1994年2月1日(朝日新聞)
米の放射能人体実験 次々崩れた機密の壁
地方紙記者が追跡6年
がん患者へのプルトニウム注射、治療費の払えない患者への大量の放射線照射──放射能人体実験という核兵器開発の最暗部が一連の新聞報道で明るみに出て米国を大きく揺さぶっている。実験は、ソ連と激しい核開発競争をしていた1940年代から70年代初めにかけて米政府が極秘に実施、その後も最高機密とされてきた。しかし、真相究明を求める世論が高まり、エネルギー省は、人体実験を含むかなりの核関係機密書類を今年6月に公開する方針を固めた。(ワシントン=大塚隆)
秘密を暴く口火を切ったのは、ニューメキシコ州のアルバカーキー・トリビューンという地方紙だ。女性記者のアイリーン・ウエルサムさんは、原爆開発のマンハッタン計画の一環として、原爆の原料となるプルトニウムの毒性や体への吸収率を調べるための人体実験が、45-47年に行われていたことを87年に知った。被験者は18人。記録にはコード番号しか記されていなかったが、6年がかりで5人を突き止め、昨年11月に報じた。
●遺灰まで研究材料
「CAL1」と記されたアルバート・スティーブンスさん(当時58)の場合はこうだった。サンフランシスコの病院で「胃がんで余命半年」と診断され、広島、長崎への原爆投下直前の45年5月、本人に無断で、大量のプルトニウムを注入された。4日後、胃の3分の2と肝臓を切除する大手術を受け、患部は研究材料として持ち去られた。
しかし、スティーブンスさんは66年1月まで生き、79歳で亡くなった。遺体は火葬されたが、75年、その遺灰は残存放射能を調べるためシカゴにあるアルゴンヌ国立研究所に送られた。
核戦争勃発(ぼっぱつ)を想定した実験も明らかになった。ロサンゼルス・タイムズは、50年代から72年ごろまで、被ばく兵士の継戦能力を調べる目的で、シンシナティ大の研究者が治療費を払えないがん患者80人余に大量の放射線を浴びせる実験を行ったと報じた。
当時、25レム以上の照射は骨髄に危険と考えられたが、一部の患者にはこの10倍も照射された。
米国防総省への実験報告にはこう記されているという。「実験で8人の死期が早まった可能性がある」「200レムまでの被ばく線量であれば継戦能力はかなり維持できる」
●児童の食物に混入
50年代初め、軽い知的障害があった児童に、マサチューセッツ工科大の研究者が放射性物質入りの食べ物を「ビタミン入りの栄養食」などと言って食べさせた実験も暴露された。
反響は大きかった。エネルギー省が昨年暮れ設置した人体実験ホットラインヘの電話は1カ月で1万5000件を超えた。手紙も1000通以上にのぼる。手紙の分析では、3分の1は自分や家族が知らないうちに被験者にされていたのではないか、さらに3分の1は核工場や核実験場の近くにいたために被ばくしたという訴えだった。残り3分の1は真相究明への支持や励ましが大部分だったという。
議会も動き始めた。1月25日には上院政府活動委員会が、初の公聴会を開いた。米エネルギー省のオリアリー長官は民間出身で、核機密の情報公開に取り組んでいる。その長官が証言に立った。「あえてパンドラの箱を開いたのは、実験の詳細をはっきりさせ、秘密主義という悪癖から抜けだすことでしか、実験への疑念をはらせないからだ」。会場から大きな拍手が起き、委員からも絶賛を浴びた。
●肩身狭い核科学者
最近は、核兵器工場の相次ぐ放射能漏れ事故などでエネルギー省や関係者の評判はがた落ちだった。そんなところへ人体実験が暴露され、核兵器開発の先頭に立ち、冷戦時代を支えてきた栄光の核科学者たちは、一転、窮地に立たされている。
1月半ば、サンフランシスコで開かれたエネルギー省主催の核問題についての公聴会に、「水爆の父」とよばれるエドワード・テラー博士(86)が出席した。
レーガン元米大統領が現職当時、宇宙防衛計画を進言するなど政権に強い影響力を持ち続けた同博士は、公聴会を「ヒステリックでバランスを欠く」といい、「一連の人体実験報道も誇張が多い」と批判したが、会場からは逆に「大うそつき」とやじられた。オリアリー長官が反対派からも大きな拍手で迎えられたのとは対照的だった。
同省が機密解除を検討中の文書には広島・長崎への原爆に関する報告書も含まれている。
