junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

12度目のネパール  10.サプライズ!& 帰国当日、翌日 

2014-01-20 21:11:02 | ネパール
2013.12/9(月)

明日はもう日本に帰るという日。  この日は何もしないでのんびりしようと決めていました。

朝、いつものように屋上で食事をし、おしゃべりしていたとき・・・  なぜか 明日は私の誕生日 と思い出し、何気に口にしてしまいました。

いつもは忘れていることが多く、娘たちにおめでとうメールなどをもらって思い出さされ、「あ~、忘れていた方がよかったのに~」 などと言っていたものですが、この日は自分で思い出してしまいました。

そのあとはすっかり忘れていました。 あとで思うと、明日誕生日 と言った時に、ミナちゃんもいたのかもしれません。


3:00に銀杏旅館前のバッティ(茶店)であのお菓子がもう一度食べたいのでお茶しましょう・・・ と筋田さん、ミナちゃんをお誘いしてありました。 お菓子の名はダルモット。


ミナちゃんが遅れて、まだ来る前に、筋田さんとお茶を飲みながら 「今晩はカレーにでもしましょうか」 と話し、私が野菜の皮むきを引き受けました。 

あまりにかわいい野菜なので思わずパチリ。

ところが皮をむいた野菜は必要なくなりました!  なぜなら、ミナちゃんがすでに夕食の準備をしていてくれましたので・・・。 明日にでも使ってもらいましょう・・・と冷蔵庫にしまいこみました。



夜になってびっくり!

なんと私のために誕生祝をしようと、こっそりと準備をしてくれたのでした。

サロジくんとラスミちゃんはバイクでわざわざバネパのケーキやさんまでバースデーケーキを買いに行ってくれたそう・・・。

お魚も買ってきてくれて、ミナちゃんがから揚げにしてくれました。 どちらもそう安くはないものなのに・・・。



こんなカードまで作ってくれました。


おいしそう・・・! フルーツにコーラまで・・・。 



筋田さんもこのサプライズは知らないでいて、サロジくんがコーラを買ってきたとき、 「あんなものを飲んで・・・」 と苦い顔をしていたのです。  それが私のためだったとはね!

ケーキにろうそくを灯して ♪ハッピーバースデイ トゥ ユー♪ ハッピーバースデイ トゥ ユー♪ と歌って お祝いしてくれました。


みんなありがとう!!  何といい子たちなんでしょう・・・!  うれしいサプライズ!!



2013.12/10(火)  

いよいよ今日は帰国の日。 カトマンドゥ国際空港13:50発なので10:00過ぎに出れば十分間に合うので朝食はゆっくりと戴きました。

私が滞在中の食事はほとんどラスミちゃんが用意してくれました。 これがなかなかの料理上手。 いつもおいしいなーと思って食べていました。

今朝はこんな具合・・・ ポテトの好きな私のために!


ある時はこんな感じ・・・ パンケーキの向こうに見えるラスミちゃんのオムレツは私の一番のお気に入りです!



とにかくラスミちゃんには1ヶ月間、お茶、食事、お茶、お茶、食事・・と、とてもお世話になってしまいました。
お姉ちゃんのミナちゃんはトレッキングガイドや通訳等で長期に家を空けることが多いので仕方ないことなのですが・・・。



10:00 迎えのジープが来たので、乗り込むと・・・ ご近所のおばあちゃんが下(サンガ)の病院に行くので一緒に・・・ と娘さんと一緒に乗ってきました。 やっぱりここはネパール!



ミナちゃんとラスミちゃんはカトマンドゥに用事があるからと空港まで送ってくれました。

空港入り口にこんなりっぱなゲートがあったなんて・・・ 今までどうして気がつかなかったのでしょう・・・。(タクシーで左後ろに乗っていると下の方しか見えなかった?)


ターミナル入り口でミナちゃん、ラスミちゃんともお別れ。 いつものことですが、あとは一人になります。



空港での出来事

空港ビルに入るところでいつものように一回目のX線検査を受けるのですが、背中のザック、肩にかけたポシェット、それに上着も脱ぎ、最後のトランクをラインに乗せようとしたら、どうしたものか重くてうまく乗せられず・・・ 今まではなんとかなっていたのに・・・。 日本なら係りの人がちゃんとやってくれるのに・・・ などと思っていると、それらしい人がやってきて、手伝ってくれました。

ボディチェックも受け、中に入り自分の荷物をうけとり・・・ とそこへさっき手伝ってくれた男性がカートをもってやってきて、サッサとトランクを乗せてスイスイと運んでくれるではありませんか!?

あれあれと思っているうちにタイ航空のチェックインカウンターに・・・。 そこで言うには 「こんなに並んでいるから先にできるようにしてあげたからね、1000円!」と!! 

