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東京電力の点検データ改ざん事件(3)隠蔽を暴く

2011-08-21 23:07:53 | 原発・放射能

東京電力の点検データ改ざん事件(3)隠蔽を暴く

 

2.原発の経済性追求が招いたJCO事故と点検データ改ざん

年末1973 の第1次石油ショック以降、1979年の第2次石油ショックを経て、1986年までは石油価格
の高騰に助けられ、原発の経済性は石油火力に対して相対的な優位さを保ち続けたが、1986年2月に
サウジアラビアがアジア向けネットパック価格による販売を開始して原油の公式価格が実質廃止され、
原油価格が一挙に3分の1へ暴落した。それ以降、原発の経済的優位さは完全に失われた。電力会社の
有価証券報告書における営業費ベース発電単価でみても、1986年以降、原発は輸入炭火力やLNG火力
と発電単価で競合状態にある。しかも、これは原発の設備利用率を80%に上げる一方、火力の設備利
用率を40%弱に押さえてはじめて達成される発電単価にすぎない。1994年電気事業審議会需給部会で
の耐用年発電単価試算でみても原発はLNG火力と同じ9円/kWh程度になり、1999年度の総合エネルギ
ー調査会原子力部会の試算では、耐用年発電単価(原発16年、火力15年)や運転年数27年以下の発電単
価ではLNG火力より高くなる。そのため、実際のキャッシュフロートとはかけ離れた運転年数40年の
発電単価にならして無理矢理「他の電源と遜色ない」と結論付けている。しかも、原発の設備利用率を
80%に想定しての試算であり、設備利用率が落ちれば、40年の運転年数発電原価でも競争力はない。

原発の経済性を追求するための当時の手段は、第1に、定期検査期間を短縮し修理費を削減すること、
第2に、高燃焼度化により連続運転期間をのばすことの二つである。折しも、東京電力では原発の設備
利用率が1950年代の50~60%から1988年には76.3%へ上がったものの、1989年1月に福島第二原発3
号炉で再循環ポンプ破損事故を起こして63.2%へ低落、全国平均でも70.0%へ落ち込んだ。東京電力が
自主検査データを改ざんして炉内構造物の損傷を隠し、修理を先延ばししたのは、東電の社内聞き取り
調査によれば、1986年の福島第一原発2号炉の定期検査からであり(9/2福井新聞)、丁度この頃である。

運転開始5年目の新鋭原発である福島第二原発3号炉で再循環ポンプ事故が起きたこと自体が、連続運
転による経済性追求のあまり、予兆事故を軽視し、警報を無視して運転を強行した結果であった。この
福島第二原発3号炉事故と美浜2号炉での1991年の蒸気発生器細管破断事故を経験しながら、その舌
の根が乾いた頃から、13ヶ月(400日)連続運転と定期点検期間の1ヶ月化が電力会社間で競われ始めた。
原発の経済性が失われた環境下で余儀なくされた競争でもある。そして、1998年にはほかならぬ福島
第二原発3号炉で定期点検のための停止期間36日化を達成し、翌年には関西電力の大飯3号でも36日
間の国内最短記録が達成された。こうして、1990年代後半に原発の設備利用率が80%台に乗ったので
ある。その陰では、東京電力による自主検査データ隠しが行われていたのである。これを隠さずに正直
に公表し、その都度修理しておれば、このような最短記録は達成できなかったであろうし、400日の連
続運転記録も達成できなかったであろう。その意味で、原発の経済性追求は事故・損傷隠しと表裏一体
の関係にある。この深刻な関係を無視して、検査体制や技術者の意識の問題だけに事柄をすり替えて議
論することは何ら根本的な解決にはならない。高い設備利用率の下でしか経済性の成り立たない原発で
経済性を追求する限り、事故隠しはなくならない。電力自由化で原発を競争下に置くことは重大事故を
引き寄せるようなものである。この現実を直視して、原発を競争市場から退場させる以外に解決の道は
ない。重大事故を起こす前に、原発は即座に全面停止すべきである。

南社長は9月3日、1980年代末から1990年にかけての「バブル景気が原因。受給の心配があった」
とし、原発のコスト削減が原因だとの説を否定した。しかし、これは原発の定期点検時期として夏場を
避ければ済む話であり、1986年以降の原油大幅値下げで遊休状態の火力を動かせば済む。それほど
LNG火力の発電単価は下がっていた。むしろ、1989年には福島第二原発3号炉の事故で稼働率が大幅
に低下し、原発の発電単価が毎年の営業費ベースでもLNG火力に負けていた時期である。原発の経済性を維持するため稼働率引き上げに躍起となっていたのは間違いない。現に、点検データ改ざんが始ま
ったと言われる1986年頃は、日本原電や電源開発等からの他社受電分10%強を加算するまでもなく東
電の発電設備だけで最大電力需要を十分賄えた。量的な不足が原因でデータ改ざんに走ったというのは
原発の経済性喪失を表面化させないための新たな大嘘である。もしも、1989年1月の福島第二原発3
号炉事故で110万kWの巨大原発が長期間停止したため、他の原発を一層強行運転し続けなければなら
ず、データ改ざんに走ったというのであれば、もってのほかであろう。また、当の福島第二原発3号炉
でもデータ改ざんが行われたのであるから、始末に負えない。