半世紀近い歳月を経て、核大国の暗部が白日の下にさらされる。
1994年2月11日(朝日新聞)
米の秘密人体実験 冷戦次代の暗黒部分にメス
米国は冷戦時代の1940年代から50年代にかけて放射性物質を使ってさまざまな秘密人体実験を行ってきた。人体実験と言えば、旧ソ連が50年代にウラル地方で実際に核兵器を爆発させ、放射能が兵士の人体にどのような影響を与えたか調査した例が有名だが、米国の場合は多数の一般市民もそれと知らされずに、実験の対象にしている。クリントン政権は現在、この歴史の暗黒部分に光を当てる作業を進めており、これに伴って全米各地で秘密実験の被害者たちが政府に補償を求める動きが表面化している。(アメリカ総局・関口宏)
▼6機関が調査
クリントン政権は昨年12月、冷戦時代に行われた人体実験について、エネルギー省が中心になって総合調査することを正式に決定した。調査にはエネルギー省のほか、国防総省、復員軍人省、中央情報局(CIA)など6つの政府機関が参加している。結果は6カ月以内に大統領に報告される。
政府の調査計画が発表されて以来、人体実験の対象にされた人たちが各地で名乗りを上げている。議会での公聴会も行われ、これまで秘密にされてきた人体実験の一端が明らかにされつつある。
▼知らされず…
今年1月中旬、この問題を取り上げた上院労働委員会で、マサチューセッツ州に住む2人の男性が小学生時代の1950年代に放射性物質による人体実験に供されたと証言した。2人は当時、知的障害の生徒約120人を収容した州立の特殊学校で学んでいた。「ある朝、何人かがほかの生徒とは別の部屋に呼ばれ、コーンフレークとミルクの朝食を食べさせられた。あとで腹痛が起きたが、医者も原因が分からなかった。当時はもちろん、人体実験などとは知らされていなかった」
2人のうちの1人、工場作業員のオースチン・ラロークさんは、当時のもようをこう語った。
この実験は政府の委託を受けて、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者が実施したものだった。ミルクの中に少量の放射性物質を混ぜて、カルシウムと鉄分が摂取される代謝のメカニズムを調べるため行われたという。
このほか海軍が67年にワシントン州ハンフォードの原子力施設で14人の志願者に放射性物質の溶液を飲ませ、あるいは注射した例や、40年代から50年代に潜水艦勤務者の水圧による耳鳴りを防止するため、数千人の新兵に鼻孔からラジウムを注入したケースも明るみに出された。
▼1000万ドル要求
政府を相手に補償を要求する被害者も相次いでいる。サンフランシスコに住むリチャード・リースさん(59)は「10歳の時の45年から2年間、放射性物質の濃縮液を注射された」として、エネルギー省を相手取り、1000万ドルの補償を求める訴訟を起こした。リースさんも知的障害の少年だった。
また45年から49年にかけてテネシー州ナッシュビルのバンダービルト大学付属病院で妊娠中に人体実験の対象にされ、放射性物質を投与されたという2人の女性とその2人の娘(1人は死亡)が、大学当局や当時の原子力委員会委員長など関係者を相手取って損害賠償を求める訴えを起こしている。
実験は放射性物質が胎児にどんな影響を与えるか調べるのが目的とされ、当時、約750人の妊婦が対象にされた。彼女たちが出産した子供のうち3人が5歳から11歳でがん、白血病で死亡しているという。
核実験などに伴う軍関係者の放射能被ばくも改めて論議されている。1月下旬、上院政府活動委員会で国防総省高官が明らかにしたところによると、50年代に行われた大気圏核実験で20万5472人が放射能を浴びた。また、原爆投下後に広島と長崎に駐留した米兵のうち19万5753人が放射能に身をさらしたと報告されている。もっとも、国防総省は「放射能は低レベルで人体への影響は少ない」と説明している。
▼パンドラの箱
今回の人体実験調査の先頭に立つエネルギー省のオレアリ長官は、ミネソタ州の電力会社副社長からクリントン政権入りした黒人女性。同長官は議会の公聴会で「最近までなお200件の実験が続けられていた」との事実を公表すると同時に、今回の調査について「パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない」と述べた。
