国際税務研究ブログ

こんにちわ、TOKYO在住の税理士、木村俊治と申します。国際税務のことについてアレコレ書いています。木村国際税務研究所も

NZ紀行「ワインボックス」オークランド

2007-11-23 14:20:04 | 日記・エッセイ・コラム

□ シテイ オブ セールズ

1997年11月15日19時

NZオークランド、クイーンズ通り174

日本料理、写楽

海に向かって降りていくと左側に日本料理「写楽」がある。

店内は右側にカウンター席、左にいす席が展開している。

日本人の若い娘たちが着物を着て小気味よい動きをしている。ウイットネスAは友人ランと日本料理を食べに来ていた。マグロの煮つけを頼んだ。ビールは勿論、NZ特産の黒だ。

「話がある。」とAが切り出した。「俺はEPグループを首になる。あまりにクックのことを知りすぎたからだ。」

「そこで俺を誘ったのもワケがあるって云うことだな。」

Aは脇にオレンジ色のシャンペンボトルを持ってきていた。「銘柄はVeuve Clicquol Ponsardin[1]だ。」コレは高いぞ!

「頼む俺の書類を預かってくれ。」

「いいさ、お前の頼みだ。守ってやるよ。」「そのかわり条件がある。君と一緒に事務所を持ちたいんだ。君も知ってるとおりFP[2]の仕事も楽じゃない。弁護士と共同で運営すれば、ネームバリューや信頼性があがるんだ。」

「OKだとも」

実際、オークランドは思ったよりこじんまりしている。おもったより小さい。街は整備されており、シテイの中心に聳えるタワーを中心として5K圏に全ての中枢機関がある。

NZ銀行、市庁舎、ハイコート、銀行、証券取引所、海洋博物館もだ。

Rファイは市の北西部、高級住宅街ポンソンビー[3]に住んでいる。ダウンタウンを挟んで南東部に小高い丘がある。オークランド一の博物館公園でウインターガーデンという。Rファイの自宅から公演までは約2Kある。往復4Kのジョッキングには丁度いい距離だ。

ウイットネスAの自宅にロバート・ファイから電話があった。

「これからワンツリーパーク[4]に出てこないかね」

「何の用事ですか。」

「くればわかる。君の昇進の話だとでも思っているのか。」

「今日はヨットの練習があることはよくご存知じゃないですか。」

「ま、いいから、父にも言っておく。」

ウインターガーデンよりもずっと郊外であるが市の南西に小高い丘がある。ワントリートップ公園だ。そこまではAもファイもそれほど遠くはない。

ウイットネスAはテレコム本社の角を右折すると車で20分くらいでいける。

うす暗い雲行きであるが、湾は見渡すことができる。アジアからの観光客はまばらだ。

Rファイはオーストラリア産のジャガーでポンソンビー通り、テレコム本社前を右折、ウイリアムソンアベニューを南下、先に到着していた。彼は一人だ。

Rファイはドスの聞いた低い声で切り出した。

「君がクックの書類を隠し持っていることは既に知られている。」

「あの書類はEPグループの所有物だぞ。君はNZ刑法奪取罪に該当するのだぞ」とファイはすごんだ。若干28歳で取締役をしているのは父マイケルのせいなのだが、190センチを超える親譲りの体躯をしており、眼鏡越しにAをにらみつけた。

ウイットネスAは「私が書類を持っているというのは皆の誤解です。」「メモや私信はボク自身の訴訟行為のために必要のもので、EPのオリジナルを持っているわけないじゃないですか。」

「君がクックから帰りたいというからその人事をしたのに俺を裏切るのか。」

「君にはクックから1年も前に舞い戻ったかわいい奥さんや子供がいるだろう。」

「君は21世紀の黎明をイースト岬で見たくないないのか、ギズボーン[5]の別荘でだ。」

追いかけてファイはいう。「EPグループを追い出されて、この国で商売するのはできないのだぞ。」

「この国で、やっていくためには俺の紹介なしにできっこない。父は怒っているんだ。」

ウイットネスAはつぶやいた。「部長、私は英国教会のクリスチャンです。商売が悪であれば神に誓って不正はできないのです。」

「それは甘い。君の家族を路頭にさまよわせることになる。」

「どうだ。君を企画部長に取り立てようじゃないか。あいつはもう用無しだ。」

「そんな話にはのりたくありません。」

「ボートはほしくないか。俺の中古でも200万ドルはする。どうだ?」

「いりません。神のみぞ知る。アーメン」

拉致のあかないRファイは“Dumme”と一言いうときびすを返した。赤いベントレーがテールの光をギザギザになびかせて急発進した。細長い山道を恐ろしく早くおりていく。

さっきまでは眼下にワイハネ島の左右対称の山容が見渡せていたが、東風が吹き出し、雷鳴がとどろき急に雹が降ってきた。

翌日、ウイットネスAはF&Rの人事部長に呼び出された。「君は我がEPグループ会社法第40条に違反している。」「君にプライベートなものを持って本日5時までに退去を命ずる。」というもので最後に人事部長は「ただし、会社の財産、特に書類のコピィーは会社のものだから置いていくべきだと思うがね」とニヤリと笑った。

     1220日冬休み

ウイットネスA一家、90マイルビーチ

ウイットネスAはその後もF&Rで働いていた。いや働かされていたといった方がいいだろう。何事も起こらなかった。Rファイからも財務部長からも何のコンタクトもない。

家族と90マイルビーチの踏破に出かける。ピックアップトラックはいすゞだが、NZには国産の車はない。日本から60%は輸入するし、中古でも7年目までのものは人気がある。息子との約束は果たせた。