「ゲ~ッ あなたはそういう人だったの!」 と思ったけれど、もうここまで持ってきてもらっちゃったことだし・・・ と、またうまい具合にお財布に1000円札が入っていたので支払ってしまいました。

あとでよく考えると、隣の長い行列はよその航空会社だったかもしれないと・・・。 

そうは思うものの「もう払ってしまったことだし・・・」 「まっ いっか」と、気をとり直した。  こういうところは私も気のいい日本人そのまんま・・・


あとはチェックインして2階にあがり・・・ 待つ人が一人もいないイミグレーションを通過。(こんなことは珍しい・・)  

その先で、2度目のX線検査も受け・・・ あとは待合室で出発を待つだけ・・ と歩いているときに「あッ ジャケットがない!」 と気が付きました。

あわてて元に戻るのですが、それぞれの通過点で「1階のX線検査場に赤いジャケットを忘れたので取りに行きたい・・・」と説明をすると、若い職員は遠くにいるお偉いさんの許可を得るべくそちらに説明、OKとなると階段を下り又元の所に逆戻り・・・

その手前で、さっきの1000円おじさんが私に気づき、「どうした?」と声をかけてくれたので「赤いジャケットを忘れた・・・」というと「ああ あったよ」と 私をXrayのところまで連れていってくれた。

先ほどまではテーブルの上に置いてあったらしいのにないので、そこにいた職員(といっても椅子に座ってのんびりしている女性たち)に、「さっきここにあった赤いジャケットは?」と聞くと・・・ のろりのろりとテーブルの下に隠してあったのか片付けてあったのか、泥だらけになった私のジャケットを出してくれた。

「あっ これこれ・・・」と言って受け取ることができ、男性にはお礼を言って別れた。「さっきの1000円がこんなところで役にたった!」 と一人納得してしまいました。

再度2階にあがり、もう一度X線とボディチェックを受けて中に入った。 

やれやれ・・・ つっかれた~一件でした。

皆さんも気をつけて下さいね。 ジャケット一つのことでけっこう面倒な作業でしたので・・・。


この後は特に何事もなくバンコックでトランジット。 22:30分発 一眠りしているうちに日本に着きます。



2013・12/11(水)

成田には朝の6:20分着。 私は京成電車が便利なので京成のホームに。

通勤風景をみると服装はすっかり冬支度でした。

ジャケットを忘れたと気がついたあの時 「寒くないからいらないかな」と一瞬思ったのですが、今思うに、取りに戻ってよかった~。 外は冬本番の寒さでしたから!


自宅の近くまで来るとさざんかが満開。ネパールにはない花だったのでなんだか感激。




紅葉もちょうど見ごろで・・・。



2011年の東日本大震災で建て替えがご破算になったため、9月から始まった大規模修繕が、もう終わっているころ・・・と思ったのですがまだ終っていませんでした。 あの地震がなかったらちょうど今頃新しいマンションが出来上がって引っ越しができているはずでした。 でも今それを言っても仕方ないことで・・・。

このあと10日ほどで防護ネットも足場も取り払われました。



以上で 12度目のネパール訪問 を終わりにいたします。 

次回訪問は2014.3/14~29日までです。
またメールダラの山の学校を訪問してきます。 できたらホームステイをして、数日学校通いをしたいなんて考えていますが、あちらの受け入れ体制が整わなかったら先の話になります。



12度目のネパール  9.コパンの予定がフルバリグンバへ

2014-01-19 17:24:10 | ネパール
2013.12/7(土)

この日はミナちゃん、ラスミちゃんにコパンを案内してもらうことをお願いしてありました。 朝早くに出たほうがいいとのミナちゃんのアドバイスで7:15分出発。 もちろんバス利用です。

サンガのバス停まではいつもの山をおります。 

朝早いので、山の下はもやの中。 サンガの街はこの下です。 



サンガからバスに乗りカトマンドゥ方面に。 カトマンドゥのまわりをぐるり走っているリングロードとの交差点のコテショールというところでバスを乗り換え、チョーベルというところでバスを降りました。

ここで軽い朝食。 チャーナ タルカリという物です。



おやつにみかんを買いました。



チョーベルからコパンまではタクシーで・・・。  コパンは地名ですが、寺院の名前はスリ・ネパール・ボウダ・マハーヤナ・センター・グンバとありました。  グンバはチベット語で僧院のこと。 ネパール語ではゴンパといいます。



ミナちゃんのガイド力はすごかった。  帰りにも迎えに来てもらえるようにとタクシーを降りるとすぐにケータイの番号を聞き自分のケータイに登録。

さて、これから寺院を見せてもらおうかと思ったら、12/22日まではお坊さんたちの研修があり、公開はしていない・・・ とのこと。

ありゃりゃ・・・ どうしよう・・・ と思ったら、みなちゃんが、 「じゃあ、フルバリグンバへ」 と今帰してしまったタクシーをケータイで呼び戻してくれた。

待つ間に、ここだけならいいと言ってもらった入口近くの写真を撮らせてもらいました。 
 



道路に描かれたこのもよう・・・ これはいつもあるものなのか、何かのために描かれたものなのか・・・? また訪れる機会が得られたのでその時に聞いてみよう・・・! 




