前回の記事でダンナのおばあちゃんについて書きましたが、残念ながら私たちが名古屋にとんぼ返りした2日後の朝、おばあちゃんは天国へと旅立ってしまいました。
94歳で亡くなったおばあちゃん。
大往生だったと思います。
お通夜と告別式に参列するため、おばあちゃんが亡くなった翌日の金曜日、再び名古屋へ帰りました。
結婚式に来ていただいた親戚の方々とは結婚式以来2年ぶりの再会、遠い親戚の方々とは初めてのご対面です。
こういう場面では、孫の嫁という立場である私はどう動けばいいのか?
しゃしゃり出すぎるのもいけないし、何もしなさすぎるのもマズイし。
考えた結果、私がしても問題なさそうなこと(例えば、汚れたコップを下げるとか洗い物をするなど)を率先してやるようにしました。
初対面の方にはお義母さんが必ず私を紹介してくれたので、ありがたかったです。
私の両親も告別式に参列するため車で来たのですが、東名で大渋滞に巻き込まれ、結局参列することができませんでした。
私の実家(千葉の北西部)からダンナの実家(愛知の岐阜寄り)まで約10時間。
“その時間があったらバンクーバーまで行けちゃうよ~。”と思いました。
でも、かろうじて初七日の法要には間に合ったのでよかったです。
お義父さんもお義母さんも、申し訳ないと言いつつも、わざわざ遠くから私の両親が来てくれたことをとても喜んでいました。
あと、今になってもうひとつよかったと思うことは、おばあちゃんの葬儀が駿河湾の地震が起きるより前であったこと。
いつも走っている道路が崩落しているのを目にした時はゾッとしました。
父が運転してきた車をダンナが運転し、家に戻ってきたのは土曜日の夜遅く。
気を使っていなかったようで使っていたのか、かなり疲れを感じていて、車の中で何度もうとうとしてしまいました。
そして、日曜日は私方の親戚の集まりと野球観戦(3連戦のはずでしたが葬儀で行けなくなったため、金・土曜日のチケットは知人と弟に譲りました)。
昼はいとこの5歳の息子とはしゃぎ、夜はビール片手にドラゴンズを応援し、さらに疲労が蓄積したのか、月曜日は1日中泥のように眠ってしまいました。
この私ですらけっこう疲れたのですから、お義父さんやお義母さん、そして私の両親はもっと疲労困憊だったことでしょう。
ほんとにお疲れ様でした。
8月後半は穏やかで皆元気でありますように。
94歳で亡くなったおばあちゃん。
大往生だったと思います。
お通夜と告別式に参列するため、おばあちゃんが亡くなった翌日の金曜日、再び名古屋へ帰りました。
結婚式に来ていただいた親戚の方々とは結婚式以来2年ぶりの再会、遠い親戚の方々とは初めてのご対面です。
こういう場面では、孫の嫁という立場である私はどう動けばいいのか?
しゃしゃり出すぎるのもいけないし、何もしなさすぎるのもマズイし。
考えた結果、私がしても問題なさそうなこと(例えば、汚れたコップを下げるとか洗い物をするなど)を率先してやるようにしました。
初対面の方にはお義母さんが必ず私を紹介してくれたので、ありがたかったです。
私の両親も告別式に参列するため車で来たのですが、東名で大渋滞に巻き込まれ、結局参列することができませんでした。
私の実家(千葉の北西部)からダンナの実家(愛知の岐阜寄り)まで約10時間。
“その時間があったらバンクーバーまで行けちゃうよ~。”と思いました。
でも、かろうじて初七日の法要には間に合ったのでよかったです。
お義父さんもお義母さんも、申し訳ないと言いつつも、わざわざ遠くから私の両親が来てくれたことをとても喜んでいました。
あと、今になってもうひとつよかったと思うことは、おばあちゃんの葬儀が駿河湾の地震が起きるより前であったこと。
いつも走っている道路が崩落しているのを目にした時はゾッとしました。
父が運転してきた車をダンナが運転し、家に戻ってきたのは土曜日の夜遅く。
気を使っていなかったようで使っていたのか、かなり疲れを感じていて、車の中で何度もうとうとしてしまいました。
そして、日曜日は私方の親戚の集まりと野球観戦(3連戦のはずでしたが葬儀で行けなくなったため、金・土曜日のチケットは知人と弟に譲りました)。
昼はいとこの5歳の息子とはしゃぎ、夜はビール片手にドラゴンズを応援し、さらに疲労が蓄積したのか、月曜日は1日中泥のように眠ってしまいました。
この私ですらけっこう疲れたのですから、お義父さんやお義母さん、そして私の両親はもっと疲労困憊だったことでしょう。
ほんとにお疲れ様でした。
8月後半は穏やかで皆元気でありますように。