定期検査間隔を18ヶ月にすれば、検査が手抜きできるだけではなく、18ヶ月の連続運転をするため
に必要な高燃焼度燃料の装荷が不可欠となり、長期連続運転をしなければペイしない運転構造がより一
層強まる。高燃焼度用の濃縮度アップ燃料は高価なため、長期連続運転して初めて安くなる。そのため、
コスト削減のための連続運転に一層拍車がかかるのである。もし、設備利用率が低下すれば、固定資本
の減価償却ができなくなるだけでなく、高燃焼度化による高価な核燃料費を回収できないことになる。
電力会社は電力独占市場にあぐらをかき、電力自由化の下でも、送電網所有・支配という権益を維持
して原発を推進しようとしている。それでも、分散型電源の普及と電力自由化の下では高燃焼度化によ
る長期連続運転と定期検査や自主検査の手抜き以外に競争力を確保できない状況に置かれている。検査
におけるデータ改ざんの「原子力安全文化」と検査制度の緩和は、それなしにはやっていけなくなった
原発の現在の姿を象徴的に現している。そうである以上、重大事故を起こす前に、原発には電力市場か
ら退場していただく以外にない。

英は2001.3に新電力取引制度NETAへ移行、スポット取引価格の低下に引っ張られて相対契約価格も
下落、原発が市場で逆ざやを抱え、ブリティッシュ・エナジーの経営不振が深刻化、英政府が4.1億ポ
ンド(約760億円)の緊急運転資金支援を決定(電気新聞2002/9/12)。

 

原発は稼働率が70~80%と高く維持され、火力発電は
30~40%の稼働率で低い。これを逆転させれば原発の発電単価はかなり高くなる。

 

3.東電首脳陣=財界首脳陣の退陣がもたらす原発推進政策等への影響

東京電力は、管内居住人口4316万人(33.9%)、販売電力量2755億kWh(33.4%)、総収入5兆1560億円(33.3%)、総資産14兆1748億円(33.2%)で、日本最大の独占的電力会社(いずれも2002.3末現在、%は10電力に占める割合)。国税庁の大企業申告所得でトヨタ自動車、NTTドコモにつぐ第3位。スタンダード&プアーズの長期会社格付はAA-。電力自由化の下で、有利子負債約9.4兆円(2002.3末)、自己資本比率約15%で、設備投資を抑えて有利子負債を減らし、自己資本比率を高めようとしていた。

経団連(現、日本経団連)会長は鉄鋼、電機、化学メーカーの指定席だったが、1980年代からの円高などで後退、電力の地位が上がり、1990.12に平岩東電相談役が12年間の経団連副会長職を経て電力業界から初めて会長へ就任。在任中の3年間、「経済優先」から「企業と社会、自然との共生」へ舵取り、企業倫理、環境問題への取り組み強化、政治献金斡旋を廃止。その後も、那須相談役、荒木会長が統合後の日本経団連を含めて経団連の副会長をつとめている。政治献金廃止後、低下した政治への影響力を巨額の設備投資や原発を通じた地域とのつながりから政・官界とのパイプを強化・維持してきた。

今回の事件は、日本最大の電力会社による一大事件であるというだけでなく、日本経済界を代表する首脳陣が引き起こした一大事件として位置づける必要がある。荒木会長は日本経団連副会長で、企業倫理を担当する企業行動委員会の委員長を務め、日ハム問題などを通じて「企業行動憲章」を厳しく見直す責任者。さらに憲章は、平岩外四相談役が経団連会長時代に作ったもので、東電は組織をあげて企業倫理の守護役を務めなくてはいけない立場だった。原子力安全・保安院の調べで、東電の虚偽記載の期間は1987~1995年で、那須社長、荒木社長時代にまたがり、1990年21月にスタートした平岩経団連会
長時代とも重なる。

現職(年齢) 現職辞任時期東電社長在任期間社会的な現役職
平岩外四相談役(88) 9/30で辞任1976年10月~84年6月日本経団連名誉会長
那須翔相談役(77) 9/30で辞任1984年6月~93年6月日本経団連評議員会議長
荒木浩会長(71) 9/30で辞任1993年6月~99年6月日本経団連副会長、企業行動委員長南直哉社長(66) 10月中旬で辞任1999年6月~現在経済同友会副代表幹事
榎本聰明副社長(63) 9/30で辞任

・日本経団連は9日の会長・副会長会議で、平岩外四名誉会長(東電相談役)、那須翔評議員会議長(東電相談役)、荒木浩副会長・企業行動委員会委員長(東電会長)、上島重二副会長(三井物産会長)の退任を了承。奥田碩会長(トヨタ自動車会長)が企業行動委員会委員長を兼務、不祥事を起こした企業の「活動自粛規定の厳格化」など規定を厳格化する「企業行動憲章」の改定作業を急ぐ。評議員会議長は、伊藤助成副議長(日本生命会長)が2003.5改選時期まで代行。副会長職当面補充せず、13人体制でいく方針。

・総合資源エネルギー調査会の電気事業審議会は、9月中にまとめる予定だった中間報告を断念、9.18の会合で電力自由化論議の論点整理をし、送電料金体系の見直しや電力市場の環境整備を議論する2作業部会の設置を決めた後、12月まで議論を「凍結」することになった。自由化の中での原発の位置づけ、とくに電力の求める「バックエンドへの公的関与」が検討不十分なままであり、来春の通常国会で電気事業法改正を目指す経済産業省の筋書きが崩れる。エネ庁は「総括原価方式でありながら、さらに無税積み立ての引当金制度適用を認めてきた。TRUなども処分方法の検討はこれから進む。これ以上
の政策的措置となれば、国が事業を引き取ることになる」との態度。