彼女はもともと環境問題に関心が深く、政府に不利な事実が出てくるのを覚悟で冷戦時代の暗黒部分にメスを入れている。調査が大規模に展開されているのは、彼女の努力に負うところが大きい。(中日新聞 1994/02/11)
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米“原爆”で人体実験 子供含む18人にプルトニウム
【ワシントン22日=AP】米エネルギー研究開発局(ERDA)は21日、「広島、長崎の原爆投下を前に、米国で、その放射能の影響度を調査する目的で18人の男女に対し、極秘にプルトニウム溶液を注射、人体実験をしていた」というショッキングな事実を確認した。
米科学ニュース誌「サイエンス・トレンズ」が伝えるところによると、実験はテネシー州オークリッジのマンハッタソ技術地区病院、ニューヨーク州ローチェスターのストロング・メモリアル病院、それにシカゴとカリフォルニア大学病院の4病院で、1945年から47年にかけて米政府の超極秘計画として行われた。
実験の目的は、原爆製造に従事する作業員に放射能がどのような影響を与えるかの調査で、4歳から50歳台までの老若男女18人が人体実験の対象となり、プルトニウムの注射を受けたという。
人体実験された人は通常、人体に発ガンなど大きな影響を与えるだろうと想定される量を2回から145回にもわたって注射され、このため7人が注射を受けたその年に死亡、3人が1-3年以内に、2人が14-20年以内に、1人が28年後に、さらに2人(期間不明)が死亡した。残り3人のうち1人は現在も生存しているが、注射の目的は知らされなかったという。
(産経新聞 1976/02/23)
米で放射能の人体実験 30年間に700人 下院委調査
【ワシントン24日=石田特派員】米国内の病院や刑務所で、70年代までの30年の間に700人近い人たちが放射能の影響を調べるための人体実験に利用されていた、と米下院エネルギー小委員会が24日、明らかにした。エドワード・マーキー委員長(マサチューセッツ州、民主)は「まるでナチスのようなことをしていたわけで、放射線医学研究の歴史の汚点だ」と話した。
この事実は同小委員会が米エネルギー省保管の数千ページにのぼる公式文書を調べ直してわかった。それによると、ワシントン州やオレゴン州の刑務所では1971年まで8年間にわたり計131人の囚人を対象に生殖能力への影響を調べるため過度のX線を照射したり、国立ロスアラモス研究所で1960年代に計57人の成人に放射性ウランを摂取させていた、などの事例が十数件も判明した、という。放射能で汚染された牛乳を飲ませたり、放射性物質を含んだ川の魚を食べさせる、などの方法も取られていた、としている。
同委員長によると、こうした人体実験は1940年代から70年代にかけて、日本に原爆を投下したマンハッタン計画や原子力エネルギー委員会、エネルギー研究開発機関など政府機関によりほぼ全米規模で行われており、「実験材料」にされた人は判明分だけでも695人にのぼる。大半が囚人や末期症状の入院患者たちだった、という。
これに対して、米エネルギー省のスポークスマンは「プルトニウムを被ばくした人のフォローアップはしていたが、他の人々の追跡調査はどうなっているか、わからない」と述べ、調査でわかった事実については否定していない。(朝日新聞 1986/10/25)
米、大戦中に人体実験 化学兵器対策で6万人に
【ワシントン6日=共同】第2次世界大戦中に米政府が6万人以上の米軍兵士らを対象に、化学兵器用防護服や治療法の開発を目的として実施した大規模な人体実験の全容が6日、全米科学アカデミー医学研究所が発表した調査報告書で明らかになった。
実験の事実は戦後45年以上も秘密にされてきたが、最近になり、がんや呼吸器疾患の後遺症に苦しむ実験参加者や家族が救済を訴えて明るみに出た。
