【メモ】何時抜錨すべきやも知れざれば【メモ】

日韓共催2002サッカーワールドカップの頃の出来事。主に朝鮮日報、中央日報web版のスクラップ。 since 2001

お知らせ

2001年から2004年までです。

たまに日本の新聞も混ざります・・・。

枠で囲んだ青色の文字が記事。黒色の文字が私のコメントです。

私のコメントはその時その時に書いたものです。今読み返すとなんだかなーとか引用する数字が間違っているものがありますが、訂正せずにそのままにしております。ご容赦を。

他には

・美少女系主婦○○○の遊戯室
 2000年ごろ某サイトの部分的ログ。他にも面白いのがあったけど紛失。

・日本海
 当時にぎわしていた日本海表記に関しての記事。これ、いまだに続けてますね。
 中国との間に国境問題があったり似たような地図上の表記の問題はあるのだが、こちらは全くあちらから相手にされない。日本だけが少しでも相手にすると分かったら、あっちのお人はやることがしつこい。彼らから私が一番強く受ける印象は「イジマシイ奴ら」です。

エントリーは不定期です。

(011226)朝日新聞 掘っ立て柱建物跡53棟見つかる 新潟県・青田遺跡

2001年12月26日 | Weblog


asahi20011226

掘っ立て柱建物跡53棟見つかる 新潟県・青田遺跡





 新潟県加治川村にある縄文時代晩期(約2500年前)の青田遺跡集落跡から、大量の掘っ立て柱の建物跡が見つかったことが25日、わかった。これまでに53棟が確認されており、柱の跡だけでなく、柱の根元部分(柱根)も残っている。専門家によると、この時代の掘っ立て柱の建物跡がこれだけの規模でまとまって見つかったのは初めてという。

 発掘にあたった新潟県埋蔵文化財調査事業団によると、1棟には6~9本の柱が使われていた。柱の跡などから、大半がひさしが張り出した構造だったとみられている。

 青田遺跡の建物は川の両岸に沿って建てられていた。柱根は400本以上見つかり、材質の堅いクリ材が多く使われていた。建物は住居などに使われていたとみられる。

 新潟県立歴史博物館館長で、縄文時代を専門とする小林達雄・国学院大教授(考古学)は「縄文時代の住居といえば竪穴式のイメージが強いが、掘っ立て柱の建物も根づいていたことを示す貴重な発見だ」と話している。


 遺跡は高速道路の日本海沿岸自動車道の建設に伴い、99年から発掘調査が行われていた。(22:27)




(011226)産経新聞 米大統領、幻の明治神宮参拝

2001年12月26日 | Weblog


01.12.26


■米大統領、幻の明治神宮参拝
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10月予定の訪日時に希望 外務省が消極対応
対中関係懸念、取りやめへ誘導


 【ワシントン25日=古森義久】米国のブッシュ大統領が10月に予定していた日本訪問の際に、明治神宮に参拝する意向を表明していたことが25日までに明らかとなった。同大統領は日本の伝統と明治天皇の改革への敬意の表れとして明治神宮への表敬訪問を望み、日本の神道や靖国神社に非難をあびせる中国政府とは好対照の姿勢をみせていたが、日本の外務省の消極的な対応でこの希望を後退させ、さらにこの訪日自体が延期となった。

 ブッシュ大統領は今年十月の上海でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議への出席の前に日本を訪問することを決めていた。当初の予定では十月十六日から十八日まで二泊三日を日本で過ごし、十八日夜に韓国へ向かうことになっていた。

 複数の日米関係筋が明らかにしたところによると、ブッシュ大統領はこの当初の訪日予定では公式行事の始まる十月十七日の午前にまず明治神宮を参拝し、その後に小泉純一郎首相との会談や共同記者会見に臨みたいという意向を日本側に伝え、九月上旬の段階では米側としての事前準備もその方針で進めていた。

 同関係筋によると、ブッシュ大統領が米国歴代首脳の訪日でも異例の明治神宮参拝という行事を希望したのは、日本の伝統や文化への敬意を示すとともに、明治天皇の改革・開放の実績への礼賛を表明することで、小泉政権の改革努力への激励としたいという期待からだったという。

 ブッシュ政権はこの明治神宮参拝を含む訪日日程を当初、首相官邸との接触で内定していたが、その後に日本側の実務が外務省に委ねられると、外務省から「大統領が明治神宮を訪れる際は本格的な神道式の参拝をすることが求められる」として、神前での深いおじぎやかしわ手などの参拝形式を求めるという事前の「注意」が伝えられた。米側は自国の国家元首が外国の宗教の儀式に完全に従う印象を与えることには難色を示し、参拝取りやめに傾いたという。

 しかし、実際に明治神宮の参拝では外国人が日本の本格的な参拝形式を強いられることはなく、日米関係筋は外務省がブッシュ大統領の神宮参拝にそもそも消極的で、米側が自主的に辞退するような対応を示したようだと解説している。

 九月上旬の時点では小泉首相の靖国神社参拝が中国や韓国の反発を受けた余波が残り、とくに中国が従来、靖国自体の存在や日本の神道の伝統までを戦争の歴史と結びつけて糾弾してきた経緯があることから、外務省では米国大統領の神社参拝に神経を過敏にさせていたという。このため外務省では、米国元首の神道の神社への参拝が対中関係などに微妙な波紋を呼ぶことなどを懸念して、米側に事前にその意向をくじくような「注意」を送ったと観測される。

 ブッシュ大統領の訪日は九月十一日のテロ事件の後、一泊二日の滞在予定へと短縮され、その時点で明治神宮参拝も取りやめとされた。その後、訪日全体が来年以降へと延期された。



(011226)産経新聞 中国調査船に“牽制射撃” 不審船事件

2001年12月26日 | Weblog


01.12.26


■中国調査船に“牽制射撃” 不審船事件
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相次ぐ条約違反 中止要請を無視