 

次回、『東京電力の点検データ改ざん事件(4)隠蔽を暴く』記事に

続きを・・まだまだつづきます。

 

東京電力の点検データ改ざん事件(2)隠蔽を暴く  


東京電力の点検データ改ざん事件(2)隠蔽を暴く

2011-08-21 22:39:48 | 原発・放射能

東京電力の点検データ改ざん事件(2)隠蔽を暴く

 

1.東京電力の点検データ改ざん事件

(3)原子力安全委員会の責任

・現行の原子力安全規制体系を守るべき原子力安全委員会が、技術基準の適合義務違反の可能性があり
ながら、それを容認し、維持基準の先取りを容認している。

・松浦祥次郎委員長は9/5の原子力安全委員会で「(総計で)520万kW(の出力の原子力)を止めるのは常
識的に異常だ」と批判し、委員会後、報道陣に対し「運転を止めるべきかどうかを判断する技術基準を
早く設けるべきだ」と発言の趣旨を説明。東電も電力需給には全く問題ないと言っているにかかわらず、
運転停止を批判するのは論外である。むしろ、運転継続は現行の技術基準適合義務に違反する疑いがあ
ると主張すべきである。「運転を止めるべきかどうかを判断する技術基準」がないことを認めておきな
がら、維持基準の先取りを容認しているのは問題である。

・原子力安全・保安院による定期検査、保安検査、調査をダブルチェックすること、およびその権限を
原子力安全委員会に与え、権限行使に必要な予算と体制をとるよう政府に求めることことこそが重要で
ある。

<事実経過>
1970年代半ば元東電幹部の笛木謙右氏(現在、日本原子力防護システム社長)によれば、東電本社原
子力管理部門にいた頃、「通産省の検査官に『配管にひび割れの兆候がある』という報告書を出そ
うとしたところ『異常なし』に変えさせられたことがある。」と朝日新聞に証言。「福島第一原発
1号の再循環ポンプの配管で、縦方向に応力腐食割れのインディケーションが見つかった。これく
らいなら大丈夫と社内で安全を評価し、国から次の1年間の運転許可を得ようとした。その際、
『インディケーションあり』と報告書を出そうとしたら、検査官から『これでは受けられない』と
突っ返された。」さらに、検査官は「運転はいいが、インディケーションはだめだ。この話がもし
表に出たら、こっちは知らない」とも言った。

また、福島第二原発所長時代(1995~98年)の1997年、3号炉のシュラウドにひび割れの疑いがあるとの報告を受けていたと証言。1974年に福島第一原発1号再循環ポンプ配管で応力腐食割れが初めて確認され、他の原発でも続いた。

1980年代後半~1990年代前半1986年のチェルノブイリ原発事故後、国の指導が厳しくなり、傷や兆候を
報告すると原子炉を止めて対策を講じるよう指導された。福島第一、第二、柏崎刈羽原発の課長級社員
が原発の自主点検で機器の傷やその兆候が見つかった際、現場担当者が独自に安全評価を行って安全に
問題ないと判断した場合、国には「異常なし」と報告することをルール化し、実施。東電社内調査によ
れば、発電所内で検査や維持管理を担当する保修部の現場担当者が、異動の際、国に報告しなかっ
たひび割れなどを引き継いでいた疑い有。1997年当時に福島第2原発所長だった笛木謙右氏は
「次回点検でしっかり調べるよう指示した。前任からの引き継ぎはなかった」と証言。GEは海外
でのトラブル例や対処方法の情報を常時提供しており、発電所内で保管されていた。東電調査委員
会はファイルを基にして現場レベルでトラブル内容を口頭で後任に引き継いできたとみている。

1986定期検査福島第一原発担当者が、シュラウド・ヘッドボルトに損傷が見つかった福島第一原発
2号でGEIIに「検査記録を改ざんするよう指示した」と証言。29件中の最古のもの。
1987 福島第一原発1号の定期検査でGEが蒸気乾燥器を解体点検してひび割れのような模様を発見。
このとき、蒸気乾燥器を180度反対に取り付け、1989年の再検査でひび割れのような模様が180度
反対の位置で見つかったため、取り付けミスも判明したが、国に報告せず。

1989.1 福島第二原発3号で再循環ポンプ大事故、水中軸受けリング(長径1m、幅20cm、重さ100kg)
が脱落。5月に当時の那須翔社長の減給、常務原子力本部長の取締役降格、第二原発所長の退職な
ど原発事故を理由とした初の幹部処分。

1989.5からの定期検査で福島第一原発担当者が、福島第一原発1号の蒸気乾燥器に6カ所のひび割れ
を発見したGEIIに対し、3カ所を水中溶接法で闇修理し残り3カ所だけに検査記録を改ざんする
よう指示。蒸気乾燥器を写したビデオテープも、損傷部分が映らないようGEIIに編集し直させて
国へ提出。GEIIが東電に「ひび割れは水中溶接で修理できる。米国では普通に行われている修理
方法」と打診、東電が軽い方のひび割れ3つを水中溶接法で闇修理し、重い方の3つを通産省へ報
告、水中溶接法で修理したいと通産省に相談すると、同省検査担当者は「水中溶接は日本ではまだ
認められていない。特別に認可を取るよう申請すれば認められるだろうが、審議会を開いて安全性
などを慎重に検討しなければならず、認可までに少なくとも数年間はかかる」と誤って回答。驚い
た東電の技術者グループは、すでに修理してしまった3つのひび割れを隠さざるを得なくなった。

