<第1章>秋篠宮を皇嗣とする「退位特例法」の問題点 (2)「皇嗣」成立の背景を追う
ここで取り上げるのは第1章の(2)で、この節に含まれる項目について、関連情報を収集します。
コメント欄に、該当する情報(新聞記事、Webニュース、SNSコメントなど)を書き込んでください。
書き込みに際しては、情報のソースをできるかぎり明記してください。
Web情報の場合は、URLを添えていただけると助かります。
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(2) 「皇嗣」を成立させた背景を追う
・皇室外:安倍政権を牛耳る日本会議が続けてきた女性天皇反対運動。
・皇室内:2013年「新潮スクープ」が教える皇室内の思惑
→皇太子殿下は即位後に早期退位→秋篠宮は即位辞退→悠仁親王即位
野田政権時は宮内庁から「内親王限定の女性宮家」も求めていた。
・ディアとネット:
秋篠宮天皇論、秋篠宮摂政論、皇太子殿下に退位や廃太子を迫る一連の動きがあった。
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全体の構成案は、以下を参照ください。
【呼びかけ】みんなで作ろう!「女性天皇の本」プロジェクトについて
およその進行スケジュールは次の通りです。
<メモ:進行スケジュール>
・1章について1か月プラスをめどに情報を収集する。
・集まった情報をベースに、章ごとに内容をまとめた文章を書き下ろす。
・電子ブックは2種作成される。
(1)皆が情報を持ち寄って章ごとに作成した本。(貴重なデータベース)
(2)そのデータからエッセンスを抽出し、読者の理解を得やすい形に文章を起こした本。
こちらは印刷・出版(300ぺージ前後)を目指す。データベースへのリンク必須。
10月~11月 <第1章>秋篠宮を皇嗣とする「退位特例法」の問題点
11月~12月 <第2章>十数年に及ぶ「東宮ご一家いじめ」の実態
12月~来年1月<第3章>皇位継承を自認する「秋篠宮家」の過去・現在・未来
来年1~2月<第4章>「新天皇ご一家いじめ」再来、早期退位に至る恐れ
来年2~3月<第5章>私たちが望む「新しい皇室、女性天皇への道」
来年3~4月<付章>新天皇ご一家への応援メッセージ
どうぞよろしくお願いします!
ここで取り上げるのは第1章の(2)で、この節に含まれる項目について、関連情報を収集します。
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(2) 「皇嗣」を成立させた背景を追う
・皇室外:安倍政権を牛耳る日本会議が続けてきた女性天皇反対運動。
・皇室内:2013年「新潮スクープ」が教える皇室内の思惑
→皇太子殿下は即位後に早期退位→秋篠宮は即位辞退→悠仁親王即位
野田政権時は宮内庁から「内親王限定の女性宮家」も求めていた。
・ディアとネット:
秋篠宮天皇論、秋篠宮摂政論、皇太子殿下に退位や廃太子を迫る一連の動きがあった。
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全体の構成案は、以下を参照ください。
【呼びかけ】みんなで作ろう!「女性天皇の本」プロジェクトについて
およその進行スケジュールは次の通りです。
<メモ:進行スケジュール>
・1章について1か月プラスをめどに情報を収集する。
・集まった情報をベースに、章ごとに内容をまとめた文章を書き下ろす。
・電子ブックは2種作成される。
(1)皆が情報を持ち寄って章ごとに作成した本。(貴重なデータベース)
(2)そのデータからエッセンスを抽出し、読者の理解を得やすい形に文章を起こした本。
こちらは印刷・出版(300ぺージ前後)を目指す。データベースへのリンク必須。
10月~11月 <第1章>秋篠宮を皇嗣とする「退位特例法」の問題点
11月~12月 <第2章>十数年に及ぶ「東宮ご一家いじめ」の実態
12月~来年1月<第3章>皇位継承を自認する「秋篠宮家」の過去・現在・未来
来年1~2月<第4章>「新天皇ご一家いじめ」再来、早期退位に至る恐れ
来年2~3月<第5章>私たちが望む「新しい皇室、女性天皇への道」
来年3~4月<付章>新天皇ご一家への応援メッセージ
どうぞよろしくお願いします!
特集 「雅子妃」不適格で「悠仁親王」即位への道
皇太子ご夫妻のご成婚20周年で世は祝賀ムードに包まれた。だが、雅子妃の長期療養や皇族方現象の問題は未解決のまま。「女性宮家創設」も霧消した今、宮内庁は驚愕の方策を安倍内閣に提示しているという。「雅子妃・皇后不適格」の断で早まる「悠仁天皇誕生」への道。
■ついに「雅子妃に皇后は無理」の断を下した美智子さまの憂慮
皇太子ご夫妻のお振舞いは、かねてより天皇、皇后両陛下のご心痛の種となってきた。とりわけ雅子妃が療養生活に入られた10年ほど前からは、絶えずお二人を苛んできたと言えよう。が、今般ついに、両陛下はあるご意向を示された。そして、その背景には皇后さまの強い「ご憂慮」があった―。
さる9日、ご成婚20周年を迎えた皇太子ご夫妻は、宮内庁に寄せられた「ご感想」の中で、
<今後とも国民の幸せを願い、夫婦で協力しながら務めを果たしていくことができればと願っております>
述べられていた。が、
「せっかくのご決意ではありますが、もはや遅きに失した感があります」
とは、さる政府関係者である。それというのも、
「宮内庁では目下、ある遠大な『プラン』が極秘裏に進められています。それは、現行の皇室典範を改正し、天皇の退位すなわち譲位を可能とする。さらには皇位継承権のある皇族が即位を辞退することも認める。そんな案が動いています」
いかに皇室の危機とはいえ、ドラスティックに過ぎて耳を疑うような話だ。それでも、目指すとことは、
「次代はいったん皇太子さまに託し、ある時点でご退位頂き、その後すみやかに皇位を秋篠宮家に継承する。それも弟宮ではなく悠仁さまに継いで頂く、という心積もりなのです」(同)
肝心の“進捗状況”については次章に譲るとして、こうしたシナリオは、皇太子ご夫妻のお振舞いと無縁ではあるまい。何しろ、
<一生、全力でお守りします>
という皇太子さまのプロポーズが実ってからちょうど20年。お世継ぎを望む周囲のプレッシャーに晒される中、1995年には、
<国民はみなあなたたちの子に期待していますよ>
と、労いの声をかけられた陛下に雅子妃は、
<私の友人に、そんなことを言う人はいません>
そう返されている。
99年冬には「ご懐妊の兆候」と報じられたが、年末には稽留流産と診断。このあたりから、目に見える形で雅子妃には異変が生じていく。2000年夏には、香淳皇后の葬儀を欠席されてしまうのだ。宮内庁担当記者の話。
「01年に愛子さまがお生まれになると、ご一家はもっぱら“公より私”というスタイルに傾斜していかれます。03年暮れには帯状疱疹を発症して長期療養を余儀なくされ、翌年は皇太子さまのいわゆる『人格否定発言』の後、7月には宮内庁が病名を『適応障害』と発表。継続的なご公務は困難であり、すべてはその日のご体調次第、となってしまったのです」
ご予定が行き当たりばったりになるのも道理で、
「05年2月には、長野県で開催されたスペシャルオリンピックスの観戦を、雅子さまは当日の出発1時間前に取り止め、宮内庁長官が東宮大夫に注意する事態に発展しました。この頃はまた、両陛下を交えたお身内での会食などでも、遅刻や欠席などがありました」(同)
そのまま今に至り、ごく直近でも、人知れず以下のようなきわめて深刻な状況を引き起こしている。
さる皇宮警察関係者が打ち明ける。
「ご夫妻で6月18日に予定されていた宮城県ご訪問が、内々に無期限延期という扱いになっているのです」
被災地ご訪問には、雅子妃も強い意欲を示されていながら、当初の5月28日から繰り延べされていた。それが今、実現すら危ぶまれているというのだ。現地で警備を担当するはずだった宮城県警関係者も、
「こちらには6月7日、宮内庁から警察庁を通じて連絡が入りました。我々はすでに3月から『警護警備対策室』を立ち上げてお出ましに備えていたのですが、妃殿下のご体調が相当思わしくないとのことで、1週間前に予定されていた早朝の警備訓練も中止となってしまいました」
◆「私が残されたとして…」
この一件、これまで散々繰り返されて来た直前キャンセルとは意味合いが大いに異なるのは言うまでもない。