報告書によると、実験は米政府の科学研究開発局による化学戦準備の一環として、メリーランド州エッジウッド弾薬しょうなど9カ所で行われ(1)汚染を防ぐ薬剤開発のための化学剤塗付実験(2)防護服とマスクを着けた兵士らに毒ガスを浴びせ防護性能を確かめるガス室実験(3)汚染地域で行動させる野外実験-に分かれていた。このうち、2500人以上が参加したガス室実験は通常1回1-4時間。兵士らは防護服などのすき間から入ってくる毒ガスで皮膚に赤い斑点ができるまで何日も実験を受けさせられた。(朝日新聞 1993/01/07)
米軍が先住民に人体実験 冷戦時にアラスカで放射性の丸薬投与
【アトランタ(米ジョージア州)】米CNNテレビは3日、米ソの冷戦が続いていた1950年代に米空軍が、北極圏で米兵が生き残れるかどうかを研究するために、アラスカの健康なイヌイット(エスキモー)やインディアン102人に放射能を含んだ薬をひそかに投与し、人体実験をしていたと報じた。
CNNが入手した文書によると、米空軍の研究者らは、アラスカの先住民らが極寒の地で生活できるのは、その甲状腺(せん)に秘密があるのではないかと考えていた。これを調査するため、50-57年にかけてイヌイットやインディアンに少量の放射性ヨード入りの丸薬を飲ませ、甲状腺への影響を調べたという。
イヌイットの1人はCNNに対し、米軍からは丸薬投与の目的について説明を受けておらず、ダイエットの医学的調査と思っていたと答えている。
これに関し、アラスカ州選出のマカウスキ上院議員(共和党)は連邦政府の事実関係の調査を求めている。
実験を行った医師の1人(ノルウェー在住)は、CNNの電話インタビューに応じ、イヌイットたちは旧ソ連の原爆実験によってもっと多くの放射能を浴びていたと思うと述べ、米空軍による実験は全く安全だったと回答した。(中日新聞 1993/05/04)
プルトニウムで人体実験 原爆開発 米医師ら
【ワシントン17日共同】原爆を開発した米マンハッタン計画の医師らが、1945年から47年にかけてプルトニウム溶液などの放射性物質を人体に注入する秘密実験をしていたことをニューメキシコ州の地元紙アルバカーキ・トリビューンが突き止め、その被験者の身元や当時の詳細な模様を15日からの連続特集で掲載した。プルトニウムによる人体実験が行われていたことが分かったのは初めて。
実験はプルトニウムなどが体内のどこに蓄積されるかを調べるのが目的。被験者は18人で全員が死亡しているが、うち5人の身元が判明した。5人は元鉄道会社員のエルマー・アレンさん(91年死亡)ら。
アレンさんは47年7月、左足に骨がんがあると診断され、サンフランシスコのカリフォルニア大学病院で治療中に医師らの訪問を受け、左足のふくらはぎにプルトニウムを注射された。3日後に左足は切断され、医師らが運び去った。
10年以上生きる見込みがない病人らを選んだがアレンさんら5人は20年以上存命した。アレンさんは形式的な同意書が残っているが被験者に十分説明した形跡はないという。
(中日新聞 1993/11/18)
過去204回秘密核実験 プルトニウム人体実験も認める 米エネルギー省
【ワシントン7日江尻司】米エネルギー省は7日、米国が過去204回に及ぶ核実験を公表せず秘密にしていた事実など、機密になっていた米国の核実験の実態を明らかにした。米政府は核爆弾製造施設の縮小を進めており、同省は冷戦終了で機密にしておく必要がなくなったためと公表の理由を説明している。
同省によると、冷戦が本格化した1951年以来、米国はネバダ実験場で925回の地下核実験を実施。核軍備増強を競っていた旧ソ連に情報を入手させないため、そのうち204回は実験の事実を公表しなかった。アラスカや太平洋を含めた米国の全実験は1051回に上る。
秘密とされた実験の大半は1960-70年代に集中、最近では90年の実験が公表されなかった。
また同省は、米国が過去89トンの核兵器用プルトニウムを製造。現在33.5トンを貯蔵していることも明らかにした。
【ワシントン7日時事】米エネルギー省は7日、40年代に原爆開発のためのマンハッタン計画に従事していた18人を対象に、プルトニウムを体内に注入、その影響を調べるという人体実験が行われていたことを確認した。この人体実験については、既に米国内でも一部の新聞が報道していたが、被験者にきちんと情報を与えたうえで事前に同意を得たかどうか疑問で、同長官自身、「報告にショックを受けた」と述べた。