ということで、また来てもらったタクシーで フルバリグンバ へと向かいました。

運転手さんも初めて行くということで、地元の人に道を聞き聞きしながらやっとたどり着いたと思ったら・・・ そこは門が閉鎖されていて、誰でも入れるところではないとか!

ちょうど車の横を通りかかったお坊さん数人のひとりが、ミナちゃんと話をして教えてくれたことは、 「知り合いに会いに行く」 といえば入れてもらえるとのこと。

門番さんはすぐに門を開けてくれ、駐車場はその先なので、車に乗ったままで奥まで行くことができました。

駐車場では、又ミナちゃんと運転手さんの攻防。  運転手さんはここで私たちが戻るのを待ち、街まで下りて2000ルピーと言うのを、ミナちゃんは1200でなかったら帰っていいよ・・・と。 結局約1時間近く待っていてくれました!


チベット僧院の特徴は何といってもその色彩の鮮やかなことです。

フルバリグンバ入り口の門。   フル=花  バリ=畑  グンバ=僧院

 ミナちゃんとラスミちゃんの姉妹です。

門の上部に彫られているシェプ(シェプはヒンドゥー教の守り神と思ったのですが、チベット仏教とも関係があるのですね)



その名のごとく、12月だというのに花がいっぱい・・・ 春や夏はもっとすごいかも・・・









旧僧院のほかに新しい僧院もありました。

閉まっていたゲートの前でたまたまお会いしたお坊さんにも中でお会いすることができました。



このお坊さんのおかげで、閉まっていた新しい僧院の中も見せて頂くことができました。 



チベット僧院の特徴といえばカラフルなことと、入口の独特な装飾でしょうか・・・。
 





 壁画や天井画もものすごく派手な色使いです。







壁画





特別に建物の内部も見せて頂きました。



チベット仏教ではお勤めの時、鉦や太鼓でとても賑やかに行われます。 今日はお勤めがなくて残念ですが・・・。



トータルで40分くらいでしょうか、特別に見学をさせて頂きとてもラッキーでした。 お坊さんにもミナちゃんにも感謝です。

車の待つところへと急ぎました。

帰りはチョーベルの手前にある 世界遺産の一つ ボーダナート で車をおり、まだラスミナちゃんが入ったことがないというので、見学することにしました。 私も何年かぶりです。

ミナちゃんは入場料を払わなくてもいいところから入ろうとしましたが、私は、払ったほうが、ネパールのためになる・・・ と正規の門から入りました。 ここは値上がりしてもたったの150ルピーでした。 ちなみにネパール人は入場料はいりません。



いつも自由に出入りできるチベット仏教寺院に寄ることにしました。 外にはマリーゴールドの花びらでこんな曼荼羅が描かれていました。



私にはわからなかったのですが、今日は アウタリ・ラマ という高僧の儀式のある日だとか・・・  ミナちゃんについて、ぐんぐん奥に入り、みんなと一緒に座りこんでその儀式を受けることになりました。



ところが、この儀式を受けるために寄付をするお金を入れる封筒(なんでもいいのですが)がないといけないらしい・・・。 あわててバッグの中をごそごそ・・・ なんとかなりました。

首にかけて頂くためのマフラーも自分で持ってこないといけないらしい ・・・が、それもない! 

どうしよう・・ どうしよう…とうろたえていたら、隣にいたチベット人らしい人が、 「ちょっと待って・・・」  と言ってどこからか2本持ってきてくれ、私たちに恵んでくれました。  まあ、なんていいひと! ありがたく頂戴してしまいました。  

ラスミちゃんは中に入らずずっと外で待っていました。 儀式を受けるためにごった返す人で順番待ちをしたりしたため、1時間くらいかかってしまったかもしれないのに・・・。

その上の階にも仏像などが安置されているのですが、なかなか上までは来る人は少ないのですが。フルバリグンバほど大きくはありませんが、入口も壁画もよく似ています。



中には小さいですが、やはりりっぱな仏像が並んでいます。




この後ちょうどお昼時でもあったので、ストゥーパの見える近くのレストランに入り、思い思いの物を頼んで食べ、一休みしました。

2時過ぎていたでしょうか・・・ ボーダナートを後にし、カトマンドゥ一大きいというスーパーマーケットに行ってみることにしました。 スーパーの名前は バト・バティニ・スーパーストアー ボーダ です。



日本と違ってスーパーに入るのに、バッグ以外の荷物は持って入れず、入口で預けなければいけません。

1階が食料品、2階が雑貨、3階衣料品となっていました。 一応上から下までざっと見て出ました。

次はどこに行こうか・・・ そうだ、カトマンドゥに出てみよう・・・ ということで、今回私の初体験のトゥクトゥクに乗りました(乗合オート三輪)。 

ぎゅうぎゅう詰めて8人くらいは何とか座れそう・・・ 立って乗れないこともないですが、座っても上はこれだけしかありませんので頭がつかえてとても大変です!