「住み慣れた家と家族、そして思い出を失った人々が今も仮の住まいで肩を寄せ合っている。その現場に、日程を変えてもなお赴けないとなれば、オランダ外遊との“整合性”が蒸し返され、被災地では東宮家に対してのネガティブな感情が芽生えるばかりです」
とは、さる宮内庁幹部である。さらに、こうした“十年一日”のごとき現状をご覧になるにつけ、
「皇后陛下はすでに、周囲には『皇太子妃には将来、皇后の仕事はつとまらないでしょう』と漏らされています」(同)
何と、すでに皇后さまは“諦観”の境地におありだというのだ。
「現状に鑑みれば、そうしたお気持ちを抱かれるのも無理からぬことです。ご公務の分量は措くとして、もとより皇太子妃と皇后とでは、責務の重さの点で、比較になりません」(同)
現在、両陛下はつねにペアでのご公務をモットーとされており、その点でも「継承」は困難であるところ、
「昨年は御所や宮殿で、拝謁や外国要人とのご会見、両陛下が主催される茶会や晩餐、そしてご接見などがおよそ230件行われています。加えて毎年、全国戦没者追悼式を始め、都内へのお出ましも多数。皇后さまは日本赤十字の名誉総裁でもあり、全国大会ではスピーチもなさっている。また例年お揃いで『全国植樹祭』『国民体育大会』『全国豊かな海づくり大会』の三大行幸啓にお出ましになり、その折に毎回、福祉施設などを訪問されるのが慣わしです」(前出記者)
これでは、雅子妃をなぞらえるべくもなかろう。
皇后さまは先ごろ、体力低下により持病の頚椎症もあって公務を取り止めたばかりだが、なおも憂慮は尽きぬようだ。
「皇后陛下は最近、皇太子殿下のイメージダウンを、とりわけ懸念なさっています」(侍従職関係者)
というのも、
「演奏会や観劇に殿下がお出ましになっても、会場に居合わせた一般客からの拍手はまばらで、時には途中退席する光景すら見受けられます。そうした実情を、職員や皇宮警察から逐一お聞きになり、『このままでいいのでしょうか』と、大層嘆かれています。皇后陛下であれば、入退場の際には割れんばかりの拍手が沸き起こり、席を立つ人などまず見当たらない。その“落差”から、直感的に危うさを感じ取っておられるのです」
また、お身内においても、ことのほか案じておられる件があるという。
「そもそもは、陛下の思し召しを正確に咀嚼され、行動に移されるのが、かつての皇太子殿下でした。が、ご成婚の後、そうしたお姿は徐々に変容を遂げられます。妃殿下にご家庭でのイニシアチブを握られ、いわば引きずられる格好で、御所のご意向とは相反するお振舞いや、時には“応答なし”といったご姿勢も、今では散見されるくらいです(前出幹部)
そうした現状をご覧になって、
「皇后陛下は『もし仮に、陛下がおられなくなって、私が一人残されたとします。その時のことを考えると、とても不安になります』と、近しい人に打ち明けられている。ご公務の引継ぎなどはもちろんのこと、はたして皇太子ご夫妻が、ご自身を適切に遇してくれるのだろうか…その点を気に病んでおられるのです」
東宮家との亀裂は、ことほどさように根深い。まことにおいたわしい限りである。
(その2へ続きます)
■「皇太子即位の後の退位」で皇室典範改正を打診した宮内庁
雅子妃の長期療養がもたらした御所と東宮の深い溝。次第に数を減らす一方の皇族方。暗雲が垂れ込める皇室で、かつてこれほど皇統断絶の危機が叫ばれたことはあるまい。そこで前章でも触れた通り、現下、宮内庁は当面の問題を解決するため、ウルトラCの方策を企図。密使が安倍内閣へ伝えた腹案の詳細とは―。
「女性宮家の創設は両陛下の強いご意向でした。これも叶わぬ今、当庁としては妃殿下のご苦悩を取り除くことを優先したい。皇室制度のあり方を変えなければ、この問題は解決できないというのが我々の立場です」
今年2月1日。悲壮な決意を秘めた宮内庁の密使が総理官邸を訪れたのは、薄暮が迫る午後4時50分頃のことだった。安倍晋三総理に対し、概ねこう述べた密使は、次のように言葉を継いだという。
「今晩の両陛下とのご夕食会でもこの話が出るものと思います。くれぐれも熟慮のほど、よろしくお願い致します」
安倍総理に、宮内庁が抱える問題を説明したこの密使とは、元国交省事務次官で、現在の宮内庁トップ、風岡典之長官、その人である。この日の夜、皇居で、天皇・皇后両陛下は、安倍総理とファーストレディの昭恵夫人を夕餉に招くことになっていた。その2時間ほど前に、風岡長官は、前もって懸案事項を総理に伝える、露払い役を果していたわけだ。
「実は、この安倍さんとの会談に先立つ1月半ばにも、風岡さんは菅義偉・官房長官と面談し、宮内庁の課題を説明しています」
と語るのは、官邸関係者。
「当初は1時間の予定でしたが、アルジェリアで人質事件が発生し、菅さんはその対応に追われていたため、会談時間は半分ほどに短縮されました。それでも両陛下の健康状態や公務軽減の問題など当面の課題が説明されたうえ、“女性宮家創設”についても、両陛下のご意向だった旨が伝えられたと言います。そして最後に雅子さまの諸問題を解決する手立てとして、皇位継承をめぐる皇室典範の一部改正が提案されました」
その詳細をお伝えする前に、皇統の安定的な継承を実現するために行われてきた、政府の過去の取り組みを振り返っておきたい。
皇太子ご夫妻の間に第2子誕生の兆しが見えなかった2004年末。小泉政権下で、女性の皇位継承を探るための「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、女性・女系天皇の是非をめぐる議論がスタートした。しかし、その最中に秋篠宮紀子妃がご懐妊。悠仁さまご誕生の僥倖に恵まれたため、この論議が雲散霧消したことはご承知の通りだ。
もっとも皇室に男系男子は少なく、皇統の危機が去ったわけではない。悠仁さま即位の頃には、公務を分担する皇族はほとんどいなくなる状況が予想された。
そこで民主党政権時代の一昨年秋、当時の羽毛田信吾・宮内庁長官が野田佳彦総理に皇室典範改正による「女性宮家創設」を要請。しかし、「女系天皇への道を開く危険性がある」という批判が識者の間に根強くあり、民主党内にも反対論者が多かった。
「国民からの意見公募も行い、二十数万もの意見が寄せられましたが、そこでも圧倒的に反対が賛成を上回った。これでは国民の理解も得られないと野田内閣は恐れをなし、断念に追い込まれた経緯があります」(政治部デスク)
危機を前に揺らぐ皇室。追い込まれた宮内庁は、間近に差し迫った問題から優先して対処することに。それが風岡長官による、安倍内閣への“皇位継承をめぐる制度の改正”の要請なのだ。警察庁幹部が声を潜めて明かす。
「具体的には『天皇が自らの意思で生前に退位し、譲位することができる』ならびに『皇位継承を辞退できる』ことを可能とする条文を皇室典範に付記するというものです。風岡さんは、総理らに大方針を伝えた後、官邸に詰める政府高官らに詳細を説明し、以後は必要に応じて、電話等でやりとりしていると言います」
◆「王冠を賭けた恋」の先例も
現行制度では、天皇は終身在位で、崩御されるまでお務めいただくことになっているが…。宮内庁が官邸に示した考えはこうだ。
「まず今上陛下には最後まで天皇としての重責を全うしていただく。そして将来、身罷られた後は、皇位継承順位1位の皇太子さまが天皇に即位する。ここまでは、これまで通り。しかし、皇太子さまには比較的早い段階で退位し、皇位を次の方に譲っていただく。譲位のお相手は、現在、継承順位第2位の秋篠宮さまではなく、そのご長男の悠仁親王だというのです」(同)
そのため、秋篠宮にも皇位を辞退する権利を認めるという。俄かには信じ難い話だが、先の官邸関係者もこう言う。
「宮内庁側は“皇太子殿下が即位しないとハレーションが大きいので、天皇にはなっていただくが、未だご病気の完治しない雅子さまには皇后の重責は果たせない”と考えています。このままではご公務が“片肺飛行”になってしまうので、なるべく早く譲位していただくということです」
これについて、識者は、
「秋篠宮さまを皇位継承から外すのは非民主的で理解できません。ただ宮内庁が、皇室の繁栄を考え、生前退位や継承辞退の典範改正を考えるのは自然なことで、研究を続けてきたのかもしれませんね」(皇室ジャーナリストの神田秀一氏)
元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、