この18人は既に全員が死亡している。このほかにも、40年代以降、約800例の放射能人体実験が行われたという。
(中日新聞 1993/12/08)
人体実験は300人余 米核兵器工場 地元紙が報道
【ワシントン23日=大塚隆】米国で23日、ワシントン州にあるハンフォード核兵器工場が10種もの人体実験を行っていたと地元紙が報じた。米エネルギー省は核の機密に関する情報の一部公開を決めたが、人体実験情報のすべてが記録に残されているわけではない。このため同省は同日、人体実験に関する情報を集めるための無料の専用電話を設置した。
ハンフォード核工場に近いオレゴン州の地元紙のオレゴニアンが報じたのは、同工場の運営を1965年にゼネラル・エレクトリック(GE)社から引き継いだバッテル社の研究所が、51年から75年までに実施していたと明らかにした一連の実験。少なくとも319人の患者や従業員などが参加させられていたという。たとえば、63年から翌年にかけて、リン32を5人の患者に注射し、体内への吸収率を調べた。これは同工場の原子炉の冷却水によって魚介類が汚染されたため、これらを食べた時の影響を調べるためだった。
赤血球への影響を知るために、130人の患者やボランティアに放射性の鉄やクロムを注射したこともあったという。また、工場の運営に当たっていたGEの従業員15人が、職場での被ばくを防ぐためにトリチウムが含まれている水蒸気をかぐ実験もしていた。
一連のこれらの実験はエネルギー省の前身である原子エネルギー委員会や厚生省などが実施していた。しかし、実験に参加した患者らが、どういった影響を受けたかは明らかではない。
(朝日新聞 1993/12/24)
精神障害児に放射性の食品 米大学で実験の報道
【米マサチューセッツ州27日=ロイター】ボストン・サンデー・グローブ紙は26日、1946-56年にかけて、ハーバード大とマサチューセッツ工科大(MIT)の研究者らが、放射性物質を含む食品を、少なくとも49人の精神障害児に食べさせる実験をしていたと報じた。
同紙によると、消化能力などを調べる目的で放射性物質を含むカルシウムや鉄入りの食品を食べさせ、血液などへの影響も調べた。当時、少年たちの親に多少の説明はしたが、放射性物質のことは告げていなかったという。
マサチューセッツ州政府によると、医師団がその後の影響を調べる予定だという。
(朝日新聞 1993/12/28)
放射能人体実験「CIAも関与」 53-67年 報告書に記録
【ワシントン4日=大塚隆】米政府が放射能の被ばくの人体実験を行っていた問題で4日、米中央情報局(CIA)が実験に関与していたことが明らかになった。米国ではこの問題をめぐって熱心な報道が続き、冷戦時代の最暗部を掘り起こす動きとして注目を集めている。
CIAの関与は、1975年、当時のロックフェラー副大統領が責任者としてフォード大統領に提出した連邦政府の報告書に、ソ連(当時)の「洗脳」に対するCIAの対策の1つとして「薬物や放射性物質を使った実験、電気ショックを与える実験、心理学実験などを行っていた」と記録されていたことから分かった。
報告書を見つけた米科学者連盟によると、実験は53年から67年にかけて実施された。報告書には「現在、入手可能な記録はほんのわずかしかない。73年にすべての記録は破棄するよう命じられた」とも記されている。
CIAのスポークスマンは4日、「(実験へのCIAの関与について)調査中で、まだ何の証拠も見つかっていない。退職者にも事実を照会している」とコメントしている。(朝日新聞 1994/01/05)
患者を使い被ばく実験「72年まで」 米紙が報道
【ワシントン6日=大塚隆】米シンシナティ大の研究者が、核戦争が起きた場合、被ばく兵士にどれだけ戦闘能力があるかを調べる目的で、大学病院の患者に大量の放射線を浴びせる実験を行っていた、と6日付の米紙ロサンゼルス・タイムズがワシントン発で伝えた。米政府は3日、同じような被ばく人体実験究明のため、閣僚会議設置を決めたが、米国では、1940-50年代を中心に行われた実験に関する報道が続いている。
