国際税務研究ブログ

こんにちわ、TOKYO在住の税理士、木村俊治と申します。国際税務のことについてアレコレ書いています。木村国際税務研究所も

青い蜃気楼を読んだ

2007-04-13 08:39:23 | 本と雑誌

ウーマン・オブ・エンロン「エンロン」の女
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発売日:2003-04-25
青い蜃気楼―小説エンロン 青い蜃気楼―小説エンロン
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発売日:2004-08
黒木亮が旬である。

「青い蜃気楼」を読んだ。

エンロンの崩壊がテーマである。

エンロンはチャプターイレブン(米国破産法)に登録されたのが2001年12月2日日曜日の午前428分であるからその日が崩壊の日ということになる。

それから小説を書き始めたとした黒木亮[1]は恐ろしく馬力のある作家である。「青い蜃気楼」は原著の発行が200212月プレジデント誌に「虚栄の黒船 小説エンロン」として登場しているのである。その間僅か1年。

その前に、日本人としては、最初にエンロンに興味を持っていた人物がいる。三菱総合研究所に勤務される傍ら、電力事業、とりわけ電力デリバテヴスを研究テーマとしていた藤田正幸氏である。彼が2001年~200211月まで「Financial Technology Review」に「エンロンの悲劇(1)~(20)[2]」を連載している。その当時、エンロンについて最も情報があった日本人は彼ということになる。黒木も藤田からケネスレイの生い立ちの情報は借りているが、それ以外は、自ら調べている。ヒューストンやNY、レベッカ・マークの牧場などには現地踏破、それもかなり長期にいたと思われる。インドのムンバイ(ボンベイ)については、黒木が以前、某商社のガス・エネルギー産業担当であることや、前作「アジアの隼」に香港、ベトナム、バングラデシュなどが登場するので、その当時既にインドも尋ねているハズである。それとエンロンジャパンが六ヶ所村(青森県)にLNG発電所を建設するプロジェクト(結局、ご破算になるが)で青森市出身の鶴田なる人物が津軽弁で登場するが、かなり詳細に書かれているところから見て、また、鶴田が英国に赴任していたことになっていることから見て、この鶴田は黒木氏のことであろうと推測する。なぜなら、彼は北海道出身ということになっているが、現在英国在住であるし、前にも商社用務でロンドンに滞在したことがあるからである。黒木氏の経歴は明らかでないが、実際、作家の前身はあまり明らかにならない方が、フィクションで書く小説家にとっては得策なのである。

KITBL+では、エンロンに対する米国両院ジョイント租税調査委員会(JTIC)の議会報告書(2003)の全訳を試みているが、富士通アトラスの機械翻訳に頼っており、各スキームの取引内容が今一、明確でない(小生が日本語ベースで理解できていないことからくるのであるが、まず、それでは日本語訳は覚束ない。)。KITBL+では、正確にかつ、税務・会計面から見た翻訳となる予定である。刊行後、税務関係者のご一読をお願いする次第です。完成は20078月頃となる予定。小生には黒木氏ほどのエネルギーがありません。 


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[1] 「アジアの隼」また新しい経済小説家を見つけました。ほかにも数作、すでに発表されているようなので、探してみようかと思います。少し前の国際金融の世界で、どうしようもなく国際金融の舞台から遅れていく邦銀。その中で必死で頑張るロンドン支店次長。邦銀を見限り、外資の中で、成功し、国際金融マンとして日本国籍を捨てながら、それでもなお、捨てたはずの日本と邦銀に対するこだわりを捨てきれない男。
これは、国際金融なんか全く分からなくても、本当に楽しめます。特に昨年のライブドアによるニッポン放送買収問題で出てきたクラウンジェル、ポイズンビル、ホワイトナイトなどの言葉が、出てきて、きちんと小説の中で説明してもらえますし、先に読んでたら、あの騒動がもっとわかりやすかったのになと言う感じですね。

[2] 2004年ごろ、近くの図書館で「エンロンの悲劇」「エンロンの崩壊」などの本を探したが、小説、文学コーナーではなく、産業技術「電気」の分類になっていた。それほど、エンロンは日本人にとって縁がない存在であった。

ケネス・レイ(Kenneth Lee "Ken" Lay、1942年4月15日 - 2006年7月5日)は、アメリカ実業家エンロンの実質的な創始者として会長およびCEOを務め、地味な天然ガスパイプライン/電力会社であった同社を総合ITビジネス会社に脱皮させ、全米でもベストテンに入る売上を誇る大企業に育て上げた。しかし、成長の中で大規模な不正会計が行われていたことが発覚し、エンロンは2001年破綻した。ケネス・レイ自身も、証券詐欺粉飾決算)などの疑いでFBI2002年に起訴された。その後、50万ドルを支払い保釈された。2006年5月に陪審による有罪評決を受けたが、量刑についてはまだ確定していなかった。

地元テキサス州出身のブッシュ大統領とは個人的に親交があり、ブッシュはケネス・レイのことを「ケニー・ボーイ」と呼んでいた。

2006年7月心臓発作のため別荘で死去した。

ケネス・レイ(Kenneth Lee "Ken" Lay、1942年4月15日 - 2006年7月5日)は、アメリカ実業家エンロンの実質的な創始者として会長およびCEOを務め、地味な天然ガスパイプライン/電力会社であった同社を総合ITビジネス会社に脱皮させ、全米でもベストテンに入る売上を誇る大企業に育て上げた。しかし、成長の中で大規模な不正会計が行われていたことが発覚し、エンロンは2001年破綻した。ケネス・レイ自身も、証券詐欺粉飾決算)などの疑いでFBI2002年に起訴された。その後、50万ドルを支払い保釈された。2006年5月に陪審による有罪評決を受けたが、量刑についてはまだ確定していなかった。

地元テキサス州出身のブッシュ大統領とは個人的に親交があり、ブッシュはケネス・レイのことを「ケニー・ボーイ」と呼んでいた。

2006年7月心臓発作のため別荘で死去した。

大柴ひさみ (Hisami Ohshiba)

1979年外資系広告代理店電通ヤングアンドルビカム(DY&R)に入社、外資系企業の広告マーケティングを16年間担当。1995年にカリフォルニアに移住し、米国大手広告代理店やダイレクトマーケティングの会社勤務などを経た後、1998年2月JaM Japan Marketing(http://www.jamjapan.com/jp/)を設立。2001年1月ビジネス拡大のために、JaM Japan MarketingをLLCとして組織変更する。海外市場進出を目指す日米企業を対象に、クロスカルチャーなナレッジをベースにマーケティング戦略の開発立案、市場調査分析、広告PR、ローカリゼーションを含むコンサルティング活動を提供。講演・執筆活動も多く手がけている。2003年2月初の書籍「ひさみの冒険」がひつじ書房より発行 (http://www.hisami.com)。ご意見・ご質問はhisami@jamjapan.comまで


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