「明治以前は、皇位継承について明文化されたルールはなく、天皇の生前譲位や辞退が行われていました。また海外に目を転じれば、皇太子同妃両殿下が参列されたオランダの国王即位式は、まさにベアトリックス女王が、公務の継続が難しくなり、退位したから行われたものです。個人的には違和感を覚えますが、譲位や辞退はありえない話ではない。世論が支持するなら、国民の負託を受けた国会議員が是非を判断すれば良い」
確かに、歴史を振り返れば、日本の皇室と馴染みの深い英国王室でも、1930年代にエドワード8世が、離婚歴のある米国人の人妻との愛に溺れ、結婚の道を選択して、王位を捨てた先例がある。世に言う「王冠を賭けた恋」である。
「“女性宮家創設”は、安倍総理が反対論者だし、“女系天皇誕生への道を開く”とあちこちから大ブーイングを受け、潰されるのは必至。しかし、今回の案なら、“男系による万世一系”は侵されない。さほど反対は起こらず、国会への法案提出へのハードルは低いという計算が宮内庁にはある」(前出・警察庁幹部)
内閣官房ではこの典範改正が実現可能か、密かに検討が進められているという。
(その3へ続きます)
■「秋篠宮は即位すら辞退」が頂上会談で了解された深い事情
皇太子殿下が生前退位しても、秋篠宮は天皇に即位しない―。宮内庁が思い描くシナリオは一見、あまりに突飛だ。しかし今上陛下、皇太子、秋篠宮両殿下の三者の間では、すでにこの件は了解済みなのだという。なにゆえ「兄宮から弟宮への皇位継承」は否定されたのか。その背景にあるのは、太古から続く天皇家の暗闘の歴史だった。
天皇陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿から3人の会談が御所で行われるようになったのは、一昨年半ば頃のことである。
「これは病気療養中の雅子妃のことを心配されるあまり、皇太子さまが国民の期待に充分応えられていないのではないかと懸念された陛下が、招集したものです。実は本来の意味は、もしもの時には、秋篠宮さまにも皇位継承があるやも知れぬとお考えになった陛下が、自らの経験を語り、帝王学を授けようというものでした。しかし、秋篠宮さまだけを呼ぶと、変に勘繰られるので、皇太子さまにも同席いただくことにしたそうです」(宮内庁担当記者)
ところが現在では、宮内庁が秋篠宮の即位を想定していないのは、前述の通り。
「むろん、皇太子さまの生前退位や悠仁さまへの譲位は、宮内庁が勝手に判断して、官邸に相談できる案件ではありません。すべて天皇・皇后両陛下の思し召し。すでに天皇・皇太子・秋篠宮の三者による頂上会談でも話し合われ、納得されている話なのです」
と解説するのは、さる宮内庁の幹部だ。
「皇太子さまは、天皇の重責を担い続けることより、雅子妃や愛子さまのことを慮り、一宮家として3人で平穏な生活を送りたいというご意向をお持ちです」
雅子妃のご病状を考えれば、これもやむを得ない選択なのかもしれない。しかし弟宮が後を継がないのはどうした訳か。
◆兄弟騒乱の凄惨な歴史
「宮内庁が官邸に説明した理由は、イメージの問題でした。兄が健在なのに、弟が継承すると、兄宮がダメを出された観が強い。しかも、弟宮が皇位を簒奪したような負のイメージがつきまとい、生々しすぎる。過去に皇位継承をめぐって兄弟が争った暗闘の歴史が思い返されるので、それは避けたいとのことでした」(警察庁関係者)
それをよく理解されているので、秋篠宮も身を退くお考えなのだという。確かに古来より続く皇室の歴史を繙けば、兄弟間での抗争はいくつか伝わる。古くは5世紀頃、暗殺された安康天皇の後継をめぐり、雄略天皇が兄を含め皇族を殺害したという。また直接的な兄弟間の戦いではないが、天智天皇の後継争いも有名だ。病床の天智天皇から後継指名を受けていた弟・大海人皇子は、「兄が自分の野心を疑っている」と、これを辞退。一旦は仏門に入ったが、兄が崩御し、その皇子が即位するや、挙兵してこれを自害に追い込み、自身が天武天皇となった、とされる「壬申の乱」である。平安時代に入ると、天皇が譲位して上皇となり、院政を敷くことが、一族間で争いや悲劇を生み出す元ともなった。
「そこで、明治時代に、譲位による問題が起こらないようにするため、これを縛る旧皇室典範が作られた。その思想が戦後、一般法令となった現行の典範にも受け継がれたのです」(前出・山下晋司氏)
それを今度は、兄弟間の諍いのイメージを払拭するために、改正しようというのだから、皮肉としか言いようがない。当事者は皆、忸怩たる思いがあろうが、こうするよりほか、雅子妃の長期療養問題を解決する術はないということか。
(その4へ続きます)
■「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図
昨秋、お誕生日会見で悠仁さまの教育について尋ねられた秋篠宮さまは「今、君はこういう立場なんだよ、という話はしておりません」と答えられていた。それでも、今や悠揚迫らずでは“その日”に間に合うまい。それは無論、ご自身も熟知されているようで…。
秋篠宮さまが「自主自律」を掲げるその校風をお気に召され、陛下のご意向も踏まえた上で悠仁さまの進学先をお茶の水女子大附属小学校になさったことは、先週号の本誌でも報じた通りだ。
「何しろ悠仁さまには、通常よりも短時間でさまざまな帝王学を詰め込まねばなりません。それもあって秋篠宮殿下は、皇室を受け入れるノウハウに溢れ、ご学友もいわばふるいにかけられた子女ばかりの学習院ではなく、世間一般の感覚を幼いうちから教え込むためにお茶の水を選ばれたのです」(皇室担当記者)
その“感覚”は例えば、さる5月25日に催された運動会にも表れていたという。
「警備はやはり厳重でしたが、保護者の服装はカジュアルで、運動会でもみなスーツで来る学習院とは大違い。いつもはフォーマルな印象の紀子さまも、水色のシャツに黒いパンツ姿で、ママたちの中に溶け込んでいました。貴賓席なども特になく、他の保護者と同じようにシートを校庭に敷いていらっしゃいましたね」(皇室ウォッチャー)
“来るべき日”に備え、秋篠宮さまはどのような指針で臨まれるのかといえば、
「殿下は、悠仁さまの教育については独自のお考えをお持ちなのです」
そう明かすのは、さる宮内庁関係者である。
「とにかく『厳しくしつけたい』とのことで、しばしば昭和天皇の同じ頃を引き合いに出されます。ですが、世は大正時代。『あまりにも時代が違います』とは申し上げているのですが、つまりはお定まりの“学習院風”にはしたくないご意向なのです」
◆丸ノ内線ご利用か
秋篠宮家でお手本とされる、昭和天皇が施された「教育」について、皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「生前の昭和天皇から直接伺った話です。学習院初等科時代のある雨の日、陛下は東宮職のお付きの人に傘を差して貰い、乗り物で学校まで行きました。すると、当時の乃木希典院長に『雨の日でも、車に乗らず歩いて一人で来なさい』と、こっぴどく叱られたというのです。以降、どんな悪天候でもお一人で通われたといい、『80歳の今でも、あの時の情景は忘れられない』と振り返られていました」
昭和天皇は1901年のお生まれ。ほぼ100年を経て、まさに故事に倣うかのような計画が進行中なのである。先の関係者の話。
「悠仁さまは現在、専用のお車で赤坂御所地から通われていますが、殿下はほかの児童と同じく、できるだけ早く電車で通学させたいご意向なのです」
学校の最寄り駅は東京メトロ茗荷谷駅。お住まいからほど近い四ツ谷駅からなら、皇居を左周りしてやや遠回りながら、丸ノ内線で乗り換えずに一本、20分少々である。とはいえ、お車に比べ、地下鉄となれば警備も手数が必要であろう。果たして可能なのか。
「お姉さまの佳子さまも学習院女子中・高等科時代は、四ツ谷駅から丸ノ内線で新宿三丁目、そこで副都心線に乗り換えて西早稲田というルートで通われており、愛子さまも毎回、学習院女子大で英語セミナーのある時は同じルートを使われていました」
とは、先の皇室ウォッチャー。
即位への道は、まず地下鉄から始まるようなのだ。
(終わり)
「女性宮家」創設検討を…宮内庁、首相に要請
読売新聞 2011年11月25日03時01分
宮内庁が、皇族女子による「女性宮家」創設の検討を「火急の案件」として野田首相に要請したことがわかった。
併せて安定的な皇位継承制度の実現も求めている。皇室典範は、女性皇族について、一般の人との結婚などにより皇族の身分を離れるとしており、女性宮家創設にあたっては、宮家の当主となる女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つよう、典範の一部を改正することになる。
