韓国のW杯4強の理由
こんにちは。
一ヶ月間連日サッカーの話題ばかりタレ流していたテレビも新聞も、全く何も語らなくなりましたね。韓国をあれだけ持ち上げていたんだから、少しは安貞桓の話題でも書けばいいのにな。無責任なこった。これだからマスコミは信じられない(笑)。
で、新聞の広告で偶然、雑誌SAPIOに、ここの掲示板でも名前が出た(私が出した)ことがあるライターの勝谷氏の記事を見つけました。「サッカーに勝つには韓国のように恨と粘着質と戦争慣れが必要」とのこと。本屋で立ち読みしてみましたが、韓国についてだけでなくFIFAワールドカップ全般的なことを書かれておりました。韓国について「恨と粘着質」ってのは良いですね。
(SAPIOの記事の内容は省略。)
韓国の強さについてですが「恨と粘着質」とするなら、もう一つ何でも自分に都合よく解釈できる楽天的な精神構造を入れるべきですね。「恨」と「粘着質」だけでは精神的なバランスが崩れますからね。「恨」と「粘着質」だけじゃ、何かストーカーみたいでしょ(笑)。
今回そのご都合主義の精神構造が出ていたのは、空席問題でしょうか。大会が始まる前にはチケットが売れ残ってガラガラだって言う記事が新聞に出ていたのですが、大会が始まってバイロム社の件が明るみに出るや「全てバイロムが悪い」に記事がコロッと変わった(笑)。読んでいてこいつら恥ずかしくないんか?と思いましたね。
中国人を10万人呼ぼうとかで、キャンペーンをはって中国の予選を韓国にしたまではよかったが、ふたを開けてみると全然来ない。それまで中国は「韓流」(韓国のモノや文化がもてはやされる事。流行る事。)だ、韓国は中国で人気があるとか書き散らしていたのに、いっせいに冷めた。オマケにに中国で韓国の試合の不正疑惑が報じられると、一気に「中国は嫉妬深い隣国」となる。ついでに言うとこの時、韓国を日本のマスコミが応援したおかげで、日本は競争相手から「日本は腹違いの兄弟」に変わっていた。ひとっつも嬉かないけどな(笑)。
ワールドカップも終わった事だし、いいかげん韓国の新聞を読むのもやめようかと思っていたのですが、面白い記事がありましたので紹介しておきます。いかにも韓国らしい思考です。もっとジメジメした根暗なものもありましたが、この記事はいかにも韓国らしくて面白い。わたしゃ控えめに表現すると韓国のW杯4強は「マグレ」かと思ってましたが、別に深い理由があったようです。
しかし、これ韓国の大学教授がマジで考えて、マジで大新聞が記事にしているのかね?
--↓--東亜日報より全文引用----------------------------------------
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2002070571908
「ボールを蹴る文化は古くからあった」韓国のW杯4強入りとの関係
JULY 04, 2002 22:33
韓国サッカーがW杯4強入りした力は、2000年近く「ボールを蹴る文化」を受け継いできた歴史的な伝統によるものだという主張が出ている。
韓国体育大教養学部のシン・スング教授は「伝統と現代」の夏季号に載せた論文「韓国蹴鞠の歴史と特性」で、足でボールを蹴る遊びの代表的な用語である「蹴鞠」が三国時代から使われていたと主張した。
サッカーに関するもっとも古い国内記録としては、三国史記と三国遺事に記されている「新羅29代太宗武烈王(在位654~661)が王位に就く前に、金?信(キム・ユシン)将軍とともに蹴鞠をした」という記述が挙げられる。しかし、シム教授は金大問(キム・デムン)の花朗世記で100年以上の前の記録を見つけた。
「新羅23代王の法興王(在位514~540年)が姉のボヒョン姫の息子、ヨンシルゴンと宮殿の表庭で蹴鞠をしたという記述が出ている。宮殿でボール遊びを楽しんでいたことから、チェギ(紙や布で包んだ銅銭などを地上に落とさないよう蹴り上げる遊び)の形をした蹴鞠である可能性が高い」
宋の後漢書の高句麗伝には「人々が蹴鞠に長けていた」という記録が残っている。新羅の場合は、王室や貴族が楽しむチェギをしていたが、高句麗は軍事訓練の一環として、穴にボールを入れることをしていただろうとシム教授は話している。
統一新羅や?海時代には蹴鞠の代わりに、騎兵が戦術を磨く手段として馬に乗ってボールを蹴る撃毬が登場する。
高麗時代にはチェギの形をした蹴鞠が再び復活する。高麗中期の文人兼学者だった李奎報(イ・ギュボ、1168~1241)は、「東国李相国集」で人生のむなしさをボールにたとえて、「空気が詰まってボールになった時は、人に蹴られて空まで上がったが/空気がなくなると、人間もばらばらとなり、一つの空いた袋だけが残っている」と詠んだ。
朝鮮中期に領議政を務めた李恒福(イ・ファンボク、1556~1618)の「白砂集」には、彼が子どもの時、シルム(朝鮮相撲)と蹴鞠に夢中になり、母親に叱られたという部分が出てくる。
これは蹴鞠が三国時代、高麗を経て、朝鮮時代に国民的な遊び文化として発展したことを示している。
シム教授は「19世紀末、西洋の近代式サッカーが導入されたことを機に、ボールを利用したチェギの形は次第に姿を消し、銅銭チェギだけが残ったが、わらを利用した「わらボール蹴り」、動物の膀胱に空気を吹き込んで蹴る「膀胱蹴り」もあった。最近、大学で流行っている「紙コップ蹴り」も、このようなボールを蹴る文化の影響を受けたようだ」と述べている。
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>最近、大学で流行っている「紙コップ蹴り」も
↑小学校の間違いだろ。・・・マジか?