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貞観法 和らぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

お祓い(廻ると言う事 12)

2011-04-01 00:34:27 | 廻るという事
こちらの質問にも残念ながら親父さんから帰ってきた答えは、「そりゃ~、昔から注連縄の綯い方は左に綯うって決まってるよ、何故だか考えてみたこともねぇよ」
であった。

私の期待は見事に打ち消えさせられたのだった。

だが、私はこの時に注連縄の綯い方について、私が聞きたく思った答えを得ることが出来なかったにも拘らず、「年越しの祓い」を個人の家で年中行事の一つとして長年続けて執り行って来たという事実を聞くことが出来ただけでも充分に満足であったのだ。

注連縄の綯い方については、また機会を改めて今後に触れるつもりである。



話を「お祓い」に戻そう。

ここまで「お祓いに」関して記して来たことを整理してみる。

①・・・「大祓い」として年に二回、「夏越の祓い」と「年越しの祓い」とが行われている。

②・・・その「祓い」とは身に溜まったとされる罪穢れを清めるといった機能が込められていること。

③・・・さらに、その為の道具として「御幣」が用いられること。

④・・・そして、この「御幣」の振り方・祓い方は「茅の輪」のくぐり方と同様で「∞マーク」の軌跡を作ること。

上記4点の事実は、私が和らぎ体操を考案して来た上で大元になっているのは、縄文の縄の文様からの着想であって、それが暗示し密かに我々に伝言しているのは、ここに書き出した4項に通じることでもあるのでははなかろうか。と同時に、そうした考えをこれらのことが傍証してくれも支持してくれてもいるように思えるのである。

つづく

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お祓い(廻ると言う事 11)

2011-03-29 08:31:59 | 廻るという事
ごく普通に飾り付けられる注連縄との形状の違いを見て取った私は、早速のこと、この注連縄はどうしたのか?。何処からか買って来たものを飾ったのか?。それとも自家製で、家人の誰かが綯って作ったものなのか?。

を長女さんに聞いてみたら「お父さんが、毎年藁を打って今でも年の暮れになると自分で綯って作ったものを飾るのだ」との返事であったので、早速、直に居合わせたお父さんから、その注連縄についての話を聞いた。

「俺は分家した身だけど、俺の親父も毎年の注連縄は他所から買って来るのではなく自分で、ここにあるようなもんを自分で綯って飾っていたから俺も同じようにしてるんさ~」との返事。

そして、暮れの大晦日には家族揃って神棚の前に集まって、お伊勢さんから配られてくる大麻と一緒について来る小さな御幣を使って「祓え給え清め給え」との祝詞を上げながら、この親父さんが家族の頭上で御祓いをするのが通例となっているとも聞かされた。

「大祓い」と呼ばれる年二回行われて来たとされる、罪穢れを祓うための行事のうち、「夏越の祓い」の方については大宮氷川神社に参詣して、人形(ひとがた)に氏名や生年月日を書き込んで祓いを受けたこともあって馴染みのあるものと受け止めていたが、一方の「年越し祓い」については、大晦日に行われる祭事であることは知ってはいたが、氷川神社でもこちらは神職の人たちのみで執り行われているようで、広くは余り知られていないし、一般にも夏越の祓い程馴染みが無いのではないだろうか。

そんなこともあって、私自身もそれまで「年越しの祓い」と呼ばれるものとの関わりは持ってはいなかったのだ。

この時に初めて実際に「年越しの祓い」を毎年、それも神社などで行われているものに対して参詣するのでは無しに、家単位での年末大晦日の行事として執り行われているという事実を聞かされ甚く感激したのだった。

そこで私は親父さんに次のような愚問を発してしまった。

「ここの家では何時から暮れに注連縄を綯い、大晦日にはお祓いをするようになったんですか」?

答えは

「そりゃ~、俺の爺さんも親父も同じようにしていたけど、何時ごろから始めたことかは判らね~よ」

それはそうであろう。と自嘲したのだった。

が、そうだ、馬鹿な質問のしついでに、それではあの太さに違いの無い荒縄のような注連縄について聞いてみよう。と思いついた。

この時、私はそれまで自分の中に「疑問」として抱えていて注連縄の綯い方について、自分勝手な解釈だけではどうしても納得し切れないでいたことから、その答えを、づっと自家で注連縄を綯って来た、この家の親父さんの口から聞くことが出来るかも知れないといった期待を込めて、「注連縄の綯われ方は全て左綯えで拵えられていますよね。手勝手の良さからしたら左掌の上で右手を転がすようにして綯う綯い方の方がやり易いのに、何でわざわざ拵えずらい左綯えにするんですかねえ。その理由について知っていたら教えて欲しいんですけど・・・」と問いかけてみたのだった。

つづく

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お祓い(廻ると言う事 10)

2011-03-15 23:28:16 | 廻るという事
お祓いに関わっての話 2

一年の内、「お祓い」が催される時に大きなものとして二回あるが、これまでその内の「夏越の祓い」に関わっての私の中に在った記憶から話をしたが、もう片方の祓いである「年越の祓い」についても同じように記しておこう。

もう、10年位は経つだろうか?

吉野町の道場のすぐ近くに住んでいらっしゃるSさんという方がいる。

このSさん。我が道場の大家さんとはイッケ(同族)の方であって、その家の娘さんたち3人とは古くからの知り合いであるが、その長女の方のお婿さんが、犬の散歩を自転車に乗ってしていた時、犬が自転車の前を横切って急に進路を変えたのに伴って、引いていた引き綱が自転車の前輪に急ブレーキをかけたようにして遮り、乗っていたお婿さんはもんどりを打って身体が前方に投げ出されてしまったという。

打ち所が悪く頚椎を痛め救急車で入院し、首の大手術を受けたことがあった。

術後、幾日かしてから退院となったのだが、その際に娘さんたち三人が道場に見え、退院後は私の道場で体操しながら体調回復をしたく思うので・・・・・と言われた。

了解はしたものの、果たしてどんな状況なのだろうか?
回復に体操が役立つことが出来るだろうか?