現在の皇室の構成は、天皇陛下と皇族方22人。男性皇族方7人のうち4人は60歳を超えている。また、未婚の皇族女子は、天皇陛下の孫では皇太子ご夫妻の長女、愛子さま(9)、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま(20)、次女の佳子さま(16)の3人、昭和天皇の弟の三笠宮さまの孫にあたる彬子(あきこ)さま(29)ら5人、合わせて8人で、うち6人が成人されている。
宮内庁側は、今後、結婚により女性皇族が皇籍を離れるなどして皇族方が少数になると皇室全体の活動に支障が出ると危惧しており、羽毛田信吾長官が先月5日に首相官邸で野田首相に直接、女性宮家創設により皇族方の減少をくい止めることが喫緊の課題と伝えたほか、政府高官にも同庁側から説明が行われた。
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女性宮家「緊急性高い」=国民的議論必要―野田首相
時事通信 2011年12月1日(木)20時36分配信
野田佳彦首相は1日の記者会見で、安定した皇位の継承に向けた「女性宮家」の創設について、「皇室活動の安定性という意味から、緊急性の高い課題と認識している」と表明した。
羽毛田信吾宮内庁長官が10月5日に行った首相への説明を受け、政府は創設を視野に入れた検討を始めており、世論や与野党の動向も踏まえながら慎重に進める考えだ。
(その2以降で、女性宮家が両陛下のご希望であるという雑誌記事をご紹介します)
■野田政権時は宮内庁から「内親王限定の女性宮家」も求めていた。という点について
のコメントにおいて、
「(その2以降で、女性宮家が両陛下のご希望であるという雑誌記事をご紹介します)」
と書きましたが、こちらは
(3)陛下が望んだ「生前退位」の違憲性
:NHKにスクープしたのは秋篠宮
: 摂政拒否、恒久法希望、女性宮家希望、上皇の呼称、大金を要する住居修繕
の方に書くのがふさわしいと思い、そちらに書かせていただきました。
大論争!「皇太子は、まず雅子妃の病気療養に専念されたらいかがか」(佐々淳行氏)
「秋篠宮を摂政に」は暴論か
11月24日、天皇陛下が東京大学附属病院を退位され、18日ぶりに御所に戻られた。皇居までの道すがら、人々へ手を振られる姿は、非常にお元気そうに見えたが、その陛下も12月23日で78歳を迎えられる。今後は回復の状況を見ながら、再びご公務に当たられるとの強いご意向を示されているが、ご高齢、ご体調が優れないなか、新たな議論が起こっている-。
◆「速やかに皇室典範の改正を」
天皇陛下のご退院で国民の間には、安堵の声が広がった。しかし、ご入院が18日の長期にわたるなか、皇室のあり方をめぐる議論も、これまでとは異なる展開を示し始めている。
本誌11月25日号では摂政設置についての議論を取り上げたが、さらに一歩踏み込み、「秋篠宮を摂政に」と問題提起する人がいる。
元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏がいう。
「両陛下には十分休養をとられ、いつまでもお元気でいて頂きたい。そのためには摂政宮の設置が急務です。
しかし、皇太子殿下は今、雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。大震災に際しても、ご高齢で病気でも苦しまれている両陛下が被災地へのお見舞いに何度も行かれているのに、皇太子殿下、そして雅子妃のお見舞いの回数は少なかった。
まず雅子妃に本格的に療養して頂き、皇太子殿下も雅子妃の治療に専念されてはどうか。摂政を秋篠宮殿下にお任せし、雅子妃が回復されてから、再びご公務に戻られればいいでしょう」
摂政とは、日本の歴史においては、天皇の勅命を受け、天皇に代わって政務を執る職をさす。現在その資格者については皇室典範で定められており、順位は①皇太子、②親王および王、③皇后、④皇太后、⑤太皇太后、⑥内親王および女王、と決まっている。
皇室典範の第18条で「摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるとき」は、皇室会議の議によって「摂政又は摂政となる順序を変えることができる」とも規定されているが、現状では秋篠宮が摂政に就任することはできない。
そこで佐々氏は、秋篠宮が摂政に就任できるように皇室典範を改正すべきだとも主張する。
「そして弟君の秋篠宮文仁親王を『摂政宮』とし、秋篠宮妃紀子殿下を『摂政宮妃』とする。悠仁親王には当代最高の傅役(かしずきやく)をつけ、幼いうちから帝王学をお教えすべきです。男系の将来の天皇を傅育(ふいく)しなければなりません」
天皇家で唯一の男系男子の孫として、将来の皇位継承が確実な悠仁親王には、早いうちから帝王学をお教えする必要がある。そのためにも秋篠宮殿下が摂政宮となり、紀子妃殿下も摂政宮妃として皇后学を学んでおくべきというのである。
佐々氏はこの持論を講演でも話し、雑誌にも寄稿している。
◆「憲法の原則にも反する」
佐々氏が秋篠宮摂政論を考えるようになったのは、75年に起きた「ひめゆりの塔事件」での経験が原点だった。
当時まだ皇太子夫妻だった天皇陛下と美智子皇后が、沖縄海洋博開会式に際し、昭和天皇のご名代として皇族として戦後初めて沖縄を行啓された時のこと。ひめゆりの塔を訪れた際に、過激派が火炎ビンを投げつけた。この時、警備責任者を務めていたのが佐々氏だったのである。
「爆発した火炎ビンの炎は数㍍のところまで近づきましたが、その時の両殿下のお振る舞いは忘れられません。事件の現場にはひめゆりの生き残りの女性もいたのですが、陛下は警備の者を振り払ってその女性の元に戻り、『ご無事でしたか?』と心配して声をおかけになったんです。また妃殿下もご立派で、何事もなかったかのような表情で行事を続けられた。
現在の状況では、こうした両陛下の御気持ちを継ぎ、国民の支えとなれるのは秋篠宮殿下です。そして国母たる皇后の任に耐えるのは紀子様ではないでしょうか」(佐々氏)
佐々氏だけではない。秋篠宮摂政論に連なる論争も起こっている。
11月15日、デヴィ夫人が自らのブログに、<現皇太子を廃嫡『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』署名運動>等と題した記事を掲載すると、元皇族竹田宮の孫にあたる、作家で慶応義塾大学講師(憲法学)の竹田恒泰氏が猛反発。
「廃嫡、廃妃となると、これまでの皇太子妃殿下批判とは次元が違う。署名活動までするとなると、放置できません」
と批判したところ、デヴィ夫人が「脅迫された」とブログに綴り、思わぬ事態にまで発展しているのだ。
改めて竹田氏に、秋篠宮摂政論について話を聞くと、摂政は恣意的に選ぶものではないとの立場からこう論じた。
「たくさんの皇族のなかで、この方は人格が素晴らしい、この方は人格がゆがんでいるなど議論できるとすれば、これは皇室の政治利用に繋がる恐れがあります。例えばある親王を持ち上げて摂政に擁立し、政治的に重要なポストを得る。そうしたことがアラブなどでは現にありますからね。だからこそ皇室典範で継承順位が厳格に決められているのです。
憲法第2条には、皇位は世襲であることが書かれていますが、世襲とは兄弟のなかで誰がふさわしいかを議論するという話ではなく、長男が受け継いでいくということです。これは皇室典範にも書かれています。したがって、秋篠宮殿下を摂政にしようという考えは、法的にも全く不可能で、皇室を政治利用させないという憲法の原則にも反します」
◆「昭和天皇は単独の公務もあった」
佐々氏を始め、「秋篠宮を摂政に」と主張する人々が口にする雅子様のご病気への気遣い。竹田氏はそれに対して、こう語る。
「ご公務をお休みになっているのは、好き嫌いではなく、ご病気だからです。皇太子妃殿下のご公務のことを云々仰る方たちは、適応障害という病気についてどれだけ知っているのでしょうか。本当に苦しく、そう簡単に治る病気ではないと知っているのであれば、妃殿下にプレッシャーを与えるようなことは仰らないはずです。もし知らないで仰っているのであれば、最低限の知識はお持ちになったほうがいいですね」
