甘露軍荼利明王の「甘露」に思いを巡らそうとした時、思い浮かんで来たのは、成木の軍荼利明王堂の傍らに在った弁天池の上方に据えられ、湧水が利用されているのか、それとも水道水であるのかは分からなかったが、この像の台座の部分からは水がこの池へと流れ込んでいたことである。
宝剣に螺旋状に巻きついた龍が宝剣の先端からこれを呑み込もうとしている姿の像であった。
この像は不動明王の三昧耶形である「倶利伽羅剣(倶利伽羅龍王・倶利伽羅明王・倶利伽羅不動」とも呼ばれるものである。
実は不思議なもので、成木の安楽寺を訪ねて行った同じ日に、もう一ヶ所の違った場所で、縁によって導かれるようにして、もう一体の「倶利伽羅龍王像」を目にすることと成った。
その場所とは、都県境を越えて飯能市上直竹地内に在る富士浅間神社の境内地であった。
ここへと訪ねて行った切っ掛けも、これまたテレビ放映によってであったのだが、その放送された時期は随分と以前であって、久米宏さんが司会を行っていた「ニュースステーション」であった。
その番組中で天気キャスターをしていた乾貴美子さんが、この富士浅間神社の裏手の山に生えているタブの木の巨樹の枝に腰掛けて、これを紹介する画像が流れるのを見て、その時以来、この巨樹に逢いに行ってみたいと思い続けて来ていたのだったが、なかなかその機会がなく、成木安楽寺を訪ねたのを機にして漸くのこと、念願していた巨樹との出会いとなったのであるが、その時に思いがけずも、麓のこの神社の社殿脇に流れ落ちる滝(芙蓉の滝)の下に据えられていた「倶利伽羅龍王」にと巡り合えたのだった。
「滝と倶利伽羅龍王」の取り合わせ。
なるほどと私は納得した。
これまでにも数知れず「水と龍」とが組み合わされた彫像や図象は目にして来たし、過去に当ブログでも「辰年に寄せて」の標題の下で「水と龍」や「宝珠」について触れてみたこともあった。
また、神社や寺の手水舎の設けられいる口を漱ぎ手を清める龍の口から出ている水は、諸所でよく見かけることも出来る。
そしてまた、彼方此方の沼や池の辺には決まって龍神が祀られているのは定番なことでもあるから、「水と龍」とは縁の深い間柄であることは今更ここに取り立てる程のことでも無いかも知れない。
ただ、青梅・成木の軍荼利堂や飯能・上直竹下分の富士浅間神社の場で、龍の宝剣にと巻き付いている倶利伽羅龍王の様子を見ながら、思い当たったのは、そうだ、妻沼の聖天様の境内にある池の脇に作られた、その名も「軍荼利の滝」と呼ばれる滝の傍には、これらの倶利伽羅龍王ではなしに、軍荼利明王の石像が据えられていたことだった。
そうだよ、これら倶利伽羅龍王や軍荼利明王の像が、このように滝の流れ落ちる場所に祀り据えられ、その「龍」や「蛇」が描いている螺旋の形とは、「水」が天空と大地との間を行き来する運行の様を表現しているものとして理解することが出来ることだと、そう思った。
軍荼利明王の身体を、そしてまた、倶利伽羅龍王の宝剣を伝わって上方へと螺旋を描きながら這い上がって行く「龍」や「蛇」は上昇して行く気の流れであり(大気の流れは、その中に含まれている水の流れでもある)、そして、流れ落ちている「滝」の水は「甘露」と見立てられているのであろう。
五輪・五大の「空」は「宝珠」に形が準えられている。
このことは上昇した大気中の「水」が「雲」となって、その水分子同士が互いにぶつかり合い・揉み合い・練り合わされ、甘露水の雨になって降り下ってくるということで、「宝珠」はその容器を表し「降り龍」がこれを指や口にと挟み持つ姿とは、その中に容れられた甘露が雨となり滝になって落ちて来ると云うことなのだろう。
そんなことを思案しながら暫くの間、富士浅間神社の滝と倶利伽羅龍王像ばかりに目を向けていたのだったが、ふと右手の足元に目を移したら、そこには何と陰陽の自然石が祀られて「夫婦神社」と名づけられいた。
しかもそれが陽物の「石棒」が立てられているのではなしに、小さな全くの自然石で陽石と陰石が並べられているのが何とも素朴で良い。
今の今、考えていた陽(ひ)の気と陰(み)の気が交合することによって「甘露」が生まれると云うことを見透かされて、それを具現化した姿を見せられて居るような気分となった。
さらにその右手には、「おんべかつぎ」で触れて来ていた「おしゃもじ様」が祀られていて、当地には今でも杓文字を奉納する風が残されているのだろう、それ程時間経過していなそうな杓文字が何本かお供えもされている。
本殿を挟んで反対側の右手には「妙見社」(村内の別の場所にあったものを合祀したようだ)と「大日如来」を祀る祠も在った。
何と言うことだ。
この場には日頃から私が考えていたり、気に掛けていることであり、「おんべかつぎ」にも取り上げて来た事柄を裏打ちするようにして、「倶利伽羅龍王」・「滝」・「陰陽石」・「おしゃもじ様」・「妙見社」・「大日如来」が揃い踏みして、私を出迎えていてくれたように思えたのである。
