一般的な歴史認識として「ああ、この人は悪人だあね」と目されてしまうような、そんな人物というのがおりますよね。例えば明智光秀とか徳川綱吉 とか井伊直弼 とか。ですが、そうした受け止め方が実際には一筋縄ではいかないもので視点を変えてみれば人物像も大きく変わってくるとはいわずもがなでしょうかね。
綱吉に関してはちょいと前のNHK「知恵泉」で取り上げていたところを見れば、また明智光秀のことは南条範夫の小説「桔梗の旗風」で読み、井伊直弼は舟橋聖一の小説「花の生涯」で読んでみれば、それぞれにごくごく普通に知られるのとは違って「いい人たち?」と思うところかと。まあ、そういう軸で作られている作品は上に例示した人たちばかりでなく数多ありますし、その軸どおりに受け止めれば従来認識と異なる印象があるのは当然なのですけれど。
と、そうした作品のひとつに山本周五郎 の「栄花物語」がありまして、取り上げられている人物は田沼意次。その治世は「田や沼や汚れた御世を改めて清らに住める白河の水」などと狂歌に歌われたりした、その人物でありますね。
…と、この後は田沼意次と松平定信の話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
METライブ in HD でヴェルディ の歌劇「ルイザ・ミラー」を見てきたのでありますよ。元来オペラに詳しくないものですから、この映画館でのオペラ上映で満足してしまったりするも、その実、詳しくない素人の印象ながら、これまでに見た中で「おおお!」という思いを抱いたのは数少ないなあとも。ですが、このほど見た「ルイザ・ミラー」は「おおお!」にかなり近いところまで行っておりましたよ。
…と、この後はヴェルディの歌劇「ルイザ・ミラー」の話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
ちょいと神田美土代町の交差点に近い天理ギャラリーを覗いたのでありますよ。ちょうど「小泉八雲 ラフカディオ・ハーン」展が開催中だと知っていたものですから。
もう4年前になりますが、熊本市 を訪ねた折には夏目漱石 とともに小泉八雲 の足跡もたどることにもなったものですから、その後には熊本に転任する前にいた松江にも、東京に出てきてから毎年のように訪ねたという焼津にも折りあらば出かけてみようと思っていながら、時は過ぎという具合。たまたまにもせよ訪ねた青梅で、かの有名な「雪女」の話はこの地域での聞き取りが元かと知ったりするとふむふむと思ったりしていたわけです。
そんなですので、小泉八雲に関しては常々気にかけており、天理ギャラリーという場所柄、小規模展示だろうとは想像するも出かけてみようかと思っていたわけでして。
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新日本フィルの演奏会で、あたかも山下洋輔の音楽会か?! といった状況で終わった前半。休憩で仕切り直した後半は、アーロン・ジェイ・カーニスの「ムジカ・セレスティス」からでありました。
「天上の音楽」を意味するタイトルだけあって、プログラムの解説に「瞑想的な雰囲気に満ちたニューエイジ・ミュージック風の作品」とあるとおりの穏やかさ。ここからはオケの演奏に注目してほしいということでもありましょうかね。ところで、「ムジカ・セレスティス」が「天上の音楽」の意であるということなれば、楽器の「チェレスタ」はきっと「天空の音はかくあるか」てなところから付けられた名前でしょうかね。
と、それはともかく演奏会の締めくくりに演奏されたのが、アーロン・コープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」でありました。コープランドのバレエ音楽は「ロデオ」(ちなみに大好物の曲です)とか「ビリー・ザ・キッド」とか、なんとはなし西部劇 っぽい音楽であるなと感じさせるところがありますけれど、「アパラチアの春」もまた。
…と、この後はコープランドと映画音楽の話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
タイトルからすると、「ああ、今度はジャズを聴きに行ったのだな」と想像されるやも。ですが、しかしてその実体はと申しますれば、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会。会場のすみだトリフォニーホールは両親ところへ行きがてらに寄るにはちょうどいいものですから。
…と、この後は山下洋輔が弾いたガーシュウィンのピアノ協奏曲の話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
ちょいとタイムポケットのように仕事に穴が開いたものですから、先日の振替休日でもってひとつ懸案事項を果たすことに。
