チハルだより

絵本・童話作家 北川チハル WEBSITE

追想片々 年中行事

2013-07-04 | エッセイ

 
 春、花に触れ。

 夏、雲を見上げ。

 秋、木の実(このみ)を拾い。

 冬、鳥を追いかけた。

 幼いわたしは、近所の友と野をかけまわり、虫や蛙と戯れた。けれど、家族とともに年中行事によく触れた記憶はない。何事につけ、あっさりを好む家だったから。

 ひな人形は、五歳の引越しで行方知れず。迎え火も初詣も余所様のこと。お月見は、いつするものなのか知らなかった。それでもわたしは、好きなときに月を見た。お供えのかわりに、心から語りかける自分の言葉を知っていた。

 小学校にあがり、一冊の本に出会った。講談社の幼年文庫『たのしい行事 春・夏・秋・冬』(西本鶏介/著 中村千尋・中村美幸/絵)。低学年向けに年中行事を紹介する読み物。まるで、おとぎ話を読んでいるようだった。憧れた。と同時に、年中行事の感覚を肌に持たない自分が根無し草のように思われた。心許なさに襲われた。

 やがて、わたしは保育士になった。初勤務は3歳児一八人のクラス担任。園の年間指導計画をもとに月案、週案を練る。

 指導計画は、当時厚生省が定めた保育所保育指針の5領域に記される「ねらい」を視点に作成された。5領域とは、こどもの発達の側面をみるために設定されたもの。「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」から成る。ただし3歳未満児は、発達の特性から各領域を明確に区分することが難しい。そのため一括されており、「環境」の領域にある年中行事は、3歳児の保育内容ではじめて言及された。「行事に参加して、喜んだり楽しんだりする」という一文。

 喜んだり楽しんだりしたのは、わたしも同じ。先輩保育士が語る行事の由来をこどもたちといっしょに目をまるくして聞いていた。活動には、胸をときめかせて参加した。こどもと同じ位置に立つことは、保育士として、ふさわしくない場合もあるだろう。ただ、感動をこどもたちと分かちあえる喜びは大きかった。

 わたしも由来を伝えられる大人になろう。そう思い、年中行事の本を読んだ。3歳の心に届く言葉を探した。

 七夕祭りには、こどもたちが浴衣を持って登園した。保育室で浴衣をきれいに着せてあげたくて、わたしは着付教室に通った。茶や花も、こどもたちと楽しむために習った。

 もちろんクラスには、活動を楽しまない子もあった。

 運動会ヤダ、餅つきしない、母の日のお絵かきなんかしたくない……。K君がそうだった。二年目に受け持ったクラスの4歳の男の子。五月、「母の日」に贈るお母さんの顔を描こうとはしなかった。

 わたしの配属園では園長の方針で、「さあ、みんな一斉に」という活動は少なかった。給食、昼寝など決まった時間以外、こどもたちは自由に遊ぶ。そのなかで保育士は、指導計画に基づく「ねらい」を念頭に活動を準備して、環境を整える。こどもたちそれぞれが、自ら「やってみたい」「やりたい」と思えるような場(コーナー)作りを心がけ、消極的な子には、ひとりひとり、様子を見ながら声かけをする。参加まで時間のかかる子もいるため、活動の期間は余裕を持って数週間程度設けられた。

 ところがK君は、いつまでたっても活動に参加しようとする気配がない。

 ある日、声をかけてみた。するとK君は、意外にも自分からクレヨンを持ってきてコーナーのいすに腰掛けた。

 けれど、目の前の画用紙を見ようとはしない。魂が抜けたようにぼうっとしているだけだ。どうやら頭では、「絵を描くほうがよい」と思っているが、心や体が「描きたくない」と静かに叫んでいる様子。

「K君のお母さん、いま、なにしてるかな?」

 わたしが聞くと、K君の表情が、とたんに明るくなった。

「おそうじしてるよ。あ、おかいものかも!」

 お母さんのことをつぎからつぎへと話すK君を見て、わたしは思ったのだ。画用紙は真っ白ながら、K君の心には、しっかりとお母さんの顔が描いてある、と。

 このことをわたしはそのまま、K君のお母さんに伝えた。お母さんは、K君を抱きしめた。

「Kは頑固で、みんなと同じことが何故できないのかと思っていたけれど、先生の話を聞いてほっとした」

 K君は、わたしに教えてくれた。ほんとうに大切なことは、カタチに縛られるものではない。「行事に参加して、喜んだり楽しんだり」できなくたっていいのだ。その子の心が輝いているのなら。

 年中行事とは、人を愛し自然や文化を愛する心から生まれてきたのだと思う。だからとても寛容だ。その意味や由来を知る人知らぬ人、分け隔てなく暦とともに毎年めぐってきてくれる。その日を忘れた人のもとにさえ。


■児童文芸 2013.4-5月号 特集「年中行事を楽しもう!」より 発行:(社)日本児童文芸家協会


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NEW イベント情報! | トップ | 第49回 えほんのひろば »
最新の画像もっと見る

エッセイ」カテゴリの最新記事