東電は1990年7月に「財務監査のため必要」としてGE報告書の日本語版を作る際、GEIIに報告
書の修正を指示、本文とデータ表で矛盾が生じないよう表作成者の署名をそのままにして、表の切
り張り、修整液での消去、日付変更などの手を加え、蒸気乾燥器そのものが本来と180度異なる方
向に取り付けられていたことも記録から削除。9月に「定期検査で3カ所のひび割れが見つかっ
た」と公表したと証言。不正を隠すため、蒸気乾燥器の修理記録も廃棄。再循環ポンプ大事故に加
えて「さらに別のトラブル報告をすると、世間からの非難は避けられない。この時期の公表はまず
い」と考え、6ヶ所とも水中溶接しようと試みたが、3カ所はひび割れが最長で約1.7mと大きく
修理は不可能だったという。闇修理された蒸気乾燥器は1991年に応力腐食割れを理由に交換・裁
断、コンクリート詰め放射性廃棄物にされ、調査不可能。
南社長は9/2「現在の原子力施設のメンテナンスは、どんな小さな傷があってもならない。新し
い工法で修理しようとすると、実証・検証のため長期間プラントを停止しなければならない。こう
したことが発電所の現場に大きなプレッシャーになり、安全性に影響を与えるものでなければでき
れば公表を避けたいといった甘えた判断が生まれたのではないか。」

1995年以降についても「前に隠しているのが尾を引き、隠ぺいがあるようだ」と発言。保安院は9/6、東電側は軽微な3カ所の傷だけ報告し、残り3カ所については傷の存在を隠した、水中溶接法は「当時から認められてい
る工法だった」と発表。報告された傷は蒸気乾燥器で除去した水分を1次冷却水に戻す部品「ドレ
ンチャンネル」の溶接部に力がかかったのが原因。隠された傷は通常想定されない要因が加わった
可能性があり、保安院は「傷の数や大きさ、場所より、原因が深刻だったと判断して隠した」との
見方を強め、調べを進めている。9.13の保安院報告によれば、1987年の自主検査後にメーカーが
蒸気乾燥器を180度ずれた位置に固定したため、想定外のひずみが生じたことがわかっている。
自主点検で発見したひび割れのうち国に無届けの修理・交換は10件に上る。

1990 スイスの原発で初めて応力腐食割れによるシュラウドのひび割れ発見
1993~95 米国で10基以上でシュラウドにひび割れ発見。1993年から通産省がシュラウド損傷に敏感
になる。
1993 福島第一原発4号でシュラウド溶接部1カ所に3本(最長50cm)のひび割れインディケーション。

1993.9~1994.3 福島第一原発1号で、自主点検中に緊急炉心冷却装置の散水管「炉心スプレースパー
ジャ」ひび割れを発見、国に報告せず、点検期間中に無届けで修理。その後の国の定期検査で検査
官から隠すため金属部品を取り付け、周辺に色を塗る偽装工作。1999.8まで6年間、国に隠す。

1994 シュラウドひび割れまたはそのインディケーションを5基で発見。福島第一原発2号、5号、
第二原発2号(溶接部2カ所に計23本、最長13cm)、第二原発3号(溶接部4カ所に計6本以上、最
長1.4m)、柏崎刈羽1号(溶接部1カ所に2本、最長2cm)。福島第一原発2号以外は隠す。

1994.6 福島第一2号の定期検査で国内初のシュラウドひび割れを確認。東電はGEIIの示したインデ
ィケーションのうち明確なひび割れは認めたが、別の溶接部にある無数のインディケーションを記
録にとどめず。修理の後、1998.8~1999.7年の定期検査で予防保全による交換。その際、国への
報告分以外にも傷があったとの内部告発で国が検査に乗り出したが、東電は原子炉脇に保管してい
た旧シュラウドのひび割れ部分に金属板を立てかけ、未報告の傷が見えないよう隠ぺい。金属板を
立てかける支持板は特注品。この過程でも本社の関与を示す証言あり。福島第一2号の定期検査で
東電は、GEIIがGEなどの機器を売り込むため損傷のインディケーションを数多く報告してくる傾
向にあり、シュラウド交換が早まったり補修に時間がかかる恐れがあったと主張。また、東電の内
規でシュラウド点検は約2年ごとだったが、1998年から10年ごとに変更。

1994. 福島第一5号でシュラウドに最大で深さ2cmのひび割れを発見、対策を取らず、第17回定期検
査(1999.12/8~2000.10/1)で交換するまでの間、技術基準に適合しないまま運転した可能性。

1994. 柏崎刈羽1号の定期検査でGEIIがシュラウドに「ひび割れやひび割れのインディケーションなどが
みられる」と指摘したが、東電は「異常なし」と報告。1996年に同原発所長だった榎本副社長は9/9、
保修部から報告を受けながら修理を指示しなかったことを認め「(言わなくても)保修部が考えてや
っていると思ったので何も指示しなかった」と釈明。1996、1997年にも同じ指摘をされながら、東
電の報告書に「異常なし」と記載。武黒同原発所長は「(3回の改ざんは)保修部担当者がした」と説明。