03年12月に、適応障害による休養に入られてから丸8年。昨年3月に愛子様に対する“いじめ事件”が発生してからは、ご公務よりも愛子様の同伴登校を優先されているように報じられる。
いつまでも同伴登校を続けたり、校外合宿授業に同行したことに対しては、批判も高まっている。だが、この点についても竹田氏はこういうのだ。
「妃殿下のご病気にとって、愛子様と接する時間はプラスに働いている。もし妃殿下の行動が誤解を招いているとしたら、それはご病気をきちんと説明できていない宮内庁の責任でしょう。
それに昭和天皇は、単独でご公務に励まれることもありましたが、“皇后が欠席するとは何事か”という批判はなかった。戦後の全国巡幸も、昭和天皇はおひとりで行かれることが多かったんです」
◆「一見消極的なのも立場のせい」
京都産業大学法学部教授の所功氏は、すでに皇太子が立太子礼を執り行っているから、秋篠宮摂政論が浮上すること自体「不適切」と指摘する。
「皇室のご公務は、両陛下や両殿下がご夫妻でないと十分ではないような錯覚が広がっています。しかし、憲法に書いてあるのは天皇のみの行為です。もちろん、必要に応じて皇后陛下なり皇太子妃なりがお出になれば、それに越したことはないということです。現在、皇太子殿下は心身とともにご健康で立派に職責を果たしておられるのですから、妃殿下が当面お出になられなくても問題になりません」(所氏)
さらに、皇室典範が摂政を置く条件として「天皇が成年に達しないとき」「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」としていることを挙げ、こうもいう。
「このままでは天皇陛下のご高齢を理由に摂政が置けないので、皇太子殿下も摂政に就かれることはできません。摂政論を唱える人たちは、摂政というものを軽く考えすぎているのではないでしょうか」(同前)
昭和天皇は晩年、大量の吐血をされて集中治療室におかれても、摂政を置くことはなかった。そこには、父・大正天皇の時代に、自らが摂政を務めたご経験が影響しているのではないかと、所氏は分析する。
「大正天皇はご病状が上向かれたとき、役割を外されてしまったことに寂しい思いをされたとも伝えられます。そうした大正天皇の思いを背中に感じながら摂政を務められた昭和天皇には、忸怩たる思いがおありになったのではないか」
病床にあっても、「自分と同じ思いを皇太子にさせたくない」と、摂政設置を拒否されたとも伝わる。
「そして何より大事なことは、皇太子殿下が小さい頃から将来に備えて着実に修行を積まれ、立派に行動しておられること。皇太子殿下は立場をわきまえて、陛下がおられる限り公務に関して目立つことはされない。他の皇族のように自由な発言や行動をされない奥ゆかしさも理解する必要がある」(所氏)
一方、今上天皇のご学友で元共同通信記者の橋本明氏は佐々氏とは違う視点から、皇室典範改正の必要性を唱える。
「皇室典範は現実に合っておらず、機能していません。小泉政権下でできた皇室典範改正に関する有識者会議も中途半端に終わってしまいました。私は皇室典範に『譲位』の規定を盛り込むことを提案します。また、現行では皇位継承順位を議する皇室会議の場に天皇が外れている。天皇がご意思をお伝えできる皇族会議というものを、皇室会議の前に設けるよう皇室典範を改正することも提案したい」
我々国民がこの問題について真剣に考えるべき時が来ていることは間違いない。
(終わり)
[皇室レポート]八木秀次氏「一番現実的な選択肢」大原康男氏「皇室典範の目的に反する」
宮内庁内でも議論噴出!「秋篠宮を摂政に」は是か非か
-これは天皇、皇太子、秋篠宮、そして悠仁親王の将来を考える上で重大な提案である
皇統の安定的な継承に関する議論は一向に進まず、各方面から不安の声があがっている。将来の皇室は、どうあるべきなのだろうか。―宮内庁内部からは皇室のあり方を大きく変え得る、大胆な提案が浮上してきた。
◆国事行為の代行が容易に
去る6月9日、皇太子殿下と雅子妃が成婚20年を迎えた際、両殿下は文書で発表した「ご感想」の中で次のように述べた。
「雅子につきましては、療養が長くなり、ご心配をいただいていることと思いますが、お陰様で、依然と比べ大分元気になったように思います」
当日のテレビ報道の多くは、雅子妃が11年振りの海外公式訪問となるオランダ訪問(新国王即位式への参列)を果したことなどを取り上げ、回復ぶりを強調した。
だが、宮内庁周辺にはその祝賀ムードとは裏腹の動きがあると、宮内庁関係者が明かす。
「実は宮内庁内部や一部の宮家関係者などの間で、将来、両殿下が天皇皇后になられた際、雅子妃の公務負担を軽減するため、秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきだとする意見が出ているのです」
皇室に詳しいジャーナリストは、その背景をこう説明する。
「オランダから帰国後、期待された雅子妃の公務による外出がただ一度に限られ(故寛仁親王喪儀墓所一周年祭の儀に参列)、被災地訪問の計画も先行き不透明な状況から、やはりご病状の回復はなかなか難しいという認識がある。その一方、精力的に公務に励まれる秋篠宮ご夫妻の存在感が、必然的に高まっている」
そうした現状を背景に浮上したのが「秋篠宮摂政論」である。皇室制度に関する有識者ヒアリングに出席するなど、皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授は、「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と評価する。
「宮内庁内で検討課題になっていなければおかしい話ですが、これまでは選択肢の一つとして話すこと自体、タブーとされてきました。しかし、いまやこれに関する議論を避けてはいけない。
歴史上、天皇皇后両陛下が一緒に行動することは必須ではありませんでしたが、その当時の皇后のお務めを果たしていた。たとえば香淳皇后も、昭和天皇の巡幸や外国からの国賓を招いた晩餐会のときには同席されることがほとんどでした。
まして平成においては皇后陛下の存在感は増し、被災地などへ両陛下揃ってのご公務というスタイルが定着し、国民から支持されています。だとすれば、雅子妃が療養を続けたまま皇太子殿下が天皇に即位された時、ご夫妻が十分に天皇皇后としてお務めできるだろうか、という懸念が国民から出てくるのは当然です。そのとき、秋篠宮殿下が摂政としてサポートできれば、状況はずいぶん改善されるのではないか」
例えば、ある国にはご夫妻で訪問するのに、別の国ではおひとりで訪問するとなれば、相手国から見れば不公平との憶測も呼びかねない。実際、皇太子夫妻でのオランダ訪問後、皇太子の単独訪問となったスペインのメディアは、「皇太子はまた一人になった」「雅子妃は再び檻に戻り悲しんでいる」(エルパイス紙)などと書き連ねた。
「代わりに秋篠宮ご夫妻が訪問したとしても、一宮家の立場だと格が下がってしまう。しかし、摂政宮とその妃という立場ならば重みが生まれ、相手国の受け止め方も変わってくるはずです」(前出・八木氏)
また近年、皇室外交の重要性が高まるなか、国内公務との兼ね合いにも有効だと語るのは外務省関係者だ。
「昨年8月のロンドン五輪の時のように、被災地への慰問と海外訪問が重なるような時期に、もし摂政がいれば、公務を国事行為として代行できる。現在、法律的には皇太子が行う“国事行為臨時代行”は、あくまで天皇陛下が委任し、内閣の助言を必要とするものですが、摂政は天皇が国事行為を行うことが出来ない場合の法定代理機関として位置づけられ、代行しやすい。現実的に天皇をサポートしやすくなる」
もちろん、摂政論が浮上する背景はそれだけではない。もうひとつの事情は、皇位継承順位3位にあり、将来、天皇に即位する可能性が極めて高い悠仁親王の待遇にある。
「悠仁親王に帝王学を授ける際、秋篠宮家が一宮家にすぎないと、かけられる予算に限りがあります」(宮内庁関係者)
皇室経済法に基づき、天皇及び内廷にある皇族が使う日常の費用やその他の内廷諸費(内廷職員の給与など)にあてる「内廷費」は、今年度で3億2400万円。これを天皇皇后、皇太子一家の5人で使う。一方、各宮家にある皇族が品位保持のために使うのが「皇族費」で、一家5人の秋篠宮家の場合、今年度で6100万円にすぎない。摂政になった場合の皇族費がどうなるのかは、「家庭の話については、回答を差し控えさせていただく」(宮内庁総務課報道室)というが、賛成派は摂政になることで待遇が改善されることを期待している。