街を歩いているときに見つけた珍しい花。 もちろん名前はわかりません。



20分くらいでカトマンドゥモールというビルの所につきました。(郵便局の近く)



一番上の階段にすわって、持っていたお菓子を食べながらしばらく通る人をながめて過ごしました。

そのうち、のどが渇いたので、中に入ってゆっくりとお茶を・・・ 

そろそろ帰ろうか・・・ と外に出ると歩道はこんな状態。  露店がいっぱい、通行人もいっぱい・・・。  買いたいものがあったらこの時間、ここが何でも安くていいんだよね! と眺めながら、気に入ったものを買いながら・・・ いつものバスパークに向かいました。



バスに乗ってしまえば座っているだけで50分ほどでサンガです。

今日は暗くなってしまったけれど、女三人もいれば心強いし・・・。 

銀杏旅館に戻ったのは7:00すぎ・・・。 どこで何をしていたんだか・・・ と筋田さんにはあきれられましたが楽しい一日でした。


12度目のネパール  8、向かいの丘のシバ神像まで・・

2014-01-18 18:14:39 | ネパール
2013.12/4(水)

銀杏旅館に来てから三週間以上もたったこの日、毎日、毎日銀杏旅館の屋上から見ていた大きなシヴァ神のあるところまで行ってみようかなという気になり、昼食後一人で行くことにしました。

このシバ神像はじめ一帯のスパ等の施設は、インドの大金持ちの方が私財を投じて作ったものだそうです。旧跡というわけではないので今まで行ってみたいという気がおこりませんでした。

銀杏旅館からいつも眺めていたあのシヴァ神像です。
あそこに行くには一度下のサンガの街に下り、サンガゲートの脇からあのシヴァ神像のあるところまで登っていくのだそうです。



銀杏旅館を出て、いつもの道を進み、例の山道を下っていきます。



下りに入る手前に(この写真の少し先)新しく家を建てているお宅があってここでいつも作業をしている人たちがいます。 この人たちはいつもヒマラヤを眺めながら仕事をしているということなのですが、実際はそんな悠長なことしてはいられないでしょうね。


あとで気がつきましたが、アサブリ寺院に行ったときに出会った木の実を採ってくださった方が、ここに写っていました。(右に立っている方)

いつもの山道を下ってサンガゲートにつきました。



このサンガゲートの脇にシヴァ神像への登り口があり、その門には カイラスナート マハーデヴと書いてありました。 これが正式名称なのかもしれません。(そういえばシヴァとパールヴァティはカイラス山に住んでいると聞いたことがあります。)

 



この門をくぐってまもなく、それこそこの町ができた昔、昔からあったと思われる寺院があります。 建物は新しく建て替えられているようですが・・・。



中には古そうな石造がいくつもありました。 表の石柱の上にいるのはガルーダのようですので、中にいるのはヴィシュヌでしょうか? ガネーシャも見えますが・・・。



こちらが近道・・と書いてありますので、ここから行きます。



これ全部ラプシ(酸っぱい木の実)で作ったおかし・・ですって!



近道はこんな細い道です。



私が好きなのはこのような情景。 ピーパルの根元に祀られている神さま。



ラプシの種がたくさん干してありました。 何に使うのかと思いましたら、これは燃料にするのだそうです。



木の根元の神様がここにも祀られています。


後ろは学校です。

以前、私がふうふう言いながら山道を登っていたときに私を追い越して行った子供たちはこの学校の帰りだったのかな?

少し進むとあのシヴァ神像が見えてきました。



 ここから少し下って又ちょっと上がらなければいけません。

やっと到着しました。

何組もの学生の集団が先生に引率されてきていました。



高さ143フィート(約43.5m)。下からですとその大きさがよくわかりませんが、近くにいる人と比べるとよくわかりますね。



私は正面の階段から登らずに左のほうの坂道を上ることにしました。 

途中数本のヒマラヤザクラが咲いています。



しだれ桜も・・・



大きなシヴァ神像の後ろに廻ると、面白い像がありました。 よく見るとこの方はマスクをしているのです。 下にネパール語で何か書いてあるのですが、私のネパール語力ではよくわかりません。ミナちゃんに聞けばよかったのですが、忘れてしまいました。(あとで調べてみます)



後ろ反対側にはこの像でした・・・。



シヴァ神像の前にはシヴァの乗り物である聖牛ナンディがおりました。



その前にはシヴァと妻のパールヴァティと息子のガネーシャの像が・・・。



まわりの景色を眺めてみると・・・ 北のほうにはこんなりっぱなプール施設があります。夏には開業するとか・・。



西の方にはこれまた古い家並みの村が見えます。  カントリーウォークするにはよさそうなところ!



