【メモ】何時抜錨すべきやも知れざれば【メモ】

日韓共催2002サッカーワールドカップの頃の出来事。主に朝鮮日報、中央日報web版のスクラップ。 since 2001

(020707)朝鮮日報 ヒディング

2002年07月07日 | Weblog


韓国を離れたヒディンク前監督単独インタビュー

 6日夕、宿所のハイアットホテルで朝鮮日報と韓国を離れる前の最後のインタビューを行ったヒディンク前監督は、濃い紺色のシャツにカジュアルな服装だった。彼は「ワールドカップ(W杯)以降、1日20分ずつスケジュールをこなしているため、非常に忙しかった」とし、「インタビューは10分だけで終わらせよう」としながら、腕時計まで外してテーブルの上に置いた。

 しかし、いざインタビューが始まると、彼の目は輝き始めた。話したいことが多かったかのように、1時間近くも心の中を全て打ち明けた。彼は、「2年後、再び韓国代表チームの監督を受け持つのか」という質問に対し、即答は避けたものの、「いかなる形であれ、韓国チームを支援する」とし、可能性を残した。

-W杯以降、各種のインタビューで韓国を離れたくないように話していたが。

「事実、本当に韓国を好きになった。私の本心は韓国を離れたくない。しかし、この先2年間、韓国で私が挑戦できる大きな試合がない。選手のほとんどはKリーグに戻って行くはずで、私が特に代表チームに対してやれることがない。私は毎日ピッチに立たなければならない体質だ。事務室で留守番をする“オフィスボーイ(Office Boy)”ではない」

-2年後、韓国に戻るという意味か。

「とりあえずはPSVアイントホーフェンに行く。しかし、韓国サッカー、韓国人たちとの関係は引き続き維持していきたい。韓国サッカーのために諮問役でも何でもする」

-PSVアイントホーフェンとの契約はどこまで進んでいるのか。

「PSVアイントホーフェンはW杯以前から監督を提案してきた。それで、W杯が終わってから話そうと答えたら、初めは韓国チームがW杯で脱落したら、直ちに話しを進めようと言っていた。ところが、韓国がW杯で脱落しないものだから、戸惑う様子だった(笑)。今としては、PSVアイントホーフェン行きが80%は決まったと言える。しかし、条件があった。韓国と自由に接触できるようにして欲しいと要求した。この要求は何ら問題なく受け入れられた」

-PSVアイントホーフェンが韓国に来て試合を行うこともあるのか。

「もちろんだ。PSVアイントホーフェンはフィリップス社が所有しているクラブで、フィリップス社は韓国に対して多くの関心を持っている。いくらでも親善試合を行えるはずだ」

-W杯の成果をどう評価するか。

「サッカーを余り好きでなかった人たちが、サッカーを愛するようになったということが、W杯の最も大きな所得だ。特に女性ファンが急増した。韓国サッカー界はこのような力を利用して、Kリーグの試合の水準を高めなければならない」

-あなたは私たちの夢を叶えてくれた。選手たちが奇跡を起こすことができると確信したのはいつか。

「公開的には話していないが、今年3月初めからそんな感じを受けた。3月に日本と欧州に在籍している選手たちも全て合流し、チームを再整備した。その時から私たちの水準をある程度予想することができた。選手たちと毎日訓練を行いながら、呼吸を合わせた結果、16強と言い切ることはできなくても、期待以上の良い成績を収められそうな感じを受けた」

-当時、海外から合流した選手たちの水準は?

「初めて会った安貞桓(アン・ジョンファン/ペルージャ)は本当にひどい(terrible)ものだった。安貞桓に、私の訓練方法に従えないなら、代表には絶対に選ばれないと警告した。そのようなプレーでは、W杯のレベルに合わせられないと極めて露骨に話した。安貞桓は私の意思を理解し、徐々に自分を変えて行った。他の選手たちも私の原則に合わせはじめた。スペインや欧州の遠征訓練でチームが段々安定していくのを感じた。既にチームの基礎は整ったと思った」

-安貞桓は初め、後半の途中出場選手だったが。

「安貞桓の心の中には自分がイタリアでプレーしているという傲慢さがあったようだった。ちょっと怒らせてやろうと思った。安貞桓に『イタリアで誰が君のことを知っているのか』と言ってやった。『多分、ペルージャの地域の人々だけは安貞桓がチームでベンチを暖める選手だということを知っているだろう』と言って、怒らせた」

-効果はあったのか。

「もちろんあった。監督として選手たちを怒らせる必要はある。優秀な選手はこれに反応を示し、そうでない選手はそこで挫折してしまう。私の叱咤に反応を示さなかった選手は23人に入れなかった。安貞桓や李天秀(イ・チョンス/蔚山)はこのような方法で効果があった」

「反面、李栄杓(イ・ヨンピョ/安養)、朴智星(パク・ジソン/京都)、金南一(キム・ナムイル/全南)といった選手たちは、怒らせる必要がなかった。彼らは若く、多血質だ。彼らはピッチで殴り合いもできる選手たちであったため、反対に冷静になるように言い聞かせなければならなかった。選手によって接する方法が違うが、彼らの長所を最大限に生かし、プレーに結びつけることが監督の任務だ」

-大きな試合に備えるため、特別に精神的な訓練をさせたのか。

「自信を持たせることが最も重要だった。私は選手たちに、組別予選リーグで対戦する相手チームに対する詳細な分析を説明してあげた。それらのチームをよく知っていたし、対戦した経験もあった。どんな強豪でも弱点はあるはずで、私たちはその弱点を探し出せばいいのだ。私は体力を基礎とした新たな韓国的サッカー、即ち、タフで攻撃的な試合をやりたかった。特に相手が嫌がる試合運びをしたかった」

「ポルトガルとポーランドを分析した結果、両チームはすばらしいチームであったが、序盤から小競り合いをしかけると、戸惑うという事実を発見した。それで、韓国チームの特徴を最大限に生かし、試合戦略を練った。3~4月から特定チームを狙った戦術樹立に専念した。選手たちも相手を分析しながら、段々自信を持ち始めた」

-今大会で個人的に最も印象に残る試合は?

