小沢健二って、戦後日本のある一つの到達点だな、と思う。
この人の曲の悪口はいくらでも言える。
曲がしょぼい、アレンジがしょぼい、歌が下手、声量がない、等。
全くその通りなんですが、それを補ってなお余りある、傾聴に値するものが
この人の音楽にはある。
それは、「LIFE」の頃は、生きる歓びを爆発させて、それを愚直なまでに音に
していることと、その後の音楽は「人生とは美しいものだ」ということを見たい、
実現させたい、という「祈り」のようなものを、これまた愚直なまでに
音にしていることです。
そう、小沢健二を読み解くポイントの一つは「愚直」であり、
もう一つは「人生の美しさ」をとことん求めた、ということだと思う。
そのために、彼は精神的にかなり放浪しているんですが、その放浪っぷりも、
愚直なまでに音楽にしてます。
だから、シングルを追っていくと、彼の精神的放浪っぷりがよく分かる。
その放浪っぷりも、小沢健二のポイントの一つだと思う。
小沢健二を戦後日本のある一つの到達点だな、と思うのは、「小沢健二的男」
の系譜がある、と思うし、それは戦後になってからでてきたものだ、と思うから。
戦前にこういう男はいたのかもしれないけど、私は知らない。
でも、多分いないと思う。
なぜかというと、小沢健二的男の出現は、戦後の「男であることの没落」と
「男であることの意味不明」によるものだと思うから。
戦後ほど、男であることの値打ちが暴落した時代もないだろうと思う。
今の男は、女とペアで初めてその意味を発揮する、くらいに価値が落ちて
しまってるし、男であることの意味がわからなくなってると思う。
この辺りがピンと来ない人は、今の女は、自分ひとりでも女であることを
楽しめてるけど、男は自分ひとりで男であることを楽しめてるか?
と考えてみると、少しはお分かりいただけるかもしれない。
戦前は、「男とは~~」「女とは~~」って枠組みがしっかりあったし、男には
ただもうそれだけで充分値打ちがあったから、小沢健二的男はいなかったと思う。
さて、小沢健二を読み解くポイントは
1.愚直
2.人生の美しさを追い求める
3.放浪
だとしましたが、これってそのまんま、戦後民主主義の特徴なんじゃないかと
思ってしまう。
人間の美しさは愚直さにしか現れない。
だから、美しさを追い求める彼は愚直だし、なぜ美しさを追い求めるかというと、
戦後民主主義が美しい理想に基づくもので、「人生は美しいもの」だと囁くから。
その囁き、戦後民主主義の根本的な理想とでもいうべき「美しさ」を
彼は信じてるんだ。
でもそれは実現されるべきもので、現実にあるものではないから、そのために
彼は放浪せざるを得ない。
男であることの価値は、意味は、その美しさの実現にある。
小沢健二はそこまで考えてはいないかもしれないけど、戦後民主主義の最高の
価値は、意味は、そういうことになってると思う。
それぞれが、自分の幸せを追求しなさい、と。
なぜなら、人間は幸せになるために生まれてきたのであって、
人生はそれを実現できる、美しいものなのだ、と。
戦後民主主義理想、および、小沢健二において、美しさと幸せ、生きる喜びは
三位一体になっていることも見逃せません。
小沢健二、および小沢健二的男をつらつら考えてみると、彼らは戦後民主主義の
申し子としか思えないし、彼らの存在が戦後民主主義の一つの到達点だと思う。
戦後民主主義は、その理想を殆どかなえることはできずにいるけど、こういう
男たちをつくりだしたぞ、と。
さて、なぜ私がこんなことに思い至ったかというと、サザンオールスターズの
新しいアルバム「キラーストリート」を聴いてたらですね、桑田佳祐が、
あの桑田佳祐が、「愛する人の為に生まれてきた」と歌ってるのを聴いて、
はぁ
と思ったからです。
なぜ、サザンがそんな陳腐なことを、平井堅にでも歌わせてればいいような
ことを歌うのか と、本当に驚愕だったからです。
時代ごとに、馴染みのいい概念ってあると思います。
学徒出陣する人が、出陣式で
「国のための命を散らす。男子の本懐、これに勝るはなし」
といっててですね、これなんて、当時の価値観からすれば、馴染みのいい概念だと
思うんです。男は国を守るために生まれてきたんだ、ってね。
それと同じように、
「愛する人の為に生まれてきた」
って、なんて戦後民主主義と馴染みがいいんだろう と感嘆する。
だからこそ、今の男は女とペアでないと価値が無いくらいその意味が暴落してるし、
こんな概念を信じてるようじゃ、いつまでたっても男の復権は難しいと思うけどなぁ。
人を愛することは素晴しいと思うけど、それだけですか
あんたの人生それだけですか と問い詰めてやりたい。小一時間。
なんだかなぁ
シンプルになることはとてもいいことだと思うけど、シンプルになるって
実はすごく難しいことだと思う。
単純になればシンプルなんじゃなくて、いろいろなもののサジ加減を自分なりに
体得してこそのシンプルであって、そのサジ加減は浮かれ浮かれた精神じゃなくて、
実に冷徹な見通しと経験によって可能になると思うんですけどねぇ。
その辺り、小沢健二は大いに間違えた、と思います。
充分長くなったので、もうこの辺りまでやめておきますけど、戦後の男の
あり方というものと絡めて小沢健二を聴くと、本当にいろんな発見があります。