中でも特に陰陽石を見ながら考えさせられたのは、これを神道的に見ればイザナミ・イザナギの二柱の神と云うことになるのだろうが、仏教的な立場から見たら歓喜天(聖天)に通じていると見做すことが出来るのだろうということであった。
宝剣に螺旋状に巻きついた龍が宝剣の先端からこれを呑み込もうとしている姿の像であった。
この像は不動明王の三昧耶形である「倶利伽羅剣(倶利伽羅龍王・倶利伽羅明王・倶利伽羅不動」とも呼ばれるものである。
実は不思議なもので、成木の安楽寺を訪ねて行った同じ日に、もう一ヶ所の違った場所で、縁によって導かれるようにして、もう一体の「倶利伽羅龍王像」を目にすることと成った。
その場所とは、都県境を越えて飯能市上直竹地内に在る富士浅間神社の境内地であった。
ここへと訪ねて行った切っ掛けも、これまたテレビ放映によってであったのだが、その放送された時期は随分と以前であって、久米宏さんが司会を行っていた「ニュースステーション」であった。
その番組中で天気キャスターをしていた乾貴美子さんが、この富士浅間神社の裏手の山に生えているタブの木の巨樹の枝に腰掛けて、これを紹介する画像が流れるのを見て、その時以来、この巨樹に逢いに行ってみたいと思い続けて来ていたのだったが、なかなかその機会がなく、成木安楽寺を訪ねたのを機にして漸くのこと、念願していた巨樹との出会いとなったのであるが、その時に思いがけずも、麓のこの神社の社殿脇に流れ落ちる滝(芙蓉の滝)の下に据えられていた「倶利伽羅龍王」にと巡り合えたのだった。
「滝と倶利伽羅龍王」の取り合わせ。
なるほどと私は納得した。
これまでにも数知れず「水と龍」とが組み合わされた彫像や図象は目にして来たし、過去に当ブログでも「辰年に寄せて」の標題の下で「水と龍」や「宝珠」について触れてみたこともあった。
また、神社や寺の手水舎の設けられいる口を漱ぎ手を清める龍の口から出ている水は、諸所でよく見かけることも出来る。
そしてまた、彼方此方の沼や池の辺には決まって龍神が祀られているのは定番なことでもあるから、「水と龍」とは縁の深い間柄であることは今更ここに取り立てる程のことでも無いかも知れない。
ただ、青梅・成木の軍荼利堂や飯能・上直竹下分の富士浅間神社の場で、龍の宝剣にと巻き付いている倶利伽羅龍王の様子を見ながら、思い当たったのは、そうだ、妻沼の聖天様の境内にある池の脇に作られた、その名も「軍荼利の滝」と呼ばれる滝の傍には、これらの倶利伽羅龍王ではなしに、軍荼利明王の石像が据えられていたことだった。
そうだよ、これら倶利伽羅龍王や軍荼利明王の像が、このように滝の流れ落ちる場所に祀り据えられ、その「龍」や「蛇」が描いている螺旋の形とは、「水」が天空と大地との間を行き来する運行の様を表現しているものとして理解することが出来ることだと、そう思った。
軍荼利明王の身体を、そしてまた、倶利伽羅龍王の宝剣を伝わって上方へと螺旋を描きながら這い上がって行く「龍」や「蛇」は上昇して行く気の流れであり(大気の流れは、その中に含まれている水の流れでもある)、そして、流れ落ちている「滝」の水は「甘露」と見立てられているのであろう。
五輪・五大の「空」は「宝珠」に形が準えられている。
このことは上昇した大気中の「水」が「雲」となって、その水分子同士が互いにぶつかり合い・揉み合い・練り合わされ、甘露水の雨になって降り下ってくるということで、「宝珠」はその容器を表し「降り龍」がこれを指や口にと挟み持つ姿とは、その中に容れられた甘露が雨となり滝になって落ちて来ると云うことなのだろう。
そんなことを思案しながら暫くの間、富士浅間神社の滝と倶利伽羅龍王像ばかりに目を向けていたのだったが、ふと右手の足元に目を移したら、そこには何と陰陽の自然石が祀られて「夫婦神社」と名づけられいた。
しかもそれが陽物の「石棒」が立てられているのではなしに、小さな全くの自然石で陽石と陰石が並べられているのが何とも素朴で良い。
今の今、考えていた陽(ひ)の気と陰(み)の気が交合することによって「甘露」が生まれると云うことを見透かされて、それを具現化した姿を見せられて居るような気分となった。
さらにその右手には、「おんべかつぎ」で触れて来ていた「おしゃもじ様」が祀られていて、当地には今でも杓文字を奉納する風が残されているのだろう、それ程時間経過していなそうな杓文字が何本かお供えもされている。
本殿を挟んで反対側の右手には「妙見社」(村内の別の場所にあったものを合祀したようだ)と「大日如来」を祀る祠も在った。
何と言うことだ。
この場には日頃から私が考えていたり、気に掛けていることであり、「おんべかつぎ」にも取り上げて来た事柄を裏打ちするようにして、「倶利伽羅龍王」・「滝」・「陰陽石」・「おしゃもじ様」・「妙見社」・「大日如来」が揃い踏みして、私を出迎えていてくれたように思えたのである。
中でも特に陰陽石を見ながら考えさせられたのは、これを神道的に見ればイザナミ・イザナギの二柱の神と云うことになるのだろうが、仏教的な立場から見たら歓喜天(聖天)に通じていると見做すことが出来るのだろうということであった。