貞観法 和らぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

軍荼利明王のこと その8

2016-11-26 08:59:31 | 軍荼利明王のこと
甘露軍荼利明王の「甘露」に思いを巡らそうとした時、思い浮かんで来たのは、成木の軍荼利明王堂の傍らに在った弁天池の上方に据えられ、湧水が利用されているのか、それとも水道水であるのかは分からなかったが、この像の台座の部分からは水がこの池へと流れ込んでいたことである。

宝剣に螺旋状に巻きついた龍が宝剣の先端からこれを呑み込もうとしている姿の像であった。

この像は不動明王の三昧耶形である「倶利伽羅剣(倶利伽羅龍王・倶利伽羅明王・倶利伽羅不動」とも呼ばれるものである。

実は不思議なもので、成木の安楽寺を訪ねて行った同じ日に、もう一ヶ所の違った場所で、縁によって導かれるようにして、もう一体の「倶利伽羅龍王像」を目にすることと成った。

その場所とは、都県境を越えて飯能市上直竹地内に在る富士浅間神社の境内地であった。

ここへと訪ねて行った切っ掛けも、これまたテレビ放映によってであったのだが、その放送された時期は随分と以前であって、久米宏さんが司会を行っていた「ニュースステーション」であった。

その番組中で天気キャスターをしていた乾貴美子さんが、この富士浅間神社の裏手の山に生えているタブの木の巨樹の枝に腰掛けて、これを紹介する画像が流れるのを見て、その時以来、この巨樹に逢いに行ってみたいと思い続けて来ていたのだったが、なかなかその機会がなく、成木安楽寺を訪ねたのを機にして漸くのこと、念願していた巨樹との出会いとなったのであるが、その時に思いがけずも、麓のこの神社の社殿脇に流れ落ちる滝(芙蓉の滝)の下に据えられていた「倶利伽羅龍王」にと巡り合えたのだった。

「滝と倶利伽羅龍王」の取り合わせ。

なるほどと私は納得した。

これまでにも数知れず「水と龍」とが組み合わされた彫像や図象は目にして来たし、過去に当ブログでも「辰年に寄せて」の標題の下で「水と龍」や「宝珠」について触れてみたこともあった。


また、神社や寺の手水舎の設けられいる口を漱ぎ手を清める龍の口から出ている水は、諸所でよく見かけることも出来る。

そしてまた、彼方此方の沼や池の辺には決まって龍神が祀られているのは定番なことでもあるから、「水と龍」とは縁の深い間柄であることは今更ここに取り立てる程のことでも無いかも知れない。


ただ、青梅・成木の軍荼利堂や飯能・上直竹下分の富士浅間神社の場で、龍の宝剣にと巻き付いている倶利伽羅龍王の様子を見ながら、思い当たったのは、そうだ、妻沼の聖天様の境内にある池の脇に作られた、その名も「軍荼利の滝」と呼ばれる滝の傍には、これらの倶利伽羅龍王ではなしに、軍荼利明王の石像が据えられていたことだった。

そうだよ、これら倶利伽羅龍王や軍荼利明王の像が、このように滝の流れ落ちる場所に祀り据えられ、その「龍」や「蛇」が描いている螺旋の形とは、「水」が天空と大地との間を行き来する運行の様を表現しているものとして理解することが出来ることだと、そう思った。

軍荼利明王の身体を、そしてまた、倶利伽羅龍王の宝剣を伝わって上方へと螺旋を描きながら這い上がって行く「龍」や「蛇」は上昇して行く気の流れであり(大気の流れは、その中に含まれている水の流れでもある)、そして、流れ落ちている「滝」の水は「甘露」と見立てられているのであろう。