しばらく休んでから、もと来た道を戻ることにしました。

途中で新しく商店らしい建物の仕上げをしている人がいました。 その建物の柱には商売の神といわれるガネーシャがはめ込まれています。



正面の地面には曼荼羅が・・ ホントに信仰深いですね。



サンガゲートから、いつものあの山道を登りました。 このころにはもう 「いやだな~」 と思うこともなく、わりとスイスイと気楽に登れるようになりました。 それでも上にあがりきった時には息も乱れ、やっとここまで来た・・とホッとしますけれどね!

ヒマラヤを見ながら仕事をしていた人たちは3時の休憩にでも行くのか、私の前をそろって歩いていました。



約3時間のお散歩・・・。 汗のひかないうちに私はシャワーです。 寒いので、こんな時でないとなかなかシャワーもおっくうなんです!



 
 ※シヴァ神像の後ろにあったマスクをつけた白い像のこと。 

像の下に書いてある字を辞書で調べたり、わからないところはネパール語の先生(平尾和雄先生)にもお聞きしました。

この像はジャイナ教の創始者の方の像のようです。 ジャイナ教には白衣派と裸形派がありこれは白衣派の方で、マスクをしているのは殺生をしてはいけないという教義のため、口からムシが入るのも防ぐほど厳しいということを表しているそうです。

左にある像の方は仏教でいうとお釈迦さまのような存在の方だそうで、ジャイナ教の第24代目の祖師ということです。

インドでは仏教よりジャイナ教の方がずっと多いいそうです。 



12度目のネパール  7.ポカラの支援活動見学

2014-01-15 22:01:19 | ネパール
2013.11/30(土)~12/2(月)

筋田さんの支援活動を見学させていただくために2泊3日でポカラまで行ってまいりました。

大阪からボランティアでいらっしゃった女性4人と石川県から見えたご夫妻と私の7名、それに筋田さんです。 贅沢ご法度の筋田さんなりの旅のスタイルでした。


1日目 2013.11.30(土) 

銀杏旅館を朝6:00に出発。 カトマンドゥ7:00発のツーリストバスでポカラまでの移動です。今まで私がポカラに行くために使ったバスの中で最も安いツーリストバスでした。 往復で1200ルピーだそうです。 こんなに安く行けるバスがあるなんて・・・知らなかったですねぇ!  

かつて使ったことのある グリーンラインバス も バババス も2リットルのミネラルウォーターと昼食付で2000ルピーあるいは1700ルピーでしたが、今回のバスは水も食事も付いておりません。すこしでも安く上げたいと思う方にはおすすめです。 

食事付きと言っても私のようにあまりたくさん食べない人は無駄のような気もしますし・・・。

途中2回のトイレ休憩と昼食休憩がありました。一回目のトイレ休憩では・・・  「あれれ? これは?」 壁に沿った溝があるだけ・・・。 

どうしたものかと悩んでいると、ネパール人女性がやってきて手本を見せてくれました。 壁の方を向いて溝に向かって3人づつ横並びでしゃがんでおしりを出して・・・。

私は同行の方に、「向こう向きでガードをお願い」と頼んで済ませました。 (大の時はどうするの???) 中国を旅したことのある同行の方々はそう驚いた様子もありませんでしたけれど・・・。 

参考までに・・ 昼食地点のトイレはきれいでしたのでご安心を! 


昼食地点での風景  

ネパール、特にポカラ方面ではこの木をよく見かけます。 面白いな~と思って見ていたのですが、カットしてないものはけっこうぼさぼさ・・・ 日本の松と一緒で、この木なりの美しいカットの仕方があるようです。 名前は アショカ だそうです。


思い思いの食事を摂った後は出発時間までおしゃべりをして過ごしました。 


道路わきのこの並木とヒマラヤが見えてくると 「あ~、ポカラが近づいてきたな」 と思います。 正面にうっすらとマチャプチャレが見えます。(ピントはマチャプチャレに合わせるべきでしたネ!)


ポカラは日本で言うと軽井沢のような観光地にあたり、町もとてもきれいで、いつも何かしらの花が美しく咲き、観光客を迎えてくれます。

チンネベリー・センナという花。 

南インドのチンネベリーというところに多く自生する常緑低木で葉は乾燥すると緩下剤となるそうです。




夜にこの木の下を通ったら・・・ 暗くても プ~ンといい香りがするので、見えなくてもすぐわかります。 花の名は ナイトクイーン。 納得!