1994頃福島第二原発3号の定期検査でGEIIがシュラウド溶接部にひび割れノインディケーションを
発見し東電に指摘。東電は「異常なし」と国へ報告、1996年、1997年にも同じ指摘を受けながら
「異常なし」と報告、2001.7.6に「偶然発見」を装って一部を報告・修理したが、それ以外のイン
ディケーションは「異常なし」と国へ報告し続けた。

1995 福島第一原発1号、第二原発4号(溶接部1カ所に2本、最長9cm)で、シュラウドひび割れま
たはそのインディケーションを発見、隠す。

1996 福島第一原発3号でひび割れのインディケーションを発見、隠す。
1995.6~1997.6に柏崎刈羽原発所長を務めた榎本聡明副社長が「私が柏崎刈羽原発所長だったときに、
小さな傷があると報告を受けた。」「超音波探傷検査をして分かるぐらいの小さな傷で、もしかす
ると傷でないかもしれない。GE社は全く問題ないと言っている」という内容だった。「私は『そ
れならよかった』と話した。」(9/3)

1997 福島第二原発3号の第8回定期検査(1997.5.7~7.14、69日間停止)で、GEIIがシュラウド4か所
にひび割れを発見し東電に報告。最大の1カ所はほぼ全周(16.5m)に断続的に広がっていたが、東
電は放置したまま4年間運転。GEIIが翌年、傷の深さを調べるため超音波検査を勧め、現場担当
者が検査実施の意向を本社に伝えたが、「原子力管理部の幹部からやるなと指示された」と証言。
GEIIには「社内規定で今年はシュラウドを点検しない年にあたる」として、1998年以降詳細な点
検を行わないまま4年間運転を継続。こうした指示は1998~2000年に数回あった。

2001.7.6に最
大の1か所のみ保安院に報告し修理、残る3か所は「異常なし」と虚偽報告し運転継続。
東電は1994.6に福島第一原発2号でシュラウドの全周14mにわたる断続的ひび割れを発見。

1997~2001年に、福島第一原発1・2・3・5号のSUS304製シュラウドの交換理由を「ひび割れの予防
保全」と申請(これも虚偽記載の疑い有)して福島第二原発3号と同じ耐腐食性SUS316L製に交換
し、「極めてひび割れが起きにくい材料に取り換えた」と宣伝。シュラウドは1基100~200億円
で東電幹部は「傷もないのに『予防』という理由だけで交換することは考えられない」と指摘。自
主点検報告は任意提出だが、シュラウド交換は電気事業法による申請。

1999.8 東電が福島第一原発1号で6年前に発見し無届け修理した炉心スプレースパージャについて、
「初めてひび割れを発見した」と国にウソの報告を行い、2001年にシュラウドと一緒に交換。

2000.7.3 GEを解雇された米国在住日系米国人の元GE社員(点検作業時にGEからGEIIへ派遣されて
いた)が実名で通産省資源エネルギー庁へ告発:(1)福島第一原発1号の1989年の自主点検で、蒸
気乾燥器の傷が6カ所あったが記録上は3カ所になっていた(3カ所は無届けで水中溶接で修理さ
れ、残り3カ所だけに改ざんされていた)。「乾燥器が本来の位置と一八○度異なる方向で取り付
けられていたことを記載していない報告書にサインさせられた。」「通商産業省用に東電に提出し
たVTRでは、東電の要求によりひび割れを省略して編集された」と指摘。(2)原子炉内に忘れてあ
った工具のレンチがシュラウド交換時に出てきた(これは2回目の告発による)。元社員は失業中
だったため「身元が分かると再就職活動に支障が出る」と告げる。同庁は告発者と連絡を取らない
まま翌7.4、東電に告発内容を電話で伝え「翌日夕方までに事実を確認して返答するように」指示、
東電は「確認できなかった」と返答。
茨城県東海村の臨界事故を契機に原子炉等規制法が改正され、不正を告発した社員に対し解雇な
どの不当な扱いを禁止する条文が追加されてから半年後の初めての告発。

2000.8.7 保安院が元GE社員に告発内容に関する質問の手紙を送付。
2000.9.28 資源エネルギー庁検査官が福島第一原発2号機を任意の立ち入り検査、蒸気乾燥器を調べた
が、新品交換後で不正の事実を確認できず。

2000.11.13 元GE社員から2回目の11.9付け告発状が保安院へ届く。「福島第一原発1号機の原子炉
内に1994年、レンチが放置された。」という内容で「身元を明かしていい」と書かれていた。保
安院松永和夫次長によれば、資源エネルギー庁は「2000.11に申告者から職を見つけたので、関係
者に開示して構わないと言われた。」

2000.11.15 保安院が元GE社員に対し、保安院が出した8.7付け質問への「回答が届いていないので再
送を」と国際書留郵便で求める。

2000.11.21 元GE社員から保安院へ8.7付け質問への8.21付け回答のFAXが届き、「身元を明かさない
でほしい」と記されていた。この時点で、エネ庁はGEへの調査は当面しないことを内部決定。

2000.12.25 資源エネルギー庁が原子力安全管理課長名で再度、「この作業に携わったGEの担当者を教
えてほしい」と東電に調査を指示。その際、告発者自筆のサインが入った検査記録や、告発者が福
島第一原発の東電側点検担当者と交わした実名の会話記録などを添付。保安院は、告発からトラブ
ル隠し公表まで2年間もかかった理由を「告発者の身分保護を最優先に考え、情報が漏れないよう
慎重な調査を進めた結果」としていたが、このときすでに告発者のわかる情報を東電に流していた。