さらに、摂政論には宮中祭祀も大きく関係する。前出・八木氏が続ける。
「天皇の最大の役割は国家と国民のために祈ること、すなわち宮中祭祀にあります。そのやり方は一子相伝で父から子へと伝えられてきました。現状のままでは、次男である秋篠宮殿下は一子相伝に与らず、したがって悠仁親王に伝承することが難しい。しかしこれも、秋篠宮殿下が摂政に就任すれば、いま以上に宮中祭祀に深く関わることができ、悠仁親王への伝承がしやすくなる可能性もある」
宮内庁総務課報道室は摂政論について、「そのような検討は一切しておりません」と答えるが、内外で議論が噴出しているのは間違いない。
◆兄弟関係悪化の懸念
だが、現実に秋篠宮が摂政に就任するには高いハードルがある。
ひとつは皇室典範の規定だ。皇室典範はその第3章第17条で摂政に就任する順序を「1、皇太子又は皇太孫 2、親王及び王 3、皇后 4、皇太后 5、太皇太后 6、内親王及び女王」と定めている。皇太子が天皇に即位した後であれば、「2、親王及び王」にあたる秋篠宮が順序第1位となるので、その点では問題がない。しかし、そもそも第16条により、摂政を置くのは、「天皇が成年に達しないとき」と、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に限られている。現在、皇太子はそのいずれにもあたらず、天皇に即位するであろう将来も同様である。
「雅子妃殿下が公務を十分に果たせないことを理由に、秋篠宮殿下が摂政に就任するには、皇室典範を改正する必要があります。しかし、摂政を置く事由という皇室典範の中でも非常に重要な規定を簡単に変えていいものか大いに疑問です」
と、皇室ジャーナリストの山下晋司氏は話す。
さらに、「秋篠宮殿下の摂政就任は根本的な問題を孕む」と指摘するのは、國學院大學大学院名誉教授の大原康男氏だ。
「現行の皇室典範は、皇位継承順位を明確に定め、摂政を置く事由も極めて限定し、摂政に就任する順序を明確に規定しています。そして、皇位継承が行われるのは天皇が崩御された時に限定する、つまり、生前退位を認めていません。それらはすべて、皇位継承を巡って皇族間の争いが起こった過去の悲史を繰り返さないためです。明治憲法下の旧皇室典範で初めて明文化された。そもそも天皇に心身の故障がないのに、摂政を置くのは制度の目的に反します」
たしかに、天皇家における兄弟は常にデリケートな関係を孕んできた。古くは672年の「壬申の乱」で、天智天皇の太子・大友皇子に対し、弟宮である大海人皇子(後の天武天皇)が反旗を翻した古代日本最大の内乱が起きている。
昭和天皇の時代も、弟宮の秩父宮は陸軍の幹部と交流をもったことから、陸軍将校がクーデターを企てた2・26事件(1936年)に巻き込まれ、同じく弟宮の高松宮とともに、すぐ天皇のもとに直接、詫びに行っている。この当時は元老・西園寺公望が「軍部に利用された弟宮が皇位を簒奪するのでは」と危惧するほどだった。
それほど微妙な関係にある天皇家の兄弟が、天皇と摂政という地位を分け合うことになれば、どうなるか。
摂政論を置く賛成派にも、皇太子家と秋篠宮家の関係悪化を危惧する声はある」(宮内庁関係者)という。
◆「いますぐ秋篠宮を摂政に」
それでもいま「秋篠宮摂政論」が論議される背景には、「天皇皇后の健康問題」という避けては通れない事情がある。
昨年2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた天皇は「手術前より元気になられた」という見方もあるが、79歳という高齢である。さらに最近、78歳になった皇后が公務を休まれるという異例の事態もあった。
「皇后陛下は大変我慢強く、極めて責任感の強いお方です。その皇后陛下が公務をお休みになる、しかも当日になって発表されるのはよほどお辛かったからではないでしょうか」(宮内庁関係者)
その状況下で、一部ではさらに踏み込んだ意見も飛び出している。「今すぐ、秋篠宮殿下を摂政に」と唱えるのは、元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏である。
「本来、両陛下に代わって公務を行うべきは皇太子ご夫妻ですが、残念ながら雅子妃はご病気のために十分な役割を果たせず、皇太子殿下も雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。ならば、雅子妃には今は徹底して療養していただき、皇太子殿下もそれに専念なさるほうがいいのではないでしょうか。その間、秋篠宮殿下に摂政をお任せしてはいかがでしょうか」
確かに天皇皇后の公務削減は喫緊の課題であるが、東日本大震災の被災地・被災者お見舞いをとってみても、皇太子夫妻がこれまで5日(皇太子単独が2日)に対し、秋篠宮夫妻は13日と、秋篠宮夫妻の公務への取り組みが目立っている。
だが、今すぐ-すなわち今上夫妻から皇太子へ皇位継承が行われる前に、秋篠宮が摂政に就任するには、就任の事由に加え、本来摂政になるべき順位にある皇太子との間で、就任順位まで変える必要が生じるなど、さらにハードルは高まり、現実的には難しく、かつ反発も強い。
しかし、「秋篠宮摂政論」の是非や実現性はともかく、皇室の将来が皇室内外で真剣な議論を呼んでいる現実がある。
宮内庁担当記者が明かす。
「実は、昨年2月に天皇陛下が手術を受けて以降、月1回のペースで、皇居内で天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の御三方に宮内庁長官を加えた会合が行われている。そこで話し合われているのは、被災地のお見舞いスケジュールだけではないはずです。皇太子殿下が天皇に即位した場合、雅子妃は皇后としてどれだけの活動ができるのか、あるいは秋篠宮殿下が天皇となった皇太子殿下をどう支えていくのか、さらに今後の皇位継承や皇室の在り方をどうしていくか、といった重大なテーマについても、話し合われているのではないでしょうか」
秋篠宮はあくまで兄である皇太子を陰から支える姿勢を一切崩していない。それでも周囲が摂政になるのを期待してしまうのは、現在の皇室が近代では極めて異例の状態にあるからだ。
前出・八木氏が話す。
「将来の皇位継承者が悠仁親王しかいない以上、これまでの皇室制度とは違った前提の議論を展開する必要があるはずです。江戸時代の光格天皇(在位1780年~1817年)以降、父から子への皇位の直系継承が続いており、兄から弟の系統に皇位が移るような傍系への皇位継承は、数百年ぶりになる。現状の皇室典範も皇室のあり方も、父子間の継承しか想定されていない。議論の前提が変わったことを認識した上で、さまざまな選択肢を検討する必要があるのではないか」
皇室が歴史的な転換点に立っていることは間違いない。今、皇室の将来について国民も真剣に考えるべき時がきている。
(終わり)
宮内庁&東宮職の責任は重い
皇太子「廃嫡」&秋篠宮「摂政」の波紋広がる
天皇陛下の深刻な病状や女性宮家創設の動きの裏で皇室解体を目論む勢力も出てきた
◆「定年制」発言が波紋を呼んで
気管支炎による天皇陛下の入院を契機に、「女性宮家」創設に向けた皇室典範改正の検討が民主党政権で始まったが、次世代の皇室はどうなるのか。秋篠宮さまの動きが今後、注目されていきそうだ。
秋篠宮さまのお誕生日会見(11月30日)は、両陛下への肉親の情に満ち溢れたお言葉が目立った。象徴的だったのは、関連質問の中で「天皇陛下の定年制」について問われたときのご発言だった。
「私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います。ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだん年をとって、いろんなことをすることが難しくなってきます」
天皇は明治時代以降、亡くなるまで退位も譲位もできない“終身制”だ。今後の皇室の在り方に大きく踏み込んだこのご発言について、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司氏は、次のように語る。
「秋篠宮殿下のご真意は図りかねますが、例えば国事行為だけは天皇が行い、その他の公務は皇太子が常に名代を務めるという方法も考えられます。名代はその都度任命されるものですが、それを恒常的にするということです。ご健康とご公務はバランスの問題ですが、定年制も課題の一つになるでしょう。ただ、陛下はご自分からはおっしゃらないでしょうから、身近で接している秋篠宮殿下は心配なのでしょう」
