太陽の再生を乞う祭り? そのⅥ
この写真を頂いた時から私に一つの疑問が生まれました。
新聞記事に発表されてあったように、寺野東遺跡の環状土盛遺構が冬至の日に筑波山から昇る、太陽を祭祀するための施設と考えられるのであれば、この頂いた写真に写っているように、何故、冬至の日の当日に筑波の頂から朝日が昇るのを望むことの出来る場所ではないのだろうか。
この遺跡から眺められる冬至の日の日の出は筑波の南麓からのものです。少し半端なような気がしてしまうのです。
冬至の日の出が意識されたというのであれば、当然、山頂部分からのものであるほうが説得力があるように思うのです。
寺野東遺跡の環状盛土遺構から結城ガーデンのある位置は南へ直線距離で約400~500メートルあるようです。
この二つの地点から眺められる日の出の位置にどの位の違いがあるのかも詳しくは解りません。
そこで国立天文台の暦計算のサイトに当たったりしましたが、おそらく標高が0で計算されているせいだと考えられますが、実際の日の出の状況を把握できることは出来ませんでした。
そこでいろいろサイトを検索したら、結城市の結城市立情報センターのサイトで定点で筑波山の方向をカメラ撮影していることを知りました。
結城市立情報センターURL
http://weather.info-yuki.net/teitencube/JPNIBR002/latest.html