一日目はテパキストリームからマリア岬、2日目はタポツポツ湾まで、3日目はカポワイルアまで、車は友人ラン[6]が回送してくれる予定だ。

タズマン海を左手にみながら硬くしまった砂浜を歩く。とても順調だ。

11時30分50マイルは来た。スコット岬が眼前だ。向うから水しぶきを上げながらバギーが2台やってくる。

ウイットネスAをめがけて急カーブしてきた。ウイットネスAは跳ね飛ばされた。遠く記憶がかすれていく。妻や子が飛びついてきた。妻がなにかいっている。目の前が暗黒となり波音も静かになった。

「俺は死ぬのか?」


[1] ‘Only one quality in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>”

[2] 保険仲介、金融仲介

[3] Ponsonbee、瀟洒な商店街

[4] One Tree Park:標高183M、市内を一望できる。頂上に「パ」といわれるマオリの要塞がある。初代市長が松の木を植えたものだ。近年マオリとのいさかいがあり、切り倒されている。植樹の計画は進んでいない。名称だけ残りそうである。

[5] Gisborne、北島の東端の中堅都市、南太平洋が一望できる。

[6] Lunn、ファイナンシャル・プランナー


NZ紀行「ワインボックス」オークランド

2007-11-23 14:20:03 | 日記・エッセイ・コラム

□ シテイ オブ セールズ

1997年11月15日19時

NZオークランド、クイーンズ通り174

日本料理、写楽

海に向かって降りていくと左側に日本料理「写楽」がある。

店内は右側にカウンター席、左にいす席が展開している。

日本人の若い娘たちが着物を着て小気味よい動きをしている。ウイットネスAは友人ランと日本料理を食べに来ていた。マグロの煮つけを頼んだ。ビールは勿論、NZ特産の黒だ。

「話がある。」とAが切り出した。「俺はEPグループを首になる。あまりにクックのことを知りすぎたからだ。」

「そこで俺を誘ったのもワケがあるって云うことだな。」

Aは脇にオレンジ色のシャンペンボトルを持ってきていた。「銘柄はVeuve Clicquol Ponsardin[1]だ。」コレは高いぞ!

「頼む俺の書類を預かってくれ。」

「いいさ、お前の頼みだ。守ってやるよ。」「そのかわり条件がある。君と一緒に事務所を持ちたいんだ。君も知ってるとおりFP[2]の仕事も楽じゃない。弁護士と共同で運営すれば、ネームバリューや信頼性があがるんだ。」

「OKだとも」

実際、オークランドは思ったよりこじんまりしている。おもったより小さい。街は整備されており、シテイの中心に聳えるタワーを中心として5K圏に全ての中枢機関がある。

NZ銀行、市庁舎、ハイコート、銀行、証券取引所、海洋博物館もだ。

Rファイは市の北西部、高級住宅街ポンソンビー[3]に住んでいる。ダウンタウンを挟んで南東部に小高い丘がある。オークランド一の博物館公園でウインターガーデンという。Rファイの自宅から公演までは約2Kある。往復4Kのジョッキングには丁度いい距離だ。

ウイットネスAの自宅にロバート・ファイから電話があった。

「これからワンツリーパーク[4]に出てこないかね」

「何の用事ですか。」

「くればわかる。君の昇進の話だとでも思っているのか。」

「今日はヨットの練習があることはよくご存知じゃないですか。」

「ま、いいから、父にも言っておく。」

ウインターガーデンよりもずっと郊外であるが市の南西に小高い丘がある。ワントリートップ公園だ。そこまではAもファイもそれほど遠くはない。

ウイットネスAはテレコム本社の角を右折すると車で20分くらいでいける。

うす暗い雲行きであるが、湾は見渡すことができる。アジアからの観光客はまばらだ。

Rファイはオーストラリア産のジャガーでポンソンビー通り、テレコム本社前を右折、ウイリアムソンアベニューを南下、先に到着していた。彼は一人だ。

Rファイはドスの聞いた低い声で切り出した。

「君がクックの書類を隠し持っていることは既に知られている。」

「あの書類はEPグループの所有物だぞ。君はNZ刑法奪取罪に該当するのだぞ」とファイはすごんだ。若干28歳で取締役をしているのは父マイケルのせいなのだが、190センチを超える親譲りの体躯をしており、眼鏡越しにAをにらみつけた。

ウイットネスAは「私が書類を持っているというのは皆の誤解です。」「メモや私信はボク自身の訴訟行為のために必要のもので、EPのオリジナルを持っているわけないじゃないですか。」

「君がクックから帰りたいというからその人事をしたのに俺を裏切るのか。」

「君にはクックから1年も前に舞い戻ったかわいい奥さんや子供がいるだろう。」

「君は21世紀の黎明をイースト岬で見たくないないのか、ギズボーン[5]の別荘でだ。」

追いかけてファイはいう。「EPグループを追い出されて、この国で商売するのはできないのだぞ。」

「この国で、やっていくためには俺の紹介なしにできっこない。父は怒っているんだ。」

ウイットネスAはつぶやいた。「部長、私は英国教会のクリスチャンです。商売が悪であれば神に誓って不正はできないのです。」

「それは甘い。君の家族を路頭にさまよわせることになる。」

「どうだ。君を企画部長に取り立てようじゃないか。あいつはもう用無しだ。」

「そんな話にはのりたくありません。」

「ボートはほしくないか。俺の中古でも200万ドルはする。どうだ?」

「いりません。神のみぞ知る。アーメン」

拉致のあかないRファイは“Dumme”と一言いうときびすを返した。赤いベントレーがテールの光をギザギザになびかせて急発進した。細長い山道を恐ろしく早くおりていく。

さっきまでは眼下にワイハネ島の左右対称の山容が見渡せていたが、東風が吹き出し、雷鳴がとどろき急に雹が降ってきた。

翌日、ウイットネスAはF&Rの人事部長に呼び出された。「君は我がEPグループ会社法第40条に違反している。」「君にプライベートなものを持って本日5時までに退去を命ずる。」というもので最後に人事部長は「ただし、会社の財産、特に書類のコピィーは会社のものだから置いていくべきだと思うがね」とニヤリと笑った。

