(1404年)に建立された山内指折りの古刹です。

 方丈(本堂)には、当院開祖である無因宗因禅師(妙心寺大三世)がお祀りされています。

 方丈の庭園は、狩野元信の作として世に知られ、室町時代を代表する枯山水庭園で、三尊石・亀石などの配置がなされている。  

 大徳寺と並び修行と戒律を重んじる硬派な禅寺として知られ、托鉢修行に励む雲水さんの姿を見ることができます。 

 もとは第95代花園天皇の離宮であったが、出家にあたって1337年に禅寺に改められました。

 法堂天井の雲龍図、通称「八方にらみの龍」は狩野探幽が8年かけて描きあげた大作があります。

今回は、時間の都合にて鑑賞することができませんでした。

 

    妙心寺ー山門

     妙心寺ーしだれ桜

  

  寺宝の瓢鮎図(ひょうねんず)(国宝)は我が国水墨画の祖とされる如拙の筆で、室町時代の代表作といわれる貴重な作品であります。

 

  応仁の乱後、1597年に再建された方丈(本堂) 禅と剣の道には精神的な共通点があり、江戸時代には、

剣豪・宮本武蔵も修行に励んだと伝わっています

室町期の画聖・狩野元信が作庭した枯山水庭園

白砂と石組で表現された禅庭の観念的な世界を醸し出しています

  

  妙心寺山内退蔵院ー御朱印

★五智蓮華寺(ごちざんれんげじ)

 仁和寺の東側に隣接しています。 

1057年藤原康基が、後冷泉天皇の御願により建立。その後、応仁の乱の兵火にあい、長い間荒廃が続いたが、

1641年江戸の豪商樋口平太夫家次翁により伽藍堂宇が再建され、仁和寺の宮覚深法親王より改めて五智山蓮華寺の号が授けられました。 

真言宗御室派の別格本山。

近畿三十六不動尊霊場の第十五番目にあたります。

 

   

 現在の石仏は、五智不動尊の千余年の永きにわたり弘法大師初願のお守り不動としてその霊威を発揮し、今日まで

 脈絡として広く信仰を集めています。

 五智如来とは、五大如来とも呼び、大日如来を中心とし、宇宙そのものを象徴したもので、太陽のごとく万物を慈しみ、

 知恵と五穀豊穣の功徳を表しています。

大日如来を中心に、左から釈迦如来・阿弥陀仏如来、右から薬師如来、宝生如来の石仏が並んでいます。

    

 

       五智山蓮華寺ー御朱印

 

★★ 次回は京都東山を廻る予定です!


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