一方、皇太子さまとの関係には微妙な距離感をうかがわせた。
「今後の皇室の在り方というものを考えるときには、その過程で、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってよいというふうに思っております」
宮内庁関係者が解説する。
「秋篠宮殿下は原稿を読み上げるのではなく、ご自分のお言葉で発言された。皇太子殿下とはあまり交流がないことが下地にあり、暗に『皇太子殿下の考えは知らないから私の意見を述べさせていただきたい』ということが、無意識に出ていた」
陛下が東大病院から退院された翌日の11月25日、読売新聞が「『女性宮家』の創設検討」と一面で報じ、平成皇室の根本的かつ喫緊の課題「安定的な皇位継承」の問題が再びクローズアップされた。皇位は皇太子さま→秋篠宮さま→悠仁さまと継承されていく。それでも皇室の安泰にはほど遠い。女性皇族が民間に降嫁されたら、悠仁さまが即位される頃、天皇を支える宮家が極端に少なくなる可能性が高いからだ。
◆「秋篠宮系の宮家創設」が狙い
前出の山下氏が指摘する。
「たとえば、天皇皇后両陛下で外国ご訪問の際に国事行為の臨時代行を務める皇族がいないとか、さまざまな団体の名誉総裁を務める皇族がいないなど、皇室のご活動の幅が非常に狭くなることが考えられます」
12月8日、羽毛田信吾宮内庁長官は記者会見で「眞子さまは20歳になられた。皇室の運営の話としていえば、眞子さまと佳子さまの間で(制度改正することが)難しいとすれば眞子さまのご結婚ということをシンボリックににらむ、ということはある」
と述べた。眞子さまはもうお年頃だから、女性宮家創設に間に合うかどうかわからないが、あえてこのタイミングで出てきたことで、「眞子さま、佳子さま、秋篠宮系の宮家創設を念頭に置いていることは間違いない」(皇室関係者)という。
だが、女性宮家の当主である女性皇族の配偶者を旧皇族の血を引く男性に限定しなければ、生まれた子どもは女系の皇族となる。もし、その子が皇位継承を得たならば、女系天皇の誕生につながってしまうから、旧皇族の復帰論も再燃してくる。
元共同通信記者で天皇陛下のご学友である橋本明氏は、こう語る。
「おそらく陛下の心の中に、旧皇族、旧華族というイメージは一切ないと思います。あくまでも新しい日本の象徴天皇の在り方として、門地門閥にとらわれることはないということが陛下のお心に太い柱となって貫かれていると思います。本家本元の悠仁さまのところで、万世一系が継承されていけばいいのではないか」
国費負担の増加も気になる問題だ。
前出の山下氏は、愛子さまと秋篠宮眞子さま、佳子さまが女性宮家を創設することを前提に国費について試算した。3人の内親王が30歳で結婚し、32歳、35歳、38歳で出産すると仮定した場合の皇族費、内廷費の合計金額だ。
「宮家が三つ創設されても逆になくなっていく宮家もありますので、今後40年くらい、皇族費はだんだん下がっていくはずです。内親王お三方がお子さんを3人ずつ授かると9人になりますが、この9人の方々が独立し始めると増加に転じます。その時期は40年以上先でしょう。ですから当面の国費負担増はありません。いまは皇族減少という課題を解決するための議論を最優先とし、皇位継承の問題は悠仁親王殿下のご結婚くらいまでに結論を出せばいいと思います」(山下氏)
◆皇太子「廃嫡」の署名運動まで
それにしても天皇陛下退院の微妙なタイミングを機に、読売新聞が女性宮家構想をスクープ扱いで報道したことが憶測を呼んでいる。
ある宮内庁関係者は「読売新聞は皇室担当の編集者が交代したばかりで、『女性宮家構想』のスクープは絶妙なタイミングだった。背後では外務省出身の渡邉允前侍従長らが動いたのではないかといわれる。一方で、いままで宮内庁に食い込んでみた朝日新聞に新鮮な情報が入ってきていない。それに加えて、皇太子派VS秋篠宮派の情報リーク合戦も熾烈をきわめている」という。
天皇陛下が女性宮家創設を望まれていることは間違いなさそうだが、一方でそれを利用しようとする勢力もおり、注意が必要だ。
皇室の将来にとってきわめて危険な事態にもかかわらず、皇太子ご一家は依然としてマイペースだ。
雅子さまがお誕生日に出された“ご感想”は相変わらず言い訳ばかりだし、同時に出された東宮職医師団による“見解”では、最近の週刊誌報道を挙げたうえで「悪意ともとれる誤った情報に基づく報道がなされている」と、メディアを攻撃。責任を転嫁して“逆ギレ”した。2週間以上入院された陛下のお見舞いに行けなかったことや、さまざまな公務を欠席されていることに対しても説明は、まったくなしなのだ。
そんななか、デヴィ夫人らを中心に「現皇太子を廃嫡。『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』」に関する署名運動まで広がってきた。天皇陛下から秋篠宮につなぐ「秋篠宮摂政論」も出てきている。こんなさまざまな動きにも、ある東宮職は「女性宮家なんて私たちには関係ありません」と本誌にいい放つ始末なのだ。
少なくとも皇室の本質を理解していない野田政権に、皇室典範改正を任せてはいけない!
(終わり)
「皇太子両殿下との交流はそれほど多くはありません」
秋篠宮衝撃発言 皇太子雅子さま「孤絶」の全深層
「平成皇室」を継げるのか
天皇に定年という制度は必要―。皇太子ご夫妻はどう受け止められたか
明らかに皇太子に向けられたメッセージだろう、と宮内記者はいう。11月30日、46歳を迎えられた秋篠宮が誕生日会見で率直に語った。お言葉。揺れる平成皇室に敢えて、弟宮が投じた“一石”の意図とは何か。そして皇太子はそれにどう応えられるのか―。
会見は実に1時間半に及んだ。予定時間の約30分を大幅に過ぎ、終わる頃には秋篠宮邸の庭の木に傾いた陽が当たり、細長い影を作っていたという。
宮内庁担当記者が話す。
「皇太子はペーパーをご覧になりますが、秋篠宮は事前に宮内庁記者会がお伝えした質問に基づき、フリートークでお答えになる。今回は、3月11日以降、熱心に続けられた東日本大震災関連のご活動についてのお話が半分、あとの半分はご家族との話と皇室の抱える問題についてのご発言となりました。長い会見となったのは発信したいお言葉が沢山あったからなのでしょう。さすがにあのご発言には驚きましたが…」
それは会見の終盤でのことだった。
「そこまでは両陛下とのご交流について、この夏に悠仁さまと一緒に、皇居に昆虫採集によく行かれたというほのぼのとしたエピソードなどを披露されていたのです。そのあと突然、きっぱりと断言された」(同前)
<皇太子両殿下のところとの交流については、残念ながら、それほど多くはありません>
秋篠宮の淀みない口調に、秋篠宮、紀子さまを扇型に囲んだ約25名の宮内庁担当記者たちは息を飲んだという。
「やはり、という気持ちと、そこまではっきり仰るのかという驚きの両方がありました。皇太子ご一家となぜ疎遠なのかは何も語られないままでした」(同前)
11月30日、46歳になられた秋篠宮。それに先駆けて、22日に行われた秋篠宮誕生日会見は、“揺れる平成皇室”の現状を改めて白日のもとに晒した恰好となった。
◆静かに始まった会見が…
会見場は、赤坂御用地にある秋篠宮邸の公室棟。玄関を入ると私室棟のリビングへ続く薄茶色の絨毯敷きの廊下がある。記者たちは靴を履いたまま、その廊下を進み、左側にある部屋で両殿下のお出ましの待つのが慣例だという。
「毎年、誕生日会見には応接間と広間の二部屋の仕切りを取り払い、大きな一部屋にして行われます。そこには一辺が約60センチもあるガラスケースに巨大なカニが展示されており、他にもゴライアスガエルとかいう“世界最大のカエル”の剥製などが陳列されています。『大きい動物が好き』という殿下のお好みを反映してだそうです」(宮内庁関係者)
東日本大震災に関する質問から静かに始まった会見も半ばを過ぎた頃。予定通り、記者が三問目の質問を読み上げた。
「眞子さまが成人を迎えられたのを機会にあらためて殿下に皇統の継承についてお聞きします」
秋篠宮は慎重に言葉を選びながらこのように述べた。