2001.1 原子力安全・保安院が発足、院長が就任直後に内部告発の報告を受け、事実解明の陣頭指揮。
2001.7.6 東電が福島第二原発3号の定期検査(4.29~12.17)で「原子炉内の清掃状況を確認していた
ら偶然、シュラウドのひび割れを発見した」とし、発見日付を2001.7.6に改ざんして保安院へ報告。
保安院は、把握していた29件の虚偽報告の疑いのうちの一つで、2002.9.5に判明したという。

2001.8 東電が保安院の2000.12の質問に、担当者が在職中であるにもかかわらず「自主点検に作業員
を派遣したGEのプロジェクトマネージャーという責任ある地位の人が退職して聞けない」と回答。

2001.8.24 東電が福島第二原発3号のシュラウドひび割れの原因と対策の報告書を保安院へ提出、修理
(タイロッド工法:圧力容器とシュラウドの間に長尺の支柱を90度間隔で4箇所に取り付けシュラ
ウド全体を固定する工法)

2001.8.30号のNucleonicsWeekで「東電は、シュラウドのひび割れについて原子力安全・保安院へ報告
する1年以上前から事実を知っていた」ことを指摘する記事を掲載。保安院は、東電に電話で確認
するも、「そんなことありません」と否定されて信用し、それ以上追及せず。

2001.9.6 保安院が福島第二原発3号のSUS316L製シュラウドでのひび割れ報告を受け、全BWR保有6
電力会社へシュラウド溶接部の一斉点検を指示。東電は、この指示を受けて6基で溶接部25か所
を点検した際、福島第二4号では隠ぺい部分を再チェックしたのに「異常なし」と虚偽報告。これ
とは別に、福島第一4号と福島第二2号では、GEIIがひび割れを指摘した計3か所合計26本を
「次回定期検査で燃料を取り出したうえで点検予定」として先送りして対象から外した。その代わ
りにひび割れのない溶接部を点検し「異常なし」と保安院に報告。シュラウド検査は、炉内に器具
を入れて遠隔作業で行うため手間がかかり、定期検査時に一部ずつ進める方式。隠ぺい部が偶然は
ずれた可能性もあるが、保安院は、ひび割れの程度から東電が独自に安全性を判断して保安院に報
告するかどうかを決め、それに応じて工作したとみている。

2001.10.11 保安院がGEに調査を依頼することをようやく決め、告発内容を明らかにしてGEへ直接問
い合わせ。

2001.11 GE社が保安院へ全面協力の申し出。同社に資料が残っていることが判明。GEIIは、資料を
公開しない任意の調査なら協力することを約束。
2001.12 保安院がGE社員と接触し、情報を入手。これに基づき虚偽記載リストを作成。

2002.3 GEIIが保安院に告発内容以外にも作業記録に不正の疑いがあることを報告。東電にも、2件
の不正を通知。

2002.5 GEIIが、同社員4人が一連の点検にかかわっていたなどとする社内調査資料や当時の関係者
の証言記録を保安院に提出。保安院はこれらに基づき東電社員などからも事情聴取、記録の改ざん
は、GEII内部ではなく、東電の現場担当者の指示があったという証言を得る。

2002.5 GE社から保安院へ「ほかにも20~25件の不正がありそうだ」と連絡、保安院が東電に確認し
たが、東電は「分からない」と回答し、8月まで認めず。

2002.5.31 GEIIから報告を受け、東電が社内調査委員会を設置。総務部担当勝俣恒久副社長が委員長。

2002.6.10~11 GEが東電に20数件の不正を通知し、東電が概要を把握。この時点で県への報告や公
表しなかった理由は「当時は詳しい内容は分からなかった。6月時点での状況の理解では判断が難
しかった」(築館常務)。この時、シュラウドにひび割れがあると指摘された福島第二2号と、ジェ
ットポンプなどに異常があると指摘された福島第一6号は定期検査中であり、該当箇所の検査が可
能だったが検査をしないまま、7.7に第二2号、8.3に第一6号の運転を再開。

2002.8.7 東電が社内での調査内容を保安院に報告し、全面協力を申し入れ。

2002.9.14朝日新聞によ
れば、東電は保安院へ調査に全面協力すると同時に、新潟県知事がプルサーマルの条件付き受け入
れへ動いていたことから「プルサーマル計画を凍結させるため、新潟県知事らへ『問題を抱えてい
る』と内々に伝えさせてほしい」と要望、さらに、プルサーマル計画を当面凍結するよう原子力政
策を担当する資源エネルギー庁への問題の伝達を求めていた。他方で、東電は、新潟で「一日も早
く計画を実施したい」と表明。

2002.8.8 保安院が、東電の全面協力と大量の資料提供により、特別調査チームを設置。
2002.8.8 保安院が、東電から7/9提出された柏崎刈羽1号、福島第二3・4号の定期安全レビュー報告
書を「妥当」と評価

2002.8.17 福島第一原発3号の定期検査で、制御棒駆動水圧系配管36本の配管継手外周面に浸透探傷
検査で表面にひびを発見し、国に報告したが、1994年にもひびを確認していたが国に報告せず。
福島第一2号でも1988年にひびを確認するなど10数年前から福島第一2・5・6号でも自主点検で配管
に微小なひびを確認しながら国に報告せず。東電は「自主点検報告書の記載項目に含まれていない
上、配管は安全基準を上回る肉厚が保たれているため、報告していない。隠しているわけではなく、
求められればこれまでも説明していた。国に未報告のひび割れで最も深いのは6号機の1mm。