「イタリアとの16強戦だ。私たちはPKを外し、イタリアが先制ゴールを決めた。いかに世界的に強いチームだとしても、イタリアを相手にこのように状況に置かれてしまったら、それでお仕舞いだ。イタリアは“ゼロゲーム”ができるチームだ。即ち、『得点はできなくても、絶対にゴールは入れさせない』と決心すれば、それを実践に移せる世界唯一のチームだ」

「韓国はそんなチームを相手に、技術的に、精神的に克服した。韓国チームは最悪な状況で更に強烈に対応するチームだった。厳しい状況で真の姿を証明したため、最も記憶に残る」

-安貞桓がPKを外した時、交代することは考えなかったのか。

「PKを1回失敗したからと言って、試合が駄目になるのではない。世界的な選手たちもPKを外すことはある。安貞桓は何としても挽回しようとする姿勢を見せ、私はそんな姿勢を信じた。事実、安貞桓は初め、精神的にも肉体的にも怠けた面があった。しかし、私の叱咤を受け入れ、熱心に付いて来てくれた。そんな意志があれば、危機でもやってくれるはずだと考えた」

-韓国選手の中で、欧州でもプレーできそうな選手は誰か。

「どの選手も欧州でプレーすることはできる。所属したリーグとクラブの水準が問題だ。1部リーグでなく、2部リーグで始めるとしても、主力選手としてプレーできるチームを選ばなければならない。カネはその次の問題だ。そこで成功すれば、その次の段階へと上がればいい」

-主力選手としてプレーするのが重要な理由は?

「欧州でプレーした安貞桓やソル・ギヒョン(RSCアンデルレヒト)、日本でプレーしていた洪明甫(ホン・ミョンボ/浦項)と黄善洪(ファン・ソンホン/柏レイソル)は韓国でスター選手だった。しかし、彼らは常に主力選手として出場していたわけではなかったため、代表チームに合流した当時、プレーの水準はさほど高くなかった。かえって、韓国でプレーした選手たちの技量の方が上だった」

「それで、海外派は訓練の適応に苦労した。衝撃も受けた。私は彼らに『君たちはメディアではスターなのかも知れないが、私には何ら必要がない』と言ってやった。CM出演や高い車を乗り回してカッコつけないで、実力でもってピッチで自分がスターであることを証明しろと言ったのだ。真のスターは何が重要かを知っている。わが選手たちはそれを直ぐに理解した」

-欧州に連れていきたい韓国選手がいるか。

「2004年五輪と2006年W杯に備えて、私が韓国に貢献できることがあるとすれば、若い選手を欧州に連れて行って、長期間経験を積ませることだ。韓国ではまだ知られていない18~19歳程度の若い選手をPSVアイントホーフェンに連れて行くか、私の良く知っている他のクラブに紹介し、訓練を受けるようにしたい。サッカー協会と協議し、決めるべきことだ。特定選手を念頭においたのではない」

-現在、世界的なチームと比べ、韓国チームが備えていない部分は?

「韓国チームの水準を過小評価してはいけない。初め韓国に来た時、専門家たちは口を揃えて欧州ではどうのこうのと言っていた。もちろん、欧州にはビックリーグがあるが、劣等感を持つ必要はない。わが選手たちは今回、世界最高にまで達することができることを証明したではないか」

-韓国サッカーの当面の課題は何か。

「韓国サッカーは今、変化の時期を迎えている。2006年W杯までに体力を維持することのできる18~25歳の若い選手がいる反面、既に引退を宣言したり、近く引退する30代の選手も5~6人いる。韓国サッカーは若い血を輸血しなければならない。また、サッカーの発展のためにメディアがコーチと選手を上手くリードして欲しい。民主国家で批判は自由であるが、批判のための批判よりは、代表チームの発展のための批判をしてほしい」

-アッパーカットセレモニーはいつからやっているのか。

「1998年W杯で、オランダと韓国が対戦した時もやった。よく探せばあるはずだ。いつからやり始めたのかは憶えていない」

-現代自動車がエクスをプレゼントしたが、直接運転するつもりか。

「運転するのが好きだ。韓国では運転する機会があまりなかったが、欧州では直接エクスを運転するつもりだ。自宅のあるスペインに車があるため、エクスは緊要に使われるはずだ」

-韓国でたくさんのプレゼントをもらったと聞いたが。

「今日もプレゼントを包むのに忙しかった。そのほとんどがカネでは換算できない、情のこもったすばらしいプレゼントだ。手紙やカードなど、ファンの愛情のこもったプレゼントは全部持っていくつもりだ。小さなコンテナー1つくらいの分量になる」

-好きな韓国の歌があるか。

「愛国家は、歌えないがメロディーは全部知っている。勝利祝賀パレードの時のエピソードを1つ紹介しよう。愛国家が流れる間、私がメロディーを歌ってたら、私の前に立っていた子供がそれを聴いて微笑んだらしい。ところが、まるで私とその子が雑談をしていたかのように映ったらしく、私が愛国家に対して敬意を表しなかったという話しが出まわった。私はあの時、愛国家のメロディーを歌っていた。事実、私は試合が行われる度に、愛国家を一緒に歌っていた」

チェ・ウソク記者

キム・ソンソプ記者

2002.07.07(日)





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