Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

母と夏の花火

2012-07-26 02:23:00 | 
それはいつもと変わらぬ暑い夏休みだった。
けれども夏特有の不快な蒸し暑さは不思議と記憶には残っておらず、故郷で過ごした温かい時間の欠片だけが心の中で眩しさを放っている。

私は7歳の息子と5歳の娘を連れて実家のある福岡へ里帰りをしていた。
福岡市内の中心地に実家はあるのだが、東京よりも心なしか時間がゆるりと過ぎていくのは親元にいる安心感からなのだろうか。
私の両親はその当時、還暦を過ぎてからも小さな会社を営み続けていて、娘である私と孫たちはのんきに夏休みを過ごしているというのに自分たちは朝から夕方過ぎまで仕事に出かけていた。

実家にて気を緩めきっている私は父と母が仕事に出かける頃になってようやく目を覚ます有り様で、少しは親孝行をしようと思って帰っているのに、孫の顔を見せる以外はこれと言って特別なことはできなかった。
育児の合間に洗濯物を畳んでおいたり、夕食の買い物に行ったり掃除をしたり、そんな程度だ。
たまには豪勢な夕飯でもこしらえて両親をビックリさせようかとも思うのだが、母の手料理を食べたい気持ちの方が勝り、結局は人数分のご飯を炊き、簡単な総菜を1~2品用意しておくに留まるのだった。

母の料理は本当に美味しい。小学校の作文にもそのことを書いていたっけ。
おまけに、私は自分が主婦になるまで気付かなかったのだけど、母が料理をする時の手際の良さと言ったらない。父が「お母さんは台所で魔法でも使いようっちゃなかろうか」と冗談めくのも頷ける。
そんなわけで、私は台所で母の隣に立ち、ほんの20分ほどで食卓が料理で埋まっていくのを勉強がてら眺めていた。
「本当の料理上手っていうのはね、料理をしながら片付けもするとよ。」
「料理はね、味も大事やけど彩りも良くないといかんもんね。」
母の腕前に私が感心していると、母はいつも決まってそう言っていた。そして、台所に背を向けてテレビのニュースを観ているはずの父が私には得意げな表情を浮かべているように見えた。

8月も中旬ともなると忙しい両親にも盆休みというものがやってきて、ここでようやく夏休みらしいひとときとなる。
「子供たちもだいぶ大きくなったことだし」という理由で、みんなで市内にあるレジャープールにでも出かけようという話になった。私は両親にいわゆるレジャー施設というものに連れて行ってもらった記憶がなかったので、両親からそういう提案が出てきたことになにやら新鮮な気持ちを抱いた。

プールには同じような家族連れが多く、じりじりと照りつける太陽の下には絵に描いたような賑やかさがあった。私たちは木陰にシートを控えめに敷いて陣取った。父が子供たちとプールに入っている間、私は母と二人きり。
私の母はどういうわけか、子供なら誰もが求めるような大らかな愛情表現が苦手な人だった。おまけに私は私で十代の反抗期から上手く抜け出せないまま親元を離れ、息子の誕生によって自分自身が母親になるまでの長い間ずっと母に対するよそよそしさを拭えずにいたものだから、久しぶりに母と娘で二人きりとなっても当たり障りのない話題をやりとりするのが関の山だった。
それでも、私たち二人にとっては十分に母娘らしい時間だったのだと思う。少なくとも私にとってはそうだった。

孫にはずいぶんと甘い顔をのぞかせる両親を見るたびに私は「こんな顔見たことないよ。昔はあんなに厳しかったのになぁ」と思うのだけど、父と母の嬉しそうな様子を間近にすると昔のことはどうでもよくなる。
そして、いざ自分が育児をする立場に立ってみると、厳しかった両親の態度にもちゃんと愛情を見出すことができるものだ。たとえそれがその当時子供だった私が求めていたものではないにせよ。

里帰りも佳境に入ったある日のこと、私は子供たちを両親に預けて街まで買い物に出かけることにした。
支度を整えてそろそろ出かけようとした時に、「そんならお母さんもちょっと夕飯の買い物でもしてこようかね。」と言い残し、母は私を待たずにそそくさと出かけて行った。
私が母より一足遅れてマンションの階下に下りると、少し前を母が歩いていくのが目に入る。
母が目指す商店街と私が向かっている地下鉄の駅の方向が二手に分かれる信号までまだいくらか距離があるので、小走りで行けば母に追いつくはずだった。

なのに、なぜか私は声をかけることも追いかけることもなく母の後ろ姿に見入っていた。
「この背中を今、この目に焼き付けておかなきゃいけない」
何の前触れもなくそんな予感めいた遠い気持ちに支配されたまま、私は母が信号を渡りきるのを見届けてから地下鉄の階段を降りた。

母との永久の別れが訪れたのは、それからちょうど半年と数日が経ってからのことである。


2006年の夏休みは私が母と過ごした中で最高の夏休みだ。
子供たちのおかげで、ぎこちなかった母との関係が年々和らぎ、それまで持つことのできなかった母娘らしい時間をこれから取り返せると実感した夏だった。

夏休みはじめの花火大会。その日だけ開放されるマンションの屋上で、「あ、なんか今、お母さん幸せそう。」と、大輪の花火に照らし出される母の横顔を見てそう思った。
夏という季節はいつだって過ぎ行く頃には陽炎のような思い出に姿を変えるけれど、花火の刹那と相まってあの夏の思い出はとびきり眩しくて切ない。




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2 コメント

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Unknown (rie)
2012-07-27 01:28:10
そうだったんですね。
お母様とはお互い感じとるものはきっと同じ質のもので、そしてそれぞれに思いあっていらっしゃったのだろうなあというように読めました。親子は他人ではないけれど、一人の人として考えると、何かやはり縁があってお互い出会っているというような、少し不思議な感覚にもなりました。親子に限らずコミュニケーションは本当に難しいことの一つだと思うのですが、かたちになりづらくても根底にはどうしたって相手を思う愛があるのでしょうね。
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☆ rieさん ☆ (Nozomi)
2012-07-28 08:49:52
私自分が母親になることで、亡き母が何を思い、どのように感じていたのかを、想像を交えてですが反芻できるようになった気がします。
そして、rieさんの仰る通り、親子という関係性も何かの巡り合わせで生まれるのだなということも実感しています。
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