     1220日冬休み

ウイットネスA一家、90マイルビーチ

ウイットネスAはその後もF&Rで働いていた。いや働かされていたといった方がいいだろう。何事も起こらなかった。Rファイからも財務部長からも何のコンタクトもない。

家族と90マイルビーチの踏破に出かける。ピックアップトラックはいすゞだが、NZには国産の車はない。日本から60%は輸入するし、中古でも7年目までのものは人気がある。息子との約束は果たせた。

一日目はテパキストリームからマリア岬、2日目はタポツポツ湾まで、3日目はカポワイルアまで、車は友人ラン[6]が回送してくれる予定だ。

タズマン海を左手にみながら硬くしまった砂浜を歩く。とても順調だ。

11時30分50マイルは来た。スコット岬が眼前だ。向うから水しぶきを上げながらバギーが2台やってくる。

ウイットネスAをめがけて急カーブしてきた。ウイットネスAは跳ね飛ばされた。遠く記憶がかすれていく。妻や子が飛びついてきた。妻がなにかいっている。目の前が暗黒となり波音も静かになった。

「俺は死ぬのか?」


[1] ‘Only one quality in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>”

[2] 保険仲介、金融仲介

[3] Ponsonbee、瀟洒な商店街

[4] One Tree Park:標高183M、市内を一望できる。頂上に「パ」といわれるマオリの要塞がある。初代市長が松の木を植えたものだ。近年マオリとのいさかいがあり、切り倒されている。植樹の計画は進んでいない。名称だけ残りそうである。

[5] Gisborne、北島の東端の中堅都市、南太平洋が一望できる。

[6] Lunn、ファイナンシャル・プランナー


ハゲタカブームについて

2007-11-05 18:24:01 | 日記・エッセイ・コラム

       ハゲタカ

199711月三洋証券に続いて北海道拓殖銀行、山一證券が破綻した。

山一は昭和40年の証券不況にも日銀特融で切り抜けた老舗であるが、今回はもたなかった。

打ち続く証券不祥事から、大蔵省も裏から手助けするご時世ではなくなったのである。時の官房長官も「仕方ない。自主廃業するんだな」と社長に言い切ったといわれる。

974月都内某税務署に一人の女子職員が入署した。聞くと北拓からの転職組だという。銀行の将来を懸念して96年に札幌にある公務員志望者予備校に通ったというのだ。確かに先が見通せる女性である。

三洋証券(平成9113日会社更生申立て)は、かって、隅田川のほとりに大ディーリングルームを作り話題を呼んだ中堅証券であった。証券会社が潰れる要因は、自己玉の証券売買の失敗(つまり、相場の見誤り)というのが相場であるが、三洋については、原因が究明されていない。一説によると大蔵省の不祥事(長野証券局長ノーパンしゃぶしゃぶ接待事件)の尻拭い(世論回避)として、それまで証券もつぶさない護送船団方式できた行政指導方式から、世間にとおりがいい会社更生法を三洋にぶつけて実験をしたのではないかとも言われる。しかし、会社更生法はデフォルトを誘発し、拓銀、山一へ波及することになる。

98年9月長銀が事実上国有化[1]される。自民党(橋本政権)は、長銀へ公的資金投入をするというものだ。ローン債権はソフトバンク(華商資本)やリップルウッド(ユダヤ資本)に買い取られていった。いわゆる瑕疵担保責任とやらで、将来的に、買値よりも担保価値が下がれば、政府は税金でこれを補填する羽目になる。債権回収機構も立ち上がり、ローンの簿価での引き取りも進んだが、塩漬けであり、市場では売却不能のままである。宮沢財務大臣がルービン財務長官と会談して、「ソフトランディング」を選んだ結果であるという。

金融再生6法案を審議しているうちに、ロシア経済が悪化してしまった。ASEAN諸国の通貨危機もあって、ジャパンプレミアムは最大となっている。日本の金融機関は国内で外貨を調達し、海外店に送る破目になっているという。長銀がつぶれれば日本経済は国際的に大打撃を受ける。

       不況の原因

バブル後の不況の原因は銀行の不良債権(NPL)の存在が金融機関の貸し渋りを誘い、企業の設備投資、政府の公共投資、国民の消費性向、住宅消費がすべてマイナスになったためといわれる。

確かに、その要因もあるにはあるが、橋本政権の金融引き締め政策、小渕政権の消費税アップも色濃く影響している。しかし、実は一番影響した政府の施策は、金融のビッグバンである。米国からいわれて、円市場、株式市場のグルーバル化,スタンダード化を進めたせいなのである。国際金融機関に課された資本充実策も影響した。米国政府も過当な貸出競争(たとえば、中小信用機関は、預金獲得に20%もの金利を付けたことがある。)による全国住宅資金貸出組合の破綻を乗り切ったと言う実績を持っている。また、LTCM(ヘッジファンド)の破綻を短期間で救った手腕がある。それらに口出ししたのはFEDはじめ、民間の投資銀行(証券)などである。彼らはNPLについて「不良債権売買」により差益を取る手法あるいは企業を再生させて高く売却する手法などを熟知していたのである。日本のNPLはおいしい市場である。いち早く、日本の不良債権をターゲットとして活動を開始したのである。これが米国輸入のハゲタカファンドを誘った原因である。

わかりましたか?