 鹿児島県奄美大島沖で発生した不審船事件で、海上保安庁が不審船の船体へ威嚇射撃を行ったことに、中国が「重大な関心」を寄せている。不審船のいた日本の排他的経済水域(EEZ)はここ数年、中国の海洋調査船が条約違反の資源調査を繰り返している海域と一致するからだ。海底油田が眠る「宝の海」でもあり、中国海軍の潜水艦ルートでもあるこの海域での船体への威嚇射撃は、わが物顔で違反調査を繰り返す中国を牽制(けんせい)する意味もあったとみられる。
 「われわれは、日本が東海海域(東シナ海)で武力を使用したことに重大な関心を寄せている」-。中国外交部の章啓月報道官は、不審船事件の発生直後にこう語り、日本側の射撃について警戒感をあらわにした。

 不審船が発見されたのは奄美大島沖の日本のEEZ内。今年五月に中国海洋調査船「海監49号」が違反調査を行っていた海域と重なる。

 この海監49号だけでなく、この近郊の東シナ海では中国による「条約違反の資源調査」が行われている。

 中国は昨年二月、日中中間線近くで海底油田「春暁三井」の試掘に成功。その後、新たな埋蔵資源を求めて日本のEEZ内に調査範囲を広げていた。また、中国の海洋調査は、中国海軍の潜水艦がソナー(音響探知機)を使わずに太平洋に出る潜航ルートを開発する意味もあるとされる。

 EEZ内では、沿岸国が漁獲資源や海底資源の「主権的権利」を持つ。国連海洋法条約では、他国のEEZや大陸棚で「科学調査」を行う場合、(1)沿岸国に予備的な報告をする(2)調査結果を提出する-などの制限が課せられる。が、中国は予備的な報告をせず、科学調査を超えるとされるエアガンやボーリング調査を行い、さらに結果も公表しないなど、条約違反を重ねていた。

 今年二月には、日中両国間で、二カ月前までに調査海域や期間を通報する「相互事前通報制度」を締結していた。

 が、中国は調査や通報なしの調査など五件の違反調査を繰り返し、さらにボーリング調査などの条約違反も重ねている。海保の巡視船が中国の海洋調査船を発見し、中止を要請しても無視するばかり。こうしたなかで、調査海域と同じ海域で不審船へ射撃を行った意味は大きい。

 安全保障の専門家は、「実際に中国の海洋調査船に射撃を行うわけではないだろうが、海保が同じ海域で不審船射撃したことで、中国の海洋調査船も安易に日本のEEZには入ってこられないはず。今回の射撃は中国にとって大きな牽制力になったことは間違いない」と、巡視船の射撃を評価している。



(011226)産経新聞 「現在の装備では…」 不審船事件

2001年12月26日 | Weblog


sankei

01.12.26


■「現在の装備では…」 不審船事件
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想定外の重火器、苦悩の海保


 負傷者三人が出た東シナ海の不審船事件で海上保安庁は、こうした船への対応の練り直しに迫られている。常套(じようとう)手段である今回のような巡視船による挟みうちは、密航船程度には有効だが、ロケット弾まで持った相手は想定を超えていた。「現在の海保の装備でほかに有効な手段はない」と話す幹部も少なくない。
 今回の不審船事件で巡視船「あまみ」の久留主真佐夫船長(五三)は相手側の猛攻について、「(想定外ということが)あるんじゃないかと思う」。第十管区海上保安本部(鹿児島)の黒木正警備救難部長も「武器が見えていれば、あんな距離までは近寄らせなかった。しかし拿捕(だほ)するには接舷しかなかったのも事実」と話す。

 不審船捕捉で海保が訓練を重ねてきたのは、今回のような挟みうちだった。第七管区海上保安本部(福岡県北九州市)の総務課は「動いている相手を物理的に止めるには、現状では挟撃が最大の常套手段」と話す。同本部によると、巡視船は曳航(えいこう)用の鋼鉄製ロープを装備。航行中の船の船体やスクリューにロープを絡めて止める方法もあるが、準備段階で逃げられることが多く、「海保の手段としてはあまり使われない」。

 また、相手が武器で反撃してくると接近も難しく、「離れた距離から相手を物理的に止めるには、威嚇射撃や船体射撃しかない。相手がロケット弾を使用することも考慮すれば、今後は、正当防衛射撃の装備を充実していくしかないのでは」としている。



(011226)中央日報 【取材日記】在日韓国人自らが招いた民族銀行の不発弾

2001年12月26日 | Weblog


【取材日記】在日韓国人自らが招いた民族銀行の不発弾



「もしかしたらとは思っていたが、本当にそうなるとは…」--。日本での民族銀行設立が壁にぶつかったことに対する、在日社会の反応はこの一言につきる。

韓国政府と在日本大韓民国民団(民団)、在日企業家らは民族銀行「ドラゴン銀行」を設立するため一年中奔走してきた。日本政府から1兆円の公的資金を受け、関西興銀など破たんした在日韓国人系組合を譲り受けて銀行に転換する計画だった。韓国政府は新しい銀行に出資し、不良資産のないクリーンバンクをつくる計画だった。日本当局もこれを肯定的に検討していた。

計画自体には無理がなかった。名分も良かった。しかし、実務作業に入ってから分裂が始まった。分裂・対立する在日社会の慢性病が再発したのである。名分には誰もが同意したが、「アイツには主導してほしくない」と互いに意地の張り合いを見せた。

最後まで合意に至らず、結局、関西興銀などの入札は既存の在日韓国人系組合が参加し、ドラゴン銀行と競合することになった。出資金の募金もドラゴン銀行に集中せず、在日の大手組合いくつかに分散した。

こうした状況になったため、日本政府の考えも変わり始めた。在日韓国人の統一銀行として代表性も主導権もないドラゴン銀行をあえて支援する理由がないと判断したためだ。

これを受け日本政府は、公的資金の投入が最少となる組合を受け皿に選定した。クリーンバンクを念頭において、多額の公的資金を提示したドラゴン銀行はこの基準で競い負け、銀行の看板さえ掲げることなく消え去る運命となった。