メインストリートにはこの大きな木が並んでいます。 樹齢何百年かと思われるすごいものです。 これはボダイジュの一種ベンガルボダイジュで、ネパール語で バル といいます。 根が伸びてそこから芽が出て一本で森が作れるほどになるそうです。
 


2日目 2013.12.1(日) 

夜明け前の6:30分ころから、フェワ湖に逆さに写るヒマラヤを見よう・・・ と希望者だけでボートに乗りに行きました。 一艇に3人しか乗れないので2組に別れました。 数年前にはなかったライフジャケット・・ 今日は着るように言われみんな身につけました。7:00近くになると大分明るくなってきました。 でもでも・・ それから1時間ほど湖を行ったり来たりしたのですが、残念ながら、ボートに乗っている間には晴れることなくヒマラヤは姿を現してくれませんでした。


その代わりといってはなんですが、ドライバーさんが岸近くにいたカワセミを見つけて教えてくれました。 ドライバーさんもネパール人でしたが、この鳥の名前は キングフィッシャー と英名で言っていました。 漕ぐのをやめて静かにしてくれたのですが、ゆらゆらと揺れるし曇っていて薄暗いせいか、どうしてもちゃんと写真がとれません。 どれもこんなボケボケ・・・。 お許しを。



ボーティングのあと、庭にこんなオブジェのあるレストランまで行き、湖を眺めながら朝のお茶を頂きました。







そうこうしているうちにヒマラヤが顔を出してきました! 左はアンナプルナメインピークだそうで 右は私もよく知っているマチャプチャレです。 

1時間も談笑しているうちに、今回のメンバーの中に 12月生まれの人 が 4人 もいると知った大阪の腹話術師サチコさんはいつの間にかこんなプレゼントを用意してくださいました。 何とまあ気のまわる方・・・ 思いがけないうれしいプレゼントにビックリです!



帰りに隣のパン屋さんに寄りパンを買い込んでホテルに戻り、昨晩宴会をしようとしてできなかったジュースやお茶他食べるものがいっぱいあったのでそれらで朝食代わりとしました。


今日の予定は筋田さんの支援する らい病患者の療養所 と チベット難民キャンプのお宅を訪問する ことです。

10:00過ぎ、チャーターしたホテルのワゴン車で療養所まで行きました。

ハリヨ・カルカというところにある ビカース ネパール というこの療養所は1952年(61年も前)ドイツの方が作ったものだそうです。そんな昔から支援活動をしていた方がいたなんて・・・と驚きました。

筋田さんは、かつてここの職員をしていた車いすの女性と知り合ったことがきっかけで支援をするようになったとか・・・。 主にカメラやパソコン等の備品の支援だそうですが、年に何度も訪れるのでここの方たちとはおなじみのようでした。

施設の中にはリハビリ設備はもちろん、トレーニング室、こどもが授業を受けるための教室、研修室、会議室、教会まであります。


入所者の使用する義足の製作から調整、その他装具類すべてここで作られているそうです。


そのための資格を持った方が何人も常駐していました。


車椅子は使う人に合わせてこのような三輪のものもあります。日本ではあまり見かけない形でしょうか?


整然と片付けられている道具類。 日本では当たり前のことですがネパールではめずらしいそうです・・・!





施設内にはいろいろな花が咲いていましたが、この ネム の美しさは一際目立ちます。



日向ぼっこをする入所者の方に 「写真を撮ってもいいですか?」とネパール語で聞くと 「いいよ」 と言ってくれました。 次回訪問するときにお届けしようと思います。
 


療養所見学のあと、待っていてくれたホテルの車で アニールモモ(日本料理の店)まで送ってもらい昼食にしました。 車とはここでお別れ。

ゆっくりと食事をとったあと、 チベット難民キャンプ までバスで移動しました。

場所は…というと、ポカラには難民キャンプはいくつもあるそうですが、今日お伺いしたところは以前行ったことのあった デヴィスフォール という観光名所の近くでした。

バスを降りると、筋田さんは 30kgものお米を買い込み、背中にしょってさっさと歩いて行きました。


訪問したお宅では、私が7年も前から飲んでみたいと思っていたバター茶をごちそうになり、そのバター茶でこねて作るというツァンパを初めて自分でこねて作って食べるという経験もさせて頂きました。

素朴な味のするもので、むぎこがし(はったい粉とも言う)とほぼ同じものだそうです。

部屋にはダライラマ14世のこんな言葉が掲げられていました。 難民・・・という厳しい状況に置かれている人たちの心情が察せられ、胸が詰まります。



2時間近くお邪魔したあと、近くの難民バザールに寄りました。

現在この難民キャンプだけで130家族が暮らしているそうです。 そのうちの数家族はこのバザールや近くのおみやげ屋さんでの収入で生活をしているのでしょうか?