[1] 金融安定化資金という税金で預金保険機構を通じ長銀の発行する優先株式を取得する方法


NZ紀行「ワインボックス」07年10月11日

2007-10-09 14:18:26 | 日記・エッセイ・コラム

□ NZ国会質問 199462日木曜日

ドクターマイケルカレン(Kilda通り):

「国会答弁の間に、特別委員会の審議に関連して12のコメントに答えたいと思います。」

「過去に起こったことを脇へおしやってしまう。」

「税制に関して行政の国民的信頼がある状況に到着するのを保証しようとするのは重要なことです。」

「今、その信頼があると信じている人々は、単に自分たちがだまされていることを知るべきです。」

「私たちが知っている、あるいは私たちが信じていることは、外部で信じられているというわけではありません。」「そして、結局は、それは政治学的に現実的な見方なのです。」

「もし、それに気付いて学ばなければ、大きな困難をもたらします。」

「タウランガ党のためにあなた方に言います。」

「彼は特別委員会の選択過程の性質が何であるかについて誤解していると。」

「それは、公共の過程なのです。」

「それは、公共の立会場で行われた過程です。」

「テレビを含むニュースメディアの前で行われたのです。」

「それは、公衆がそれ自身の差出をするのを可能にしますが、調査手数料は比較的簡単なやり方による直接的手法により、公衆が知りえたというものではないでしょう。」

「委員会には、職権があります。」

「それは、いつも確実です。」

「そして、私はセルウィン委員が確実にするものと確信します。」

「それには、租税に関する専門のアドバイザーが重要です。」

「事実上、私は、その専門家が委員会とタウランガ・メンバーにとって採用可能なスペシャリストであり、そのアドバイザーを雇うべく、委員会が奔走していることは当然のことと思います。」

「私たちには、したがって、法案の変更幅が小さいので、問題の最大限の変動幅を調べる用意があります。」

「法案の変更は、それらがたまたま租税回避行為のときに大きく変更されるからです。」

「言い換えれば、変更は租税回避行為問題の全体の変動幅を大きくします。」

「恐らく下院のメンバーの中には条項への変更が、特別委員会の面前で十分に検討した最終案としてオープンになることを喜ばないでしょう。」

「この条項は、私たちの税制における租税回避行為の課税条件条項として中核的なものです。」

「したがって、それらのすべての問題がオープンとなるでしょう。」

「セルウィン・メンバーは,租税回避に興味があるなら、私たちの事例検討を見ることになるでしょう。」

「セルウイン・メンバーによってタウランガに見送られた書類です。」

「それは、タウロンガ党によって机上にさらされた『ワインボックス書類』が含まれているのです。」

「彼が公共の目にさらそうとした事実です。」

「彼が特別委員会で検討されるべきだといった事実です。」

「彼が、特別委員会の審理過程を中傷するように見えるなら、政府があの書類のリリースを拒否するのと彼がやっていることは同じようなものです。」(ですから、彼の行動は政府の行動とは違うのです。)

政府委員として本件書類の開示について反対であることについて

ワイアット・クリーチ卿:「そうじゃない。」

ドクターマイケルカレン:「いいえ」

「労働野党メンバーは、現在、長期間に渡ってそれらの書類をリリースさせようとするタウランガ党メンバーを一貫して。手続的支持をしました。」

「私たちはそれらの書類を公開する法案に一度も反対したことがありません。」

「そして、一貫して、支援におけるポイントを挙げてきました。」

「恐らくタウランガへのメンバーは今晩の夕食までは知らないでしょう。Privileges Committeeのミーティングが、

それ

(

・・

)

がその書類との関連でまさしく正確な事柄であるとみなされることになるなんて・・」

「手続き上の問題を考えるためにそのミーティングを何とか前進させました。」

「それから、私たちが書類のリリースの問題を解決できることを願っています。」

「メンバーが、彼がそれらをリリースできないと言うのは、全く正しいです。」

「そうしないように、彼が差止命令の下にいます。」

「彼は彼自身のイニシアチブでの書類をリリースしないように適法の差止命令の下にいるこの下院の1人のメンバーです。」

「希望をいだいてその問題が解決されますように」

「しかし、政府が書類をリリースする許可を拒否したのです。政府はこのポジションに位置して、何かを隠しています。」

W.F.バーチ卿:「それはナンセンスです。」

ドクターマイケルカレン:「あなたの出番ではありません。」

「ナンセンス、そうじゃない、あなたが信じていないとしても、公衆が考えているものであると信じていないなら、公衆の電話線をブッチ切っているんですよ。」

「公衆が考えていることであるのでそれは私が言うことができるすべてです。」

「若しもだれかそうさせることを拒否するなら、公衆が知るべきことを望まない何かがあるのです。」

「それが本当であるかどうかは重要ではありません。」

「それは、現在の公開場で、国民が信じているものです。」

ウィンストン・ピータース卿:「それは問題なく本当です。」

マイケルカレン:「タウランガ・メンバーは、それが本当であると言います。」

「大蔵大臣は、本当でないと言います。」「それらが正しいか気にかけません。」

「結局は大衆がそれを正しいとする事実です。」「その日に終わりにこれらの事柄のご主人と奥様であることがわかります。」

「しかし、メンバーがなんとかして特別委員会の審理をそうでない方向に掘り進めるようサジェストするかも知れません。」「それはそうでないかも知れません。」

「私は自分の能力では知らされていません。セルウィン・メンバーがどのようにするかについて・・」

「私は特別委員会審問をずーと通して聴聞します。」

「彼には、まるで彼が本当に自分で事実を調べたがっていないかのように見えるという危険があります。」

「彼がそれらの事実を調査する役割を果たすとタウランガ党に言いたい。」

「彼は、王立調査委員会の下で持たないキャパシティを持っている。」

「質問するために、チャンスがあるでしょう。」

「したがって、公共の立会場の中で露出される事実に通じるように特別委員会に召喚されるべきである人々、および自分を指名するために。」

「私は、私の法案審理権を棄却すべきではないと政府に言います。」

「野党は、この法案の他の問題、すなわち技術的問題で、この委員会に3人のメンバーを必要とします。」

「政府がなぜそのことを指摘しないのでしょうか。」

「タウランガ党のメンバーを首相によって指名された1人のメンバーとして加えるよう草案を提出したのです。」

議長:「委員をミスリードしたかもしれません。」「この弁論は15分続いています。」

ドクターマイケルカレン:

「ありがとうございます。」「そのポイントを急がせていたなら、私は、よりゆっくりやりますよ。」

「すばやくやろうとしました。私に議長がシグナルを発しているのですが、スピーチの本質に関して」

「知りません。」

「要点に戻ります。」

「政府はタウランガ党のメンバーを政府メンバーと仲良く特別委員会にいれて、この法案をこつこつやることを決定する何かの理由・・・。」

「公衆がこの件に持っている深遠な嫌疑の見地、それについて公衆に説明しようとするために彼らに言わなければなりません。」

「彼らが、地元の国会報告talkbackプログラムに行くと考えて、なぜ突然2人までに特別委員会構成員を広げる意味をこつこつやったかを釈明するよう政府に言いたい。」

「彼らは、それが非常に、非常に難しいと理解するはずです。公衆が分かるように「一貫性」を持って、「論理的」な弁護をするのは・・・。」

「それがまったく、誤判定である。」

「問題を解決しないでしょう。」

「政府のメンバーを加えるのは、結局は問題を解決するのを助けるかもしれません。」

「彼らが拒否すると、私たちはポジションを決定しなければならないからです。」

「しかし、私は、野党が法案の残りの多くの中に含まれた技術事項のために一部3人の参加を保持する方を選びます。」

「また、それが下院に戻ることができて、通り抜けるのを保証するために法律の構成部分の上に何かタイムスケジュールに関する問題があると。」

「野党が完全に協力するのを挿入しようとしているかだれか財務大臣に言わせてください。」

「その件が71日に妨げられるのは望ましくはありません。」

「会社改革条項が71日に施行されることを考えて。」

「しかし、私たちはここにもう片方の件では、困っています、そして、結局、その問題を解決しなければならないのは国民です。」

「タウランガのためにいいます。彼が問題を解決する一部であると。」

「彼が、『いえ私ではない。』と、また、『それは私的裁判である。』というなら・・・。」

「若し、そういうなら、公衆が彼を守ってきたことを、彼が本当に真実が現れて欲しいと思っているかどうかを。」

「また、彼が恐らく一種の薄明かりの下で、どんな告発が巻き散らかされるかを選ぶかを。」

「政府メンバーがこの過程を邪魔するのをどうやって排除するか。」

「あるいは専門的表現が特別委員会で使用されたかどうか。」

「またはそれらが、特別委員会にまだ『隠そうとしているのは、何ですか?』のような質問をする政治的意思に参加権を広げるべく大衆が行動するようになるのを政府メンバーが拒否できるか問いたい。」

「私は、全くこれらの件において隠すものがない。」

「私が、だれか指名すべきでない人間にこういいたい。」

「調査委員会が多額の金額をサー・ロジャー・ダグラスを利用するためドサっと落とすなら、私は心配していないと。」

「それは政治的に私に全く関係がないでしょう。」

1986年から1988年までの大蔵大臣として。」

「私は夜、「すばらしい関心」や「寝不足」がありましたが、それが問題ではありません。」

「私はその見通しで、「喜び」と「小さい身震い」を現段階で得さえするかもしれません。」

「しばしば言ったように、私は、ラバート・ムルドゥーン卿以来、彼が国家財政委員会によって地位剥奪されるべき最初の大蔵大臣か社会(Associate)大臣です。」

「そして、それは1988年に起こりました、そして、私はよく覚えています。」

「見解は正統でない?」

「むこうにある深遠な嫌疑に打ち勝たなければなりません。」

「そして、私は現在、再びメンバーと共にここでそれをタウランガに言うつもりです。」

「全部がオープンにされ、通過されるのを確実にしたい理由の1つは、私が個人的に非常に強く高潔に信じていることは、デビット・ヘンリー氏、内国歳入庁の長官、彼の名前がすべての事実が現れるのを可能にする工程で完全にクリアされると・・。」

「彼の名前が、それらのすべての事実が現れるとそれに対してどんな誤った帰属をしたかをクリアにすると確信しています。」

「しかし、それはこの議会における私たちのすべての手、および私たちのすべてにあります。」

「そして、私たちの何人かだけではなく、私たちを皆、繰り返します。」

「私たちがそれを決議しないと、報いをこうむるでしょう。」


NZ紀行「ワインボックス」07年10月10日

2007-10-09 14:13:31 | 日記・エッセイ・コラム

       NZ国会論戦 

The Japanese revenue is dealing with the ``Jif'' foreign tax credit scam.

日本国税庁は外国税額控除スキャンダルを扱っている。

ピーターズ議員(P)「そのひとつは市民がクック政府に支払う税に関するものです。その税金は本来はクック市民の監視下にあるべきなのに政府会計を通らず還付されたかクック国会により流用されたというのです[1]。」

P「昨日、日本の銀行は1億米ドルの加算税を含む脱税額が課税されたことが明らかになりました[2]。」

19959月のジャパンタイムズがここにあります。下線を付けたところを見ていただきたい。これは「詐欺」です[3]。」

P「6銀行が国税当局から課税された[4]。」

「税は国を代表する6つの銀行合計でかれらが申告を誤った海外ローンの金利に対するもので100億NZドルに達する額に課税している[5]。」

P「第3段落には、詐欺に関する追加ペナルティを含む。まだまだ予断を許さない[6]。」

P「オーストラリア、NZ両国の親会社、本部は利子所得源泉に税が課されていないことはその取引の賦課率が以上に低いのではないか[7]。」

P「日本税務官吏はしかしながら、その取引は日本税法を侵害し、外国税額控除で租税回避が配慮された親子間の取引であり、日本の銀行として許されないよう規制されているものであると述べている[8]。」