自国民の血税からなる公的資金支援を最小化しようという日本政府を責めることはできない。また、駐日大使館は金融機関の管轄権がないうえ、在日社会の合意を引き出す能力がないので、責任を問うことすらできない。結局、在日社会自らが選択した道だ。

現在、在日系組合などの追加不良を防止することが緊急課題として浮上している。公的資金の投入を受けて再度破たんするようなことがあれば、在日社会の金融基盤は完全に崩れる。これは在日韓国人が日本で融資してもらえる機関がなくなることを意味する。日本政府や銀行が大目に見てくれるわけではない。

ボクシングには階級があるが、金融は無制限勝負だ。在日系組合は自ら重量級の統一銀行としてでなく、軽量級の信用組合としてそれぞれリングに上がることになったのだ。分裂が選択であるとすれば、これ以上話す言葉はない。しかし、よその国にいてさえ団結する姿を見せられないとすれば、それは最悪の選択ではないだろうか。

東京=南潤昊(ナム・ユンホ)特派員 <yhnam@joongang.co.kr >


2001.12.26 21:52




(011226)中央日報 【専門家寄稿】明仁天皇の発言

2001年12月26日 | Weblog


【専門家寄稿】明仁天皇の発言、度過ぎる拡大解釈への警戒を



今回、明仁天皇の血縁関係をめぐる発言に対し、日本国民が驚いたという事実は、非常に驚くべきことだ。日本の天皇家全部が、百済(ぺクジェ)系統だということでもなく、単におよそ1200年前のある天皇の生母が、百済王の子孫だということは、そんなに騒ぐことでもないだろう。しかも、それは日本の史書に出ている厳然たる事実だ。それに比べて、今回明仁天皇がそうした発言をしたことに、どのような政治的目的があるものかは知らないが、自身の常識的な考え方を率直に打ち明けたものと受け止めたい。ここで、問題になった当時の状況を注意深く見てみよう。

8世紀後半に在位した桓武天皇の母親は光仁天皇の夫人で、名前は高野新笠だ。『続日本記』を見てみると、789年12月に桓武天皇が在位していた間、その母親の皇太后が亡くなるとその翌年の790年1月に葬儀を行ったが、その葬儀の部分の最後に、皇太后は百済・武寧王(ム二ョンワン)の息子である純抒太子(スンタテジャ)の子孫だと、出ている。その先祖の朱蒙(チュモン、都慕王)は河伯の女が日の光に感応して生まれており、皇太后はその子孫であるゆえに、「高い天にいる太陽の息子のお嬢さん(天高知日之子姫尊)」という意味の諡号(しごう)を与えたとなっている。

ところが、その純抒太子は505年斯我君(シアグン)という名前で倭国に派遣され、長く滞在したが、513年亡くなった。その間息子を1人産んだが、彼が和(倭)君の先祖となった。その和氏が770年代に高野氏と姓を変えており、桓武天皇の生母である高野新笠はその一族だった。それらは約270年にわたり、日本の貴族社会に百済の武寧王の子孫だという名分で高い地位を維持しならが生きてきたのだ。これがどうして可能だったのだろうか。

韓半島と日本は、古代時代には比較的文化の交流が活発だった。正常な交流もあったが、総じて韓半島で大きな戦乱がある度、大規模な移住民が日本列島に移して行った。そうしたケースのなかで主要なものが、5世紀初め、前期の伽耶(カヤ)連盟が解体されたとき、5世紀後半に百済の首都・慰礼城(ウィリェソン)が陥落したとき、6世紀中ごろ百済が滅亡したときなどだ。日本の古代文化の発展はそれら、すなわち渡来人の移住を機に高揚された。そのため日本では、伝統的に新羅(シルラ)よりは韓半島で早くに姿を消した国家、伽耶と百済に親しみを示しているのだ。

今回の明仁天皇の発言は、日本の歴史認識がさらに一歩進んだことを示唆するものではあるが、下手すると「日鮮同祖論」に発展しかねない。日鮮同祖論は、韓国と日本の過去の先祖が同じだという学説で、日本帝国主義による植民支配時代に日本の学者らが韓国人らを懐柔するために出した学説だが、その研究水準は深くない。なお、依然として日本の天皇家の起源について具体的に解明されたものがない。よって、天皇の一言に鼓舞され、些細な諸証拠でもって騒ぎすぎるのは自制すべきだろう。韓国と日本の血統関係については、今後、真実を糾明するという真の目的を持ったうえで、客観的な研究が進められなければならない。 

金泰植教授(キム・テシック、弘益大・韓国古代史)


2001.12.26 21:49




(011225)産経新聞 離島防衛に「連隊」創設 九州・沖縄

2001年12月25日 | Weblog


2001.12.25
■離島防衛に「連隊」創設 九州・沖縄

陸自ゲリラ対策 来年3月、600人規模

 陸上自衛隊は平成十四年三月に対馬、尖閣諸島など国境の島を抱えた九州・沖縄地方の離島防衛のため、武装ゲリラ急襲などに備えた約六百六十人規模の西部方面普通科連隊を、長崎県・相浦駐屯地に創設する。

 “離島防衛部隊”ともいえる新設連隊は西部方面隊(熊本市)に直属し、師団の枠組みにとらわれず、有事即応の緊急展開部隊となる。西部方面隊は離島約六百(うち有人約二百)を抱え、日本の離島の大半を守備している。