いつか、第二弾を書けたらいいな
この人の曲の悪口はいくらでも言える。
曲がしょぼい、アレンジがしょぼい、歌が下手、声量がない、等。
全くその通りなんですが、それを補ってなお余りある、傾聴に値するものが
この人の音楽にはある。
それは、「LIFE」の頃は、生きる歓びを爆発させて、それを愚直なまでに音に
していることと、その後の音楽は「人生とは美しいものだ」ということを見たい、
実現させたい、という「祈り」のようなものを、これまた愚直なまでに
音にしていることです。
そう、小沢健二を読み解くポイントの一つは「愚直」であり、
もう一つは「人生の美しさ」をとことん求めた、ということだと思う。
そのために、彼は精神的にかなり放浪しているんですが、その放浪っぷりも、
愚直なまでに音楽にしてます。
だから、シングルを追っていくと、彼の精神的放浪っぷりがよく分かる。
その放浪っぷりも、小沢健二のポイントの一つだと思う。
小沢健二を戦後日本のある一つの到達点だな、と思うのは、「小沢健二的男」
の系譜がある、と思うし、それは戦後になってからでてきたものだ、と思うから。
戦前にこういう男はいたのかもしれないけど、私は知らない。
でも、多分いないと思う。
なぜかというと、小沢健二的男の出現は、戦後の「男であることの没落」と
「男であることの意味不明」によるものだと思うから。
戦後ほど、男であることの値打ちが暴落した時代もないだろうと思う。
今の男は、女とペアで初めてその意味を発揮する、くらいに価値が落ちて
しまってるし、男であることの意味がわからなくなってると思う。
この辺りがピンと来ない人は、今の女は、自分ひとりでも女であることを
楽しめてるけど、男は自分ひとりで男であることを楽しめてるか?
と考えてみると、少しはお分かりいただけるかもしれない。
戦前は、「男とは~~」「女とは~~」って枠組みがしっかりあったし、男には
ただもうそれだけで充分値打ちがあったから、小沢健二的男はいなかったと思う。
さて、小沢健二を読み解くポイントは
1.愚直
2.人生の美しさを追い求める
3.放浪
だとしましたが、これってそのまんま、戦後民主主義の特徴なんじゃないかと
思ってしまう。
人間の美しさは愚直さにしか現れない。
だから、美しさを追い求める彼は愚直だし、なぜ美しさを追い求めるかというと、
戦後民主主義が美しい理想に基づくもので、「人生は美しいもの」だと囁くから。
その囁き、戦後民主主義の根本的な理想とでもいうべき「美しさ」を
彼は信じてるんだ。
でもそれは実現されるべきもので、現実にあるものではないから、そのために
彼は放浪せざるを得ない。
男であることの価値は、意味は、その美しさの実現にある。
小沢健二はそこまで考えてはいないかもしれないけど、戦後民主主義の最高の
価値は、意味は、そういうことになってると思う。
それぞれが、自分の幸せを追求しなさい、と。
なぜなら、人間は幸せになるために生まれてきたのであって、
人生はそれを実現できる、美しいものなのだ、と。
戦後民主主義理想、および、小沢健二において、美しさと幸せ、生きる喜びは
三位一体になっていることも見逃せません。
小沢健二、および小沢健二的男をつらつら考えてみると、彼らは戦後民主主義の
申し子としか思えないし、彼らの存在が戦後民主主義の一つの到達点だと思う。
戦後民主主義は、その理想を殆どかなえることはできずにいるけど、こういう
男たちをつくりだしたぞ、と。
さて、なぜ私がこんなことに思い至ったかというと、サザンオールスターズの
新しいアルバム「キラーストリート」を聴いてたらですね、桑田佳祐が、
あの桑田佳祐が、「愛する人の為に生まれてきた」と歌ってるのを聴いて、
はぁ
と思ったからです。
なぜ、サザンがそんな陳腐なことを、平井堅にでも歌わせてればいいような
ことを歌うのか と、本当に驚愕だったからです。
時代ごとに、馴染みのいい概念ってあると思います。
学徒出陣する人が、出陣式で
「国のための命を散らす。男子の本懐、これに勝るはなし」
といっててですね、これなんて、当時の価値観からすれば、馴染みのいい概念だと
思うんです。男は国を守るために生まれてきたんだ、ってね。
それと同じように、
「愛する人の為に生まれてきた」
って、なんて戦後民主主義と馴染みがいいんだろう と感嘆する。
だからこそ、今の男は女とペアでないと価値が無いくらいその意味が暴落してるし、
こんな概念を信じてるようじゃ、いつまでたっても男の復権は難しいと思うけどなぁ。
人を愛することは素晴しいと思うけど、それだけですか
あんたの人生それだけですか と問い詰めてやりたい。小一時間。
なんだかなぁ
シンプルになることはとてもいいことだと思うけど、シンプルになるって
実はすごく難しいことだと思う。
単純になればシンプルなんじゃなくて、いろいろなもののサジ加減を自分なりに
体得してこそのシンプルであって、そのサジ加減は浮かれ浮かれた精神じゃなくて、
実に冷徹な見通しと経験によって可能になると思うんですけどねぇ。
その辺り、小沢健二は大いに間違えた、と思います。
充分長くなったので、もうこの辺りまでやめておきますけど、戦後の男の
あり方というものと絡めて小沢健二を聴くと、本当にいろんな発見があります。
いつか、第二弾を書けたらいいな