この日本の脱税事件はクック諸島においてNZの身代わりのユーロピアン・パシフィックを使い1989年からつい最近まで行われていたのです[9]。」

P「この取引は他の国の違法性を導いたことによりNZの市民に七年の禁固を含むNZ刑法69条の適用を受けるべき罪なのです[10]。」

P「これはクック諸島においても同じ罪となるのにもかかわらず、悪いことにデビソン委員会がクックで何がおこなわれたのかを調査する秘密法廷をストップさせようとしている[11]。」

P「クックの裁判長デアルクイリアムはNZランド高等裁判所判事をリタイヤした者であるが、これら事件に関与した者を免責すべき調査をストップした。私はこの裁判長はなにも知らされていない。再度、私はこの知らされていない事実がクック市民によるクック諸島政府の手によって本件罪を再審すべきであると考えるものです[12]。」

P「クックの法はクック市民から隠されようとしている。それはある内閣のアドバイザーを勤めるグループによて訴追されないようにしている[13]。」

P「我々は、不幸にもユーロピアン・パシフィックに関するテレビジョン審議会が特集していたクレイドックQC問題がロナルドデビソン卿をして「何か目的はあるがそれ以外のものではない」と言わせている[14]。」

P「私の当議院に対する質問はなぜNZにおいてこれらの人々がわれらの管轄にいる全ての者であるかどうかということなのです[15]。」

P「ロジャーダグラスはBNZにこのスキャンダル取引に参加せよといっています[16]。」

P「日本のUS1億ドルの罰金。オーストラリアは1.5億ドルの罰金と考えられます。そしてひるがえって、わがNZは真実に迫ろうとしているのです[17]。」

P「私は少なくともデイビット、リッチホワイトが委員会の前にエビデンスを出していることを知っている[18]

しかしながら、少なくともクック諸島の法律の保護の下にNZの人々にではなく、また日本の人々にではなく、クック市民のために彼は隠すことができないのである


NZ紀行「ワインボックス」07年10月9日

2007-10-09 14:09:50 | 日記・エッセイ・コラム

第20章 ウィンストン・ピータース

2007年3月15日、大手町、通信社、午前9時30分

足立はその朝、フェイリッチホワイトはその後どうなったか気になり、ウエブを検索した。

確か、「Fay Richwhite」だったはずだ。

インターネットは次の記事をヒットした。

2005年のニュージーランドファースト党[1]の党首ピータース・ウインストン[2]

プロパガンダ

(

propaganda

)

が載っていた。

   <shapetype id="_x0000_t75" coordsize="21600,21600" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75"><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" alt="Rt Hon Winstons Peters, New Zealand First Leader" style="WIDTH: 62.25pt; HEIGHT: 86.25pt"><imagedata src="file:///C:DOCUME~1木村主宰LOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.wmz"></imagedata></shape>

1999219

Rt.ホン・ウィンストン・ピータース

メディアリリース

[STATEMENT BY RT HON WINSTON PETERS RE COURT OF APPEAL ON WINEBOX]

すべての公務員が倫理基準上、同等に取り扱うべきことについて

本日、ニュージーランド第一党のLeaderであるRt.ホン・ウィンストン・ピーターズ国会議員がプレス発表した。

「私の最大の関心事である、元TVNZ役員(現在のフェイリッチホワイトアフェア[3] 役員)であるミシェル・ボーグ[4]にアメリカズカップ

業務

(

タスク

)

チーム

(

フォース

)

のコンサルタントとして公費が支払われている。」

「ニュージーランド人は、彼女(ミシェル・ボーグ)が、私が1996年に『Winebox Hearings』で提出した証拠フィルムをフェイリッチホワイトに雇われたあるフィルムメーカーによって密かに借り出させた後、TVNZを辞職した人であることを忘れていません。」

「ニュージーランド人は、ボーグ女史がアメリカズカップの業務チームに任命された経緯について、彼女の長い間の同僚である観光省大臣マーレイ・マクリイ[5]から、観光委員会[6]を通じて任命されたもので、直接、ボーグ女史に資金が提供された事実を知らないかもしれません。」

「検査院長官は現在、観光委員会で、ある決済と支出に関し公式の調査を行っています。」

「既に、当該大臣が携わったボードの経営方法・実施要領が適切なものかどうか法的見解が議会に提出されました。」

「下院の副議長(イアン・レベル氏[7])は、自分が警察にかかわる問題に巻き込まれたことに起因して議会を混乱させたとして辞職した。」

「同じ高レベルの倫理規定がすべての公務員に適用されるべきです。」

「ニュージーランド人にとって、シップリー内閣[8]の周りを厚く包み込む低俗で無能な雰囲気は大嫌いなのです。」

「空気を洗浄するためには、片道切符しかありません。」

ピータースは結論する。「現大臣が就任以来、約束してきた観光委員会に関する事項のすべてについて完全な調査照会を国会選択委員会[9]にすべきである。」

終わり

ピータースは次のようにも述回している。

19981117

Rt.ホン・ウィンストン・ピータース

メディアリリース

「私は「WINEBOX」に関して控訴裁判所に再請求した。」

「最初に私の法律チーム、ブライアン・ヘンリー、およびレーチェルダウンズ(私の妻)に感謝申し上げる。彼らの個人的で財政的なコスト増にもかかわらず、すばらしい結論をあきらめずに探し出したことについて感謝したい。」

「そして、何千人もの普通のニュージーランド人に対して感謝申し上げる。彼らの財政援助と奨励に対して。」

「私の幹部会[10]の皆と党に対し謝意を申し上げる。だれかが政治上の、また、適法な議題からそらそうとしたことに対し勇気を持って飛びついたこと


NZ紀行「ワインボックス」07年10月4日

2007-10-09 14:06:46 | 日記・エッセイ・コラム

□ ニュージーランド年表

10001300
Archaeological evidence indicates that Polynesian settlement was established by this date.
この頃より、ポリネシア人が居住し始める。
1642
Dutch explorer Abel Janszoon Tasman discovers a land he calls Staten Landt, later named Nieuw Zeeland.
オランダの航海者アベル・タスマンが、ヨーロッパ人として NZ に初上陸。当地を、ニュージーランドと命名。
1769
British explorer James Cook makes the first of three visits to <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>, taking possession of the country in the name of King George III.
英国の航海者 ジェームス・クックが初上陸。ジョージ三世国王の名の基に、英国領と宣言。
1790s
Sealing, deep-sea whaling, the flax and timber trades begin, with some small temporary settlements. First severe introduced epidemic among Maori population.
1791