 主な装備は、無反動砲、対戦車誘導弾、迫撃砲、監視レーダー、無線機。ヘリコプター搭載可能な比較的軽武装で機動力を重視しているのが特徴だ。

 連隊にはレンジャー部隊も参加。離島周辺の情報収集や鎮圧に向かう主力部隊の到着までの山岳戦、ゲリラ戦も想定。連隊創設は従来の正規戦から不正規戦対処も視野に入れた。

 今回の奄美大島沖の不審船事件にくわえ、九州東方沖では、今年に入って二度、中国海軍ヤンビン級砕氷艦兼情報収集艦が海洋調査を行うなどしている。

 連隊創設は冷戦終結を受け、北方重視から西方シフトも含めた防衛政策の転換の表れだ。






「北方重視から西方シフト」するのに10年かかったと言うことか。重い言うか鈍いと言うか。

冷戦が終結し、ソ連が崩壊して一番ほっと胸を撫で下ろしているのは、北の防人である北海道の陸自の隊員じゃないのか、と言う話がある。とてもじゃないが、揚陸艦を連ねて来るソ連の機械化師団を止められるものじゃないと言うことだった。

90式戦車と言う戦車がある。私が学生の頃はまだ開発途中で、つまり1970年の末から1980年初にかけて、富士の御殿場演習場でプロトタイプが前後左右をトラックで目隠しされながらノロノロと走っていた。ドイツのレオパルドのコピーと揶揄される戦車だ。ラインメタル製の150mm滑空砲はレオパルドと一緒だ。始めは88年採用とかで、88式になるはずだったとも聞く。開発が遅れて88式にはならなかったが、88式と言えば韓国の最新型戦車も88式で「パルパル」とか呼ばれており、紛らわしいから88年採用にせず90年採用にしたのだ、などとも私の身近では噂されていた。

無事開発が完了し90年に正式採用となったが、この戦車は1台の値段は当初10億円強、現在量産化されたため少し安くなったが8億円強もする。74式を更新していくはずだったが、なかなか数がそろわないので、配備は北海道の第七師団だけに留まっている。また、最近の発表では、数をそろえられないので、早くももっと値段を落とした新型戦車の開発に着手するそうだ。

この90式戦車の欠点を上げろと言われれば、真っ先にその小ささを上げる。ノモンハンの経験がちっとも生かされていない。いやいやずいぶんと大きくて立派だと言う声も聞こえるし、無用にデカしぎるんじゃないのか、日本にはもっと軽快な戦車が向いているのじゃないのか、と言う意見もあるかもしれない。

しかし、日本の自衛隊は専守防衛を旨とする、守りの集団だ。攻撃は最大の防御なり、は許されない。戦車もしかり。モンゴルの大平原を最終戦争を目指して、ドイツ機工化師団と決戦するためならともかく、日本本土から出ることは考えられていないのだ。ではどのように使うのか。要所要所に穴を堀り、その中へ車体を半没させて動くことの出来るトーチカとして、水際での敵の排除と言うことになる。

この使い方をするには、砲塔の防御が弱すぎる。煙幕弾も逃げるには有効だと思うが、砲塔の中から交換できない。車体も小さくはないか。

もっとも、実戦になればなったで、リアクティブアーマーも付けりゃ良いし、色々工夫するものなのかも知れない。自衛隊は平時は訓練が仕事だ。素人考えなどは、とっくの昔に検討済であって欲しい。

さて約六百六十人規模の有事即応の緊急展開部隊と言うことだが、一時期噂されていた広島の普通科の海兵化はどうなったんだろうか。呉を母港とする「おおすみ」型に乗る部隊だとばかり思っていたのだが、広島の普通科は単に規模縮小した再編だけだったと言うことだろうか。

呉には海自特別警備隊が出来ているようだが、最近の雑誌(SAPIO)の記事を読むと練度はさっぱりと言うようなことが書いてあった。大石英司の最新作「石油制覇」シリーズには、jamsss(ジェムシーズ)と言う海軍歩兵(海自陸戦部隊)が登場するが、これは海自特別警備隊がモデルだろう。呉を本拠地としヘリコプターを操るいかした集団に書かれていた。今回の有事即応の緊急展開部隊も同じようなモノを想像して良いのだろうか。

ヘリコプターなどの大型の装備はどうなるのか不明だが、「おおすみ」型の戦車揚陸艦のキャパでは陸自の要員は300名程度だったと思う。「おおすみ」にはヘリコプターは搭載できないが、連携も当然考えに入っているのだろう。とにかく企画倒れにならないことを願う。

(011225)朝鮮日報 【取材日記】南北関係の楽観論、根拠あるのか

2001年12月25日 | Weblog


chuuou
【取材日記】南北関係の楽観論、根拠あるのか 



平壌(ピョンヤン)は最近、来年4月末から行われる「アリラン祝祭」の準備で騒々しい。労働(ロドン)新聞とテレビは行事紹介であふれ、外国人観光客を募集するための動きも慌しい。金正日(キム・ジョンイル)国防委員長60回目の誕生日(2月16日)と既に亡くなった金日成(キム・イルソン)主席生誕90周年(4月15日)行事も祝祭の熱気の中で行われた。

しかし2カ月間にわたるアリラン祝祭が韓日ワールドカップ(W杯)をねらって準備されたという政府当局の分析に触れ、失望せざるを得なかった。 平壌側は、88ソウルオリンピックに対応して1989年、平壌で第13回世界青年学生祝典を開いた前例があるからだ。

もちろん隣からプルコギのにおいがするところ、粗膳でも準備してみようかという内心を理解できないわけではない。 しかし血縁の杯を共にするというよりは、これに対抗するという「冷戦時代の対決構図」から出てきた考えではないかと心配が先立つ。

来年には「南北関係が改善に向かう」という展望が我々の官辺を中心に出ているのも、「焦り」がうかがわれるようで後味がよくない。

「赤十字チャンネルが十分に稼働している」という政府当局者の言及があるかと思えば、外交安保研究院は「来年、金剛山(クムガンサン)で首脳会談が開かれる」という展望まで出している。 政府は南北閣僚級会談の決裂以来、対話再開に努めてきた。 北朝鮮側が会談延期の口実とした米テロ事態関連の我々の非常警戒態勢も事実上解かれたほか、先週には政府が国際機構を通じた10万トンの対北朝鮮食糧支援計画を明らかにしている。