同紙によると、実験を行っていたのは放射線医学研究者で同大名誉教授のユージン・サンガー博士。同大の若手教員組織の72年時点での調査によると、この年までの十数年にわたり、82人以上の治療費の払えない低所得者が対象になった。国防総省は実験に65万ドルを支出したという。(朝日新聞 1994/01/07)
米で黒人がん患者に人体実験 基準の10倍 放射線を照射
【ロサンゼルス6日共同】6日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、1960年から72年にかけて米オハイオ州のシンシナティ大学医療センターで、黒人のがん患者らに大量の放射線を照射する「人体実験」が行われ、実験後2カ月以内に25人が死亡していたと報じた。
それによると、実験は国防総省の資金援助で実施され、放射線によって兵士の活動がどれだけ影響を受けるかを調べる目的で行われた。実験対象となった人たちは、回復の見込みがないとされたがん患者82人で、うち61人が低所得の黒人だった。ほとんどの人は毎日働くなど外見上は「元気」だったという。
照射した放射線は安全基準の10倍もの量(250ラド)に上った。最初の5年間、患者は軍事目的の実験であることを全く知らされず、放射線照射は「治療の一環」と信じ込まされていた。
米政府は昨年、放射性物質による人体実験が「40-50年代にかけ、600人を対象に行われた」ことを認め、真相究明に乗り出しているが、放射線照射という形で70年代まで実験が続いていたことが明るみに出たのは初めて。(中日新聞 1994/01/07)
市民4000人が“被害”名乗り 米の被ばく人体実験
【ワシントン11日=大内佐紀】米エネルギー省は11日、1940-50年代にかけ米政府が実施した放射能の被ばく人体実験問題で、被害者数が当初発表された600-800人よりも多くなる見込みと明らかにした。
同省報道官によると、同省に設置された市民相談ホットラインには、これまでに約1万2000人以上から電話が寄せられた。このうち、約4000人が人体実験にさらされた可能性があると訴えているという。
米政府はエネルギー、国防などの各省からなる作業委員会をこのほど設置、被ばく人体実験の全容解明をめざしている。また、被害者に対する補償を検討することを約束している。
(読売新聞 1994/01/12)
軍人も被害に 米「放射能人体実験」 ビキニ環礁などで実施
【ワシントン15日河野俊史】冷戦時代、米政府主導で行われた「放射能人体実験」問題で、15日までに公表された資料や議会報告書から、市民のほかに多数の軍関係者や復員兵が“実験台”になっていた構図が浮かび上がった。国防総省や復員軍人省は当時の内部資料の調査を進めている。
その1つが、水爆のキノコ雲が人体に与える影響を調べる実験。下院エネルギー保全小委員会が1986年10月に作成していた報告書によると、人体実験は西太平洋のビキニ、エニウェトク両環礁で56年5月から7月にかけて行われた一連の水爆実験(レッドウイング作戦)の際に実施された。
米空軍の5機のB57が、水爆爆発後20分から78分の間に27回にわたってキノコ雲の中を横断飛行、乗員の被ばくの状態が測定された。この実験で乗員7人が許容被ばく線量(年間5レントゲン)を超えたとして復員軍人局(復員軍人省の前身)の病院で特別検査を受けたとされる。
(毎日新聞 1994/01/16)
米軍部などが放射能放出実験 1948年から13回
1948年から52年にかけて、米原子力委員会(当時)と米軍部が放射能を意図的に環境中に放出する実験を延べ13回行っていたとする米会計検査院の報告書を市民団体の原子力資料情報室(高木仁三郎代表)が入手、18日、発表した。
テネシー州オークリッジでは、ガンマ線源1000個を野外に配置して周辺の放射線量を調べた。ユタ州ダグウェイでは、飛行機から放射能を含んだ球を投下して弾道や分布を測定する実験を行った。また、ワシントン州反フォードやニューメキシコ州ロスアラモスでは、大気中に放射能を放出した。(毎日新聞 1994/01/19)
何も知らされず、不自由な体に 遺族の娘、涙の証言
米政府主導のプルトニウム人体実験 下院公聴会