五輪・五大の「空」は「宝珠」に形が準えられている。

このことは上昇した大気中の「水」が「雲」となって、その水分子同士が互いにぶつかり合い・揉み合い・練り合わされ、甘露水の雨になって降り下ってくるということで、「宝珠」はその容器を表し「降り龍」がこれを指や口にと挟み持つ姿とは、その中に容れられた甘露が雨となり滝になって落ちて来ると云うことなのだろう。

そんなことを思案しながら暫くの間、富士浅間神社の滝と倶利伽羅龍王像ばかりに目を向けていたのだったが、ふと右手の足元に目を移したら、そこには何と陰陽の自然石が祀られて「夫婦神社」と名づけられいた。

しかもそれが陽物の「石棒」が立てられているのではなしに、小さな全くの自然石で陽石と陰石が並べられているのが何とも素朴で良い。

今の今、考えていた陽(ひ)の気と陰(み)の気が交合することによって「甘露」が生まれると云うことを見透かされて、それを具現化した姿を見せられて居るような気分となった。

さらにその右手には、「おんべかつぎ」で触れて来ていた「おしゃもじ様」が祀られていて、当地には今でも杓文字を奉納する風が残されているのだろう、それ程時間経過していなそうな杓文字が何本かお供えもされている。

本殿を挟んで反対側の右手には「妙見社」(村内の別の場所にあったものを合祀したようだ)と「大日如来」を祀る祠も在った。

何と言うことだ。

この場には日頃から私が考えていたり、気に掛けていることであり、「おんべかつぎ」にも取り上げて来た事柄を裏打ちするようにして、「倶利伽羅龍王」・「滝」・「陰陽石」・「おしゃもじ様」・「妙見社」・「大日如来」が揃い踏みして、私を出迎えていてくれたように思えたのである。

中でも特に陰陽石を見ながら考えさせられたのは、これを神道的に見ればイザナミ・イザナギの二柱の神と云うことになるのだろうが、仏教的な立場から見たら歓喜天(聖天)に通じていると見做すことが出来るのだろうということであった。
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久し振りの来訪者

2016-11-07 08:25:11 | 日記


半月ほど前、北本から久し振りにHさんが見えた。

事前に電話連絡があり、「眼が大変なので何とかして下さい」と言われる。

白内障になるような年にはなっていなし網膜剥離でも起こしたのだろうか?。

そんな気を回しながら「どうしましたか」と聞くと、返って来た答えは「飛蚊症」だとのこと。

「眼医者には行ったんでしょ」と確認すると、行って診察をうけたら網膜には異常は無くて安心はしたんですが、お医者さんから医学書を見せられながら、黙ってペン先でトントンと叩かれた場所を覗いたら、加齢が原因という文字が目には入ったことから、お医者さんでは「年のせいでどうにもならない」ということなのだ悟ったという。

「私のところへ来てくれても良くなるという保証はできないけど・・・」と云ってはみたものの、既に見えてくれる心積もりでいるらしかったので、「試しにそれでは来て見れば」と来訪してくれることを了解した。


Hさんが縁あって私の道場へと見えてくれるようになって20年近く経つが、正確な年齢など聞いてみたこともないのだが、初めて見えてくれた時には、おそらく四十路前後くらいであったろうから、現在は還暦に近い齢になっているのだろうか。

当初は頻繁に顔を見せてくれていたものの、最近の4・5年くらいは年に一回くらい、ご自分での体操による体調管理が行き届かなくなった時にだけ見えてくださる程度で、辛うじて縁が切れることなく繋がっていると云ったところ。

今回も、前回に見えてくれた時からすれば一年以上は過ぎている。

見えてくれた早々、「久し振りで、織姫様のようですね」と声掛けすると、来たいとは思っていても、いろいろと忙しくしているから、ほんとに弱った時だけしか来れなくて・・・」と、その理由を語られる。