<皇室の制度論については国会の論議に委ねることになる。その過程において、今後の皇室の在り方というものを考える時には、その過程で、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってもよいというふうに思っております>
この言葉は、いみじくも現在の公室におけるお立場を象徴するものだった。皇室ジャーナリストが開設する。
◆「皇太子」よりも前に「私」を
「発言の主旨は09年の誕生日会見と同じなのです。が、“主語”が変わった。09年のときは『(皇室の在り方については)その当事者になる皇太子ほかの意見を聞くという過程も私は必要なのではないかと思っております』。つまり、当時は『皇太子ほか』が主語でした。今回は『私、もしくは皇太子殿下』と述べられている。つまり、皇太子より前に『私』という言葉を持ってきたのです」
さらに09年の際は、「自分のことを言うのはちょとはばかられたものですから、それで『(皇太子)ほか』というふうに言いました」と遠慮がちに語られていた。
「今回の『私』発言が、無意識によるものだとしても、それだけ今、秋篠宮の皇室における存在感が増しているということをご自身がお感じになっているということの現れではないかと思うのです」(同前)
会見の終わりには、関連質問の中で、「天皇陛下の定年制」について問われた秋篠宮は、宮内記者達をさらに驚かせる踏み込んだ発言をされた。
<私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います。ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだん歳をとって、いろんなことをすることが難しくなってきます>
<ある年齢で区切るのか、どうするのかというところを含めて議論しなければいけないのではないか>
この発言の可能性を皇室研究家の所功氏が解説する。
「天皇陛下は終身在位を前提としていますから、憲法や皇室典範の改正なくして、天皇陛下の定年制度、つまり定年退位ということはありえません。しかし、国事行為以外の公的行為や宮中祭祀など内容を整理して、皇太子殿下や他の皇族に段々と移譲されることは可能だと思います」
秋篠宮が「天皇の定年制は必要」とまで明言した背景について、前出の皇室ジャーナリストは「穏やかにおっしゃっていますが、現状への強い危機感を、秋篠宮がお持ちだということでしょう。これまでの秋篠宮ではなさならかっただろうご発言です」という。
増していく秋篠宮の存在感―。それは宮内記者たちも意見を同じくするとことだという。
◆象徴的だった秋篠宮のご名代
「11月15日には、天皇の『ご名代』として秋の叙勲と褒章受章者の御接見、南アフリカ共和国国民議会議長夫妻御引見を務められています。これは当日、皇太子が長野で公務に当たられていたためにとりはからわれたのですが、秋篠宮が天皇のご名代になられるのは初めてのこと。非常に象徴的な出来事でした」(前出・宮内庁担当記者)
秋の叙勲と褒章受章者の御接見は、宮中晩餐会などでも使われる豊明殿で行われた。
受章者の一人がこう話す。
「秋篠宮殿下は陛下に代わって“おことば”を読み上げられたのですが、その声が小さくて聞きとり辛かったですね。受章者やその家族を含めると、一度に約500人が出席していたので、後ろのほうの人たちには聞こえなかったでしょう。それ以外は難なくこなされていらっしゃいました」
ベテラン宮内庁職員が解説する。
「豊明殿は、宮殿の中でも随一の広さです。32個ものシャンデリアが下がっていて、靴のかかとが沈むほどの毛足の長い絨毯が敷き詰められています。その重厚な設えと陛下のご名代というプレッシャーから、宮殿行事には慣れておられるはずの殿下でも、緊張されたのかもしれません」
その二日前、皇太子は天皇のご名代という立場で、山梨県を訪れられていた。だが、その際に乗られたお召列車の車中で、カメラを片手にお手振りをされたことが物議を醸し、その後の長野県行啓では、手をポケットに入れて視察された問題が明るみに出た。
両陛下に近い千代田関係者は、震災後の皇太子、秋篠宮の様子を見て、このように語った。
「24日に退院されたばかりの陛下が、まだ万全とは言えないご体調で、その5日後に早くも公務復帰されました。その公務は『東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭』。いかに陛下が震災被害を心配されているか、ということです。そして、その陛下の思いを一番おわかりになっているのは、秋篠宮さまではないかと思うのです。
震災後、秋篠宮ご夫妻は、東宮職と比しても非常に小規模な宮家職員たちに支えられながら、お見舞いを続けてこられた。被災地の人々の負担にならないよう、宮家の車で移動され、宮城県には日帰りで二度に分けて訪問されています」
奇しくも11月25日、読売新聞が朝刊で「『女性宮家』の創設検討と一面トップで報じたことから、平成皇室の根本的課題である皇位継承問題が再び注目された。
当日、羽毛田信吾宮内庁長官の登庁を待ち構えた宮内記者たちが報道の内容を問い質すと、長官はこう語ったという。
「真剣に受け止めていただけたら嬉しい。ただ私はそういう感触を得たことはありません」
別の宮内庁担当記者が語る。
「報道は陛下退院翌日という絶妙のタイミング。国民の関心もにわかに高まった。宮内庁としても下火になっていた議論がもう一度注目されたことは良かったという意味で『嬉しい』と言ったんでしょう」
これに関連する事で、今回、秋篠宮は皇族の“数”について、こう述べている。
<以前に皇族の数が少ないことは、国費負担という意味において悪くはないということを申しましたが、この考えは今でも変わっておりません>
この発言を、ある皇室研究家はこう読み解く。
「秋篠宮は今後、具体的に女性宮家創設の議論が進んだ際に必ず出てくるであろう、さらなる国費負担増に伴う国民感情の反発について、先手を打っておっしゃったのだろうと思います。例えば、女性宮家の範囲を内親王までに限り、女王は降嫁を認める。そうして国費負担増を限定的にするということを意識されているように思えてなりません。つまり、二人の娘である、眞子さま、佳子さまがいずれも皇室に残られることを覚悟してのご発言なのではないでしょうか」
一方の東宮側には、まだ当事者意識が感じられないという。たしかにある中堅の東宮職職員は、女性宮家問題について、記者の一人にこう語るのみだった。
「東宮職には関係ないよ」
◆皇太子の目はますますご家庭に
皇太子ご一家は、11月26、27日と学習院初等科の「初等科祭」を訪れられた。
「二日目はわずか30分差で皇太子殿下、雅子さまが別々に訪れた。ご鑑賞も別々でいらして。剣道部OBとして剣道部の練習をご覧になった皇太子殿下は、10月の運動会の時と同じように、相変わらず小型のデジタルカメラでバシャバシャ写真を撮っていらっしゃいましたよ。お一人でリラックスされているご様子でした」(初等科父兄)
これを聞いた前出の千代田関係者は嘆息しつつ、こう洩らした。
「皇太子ご一家はますます国民ではなくご家庭に、内向きに目が向いているのではないでしょうか」
天皇のお見舞いについても、雅子さまは10日に“ドタキャン”されてから結局一度もお見舞いをされることはなかった。18日、ご名代の報告に訪れられたのも皇太子お一人だった。
「東宮大夫は10日は発熱、18日は『咳が残っているため医師の判断によりご遠慮していただいた』と発表しています。しかし、皇太子殿下がご報告に行った同日に雅子さまは学習院初等科に愛子さまのお付き添いをされている。なぜ“”医師の判断で同じようにお付き添いも遠慮されないのかは説明されない」(同前)
一方、秋篠宮は報告も含め、天皇の入院中、三度も東大病院を訪れている。別の千代田関係者が話す。
「皇太子殿下はご名代の公務のあと、数日間報告にいらっしゃらなかった。秋篠宮殿下はご名代の報告も当日にいらっしゃっています。
私はあらためて思い起こすのです。ある時、皇后陛下が、あちら(東宮家)とは途絶状態なので、とおっしゃった、あの言葉を。そして、今回の秋篠宮殿下のご発言…。
正直なところ、我々もあちら(※記事中では「、」でこの3文字を強調している)のことはまるで分らないのです。何も伝わってこないのだから。いま皇太子ご一家はいわば“孤絶”状況です。お誕生日のお言葉は、現状に危機感をお持ちの秋篠宮殿下から、皇太子殿下へのメッセージだと思います」
弟宮が発したこのメッセージは、皇太子両殿下に届いたのだろうか。
(終わり)