First visit by a whaling vessel, the "William and Ann", to <place w:st="on"><placename w:st="on">

Doubtless

</placename> <placetype w:st="on">

Bay

</placetype></place>.
最初の本格的な捕鯨船、「William And Ann 号」が 寄港。

1800 - 1849 

1806
First European(Pakeha)women arrive in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>.
最初のヨーロッパ人女性が当地に到着。
1814
British missionary Samuel Marsden makes first visit to <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>. Anglican mission station established. Sheep, cattle, horses and poultry are introduced.
最初の英国人宣教師 サミュエル・マ-スデンが 到着、アングリカン教会の布教を開始。
1815
Thomas Holloway King is the first European (Pakeha)child born in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>.
トーマス・ハロウェイ・キングが、ニュージーランドで最初のヨーロッパ人の子供として誕生。
1819
Raids on Taranaki and Te Whanganui-a-tara regions by Ngapuhi and Ngai Toa people led by chiefs Patuone, Nene, Moetara, Tuwhare and Te Rauparaha.
1820

Hongi Hika, Ngapuhi chief, visits <country-region w:st="on"><place w:st="on">

England

</place></country-region>, meets King George IV and secures supply of muskets.
ナプヒ部族の首長 ホンギ・ヒカが、最初のマオリ族として ジョージ四世英国国王に、英国で謁見し、マスケット銃の供給を約束される。
1821
Musket wars begin with raids by Hongi Hika and Te Morenga on southern iwi and continue throughout the decade.
マスケット戦争の開始。
1822
Ngai Toa migration south to <place w:st="on">

Cook Strait

</place> region, led by Te Rauparaha, begins.
1823

Jurisdiction of <state w:st="on">

New South Wales

</state> courts is extended to British citizens in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>. Wesleyan Missionary Society mission established. First Church of England marriage between Philip Tapsell and Maori girl, Maria Ringa.
ニューサウスウェールズ裁判所が、ニュージーランド居住の英国人の裁判権を受ける。
1824
Te Heke Niho-puta migration of Taranaki iwi to the <place w:st="on"><placename w:st="on">

Kapiti

</placename> <placetype w:st="on">

Coast

</placetype></place>. Rawiri Taiwhanga in <place w:st="on"><placetype w:st="on">

Bay

</placetype>

of

<placename w:st="on">

Islands

</placename></place> sells dairy produce and other food supplies to visiting ships.
1827

Te Rauparaha's invasion of the <place w:st="on">

South Island

</place> from Kapiti begins.
1830

First acorn planted at Waimate North where agricultural mission and school established.
1831

Whaling stations established at Tory Channel and Preservation Inlet.
1833

James Busby, appointed British Resident in <country-region w:st="on">

New Zealand

</country-region>, arrives at the <place w:st="on"><placetype w:st="on">

Bay

</placetype>

of

<placename w:st="on">

Islands

</placename></place>.
1834

United Tribes' flag adopted by some 25 northern chiefs at Busby's suggestion.
1835

Declaration of Independence by the "United Tribes of New Zealand" signed by 34 northern chiefs.
北部地区 34部族首長により作られた、「ニュージーランド部族連合」が 独立を宣言。
1837
New Zealand Association formed in <city w:st="on"><place w:st="on">

London

</place></city>, becoming the New Zealand Colonisation Society in 1838 and the New Zealand Company in 1839, under the inspiration of Edward Gibbon Wakefield. William Colenso completes printing the New Testament in Maori, the first book printed in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region>.
1838

Bishop Pompallier founds Roman Catholic Mission at Hokianga.
1839

William Hobson instructed to establish British rule in <country-region w:st="on">

New Zealand

</country-region>, as a dependency of <state w:st="on"><place w:st="on">

New South Wales

</place></state>. Colonel William Wakefield of the New Zealand Company arrives on the "Tory" to purchase land for a settlement.
ウィリアム・ホブソン提督が、ニュージーランドをニューサウスウェールズの属領として英国領に併合する様に指示。ウェークフィールド大佐率いる ニュージーランド部隊が上陸。
1840
New Zealand Company settlers arrive at Port Nicholson, <city w:st="on"><place w:st="on">

Wellington

</place></city>. Treaty of Waitangi signed at <place w:st="on"><placetype w:st="on">

Bay

</placetype>

of

<placename w:st="on">

Islands

</placename></place> and later over most of the country. British sovereignty proclaimed. French settlers land at Akaroa. Hobson becomes first Governor and sets up executive and legislative councils.
ベイオブアイランドにて、マオリ首長と英国の間で ワイタンギ条約に調印、英国領となる。ホブソンが、最初の総督として就任。
1841
European settlements established at New Plymouth and Wanganui. Capital shifted from Kororareka to <city w:st="on"><place w:st="on">

Auckland

</place></city>.
1842

Main body of settlers arrive at Nelson.
1843
Twenty-two European settlers and four Maori killed at a confrontation at Tua Marina, near the Wairau, in <city w:st="on"><place w:st="on">

Marlborough

</place></city>. Robert FitzRoy becomes Governor.
1844

Hone Heke begins the "War in the North". New Zealand Company suspends its colonising operations due to financial difficulties.
ホネ・ヒキによる反乱「北部戦争」が勃発。
1845
George Grey becomes Governor.
1846

War in the north ends with capture of Ruapekapeka. First New Zealand Constitution Act passed. Heaphy, Fox and Brunner begin exploring the West Coast. First steam vessel, HMS "Driver", arrives in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region> waters.
北部戦争 終結。最初の憲法法案が可決される。
1848
Settlement founded by Scottish Otago Association. Provinces of New Ulster and New Munster set up under 1846 Act. Coal discovered at Brunner on the West Coast. Earthquake in <city w:st="on">

Marlborough

</city> damages most <city w:st="on"><place w:st="on">

Wellington

</place></city> buildings.