しかし朝米関係が軌道に乗らない限り、南北関係の進展は難しいというのが専門家らの分析だ。

特に日本巡視船に沈没させられた不審船が北朝鮮の工作船と確認された場合、朝・日関係はもちろん朝米関係も悪化することが確実視される。

北朝鮮の船でないことが判明しても、来年に南北関係を進展させる肯定的な外部要因は非常に少ないものとみられる。

こうした点から見ると、来年は南北関係が和解協力へ向かうか、それとも冷戦時代に回帰するかを分ける分水嶺になるのは明らかだ。 したがって特別な根拠もなく「楽観論」を抱くよりも、北朝鮮を対話の場に引き出す真の方案を政府当局者らが模索すべきである。

2001.12.25 22:39




(011226)朝鮮日報 「難民10万人上陸」に備え訓練

2001年12月25日 | Weblog


chousen

「難民10万人上陸」に備え訓練

 朝鮮半島で大型災難のような緊急事態が発生した際、これに対処するための大規模な訓練が、多国籍軍が参加した中、来年1月ソウルで行われる。

 特に、今回の訓練のシナリオは10万人に達する大量の難民が韓国に上陸することを想定しており、大量の脱北難民の発生可能性など、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の緊急事態を考慮したのではないかという分析が出ている。また、訓練を非公開で進めることにしたのも、予想される北朝鮮側の敏感な反応を念頭に置いたためと伝えられた。

 政府の高位関係者は25日、「来年1月13日から18日まで、ソウルで米・日・中・露・英など30カ国の軍関係者150人余りと、国連、国際赤十字社の関係者ら10人余りなど、あわせて160人余りが参加した中、朝鮮半島で緊急事態が発生した際、多国籍軍の支援作戦を発展させるためのコンピュータ図上訓練が非公開で実施される」と明らかにした。

「MPAT(Multinational Planning Augmentation Team)と命名された今回の訓練は、米太平洋司令部と韓国軍の合同參謀本部が協同で主管し、韓国軍の合同參謀本部所長が最高責任(司令官)を担う。「MPAT」訓練は、太平洋沿岸の国家で大規模な自然災害や内乱など、緊急事態が発生した場合、多国籍軍の効果的な支援方案をまとめるため、昨年から実施している。今回の訓練はタイ・フィリピンに次ぎ3番目。

 今回の訓練は済州(チェジュ)道・南西200キロの海上にある「パランド共和国」という仮想の国家(人口180万人)が超大型台風と地震によって統制不能状態に陥り、10万人余りの難民が韓国の西南海岸に上陸した後、国連が介入し、多国籍軍の支援作戦が行われる状況を想定している。

 国防部は公式的には今回の訓練が北朝鮮とは関係ないとしているが、大多数の軍専門家たちは北朝鮮の急変事態も念頭においたものと分析している。

 現在、韓・米両国軍は大量の脱北難民の発生など、戦争意外の北朝鮮の緊急事態に備え99年、「概念計画5029」を秘密裏に作成したが、これは韓・米両国軍が主導的に施行するもので、多国籍軍が介入し事態を収拾する計画は立てていないと伝えられた。

?龍源(ユ・ヨンウォン)記者 




2001/12/25 19:54(TUE)







(011225)読売新聞 荒海に炎、不審船と命懸け対戦…船長ら証言

2001年12月25日 | Weblog


荒海に炎、不審船と命懸け対戦…船長ら証言



赤外線カメラがとらえた巡視船「みずき」からの威嚇射撃を受ける不審船(22日午後4時58分)=海上保安庁提供
 目前で白いせん光が走った瞬間、船体の一部がはじけ飛び、海上保安官の警備出動服が血で染まる――。鹿児島県・奄美大島沖の東シナ海で、不審船と銃撃戦を演じた海上保安庁の巡視船4隻の船長が24日、鹿児島市の第10管区海上保安本部で緊迫の4分間を語った。荒れた漆黒の海上に響く金属音と怒号、船上を越えて飛ぶロケット弾。指揮官たちは部下を気遣いながら、命懸けで不審船に立ち向かった。

 ■挟撃

 風速13メートルを超える強風、横殴りの雨。黒い海が激しくうねっていた。不審船は波間に漂っていた。

 「あまみ」の久留主(くるす)真佐夫船長(53)は右後方20度からの接近を指示。数メートルまで近付いた時、ブリッジ上に1人、その後方に肩から赤い毛布を掛けた2人が見えた。1人はたばこを吸っている。

 左後方から「きりしま」が距離を詰め、ほぼ平行に2メートルまで接近。堤正己船長(48)はブリッジ後方の3人を確認した。

 「あまみ」では甲板前部に20ミリ機関砲の射撃手ら3人、ブリッジに15人を配置。「きりしま」では甲板上に身を隠した8人、ブリッジに7人が配備された。不審船捕そくのため、接舷を試みる。保安官たちの顔は、緊張でこわばっていた。

 ■不審船反撃

 「かがめ!」。22日午後10時9分、操舵(そうだ)室にいた久留主船長の声が響いた。周りの保安官らも「伏せろ!」と大声で叫び、一斉にしゃがみ込んでいた。

 「ダダダダッ」。連続した金属音。操船指示をしていた久留主船長が壁に張り付く。保安官の1人が、不審船ブリッジにいた男が手を上げて合図をしたのを見た。たばこを吸っていた男が銃を構えて、撃ち出した。

 「負傷者はいないか」と久留主船長。「2人がやられました」と乗組員。

 操舵室で、かじをとっていた長友良治航海士(54)、その右横に座っていた金城良武航海長(49)だった。警備出動服が血に染まった2人は別の船室に運び込まれた。

 不審船の銃撃は約1分間続いた。白いせん光がやみに走り、「パン、パン、パン」「プシュッ、プシュッ」。発射音と弾丸が船体にめり込む音が繰り返された。「4、5メートルの距離からダダーッと撃って、少し間があってまたダダーッと撃ってきた」