2002.8.27 東電が、柏崎刈羽3号の定期検査で見つかったシュラウドひび割れ調査の中間報告で、シ
ュラウド下部リング外周表面のひび割れの長さは8mmから5~6cmの19カ所、合計99cmと発表。

2002.8.29 保安院が東電の福島第1、福島第2、柏崎刈羽の原発13基で、1980年代後半から1990年代
にかけ、自主点検で見つかったひび割れなどのトラブルの検査結果や修理記録など29件に虚偽記
載があったことを公表。原発8基でひび割れなどが修理されずに残っている疑いがあるが、「原子
炉の安全性に直ちに重大な影響を与える可能性はない。」と運転継続を容認。
南直哉東電社長は、「信頼を損ねた。MOX燃料の装荷は(地元に)お願いできる状況にない」
と述べ、福島第一原発3号と柏崎刈羽3号でのプルサーマル計画を当面延期する意向を表明した。

2002.8.30 保安院が福島第一原発6号の定期検査の最終試験を中止。「(未修理の機器が残されてい
る)疑いがある以上、営業運転の再開を認めることはできない。再開の時期は決めていない。」営
業運転に入れず、調整運転のままで発電と送電が続く異常な状態。

2002.8.31 不正が行われた1980~1990年代当時の自主点検に関する資料が東電に残っていないことが、
保安院の調べで判明。電気事業法関連法令では資料保管義務は1年、虚偽記載の疑いのある29例
は原子炉の部品のひび割れや摩耗など重要なものも含まれている。うち10例は部品交換や修理を
既に済ませているが、これらに関する資料もなかった。

2002.9.2 東電が、シュラウドにひび割れの疑いがある柏崎刈羽1号機の9/3定期検査繰り上げのほか、
運転中の福島第一原発4号(9月中旬)、福島第二原発2号(10月下旬)・3号(9月上旬)・4号(9月
下旬)の計5基を停止。これら5基でシュラウド溶接部計8か所合計35本のひび割れは修理や交
換なしのまま使用。水中カメラや超音波機器で点検し、問題がなければ50日程度で運転再開。
今夏のピーク電力は8.1の6320万kWだが、この時点でも324万kWの余裕、さらに、緊急時に立
ち上げられる火力が2基計120万kW、長期計画停止中の発電所が計263万kW、これらで計707万
kWの余力になる。9月以降は5000万kW以下が続いており、2000万kW以上の余力があることにな
る。これは東電の全原発17基の合計出力1730.8万kW(福島第一1~6で469.6万kW、福島第二1~4
で440.0万kW、柏崎刈羽1~7で821.2万kW)を上回る。

2002.9.4 保安院が、柏崎刈羽原発1号の自主点検後のGEII書類にはシュラウドについて「ひび割れ
の可能性あり」となっているが、東電書類では「異常なし」となっていることを確認。

2002.9.5 原子力安全委員会で、松浦祥次郎委員長が「(総計で)520万kW(の出力の原子力)を止める
のは常識的に異常だ」と批判。松浦委員長は委員会後、報道陣に対し「知事の要請自体がおかしい
という意味でないが、安全性に懸念がないのに止めるのは問題。運転を止めるべきかどうかを判断
する技術基準を、早く設けるべきだ」と発言の趣旨を説明。

2002.9.5 大手格付け会社スタンダード・アンド・プアーズS&Pが東電の格付けを上から4番目の
「AA-」から「A-]へ一段格下げするかどうかを2ヶ月以内に決めると発表。沖縄電力以外の
電力九社はすべてAA-だが、東電だけか九電力すべてかは今後の検討次第。
2002.9.6 保安院が、電力会社から原発自主点検を請け負う国内外下請け業者400社に総点検を指示。
2002.9.9 原子力安全委員会が9/20以降に調査会を設置して東電首脳陣を事情聴取する方針を決定
2002.9.10 自民党政調審議会が「維持基準」導入の電気事業法改正案の臨時国会への提出を了承。

2002.9.10 松村一弘福島第一原発所長と青木四朗同第二原発所長が、ひび割れが未修理のまま運転中の
原発について「点検で安全上問題がないと判断できれば、修理せずに運転を再開したい」と表明。
遠藤勝也富岡町長は「トラブル隠しで国と東電への不信感が高まっており、両者が『安全』と宣言
しても地元住民は納得できない。」「シュラウドはもちろんだが、それ以外で損傷が見つかった部
品もきちんと修理してほしい」と反発。佐藤栄佐久福島県知事は「電力需給や(運転停止による)
損失などの視点で、ものを見られたら、たまったものではない。」「原発の周りに住んでいる人々
の気持ちになって判断するだろうと思っている」と強く釘を刺す。

2002.9.10 福島第一原発5号のシュラウド下部アクセスホールカバーに、無認可ボルトを使用したま
ま運転していることが判明。(アクセスホールは、建設時に作業員が圧力容器内へ出入りするため
のマンホール大の穴。シュラウド下部に位置し建設終了後にカバーをかぶせてボルトで固定する)