1850 - 1899

1850
<city w:st="on"><place w:st="on">

Canterbury

</place></city> settlement founded.
1852
Second <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region> Constitution Act passed creating General Assembly and six provinces with representative government.
2
番目の憲法法案が可決され、政府代表者による中央議会と六つの地方議会が発足。
1853
Idea of a Maori King canvassed by Tamihana Te Rauparaha and Matene Te Whiwhi.
1854

First session of the General Assembly opens in <city w:st="on"><place w:st="on">

Auckland

</place></city>.
最初の中央議会がオークランドで開催される。
1855
Governor Thomas Gore Browne, appointed in 1854, arrives. Severe earthquake on both sides of <place w:st="on">

Cook Strait

</place>. Adhesive, imperforate postage stamps on sale.
最初の切り取り線及び糊付きの郵便切手が販売される。
1856
Henry Sewell forms first ministry under responsible government and becomes first Premier. Edward Stafford forms first stable ministry.
1858

New Provinces Act passed. Te Wherowhero installed as first Maori King, taking name <sn w:st="on">

Potatau

</sn> <sn w:st="on">

I.

</sn>
1859

First session of Hawke's Bay and <city w:st="on"><place w:st="on">

Marlborough

</place></city> provincial councils. Gold discovered in <place w:st="on"><placename w:st="on">

Buller

</placename> <placetype w:st="on">

River

</placetype></place>. New Zealand Insurance Company established.
ニュージーランド保険会社が設立される。
1860
Waitara dispute develops into general warfare in Taranaki.
1861

Grey begins second governorship. Gold discovered at Gabriel's Gully; Otago goldrushes begin. First session of Southland provincial council. Bank of New Zealand incorporated at <city w:st="on"><place w:st="on">

Auckland

</place></city>.
ニュージーランド銀行が、オークランドに設立される。
1862
First electric telegraph line opens from <city w:st="on"><place w:st="on">

Christchurch

</place></city> to Lyttleton. First gold shipment from <city w:st="on">

Dunedin

</city> to <city w:st="on"><place w:st="on">

London

</place></city>.
最初の電信線が、クライストチャーチとリッテルトンの間を結ぶ。
1863
War resumes in Taranaki and begins in <place w:st="on">

Waikato

</place> when General Cameron crosses the Mangatawhiri stream. New Zealand Settlements Act passed to effect land confiscation. First steam railway in <country-region w:st="on"><place w:st="on">

New Zealand

</place></country-region> opened.
最初の蒸気機関車による鉄道が開かれる。
1864
War in the <place w:st="on">

Waikato

</place> ends with battle of Orakau. Land in Waikato, Taranaki, <place w:st="on"><placetype w:st="on">

Bay

</placetype>

of

<placename w:st="on">

Plenty

</placename></place> and Hawke's Bay confiscated. Gold discovered in <city w:st="on">

Marlborough

</city> and <city w:st="on"><place w:st="on">

Westland

</place></city>. Arthur, George and Edward Dobson are the first European(Pakeha) to cross what becomes known as Arthur's Pass.

NZ紀行(「ワインボックス」)07年10月3日

2007-10-09 14:02:52 | 日記・エッセイ・コラム

□ ピータース対リチャードソン大蔵大臣

19921111日水曜日

NZ[国会審議

フェイ・リッチホワイト社--「調査…」に関して

ウィンストン・ピーター(タウロンガ)からリス・リチャードソン大蔵大臣へ質問している。

ウィンストン・ピータース(以下P)「199011月に、ニュージーランド銀行の第2回目救済措置で、彼女は内閣を代表して少数株主、フェイ・リッチホワイト、および社の取締役に調査、研究または調査を認可しました。」

野次[それが違うのなら一体何なんだ?]

議長「ルス・リチャードソン(大蔵大臣)閣下(以下R)」

R「大蔵大臣として、私には、不特定の「調査」を個人の業務に認可する権限がありません。」

「「調査」がガイドラインセットの中で安定している適法の原則と特定の法令で行動する独立している権限によって行われるのを確実にすることによって、私たちの民主主義のシステムは個人の権利を保護する。」

P「大口株主として、サウスオーストラリア州立銀行の取締役会の議事録中で、フェイ・リッチホワイトの取締役は「信じることができない」と述べている。そして、更に「仮想のゆすり」でさらに彼らが起訴された。」

P「なぜなら、「リスクを公表している非BNZグループ」銀行は自分自身のコントロールの外のおかれる行動化計画、その局面においては「BNZの最大のリスクは資本増強化策以前の状態である。言い換えると「企業救済」すべき、すなわち--「廃業」すべきであると。」

P[どうして大臣、おわかりにならないのですか。 ]

議長「ルス・リチャードソン閣下:

R「私が委員会メンバーに言ったように、何か適切な法定権利の前に置かれる証拠があるなら、彼はそうします。」「しかしながら、私は証券委員会が続く限り、委員会メンバーをして、彼の質問がそれを疑惑の主張の方向へと考えさせていると」「「私たちがこれまで見たものは何もそのような調査を正当化しません。」」

議長「マイケル・カレン博士閣下:

マイケル・カレン(以下C)「大臣のオリジナルの答えの見地から、彼女はなぜニュージーランド銀行に公式調査を一度求めましたか?

議長「ルス・リチャードソン閣下:

R「私はニュージーランド銀行に公式調査を求めませんでした。」