 「全速後進」。操舵の保安官が頭を下げたまま、操舵レバーを後ろに引いた。後退しながらブリッジの射撃手が64式自動小銃を不審船に1度発射した。

 ■応射

 「あまみ」「きりしま」が後退し、不審船から離れる。「きりしま」の左前方にいた「いなさ」が20ミリ機関砲で応射を始めた。不審船の後尾に次々に命中する。

 その時、「いなさ」の石丸昭船長(53)は、不審船から発射される赤い炎を見た。

 「(ロケット弾が)本船の右舷上空を飛んでいった。他の乗組員も確認した。私が見たのは一発。音は聞こえなかった」

 直後の「きりしま」操舵室。「爆破、爆破」と赤外線監視装置で監視していた保安官がもらした。「何だ」と堤船長が聞き返す。

 「何かが爆破しているような感じがします」

 午後10時13分、不審船が暗い海に消えていった。「あっという間だった」と堤船長。

 その後、沈没現場に到着した「みずき」の堀井和也船長(36)は、「赤外線で捜索したが、何も見つからなかった」と語った。

 翌23日朝、「きりしま」など2隻が不審船の男性乗組員2人の遺体を収容した。堤船長は、うち1遺体について、「身長1・7メートルで東洋系の顔をし、鍛え上げられた体だった」と語った。

(12月25日01:56)




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「みずき」も「いなさ」も、いつのまにか20mmバルカン砲を装備していた。つい最近の「世界の艦船」で紹介されていた写真では12.7mm機銃であったから、ここ1年で更新していたのだろう。この20mmバルカン砲は、「しきしま」が装備しているものと同種のようで、キャビンの中ら遠隔操作し、目標の自動追尾も可能のようだ。

「しきしま」に装備されているのを見たときは、同クラスの海自の護衛艦の砲に比べてとても貧弱に思えたものだが、実際の結果を見せられると、その能力、20mmの口径の威力もさることながら、キャビンからモニターを見ながら操作できると言うことと、目標をマークすると自動追尾可能と言うことに感心した。30ノットどころか20ノットの速度でさへ、波を切りながら進む船からの射撃は、よほど慣れていないと上手く行くはずは無い。

10年ほど前になるが、仕事で淡路島に通っていたことがある。神戸の元町より船に乗り洲本まで行っていた。その時使っていた船が高速艇と呼ばれるボートで、外観は昔の魚雷艇だろうか。運行速度は20ノット程度だったと思うが、その乗り心地には何度乗っても最後まで慣れなかった。一度、台風が来る直前に乗ったことがあったが、大阪湾で運休しない状態であったから、たいした波でもなかったはずだが、普通に座っているのも苦しく、あの時は最初から最後まで長椅子に寝そべっていた。

今回の東シナ海はニュース映像で見るとかなり荒れており、あの時の大阪湾の比ではなかった。その揺れる甲板上で目測手撃ちはプロならやれるはずとは言え、楽で精度の高い装備を使えることに越したことは無い。

3年ほど前、神戸港に入港した海保の練習船「こじま」に乗ったおり、立ち会ってくださった隊員に銃器の訓練について訊いたことがある。その時の回答では、「海保には砲術仕官に相当する者はいないので、皆、銃器の訓練をする。実戦があった場合は、その時に手が空いている者が担当する。」ということだった。海保には、職制として「航海」「機関」「通信」しかないということだ。

今回の巡視船は「警備強化巡視船」と呼ばれるものだろう。であればあの機関砲を扱った隊員が、手の空いていた者とは考えられないが、あの結果を可能にしたのは、この装備にあると思う。使いやすいシンプルな構造に思える。

同じ時、配属先についてどの程度自由度があるのかも訊ねた。「地域についてはある程度考慮してくれるが、希望どおりには行かない。どちらかと言えば漁業監視、密輸監視か水路部かと言うような希望、北(北海道)へ行くか南(九州・沖縄)へ行くかと言う希望の方が優先される。」と言う回答だったように思う。

今回の東シナ海で活躍した船に乗船していた隊員は志願・選抜された隊員であり、 単に順送りの人事の結果としてあの場にいたわけではないのだ。士気が高く、後のインタビューでも言葉に迷いが無いわけだ。

洗練された道具と士気と練度の高い人との組み合わせで、今回の結果が出たのだと思う。

海保は、現在770トンクラスの新しい型の船を建造中で、それにはより遠隔射撃(射程7km)が可能な35mm機関砲を装備するそうだ。たぶん「しきしま」に装備されているスイスのエリコン社製のものであろう。「しきしま」はプルトニウム運搬船の護衛用に建造されたが、一度使われたきりで、運用実績は芳しくない。が、これを配備する際に特殊部隊のSST(平成8年)の元になる部隊(平成4年)が編成されたことや、遠隔操作可能な20mm機関砲、35mm機関砲のテストヘッドとして充分もとはとったような気がする。

(011225)読売新聞 不審船、引き揚げの意向

2001年12月25日 | Weblog


不審船、引き揚げの意向


 鹿児島県・奄美大島沖での不審船事件で、扇国土交通相は25日、不審船の活動目的などの解明のため、東シナ海に沈没した船体の引き揚げを行う方針を明らかにした。また、第10管区海上保安本部(鹿児島)と鹿児島県警の捜査本部は、巡視船「あまみ」などの船体に残された銃弾4、5発を押収、銃弾の線条痕などを詳しく鑑定し製造国の特定を急いでいる。

 一方、同保安本部が収容した不審船の乗組員2人のうち1人の遺体の足に、銃弾による負傷跡があることが判明、巡視船からの射撃で負傷した可能性があるとみて調べている。

 沈没した不審船について、扇国交相は25日午前の会見で、「引き揚げなければどんな装備をし、どんな活動をしていたのか分からず、(今後の不審船への)対処法も分からない。中国側の了解も必要だが、引き揚げるつもりだ」と述べた。