【ワシントン19日河野俊史】「父はヒーロー(英雄)なんかじゃありません。国家のギニー・ピッグ(実験台)でした」――。冷戦時代、米政府の主導で行われた放射能人体実験の犠牲になった元鉄道ポーターの娘が18日、米下院エネルギー・電力小委員会の公聴会で初めて証言した。「医学に貢献したヒーロー」と言われたことに反発、悲惨な日々を送った家族の苦悩をとつとつと訴えると、傍聴席は静まり返り、すすり泣きがもれた。
証言したのは、エルメリン・ホイットフィールドさん。鉄道ポーターをしていた父のエルマー・アレンさん(当時44歳)は1947年7月18日、サンフランシスコにあったカリフォルニア大病院で左足にプルトニウムの注射を受けた。
車両から落ちてけがをした足の治療が目的だったが、3日後にその足は切断され、放射線医学の研究施設に送られた。アレンさんはプルトニウムについて、いっさい知らされず、体の不自由なまま3年前に死亡。その後、エネルギー省の情報公開で「CAL-3」という識別番号をつけられた放射能人体実験の対象者になっていたことがわかった。
娘のホイットフィールドさんは約20分にわたり父の生涯と家族の生活を詳細に再現。最近、科学者から「お父さんは医学に尽くしたヒーローだった」と言われたことに触れ、「ヒーローですって?」と強い調子で疑問をぶつけた。
父が廃人同然になった後、女手一つで家族を支えた母や幼かった弟を思い出しながら「食べ物を買うお金がなくて支払いをつけにしてもらったり。ガレージで何時間もボーッと座っているだけの父。それでも父はヒーローですって?」。
ホイットフィールドさんは、こう結んで証言を終えた。
「父はただのギニー・ピッグでした。そして私たちの父は(プルトニウム注射を打たれた)47年7月18日に死んだのです」(毎日新聞 1994/01/20)
米放射能人体実験 被害で集団訴訟 「錠剤で子供がん死」など
【ロサンゼルス1日=岩田伊津樹】米国では核開発過程での放射能人体実験が明るみに出て問題になっているが、テネシー州ナッシュビル市のバンダービルト大学病院で1940年代に、人体実験目的で妊娠中に放射性物質の錠剤を飲ませられ子供ががんで亡くなったなどとする女性らが1日、同大学や当時の原子力委員会(AEC)議長などを相手取ってナッシュビル連邦地裁に損害賠償請求の集団訴訟を起こした。
昨年11月のニューメキシコ州の地方紙の報道をきっかけに明るみに出た同人体実験事件では、AECを引き継いだ米エネルギー省が実験を承認していたことを認めている。原告代理の弁護士によると、被害者は827人おり、訴訟への参加を呼びかけている。
訴状によると、原告のエマ・クラフトさんらは45年から49年にかけて妊娠して同大学病院に入院中、放射性物質の錠剤を知らずに飲まされたとしている。
その後の同大学の部内調査では、少なくとも3人の子供が、放射能が原因でがんや白血病になり死亡しているという。原告らは被害者や家族への損害賠償とともに、被害者の特定や障害の認定のための記録の公開を求めている。(読売新聞 1994/02/02)
米人体実験 妊婦にも放射性物質 被害者ら集団訴訟
【ロサンゼルス1日=共同】1945年から49年にかけ、米テネシー州の大学病院で多くの妊婦に対して放射性物質による人体実験が行われ、子供ががんで死亡するなど数多くの被害を受けたとして、「実験台」となった女性らが1日、当時の原子力委員長らを相手にナッシュビル連邦地裁で損害賠償請求訴訟を起こした。
原告側弁護士によると、当初の原告は、当時被ばくした女性2人とその娘2人(うち1人は既に死亡)だが、一連の人体実験関連では初めて集団訴訟の形をとっており、実験台となった800人以上の女性に訴訟参加を求めている。
損害(請求)額は明記していないが、当初の原告だけで数百万ドルに上るとみられている。
訴えによると、バンダービルト大付属病院では当時、栄養剤の名目で妊婦に液体状の放射性物質「鉄59」が投与されていた。妊婦は放射性物質の摂取を全く知らず、実験期間を通じて、妊娠中の被ばくが原因で子供3人が死亡していたとする同病院の研究結果も知らされていなかった。
実験は大学と原子力委員会(エネルギー省の前身)が協力して実施した。放射性物質の胎児に与える影響などを調べる目的だったとみられる。
(中日新聞 1994/02/02)