私たちはお土産を買うことくらいしかできないけど、みんながんばってね・・・と心で応援することしかできずに帰ってきました。


最近では珍しい屋根までいっぱいの満員バスに出合いました。



私たちもホテルまでバスで帰ることにしたのですが、そのバスは途中までしか行かず仕方なく降りてしばらく歩いてホテルの近くまで戻り、近くのコーヒーショップで一息つくことに・・・。

私は一足先にホテルに戻りシャワーをしたあと、ホテルの屋上からの景色を楽しみました。ヒマラヤ方面もきれいに見えました。 

マチャプチャレ


左がアンナプルナⅡで右がラムジュンかな?


フェワ湖の方を見ると桜(ヒマラヤザクラ?)が2本、きれいに咲いていました。



3日目 2013.12.2(月) 

またまたツーリストバスに乗ってカトマンドゥに戻ります。 飛行機で帰りたい・・ と言っていた人もいましたが・・・。

6:15分にホテルを出、大通りに出るとすぐにバスパーク方面行きのバスが来たため、タクシーを拾うことなくそのバスに乗ってしまいました。 10分足らずでバスパークです。


お~っ ヒマラヤに朝日が!! 何と素晴らしい・・! なんと神々しい・・! 

左・マチャプチャレ  右・アンナプルナⅡだそう・・





バスパークにて朝のお茶を飲み、トイレの済ませ 7:30出発となりました。

途中からもマチャプチャレが大きく見えます。 左はアンナプルナⅠだそう。


新しい家の建築風景   日本では見ることのない、支えが竹なのが印象的です。(香港でも見かけましたが)



休憩所で見かけたバナナ


これがバナナの花


途中で見えたカリガンダキ川   手が写ってるなんぞなんと素人!


マナカマナの入口の門 窓際に座っていたのでうまい具合に撮ることができました。



昼食地点ではレストランには入らず、道路反対側の小さなお店に・・・。

私の好きな サモサ 一個(真ん中の三角のもの) と 魚のから揚げ一個(右) 。  私にはこれくらいで十分・・・。



あとは一路カトマンドゥに向かってひた走り・・・。 でも事故か何かあったらしく途中渋滞もありましたが、少し遅れたくらいでカトマンドゥに到着。

ところが、着いたところが今晩泊まるホテルのあるタメルとはかなり離れたところのニューバスパーク。 ここでタクシーを拾わないといけないのが不便といえば不便!

グリーンラインのバスは車庫(オフィス)がタメルのすぐ近くですのでとても便利でした。 バババスも終点はたぶんニューバスパークと思われます。 そこまで連れていかれそうだったのですが、道路が渋滞して動かなかったのをいいことにタメルに一番近いところで、無理矢理おろしてもらったのを思いだしました。


ホテルに着いたのは午後の4:00を回っていたと思います。 夕食は筋田さんへのお礼も兼ねて少し豪華に・・・ ということで、ドゥワリカホテルのレストランにしました。

古い王族の住まいをホテルにしたもので、旧王宮広場の一部を見ているようで、その豪華な建物、装飾はすばらしいものでした。 中庭ではダンスが始まりました。




建物ごとにいろいろなレストランがありましたが、わたしたちはネパール料理にしました。

レストラン内部


食事の途中でつがれるロキシーはこんな高いところから小さな杯に注がれます。



お食事とおしゃべりを楽しんで9:00頃にはホテルに戻りました。


2013.12/3(火)

この日は大阪から来て下さった方々は帰国の日。 夜遅くの便なので、まる一日買い物をして過ごすことになりました。

タメルのスーパーに寄ったり、本やさんでも小物や写真などを買い、一休み。


サリーを買いたいというマサコさんについて私もご一緒させて頂きました。 よくお似合いです!


インドラチョークでいつも見ていた山盛りのショールのお店での買い物。 
 

すべて、銀杏旅館のミナちゃんがいたためにできた買い物でした。 生地を選んでもらったり値段の交渉までしてもらえましたから・・・。


夕方には、最近できたという たこやきやさんに行ってタコ焼きを食べたりして過ごし・・・。

夜7:00頃には大阪の方々を空港までお送りしてお別れとなりました。

大阪からの方々は日にちがあまりなかったのでゆっくりはできなかったと思うのですが、ボランティアで、世界のあちこちに行っていらっしゃるようです。 頭がさがりますね。

みなさんお疲れさまでした。 そして私のようなお邪魔虫を受け入れて下さったことに感謝いたします。 ありがとうございました。 



12度目のネパール  6.メールダラ 3日目とラムチェ村

2014-01-10 05:33:08 | ネパール
2013.11/29(金) 

メールダラ、3日目の朝を迎えました。

今朝も6:00起床。 外に出てみると私たちはやはり雲海のそのまた上のひと・・・。



東の空を見上げれば・・ きれいな朝焼け雲・・・。 早起きは 三文の徳 でした!!