 不審船が沈没した海域は、中国の排他的経済水域内で、水深は約90メートル。海上保安庁などによると、国際海洋法条約上、引き揚げ自体に問題はないが、引き揚げ作業で船内から油などが漏れると環境問題などが生じるため、中国との交渉が必要になるという。

 一方、捜査本部が、「あまみ」のブリッジ付近などの被弾跡を詳しく調べたところ、穴の直径が異なる少なくとも2種類の被弾跡が確認された。それらの中には、変形した銃弾も4、5発残っていた。

 巡視船の乗組員の証言などから、不審船は13ミリ機銃、自動小銃、小型ロケット砲で巡視船に反撃したと見られ、捜査本部は巡視船に残っていた銃弾が、機銃や小銃のものかなどについて鑑定している。

 捜査本部では、船内には完全な形で銃弾が残っている可能性もあるとして、実況見分で重点的に調べている。

 また、不審船乗組員の遺体の負傷は、鹿児島大医学部で24日行われた検視で分かった。けがは致命傷ではなく、死因は水死とみられている。

 一方、行方不明となっている不審船の乗組員の捜索は、巡視船12隻、航空機11機を出して続けられた。

          ◇

 扇国土交通相は25日の会見で、不審船を追跡した巡視船の一部の操舵室の窓が、防弾ガラスになっていなかったことに触れ、「窓を防弾にするぐらいは当然。相手がどんな武器を持っているか分からない時には、万全を期すべき」と述べ、巡視船の装備強化の必要性を強調した。

 また、海上自衛隊からの通報が遅れた点について、「両者の連携が課題。今後、検証していく」とした。

(12月25日12:33)






(011224)朝鮮日報 「不審船事件」…日朝関係悪化は必至

2001年12月24日 | Weblog


「不審船事件」…日朝関係悪化は必至

 日本の排他的経済水域(EEZ)に侵入して撃沈された不審船事件によって、日本と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の関係はより悪化する見通しだ。北朝鮮はこの事件について肯定も否定もしておらず、日本政府も公式的に「北朝鮮である」とは発表してはいないものの、日本政府やマスコミ、専門家は北朝鮮の船舶であることを既定事実と見なしている。

◆北朝鮮と断定する日本

 事件当時、「北朝鮮の船舶か否か」について日本の関心が集まったが、24日からは「北朝鮮が何のためにこのようなことをしたのか」、「北朝鮮という事実をどのように立証すればいいか」が関心の対象となっている。

 内閣のスポークスマンである福田康夫官房長官をはじめ、政府の公式的な立場を明らかにする席にある高位官僚は、この日まで誰も「北朝鮮の仕業」とは言わなかった。しかし大部分の新聞が様々な形で北朝鮮船舶ということを報道した。読売新聞は「北朝鮮の姿勢には筋も道理もない」という社説を通して「(不審船事件によって)より一層大きな疑いと不信を持たない訳には行かない」と北朝鮮に直撃弾を放った。

 北朝鮮関連情報を扱っている日本政府の関係者は「北朝鮮船舶ということは内部的にも常識に属する問題」とし、「韓国に潜入する前に行う日本潜入訓練の過程であったか、ミサイル関連の部品などを日本からそっと手に入れようとしたと分析されている」とした。

◆更に悪化する日・北関係

 日本と北朝鮮の関係はこの事件が発生する前から悪化していた。2000年秋に国交会談が中断して以来、1年以上対話がない状態だ。日本は「日本人拉致問題」に進展がない以上、どんな対話や協力もしないという立場を取っているが、北朝鮮は「我々はそのような問題については知らない」と非協力的な態度を取り続けている。日本の世論は徐々に悪化し、米国のブッシュ政権が発足してからは日本政府も更に対北強硬路線に傾いている。毎年行ってきた食料支援も事実上中断を宣言した状態だ。

 最近は北朝鮮政権の「金庫」の役割をしてきた朝鮮総連に対する捜査が始まり、強度を強めており、それに対して北朝鮮も「行方不明者に対する調査を中断する」と対抗している。

 今回の事件について小泉首相は「奇妙な行動」、「我々の近海をうろつくもの」などの表現を、主語だけを省略しただけで発表しており、北朝鮮に対する日本政府の見方がどんなものであるのかを端的に見せている。

東京=権大烈(クォン・テヨル)特派員




2001/12/24 21:40(MON)



(011224)朝鮮日報 【記者手帳】日本の「王家血統」報道のタブー

2001年12月24日 | Weblog


【記者手帳】日本の「王家血統」報道のタブー

 古代日本の王家と百済(ペクジェ)の関係を言及した明仁日王の発言は、ほとんどの日本のマスコミで取り上げられなかった。朝日新聞、京都新聞を除いた新聞や放送は、それについては一切触れないか、他の内容の最後に少しだけ沿えるようにして掲載しているだけだ。

 マスコミの“沈黙”に対する答えを見つけるため奔走した記者に、知韓派のK教授が興味深いヒントをくれた。長い間テレビ朝日の王室担当記者をしてきた神田秀一氏が今月はじめに生放送番組に出演した時の証言だった。

 神田氏によれば、日王が朝鮮半島との関係を言及したのは今回が始めてではない。1984年に全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が日本を訪問した際、裕仁昭和日王が晩餐の時に次のような話をしたと記憶していると神田氏は語った。

 「推古(592~628年在位)以前の日本の天皇の歴史はよく分からない部分が多い。天皇の中には貴国(韓国)と関連のある方が日本に来て、その流れが天皇史の中に含まれているかもしれない」

 当時、晩餐の席にいた取材記者は皆聞いたというこの発言は、当時の日本の新聞では全く報道されなかったという。この生放送に出演していた加藤紘一自民党元幹事長などが「初めて聞いた」と驚いた程だった。