かような言い方をしますと、すいぶんと大層な懸案事項に思えるやもですけれど、実は「大衆演劇」なるものを一度は見てやろうと思っていたのでありまして。どうも聞きかじるところでは、固定客がいる独特の世界のようでもあり、一見さんには(気分的に)敷居が高い気がして、先延ばし先延ばしにしていたのでありますよ。
環境的にはいつでも行ける状況にはあったのですね。何しろ東京都内には、浅草、十条とともに三軒だけとも言われる大衆演劇の常打ち小屋が近隣の立川にあるのですから。そんなところで、あまりに場違い感があるようなら止めとこうとも思いながら立川けやき座なる芝居小屋へと出かけていったのでありました。
…と、この後は大衆演劇の公演を見てみたという話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
加藤一二三九段のテレビ露出が多くなったなとか、藤井六段の偽サインが出回ったりとか、また将棋が注目されるひとときとなっておりましょうかね。
…というのは単なるマクラでありまして、将棋の駒の動きというのはルールで決まっているわけですね。ルールがないと当然にして対戦できませんですからなあ。
…と、この後は将棋とチェスの駒の動きの話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
トルストイの「戦争と平和」 を読んでおります。と、第1巻は読み始めの勢いで(遅読の傾向にありながらも)ページがどんどん進んでいったのですけれど、第2巻に入ってすでに中弛みを示してしまっておりまして(笑)。
ですが、その第2巻では1807年のティルジット条約の締結でしたか、フランスとロシアが講和を結ぶに至り、ナポレオンとロシア皇帝アレクサンドル1世が相対する場面が出てくるのですな。
…と、この後はナポレオンと出会った人たちの反応の話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
そうそう、納豆 のことを書いていて思い出すところがまた。
今では納豆のパッケージを開けるとほぼもれなく「納豆のたれ」なるものが入っていようかと。何の疑いもなくの出汁系風味のたれなるものを掛けて食すようになっておりますが、かつてかような代物は入っておりませなんだ。単に黄色い洋がらしの小袋がぽろっと入っているだけでしたな。
ですから、以前は魯山人のように(といって、半端な回数のかきまぜ方ですが)ある程度かき回して醤油を垂らして、ごはんに乗せて…としていたわけですが、この納豆の食べ方が決して一様ではないと知ったのはかなり後のことでありまして。
…と、この後は納豆の食べ方と砂糖の話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
どうにも頭の中でタンゴのリズムが鳴り続けていますな(笑)。ずっとアルゼンチン・タンゴ だぁ、コンチネンタル・タンゴ だぁと聴き続けていましたから。
そこでタンゴのリズムを少し吹き払おうと別の音楽の方へ向かおうと思いますが、すでにしてコンチネンタル・タンゴの演奏はムード音楽とかイージーリスニングとかのはしりになったのではてなことを書いた折に、あれこれの演奏家が浮かんできたものの、やっぱり(個人的にはですが)ポール・モーリアだろうなと思ったわけでして。
…と、この後はポール・モーリアの話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
今朝、朝飯で納豆を食したのですね。まあ、珍しいことでもなんでもありませんけれど、その際にふっと思い出したことがふたつ。以前、TVだかラジオだかで見聞きしたことの受け売りにはなりますが、納豆に関する蘊蓄めいたことでして。ま、ご存知の方も多いとは思いますですが。
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少々タンゴづいておりますな。まあ、時の勢いというものがありますし。アルゼンチン・タンゴ に続いて、今度はコンチネンタル・タンゴを聴いてみたような次第。今まで全く違いを意識したことがなかったものですから。
そこでまたしても図書館に頼ってCDを借り出してきたのでありますよ。普段はいったい誰が借りるのか?と思ったりしてましたが、手に取るときが来たりするのですなあ。「コンチネンタル・タンゴ・スペシャル・ベスト/アルフレッド・ハウゼ楽団」という一枚です。
…と、この後はコンチネンタル・タンゴの話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。
「人生フルーツ」。90歳のおじいさんと87歳のおばあさんの日常。人間らしい生き方をこうと定めてあせらずゆっくりの日々に寄り添ったドキュメンタリー映画です。
…と、この後は映画「人生フルーツ」の話になっていくのですけれど、続きはこちらをご覧願えれば幸いです。