今日は、朝食後にはメールダラとお別れ。 そのあと、ミナちゃん、パンネくん、サロジくん、ラスミちゃん姉弟の実家のあるラムチェ村にまわって銀杏旅館に戻る予定です。

7:00朝食。

8:00いよいよ学校とはお別れ。

今日も花の首飾りを戴いてしまいました。 こんなに毎日、もったいない・・・ なんて思うのは私だけ??? 

学校は10:00から始まるのですが、8:00前だというのに見送りにきてくれました。


学校を出て、民家の間の狭い道を下り、ミルク運搬のトラックの待つ場所へ。(1日目の到着地点)
下の2枚の写真はピアニストの池田さんから届いたものわ使わせて頂きました。




ここにも見送りの人が何人もきてくれました。



今日も筋田さんがチャーターしたはずのミルク運搬車には地元の相乗りの方々が・・・。(その方々の写真を撮らせて頂いたのですが、残念ながらボケボケでつかいものになりませんでした。)

ということで私たちもぎゅうぎゅう詰め!


下りは1時間弱? ガッタンゴットン 谷に落ちないことを祈りつつ、やっとつり橋の所までたどり着いたときにはほっと胸をなでおろしました。


吊り橋のたもとで、子守をする女の子に出会いました。 凛としたいい目をしたお姉ちゃんでした。


そして又この吊り橋を渡り返し・・


見覚えのあるスクテのメインストリートに出ました。





ここから ラムチェ村 のミナちゃんの実家を訪問します。



スクテからは銀杏旅館のあるサンガとは反対の中国方面にある バラビセ という町に向かいます。

今までは検問などは一度もなかったのですが、この先では2回も警察の検問がありました。 ですが、ジャパニーズ というとすんなり通してもらえます。 これが中国人だと厳しいのだとか・・・。


バラビセ ではミナちゃんの家で作ってもらう昼食の食材を買い込みました。

池田さんから届いた写真の中にバラビセらしい街がありました。たぶんこれがそうではないかと・・・。



ここからはジープを乗り換えて進んだのですが、街を流れる川がみるみるはるか下の方になり、かなり標高が高くなったことがわかります。

その標高が上がったあたりから下の川を見たときの写真を撮りたいと思いましたが、こちらもガッタンゴットン とてもそれどころではありませんでした。 

大きなジープに乗り換えた意味も納得。 馬力の強い車でないととても上がることはできないところでしたから!! 


バラビセの街からラムチェ村のミナちゃんの家までは距離的にはそれほどはないようですが、何と言ってもこの高さなので車も時速5k位でしか走れず、時間にして、40分も登ったでしょうか・・・。


やっとみなちゃんの家の近くに到着。 そこからさらに少し歩いて上がります。

地元の人ともすれ違い・・・


住宅の間を通り・・


ミナちゃんちに到着。 おいしい ネパールチヤ と ダルバート(ネパール料理)をごちそうになりました。 ジープの運転手さんもごちそうになり、私たちが終るのを待っていてくれました。


そしてみんなで記念撮影。 お父さんと末っ子のアシスくんに会えなかったのが残念でした。



ほんの2時間ほどの滞在でしたが、待ってもらったジープに乗り、下の バラビセ の街まで下りました。

そこからスクテまではふつうの車に乗り換え。 スクテからサンガまではサンガから迎えに来てくれたジープに乗り換えました。

途中バネパの街に寄りました。

クルタスルワールというネパールの女性の着る衣装を作りたいというフサコさんについて行って生地やさんに寄ったりしました。


ついでに夕食の食材も買い込んで、一路銀杏旅館に戻りました。

これで、3日間のメールダラ訪問のすべてが終了しました。



夕食に思いがけない 肉じゃが が食卓に上がりました。 これはバネパで仕入れた牛肉のミンチを使って腹話術師のサチコさんがいつの間にか作って下さったものでした。 おいしくて感激~!! 


感激といえば、大阪の女性4人は銀杏旅館に着いた日の翌日には(メールダラに行く前日) 五目ちらし も作って下さったのでした。

それと、メールダラでは筋田さん、ミナちゃん、サロジくんが食事の用意をしてくれたのですが、そのなかで、スパゲッティ利用の 焼きそば にも驚いたものです。 これが おおありのチャンチャンチキ・・・ すごーくおいしいものでした!

私は何もせず、これらのごちそうにありついてしまったのです!!


筋田さん家族?それに大阪の方々や池田さん、それに石川県からいらっしゃった漫才師のような日野さんご夫妻とご一緒でき、感激することがいくつもあり、私は何と幸せ者かと思ったこの数日でした。