と些か心配になったのだが、引き受けた以上仕方ないと腹をくくったのだったが、実際にその日になってみてビックリ。

婿さんは奥さんとその姉妹二人に両肩を抱きかかえられ背中を押されるようにして、道場へのスロープをゆっくりゆっくりと歩いて上がって来た。

引き受けて大丈夫なのかと不安になるような姿であった。

それでも本人は一日も早く動けるようになりたい一心であったのだろう、毎日のようにして道場へと通って見えてくれたのだったが、そんな行き来が縁となって、私の方からも道場とは目と鼻の先にあるSさんの自宅へと頻繁に顔を出させ貰うようにとなっていった。

いつもは応接間に通されていたのだったが、何度か顔を出させて頂いていく内、居間にと通させて頂くようにとなったのだが、そこには神棚が設けられてあった。

そこに目をやると、どこの家の神棚にもあるような注連縄でないことが直ぐ判るようなものが張られてある。

その太さは直径が2cm位だったろう。両端に太さの違いが見られずに、ごく普通の荒縄のような形状をしたものであった。

つづく

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お祓い(廻ると言う事 9)

2011-03-07 21:45:34 | 廻るという事
お祓いのための祭具としてのハタキに似た御幣が、心身に溜まってしまった罪穢れを取り除く機能を持ったものとして何故に位置づいたのであろうか?

ハタキが掃除の際にゴミや埃を取り除くといったことからの発想であったのだろうか?

先にも記したように御幣とハタキとでは、その使い方に多少の違いがある。

ハタキがパタパタと打ち付けることによって、その役目を果たしているのに対して、御幣は左右に円を描くようにして振われることによって心身の罪穢れを取り除くといった働きをするとして捉えられている。この違いに何か理由が在るのだろうか?

子供の頃に受けた八坂様のお祓いの時には、私は祖母からの説明を聞いて、あぁあれは神主さんが汚れた身体に対してハタキ(叩き)をかけてくれたのだと、御幣の果たしている役割について解釈をしていた。

でも、よくよく観察して来ると、どうやらハタキと御幣とでは使い方に違いがあることに気づいたのだが、それを決定的なものにしたのは先述したように、鷲宮神社での茅の輪くぐりの際の輪越しの仕方を注釈した掲示板を目にし見てからのことである。

そこで考えを新たにした。

御幣はハタキとは違う使い方をされた上で、その罪穢れをハラウという機能を全うしているのではないか?

そう思ったのである。

それは幼き日に祖母が私に教えてくれた、畝綯いの仕方に通じるものがあった。

身体は偏って使うと草臥れる。

疲れることなく作業をやり続けてゆけるコツは「身体を綯わして使うこと」であるという言葉である。

その言葉と縄文の文様からヒントを得て私の体操は、これに息の仕方とを組み合わせて作って来たのだが、その考え方の基にも通じることを御幣を振るう振り方にも、茅の輪を輪くぐりする仕方にも見出せた思いで酷く興奮をしたのだった。

つづく


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お祓い(廻ると言う事 8)

2011-03-04 09:15:40 | 廻るという事
ハタキと同じ形状をした「御幣」。

身に溜まってしまった罪や穢れを取り除く働きをするのだということからすれば、ハタキと同じ形をしていることには大いに得心が出来ることだが、ハタキとの違いが在るとすれば、その使い方にあるのではと思う。

掃除に使われる際のハタキの使われ方は、主に叩かれ(たたかれ・はたかれ)るといった上下運動をして使われるのに対して、「御幣」は、ここで問題にしているように左右に幾分と弧を描くようにして双円を作るような軌跡運動をして使われている。
(この動きの順序が茅の輪の輪越しの行い方と同じであることに気がついた)

幣の振り方については、どこの神社に出かけても気にかけてその所作に注意を向けるようして来たつもりだが、正直なところ、見た目で言ったら、これを振る神職の方によっての微妙な違いがあって、直線的に左右に振る方もあって、正確に「茅の輪」の輪越しの仕方と同じようにして無限大のマークのようにして振るっているとは言えないかも知れないが、どうも横伸びした∞形にサッサッサッと調子を付けてら振るうのが本来ではないかと、門外漢の私は勝手にそう解釈している。

you tubeでの画像
http://www.youtube.com/watch?v=KBl45YI88BQ(詳しい方があったら是非にも、その所作について正式な振り方についてご教示頂きたい)

仏式での高貴な人や像に対してこれを巡る様式が「右周り(右遶)」であるのだとすると、これに対して、茅の輪の輪越しの仕方・あるいは御幣による祓いなど神式の様式は、左・右・左と振る(周る)様子を円運動として捉えれば左回り(左遶)が2回。右回り(右遶)が1回行われているということになる。
(御幣の振り方、輪越しの仕方の他にも幾つか目に留まっているものも在るが、これは機会があったら、また、別の折にでも触れようかと思う)

輪越しの仕方。大宮氷川神社でのもの
http://www.youtube.com/watch?v=CeR0udg5Avw(私の若い日の茅の輪くぐりに2・3回氷川様を参った時の記憶では、確か単にこれを跨いで通り抜けただけであったように思う)

つづく

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