 天皇家の血統は長い歳月の間日本のマスコミの禁句となってきた「菊(日本皇室の紋章)のタブー」だ。 しかし「開かれた王室」を追求するという現在のような時代にもタブーが生きているとは不可思議なことだ。

 ニュースの価値がないと判断したのか?しかし日本の新聞が会見記事で天皇の恋愛時代のエピソードまで報道するのを見るとそうとも言えまい。

 明仁日王は韓国と日本の国民にメッセージを投げようとしたのかもしれないが、そのメッセージは日本のマスコミに隠され、大衆にまで伝わることができずにいる。

朴正薫(パク・ジョンフン)東京特派員




2001/12/24 21:47(MON)



(011224)朝鮮日報 日本の「過剰」と「傲慢」

2001年12月24日 | Weblog


日本の「過剰」と「傲慢」

 日本の海上保安庁の巡視船が30時間という追跡の果てに中国の海域で撃沈した船舶の正体が何であるのか現在までのところ確認されていない。日本当局の主張通り、それが北朝鮮の工作船であるとすれば、今時まだ工作船を送っているのかと嘆かわしいばかりだ。

 我々はこの船舶が北朝鮮の工作船か否かという問題とは別に、日本当局が取った措置が日本の右傾化に対する懸念を増幅していると見る。ひとつは過剰対応の問題だ。小泉首相は事件後、日本の巡視船の銃撃が「正当防衛」だったと主張したが、そのように見ることができない幾つかの状況が明らかになっている。正当防衛とは相手側の攻撃に対して自分を守るために取る措置だが、今回の事件では日本の巡視船が先に攻撃をし、それも3度も攻撃した後になって怪船舶が応射したことが明らかになっている。

 日本海上保安庁が船体に先制発砲したのは1953年以来48年ぶりのことであるだけではなく、発砲地域も中国と日本のEEZ(排他的経済水域)であるか中国のEEZだった。日本は99年3月に北朝鮮の工作船と推定される船舶が日本の領海に侵入した際、「威嚇射撃」だけ行い拿捕に失敗したことから、領海内では先制射撃が可能になるよう海上保安庁法を改定したが、それはEEZでは通用しない。そのために日本の野党内でも「適切な対応だったのか十分に検討する必要がある」という声があがっているという。

 ふたつ目は日本のEEZでもない中国のEEZで船舶を撃沈したことには問題の余地があるという点だ。日本政府は国連の海洋法条約で「自国EEZに侵入した船舶に対して、多国の領海内に入る前までは追跡権を認めている」という点をあげ、国際法上の問題がないと主張している。例え国際法に問題がなかったとしても、多国のEEZで、それも十分に拿捕が可能であったにもかかわらず撃沈したのは説得力がない。中国政府が即刻、「東中国の海域で日本が軍事力を使用したことに対し懸念している」と遺憾を表明したことを見ても、周辺国がどんなに神経を使っているかが分かる。

 日本は米国の9・11テロ事件以降、戦後56年間タブーとなってきた自衛隊の海外派兵を行っただけでなく、最近に入ってから軍事力行使に足かせになってきた要素の取り除き作業を始めている。その延長線上で出たのが今回の日本の行為である。日本は今回の事件に対する徹底した調査と共に、周辺国の「懸念」が日本の国益にもプラスにならないことを直視しなければならない。




2001/12/24 22:48(MON)



(011224)朝鮮日報 日本の桓武王

2001年12月24日 | Weblog


【李圭泰コーナー】日本の桓武王

 日本の古都・京都の平野町に、平野神社がある。この神社の存在が町名になっているだけに歴史豊かで、神社の格式も最高位にある。ここに祀られている今木神は、まさに日本の第50代日王・桓武王の母方の祖父になる。今木というのは、外国から渡ってきた渡来人という意味で百済を意味し、今木神は桓武王を産んだ皇后側の祖父だ。12世紀の王室で詠まれていた御歌に「桓武王の母方の祖父は百済の武寧王の5代目の子孫」という題が出てくるところをみると、桓武王は武寧王の9代目の子孫となる。代々下級官吏をしてきた家系に生まれたこの百済の娘が、桓武王の父親である王の目にとまった。2男1女をもうけ、そのうちの一人の王子が桓武王として日本の歴史に登場、まさにこの桓武王と明治王という言葉があるだけに名君となる。ただ、渡来人だったためか、下級官吏のむすめだったためか、正妻ではない側室として満足せざるをえず、息子である桓武王が即位してようやく先代の王の后妃として支えたという。

 現在125代目の王である今上日王(明仁)が、「桓武王の生母が百済の武寧王の子孫」という「続日本紀」の記録を引用、日本の王室に韓国の血が流れていることに触れたことで、これまで韓国の血を拒否し沈黙してきた王室のルーツをはっきりと示すことになった。

 すでに6~7世紀、日本の大和朝廷時代に百済との密接な交流により、日本の王室に韓国の血が流れている可能性は高い。例えば、当時の権力者である蘇我氏の血統をみると、蘇我韓、蘇我高麗、蘇我稲目、蘇我馬子と世襲されているが、この名前だけを見ても韓国系であることが明らかだ。蘇我稲目は当時王妃の実父だった。彼の息子・蘇我馬子は、新王のいとこであり、二人の娘のうち一人が舒明王だ。王室に韓国の血が流れていることへの拒否感を感じるためか、日本の学者は蘇我氏が百済系であることを隠しているが、今後この是非をめぐって議論すべきことだろう。日本の王室に韓国の血が流れていることは、同化政策を行うときに打ち立てた韓日同祖論から取り上げられ悪用されたこともあるが、今回の日王の発言は、普段から日本の王室に伝えられてきた素直な常識だと思う。

イ・ギュテ/朝鮮日報論説顧問




2001/12/24 21:33(MON)