確かに聞かされてみると、なかなか主婦は大変なことで、自分のことだけにはかまけていられないものなのだと納得させられた。

ひとしきり近況を告げる挨拶を済ませたら、一枚の眼医者さんで貰って来たという紙片を取り出し「これもこれも見えるんですよ」と飛蚊症で実際に見えるという画像を説明してくれたのだが、6種くらいの画があったうちの4種くらい(シャボン玉状のもの・糸くず状のもの・虫のようなものなど)が見えてしまい、中でも視界の端に時たま閃光が瞬くのがとても怖く、この先どうなってしまうのか不安で気持ちが変になりそうだと訴えられる。

とにかくやれることをやってみましょうということで、二時間くらい身体の軸を正す矯正体操ををサポートし、中途で何度か見え加減を確認して貰いながら行ってみたところ「見えてしまうものが霧が晴れるようにして薄らいで来た。」と云う反応に力を得ながら体操を繰り返した。

終えてから、「全部は見えなくなるようにはならないが大分薄らいで来たので楽になった」とHさんは大変喜ばれ、「何時も困った時だけ来て、助けて頂きありがとうございます。」の言葉と併せ、私に向かって、「これからもご自分の体操を続けていって元気で私より長生きしていて下さいね。頼りにしてますから・・・」とこちらが泣けてくるようなことを仰られる。

何だか可笑しくなってしまった。

その科白を言うのは私であって逆だろうに・・・。

私よりも十歳くらいHさんは若い筈。

「それは無理でしょう。それに私も然ることながら体操をして体調維持をして欲しく思っているのはこちらも同じことだから、お互いがんばりましょう」と返答した。

その後、間をおかずに二回ばかりHさんは道場に見えて下さったが、遠く離れた場所に住むお孫さんの面倒見の手伝いのためにと出かけて行った。

いまだ完全には症状は改善されてはいないそうだが、何とか不安からは開放されているようで、帰ったらまた見えてくれるとのことだが、何とか完治してほしいものと祈っている。


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軍荼利明王のこと その7

2016-11-02 13:56:17 | 軍荼利明王のこと

軍荼利明王像とはクンダリーニと呼ばれる身体内を流れるヨガで云う「プラーナ(気)」を象徴するものであり、この像に纏わりつく「蛇」は気(プラーナ)の動きを示す螺旋(スパイラル)運動を表すとされているが、次に、この気(プラーナ)=蛇によって表現されている螺旋運動の在り方について少し考えてみようかと思う。

ただ、先にも記したように、私自身は身体内を流れるとされる、クンダリーニを体感し獲得するために行われる、ヨガや瞑想といった方法を試みた経験は無いので、こうした分野からこれについて触れてみることは出来ないが、五大・五輪のうちの「風=気」を通して、このクンダラ(クンダリーニ)=螺旋=軍荼利明王について述べることは可能だと思っている。

クンダリーニ・ヨガでは身体内を流れるクンダリーニ(プラーナ=気)は、身体内の七つのチャクラを経て螺旋を描きながら上下降すると説かれているが、このことは一つヒトの身体内だけに限られたことでは無しに、私たちの周りに見られる万象万物すべてに亘り、同じようにして、この気(風でありプラーナでもある)が流れの作用の結果であると見なすことが出来るだろうし、クンダリーニが狭義での身体内を流れる気を指しての語であるのであれば、ここで述べてみようかと考えている気の流れ方については、「クンダリーニ」よりも「クンダラ」の方が相応しい語であると言えるかも知れない。


前記した私見で、虚空蔵菩薩の功徳「一切のものが何の妨げが無く、自由自在に運動し変化し機能することが出来る」の実相は五輪・五大で説かれる「風」に求めることが出来るのではないか。

加えて、その「風(気)」の流れというのは、陽(ひ)と陰(み)のそれぞれの圧力の差異によって引き起こされていると理解できるのではないかと記した。


私は、この流れこそが、軍荼利明王像にまとわり付く「蛇」が表象する「クンダラ」の語が意味する「螺旋」や「渦」を描く運動によって成り立っていると考えてもいる。

また、軍荼利の「クンダ」の語には「水器」といった意味が、「リ」には「瓶」と云う意味もあるそうだから二語を併せると「水瓶」となり、軍荼利明王自体が「水瓶」とも云うことになるかも知れない。