2002.9.12 保安院が原発に対する定期保安検査の結果を発表。福島第一、第二、柏崎刈羽のどの原発
も「保安規定に違反する事項は認められず、特に問題がなかった。」保安検査は年4回、全原発で
実施し、保安規定の順守状況を記録の確認や巡視、関係者への質問、定期自主検査への立ち会いな
どで調べる。福島第一、第二では運転管理や燃料管理、保安教育などを重点に、5.27~6.14に実施。
保安院は「今回の調査は法律上、保安規定が守られているかどうかを調べる。問題の自主検査は保
安規定に定められていない。」「調査の対象が違う以上、トラブル隠しに触れることはできず、結
果を淡々と報告した。」

2002.9.12 武黒一郎柏崎刈羽原発所長が記者会見で、柏崎刈羽2・5号の運転停止と点検を地元から求
められていることに「どのような対応が可能か本社で考慮している。」「運転に安全上の問題はな
いと思っているが、地域から理屈や技術論を超えたところで当社の姿勢を示すべきだという意見が
ある。」今後4基の原発が順次、停止されるため「電力の需給バランスが厳しい状況にあることも
合わせて検討している。」と話した。

2002.9.13 保安院が調査結果を原子力安全規制法制検討小委員会に報告。29件中、法令違反の疑い6
件(東電が多数のひび割れを確認しながら国に報告せずシュラウドを交換した福島第一原発1・2
・3・5号の4件、損傷の一部を隠してシュラウドを修理した福島第二3号の1件、ひび割れを隠
し無届けで蒸気乾燥器を交換した福島第一1号の1件。6件中5件で機器が交換され損傷状態を確
認できず東電が事実を意図的に隠ぺいした疑い有)、通達違反の疑い5件(福島第一1号機の緊急炉
心冷却システム系の機器損傷の隠ぺい)、品質管理・企業倫理上の問題4件(レンチ紛失・回収の疑
いがある福島第一3号機など。レンチ紛失・回収では工具の管理記録をつけず)、残る14件はGE
がサービスで修理をしたためにGEと東電の記録が食い違ったものという理由で「問題なし」。保
安院は、これらの情報は各原発から本社にも報告されていたと断定。
2002.9.13 保安院が、福島第一原発1~5号、福島第二原発2~4号、柏崎刈羽1号の計9基につい
て、信頼性・安全性を妥当と認めた定期安全レビューの評価結果を撤回。

2002.9.13 日本原燃の使用済み核燃料受け入れ・貯蔵施設で、低レベル放射性廃液タンク内の空気を
洗浄する装置の配管に接続ミスが自主点検で判明。原燃は1992~93年の配管図作製時に系統図と
照合したが、写し間違いに気づかず、据付後のチェックでもミスを見逃した。国の1996年の使用
前検査は書類審査だけで合格(国は事業者から提出される検査記録の確認しかできず、事業者の自
主検査を信用するしかない仕組み)、ミスに気づかないまま約6年間施設を運用。取り除いた湿気
を排出する配管と装置そのものを洗浄する洗浄液を排出する配管計3本を間違ってそれぞれ別の廃
液タンクに接続。装置内を流れる空気はごく微量なためトラブルは発生せず。

2002.9.13夜保安院が、電気事業法や原子炉等規制法の法令違反を問えないとして東電の刑事告発や
行政処分を見送ることを決定。佐々木院長は「強度が十分に保たれているかどうかを確認しないで
使い続けるのは、技術基準の適合義務違反の可能性がある」などとしながら、「問題のシュラウド
はいずれも交換、修理されており、現時点で明確な法令違反があるわけではない。」松永次長は、
「我々は原子炉の安全性を確保する立場。犯罪を捜査しているわけではない。誰が指示したかなど
を解明するのが目的ではない。」とし、隠蔽動機や指示系統は東電が調べるべきとの考えを表明。

2002.9.14 保安院が暫定調査結果で指摘した法法令違反6件以外に、福島第一4号、福島第二2号、
柏崎刈羽1号の3基で新たに法令違反の疑いが判明。1993~1999年にシュラウドひび割れの兆候
が見つかったが、国に報告しなかった(暫定評価ではこれだけが通達違反)だけでなく、ひび割れに
発展していないかどうか十分調べないまま最近まで運転を継続していた。一部は、保安院の指示で
2001.10~2002.5に点検し「異常なし」と報告したが、指摘された溶接線を全部は調べていない。
今後の緊急点検で傷が見つかれば、技術基準適合義務違反の可能性がある。

2002.9.16 福島第一原発4号(78.4万kW)と第二原発3号(110万kW)を計画停止し、シュラウドの問
題部位および他の部位の溶接線点検などを実施。運転中は、福島第一1号(46万kW)、2・5号
(各78.4万kW)、第二1・4号(各110万kW)、柏崎刈羽2・4・5号(各110万kW)、6・7号(各
135.6万kW)の10基のほかに調整運転中の福島第一6号(110万kW)がある。停止中は、今回の2基
に加え、9/2に放射能漏れを起こした福島第二2号(110万kW)と定期検査中の福島第一3号(78.4
万kW)、柏崎刈羽1・3号(各110万kW)の3基と合わせて計6基になる。今後、福島第二2号(10
月下旬)・4号(9月下旬)が計画停止の予定。

 

次回、『東京電力の点検データ改ざん事件(3)隠蔽を暴く』記事に

続きを・・まだまだつづきます。

 

東京電力の点検データ改ざん事件(1)隠蔽を暴く