そのことを物語るようにして、軍荼利明王は別名を「甘露軍荼利明王」とも呼ばれていて、「生命を永らえさせ、困難や病気あるいは障害や災いから人々を救う」ことの出来る「甘露」を授ける明王ともされている。

さらにまた、「クンダリ」の語には「火・炎」といった意味もあるのだそうだ。


これら「クンダリ」の語に含意されるという語義を、先に記した私見、「風(気)」の運動は陽(ひ)と陰(み)との間を移動し往来する運動ではなかろうかする考えに照らして見ると、この語そのものの中に、陽(ひ)の「火」と、陰(み)の「水」が既に含まれていることになるということになる。


「甘露」とは、梵語の「アムリタ」の訳であるそうで、もともとは「死なない」と意味の語であり不老不死を得るための飲食物を指すとのだという。

ただ、軍荼利明王に寄せられている信仰のあり方などを見ると、食物も含まれるのかも知れないが、どうも「水」としての性格が際立って強いように私には印象づけられる。

それでは一体どのようなモノを指して「甘露」と呼ぶのであろうか。
普通の「水」と「甘露」との違いは何なのだろうか。?

再三記しているように私にはヨガや瞑想を行うという体験は無いが、クンダリーニヨガでは、この「甘露」について気を巡らしながら瞑想を行っていくと喉元に甘い味覚を感じることがあって、そこのこの名の起こりがあるとの説明もあるが、正直なところ、私自身が考案して来た体操の実践を通して、こうした感覚を持ったことは未だに一度も無い。

想像でしかないが、きっとこれは瞑想の極点に達すると体液の純化・浄化がすすんで、喉元に下りて来る唾液に甘味を感じることがあるということなのではないだろうかと思うのだが・・・。

実体験のない中で記すのもおこがましいとも思えるが、「甘露」とはどんなものであるかとの問いに対しての答えとして、それは「ひ」と「み」とが綯わされ、練られ、、この上なく極限までに精緻に混ぜ合わされた状態になった「水」と理解して良いのではないかと私は考えている。

それは身体内の「水」だけに限られたことでは無しに、広く自然界に於いての「水」のあり方にも通じているのではなかろうか。

「溜まり水は腐るが、流れる水は腐らない。」

「地」あるいは「地中」に在る「水」は「火=陽」によって「空」へと上昇し、再び「地」へと降り注がれ戻って来て、再び地中から湧き出して来るという往復運動の中で、「ひ」と「み」が互いに綯わされ練られ結ばれて浄化され純化されもしている。

「風」は運動する「気」でありヨガで云うところの「プラーナ」であろうとしたが、その内には「水」が含まれていて、こうした運動の繰り返しの果てに、その水が「甘露」となることになっていると見ることが出来るのではなかろうか。

そしてその運動は螺旋運動によって成り立っている。

つまり、軍荼利明王とはその像容は憤怒の姿はしているが、その実体は、蛇の姿に表象されているのは、「気=風=プラーナ」の螺旋運動であり、その螺旋運動は「気」の浄化され純化された「甘露」そのものを表しているのだと解釈できるのではないだろうか。

こんな風な考え合わせをした上で、あらためて軍荼利明王の自性輪身である「宝生如来」の「宝生」という名について、あるいはまた、正法輪身の「虚空蔵菩薩」の三昧耶形である「如意宝珠」の持つ意味について思いをめぐらしてみると、成る程と納得させられるような気がする。

ここで云う「宝生」の宝とは「甘露」の生まれることを指しているのではないか、虚空蔵菩薩の持つ「如意宝珠」はそれを納めるための珠(容器)を指しているのではないのだろうかと私には思えて来るのである。
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